氷のウェイト・トレーニング
(天空都市群グングニル最北島内陸部北側:プラト山村 プラト湖の凍結した水面上)
飛竜の姿で体を伸ばすのは、結構難しい。
人間の姿とは完全に別ものだし、そのうえ普段はない器官まであるのだ。
俺も、アニマ―ガスになって間もないころは、この巨躯の扱いに苦戦したこともあった。
中央島の街の上に、墜落してしまったこともある。
あのときは、運よく広場の噴水をぺしゃんこにしただけで済んだ。
しかし、管理業者と天空警察から、大目玉をくらった記憶がある。
そんな風にして、俺は少しずつ変身後の動作や感覚に慣れていった。
墜落事故のようなへまもやったが、それはあのときの一度だけだ。
あれ以来、一度も墜落したことはない。
……怪我をした日を、除けば。
「さあ。終わったんでしょうね? 軟体動物になったかしら?」
「無理だ。だが、入念に伸ばしておいたぜ」
「特に、主翼は丁寧にしたわね? 勿論?」
ストレッチの際に、俺はキーロから指示を受けていた。
第一主翼と第二主翼の四枚、特に胴体との結合部分を、入念に伸ばすこと。
出なければ、これからの訓練はできないという。
怪我をした箇所だから、同然かもしれないが、やはりその周辺には気を使った方がいいようである。
「それで。何をするんだ? 飛行訓練とか?」
「いきなり飛べるわけないでしょ。ウェイトよ。翼周辺の筋肉をつけ直すわ。特に、怪我している第一右翼を、中心にね」
「なるほど。でも、ここに飛竜用の重り(ウェイト)なんて、見当たらないぜ? どこにあるんだ?」
「あるじゃない。そこに」
キーロは、何もない凍った湖面を指差した。
が、そこには何もない。当然だ。ここはもともと湖の上。競技道具なんて、ある訳がない。
「キーロ。からかってるだろろ?」
「真剣です。ここにあるじゃない。材料が!」
そういって、キーロはスノーブーツの底で湖面を叩いた。
「……つまり。こういうことか? 氷が重り(ウェイト)?」
キーロは腕を組んで頷く。
「そういうことよ。――『フォーム・スクエア』」
キーロが成形の天空術を使う。
「材料は、湖面からいくらでも切り出せるわ。くりぬいた部分は、翌日には元通りだし。それに、溶けなければ同じものを使えるわよ」
「材料費もタダ。確かに、経済的だな」
「あなたが吹雪飛竜でなかったら、こうはいかなかったでしょうね。氷の重りなんて、耐熱性の羽毛を持っているあなたでないと、冷え過ぎて怪我の原因になるもの」
「そうだな。俺にもってこいの、訓練器具ってわけだ。よく、思いつくもんだ」
感心する俺に、キーロは得意げである。
「褒めても、何も出ないわよ。さ、仮成形できたわ。あなたの翼、一枚一枚にオーダーメイドでつくるから、試着してみて」
キーロは、くりぬいた水面の氷を宙に浮かせたまま、俺の方へ持ってくる。
氷のウェイトは、丁度俺の翼を、内部の空洞に通す構造だ。
ウェイトスーツの翼版である。
何度か試着と微調整を重ねて、かなりぴったりのウェイトが出来上がった。
ついでに、キーロは首と尻尾用の氷も成形した。今後、余裕ができれば使うらしい。
「さ、できた! これで、トレーニングが始められるわ。準備はいい?」
「おうよ。勿論だぜ」
「初めは、私も天空術で補助するわ。日を重ねるごとに、それを無くしていって、最後には自分の力だけで、ウェイトトレーニングをできるようになるのが、目標よ」
「それをこなせば、次は飛行訓練って訳か。待ち遠しいな」
「一つだけ言っておくけれど。焦りは禁物よ。また怪我したくなかったら、私の指示に従ってね」
「わかってる。さあ、やろうぜ!」
ウェイトトレーニングが始まった。初めは、翼からだ。
角度や重さを調整しながら、何十回、何百回と翼を鍛える。
ウェイトの微妙な重さは、周囲の雪を氷のウェイトに固めて接着し、調整した。
無論、その役目は優秀なトレーナーであるキーロの仕事である。
俺は、ひたすら竜の唸り声を上げながら、苦しい負荷に耐えた。
怪我をしていない五翼は順調だったが、最後の第一右翼だけは、一筋縄ではいかなかった。
怪我をしている上に、三か月のブランクもある。その間、ほとんど使用していないこの箇所は、他の翼よりも筋力の衰えが著しかった。
ゆっくり、慎重に何度もウェイトを繰り返す。
その一回にかかる時間は、他の部位の三倍だ。
それだけ、神経質にならなければいけない箇所だった。
キーロの声も、緊張している。
「ザザ! ゆっくりよ。痛みがあれば、ただちに報告よ。いいわね?」
「ああ――了、解!」
「本当に、痛みはないのね? 張りは? 違和感は?」
「いまの―――ところは!」
「あと少しよ。でも、ゆっくり!」
「それ―――何度――――目だ!」
そんな風にして、六枚の翼全てを鍛え終わったところで、日が暮れてきた。
雪山たちの谷に吸い込まれていく茜色を眺めながら、キーロがウェイトを岸辺にしまう。
また、明日からもあれを使うらしい。
「ふう。今日は、これくらいでいいかしら。驚くほど進展はしなかったけれど、まあまあってところかしらね?」
「あれで、……ぜいぜい……まあ、まあ……かよ。…………ふう」
「あ、待ちなさい。まだ解除しちゃだめよ」
キーロが、人間の姿に戻るつもりだった俺を静止する。
「なんだよ? 訓練、今日は終わりだろ?」
「そうよ。でもね、私思ったの」
何故か、キーロはけなげな表情をつくっている。
しかも、わざとらしい。不穏な香りがする顔だ。
逃げよう。ここは、それが最善だ。
「アニマ―ジュかいじ――」
「――『アネステティック・バインド』。そうは、させないわよ?」
俺は、キーロにかけられた全身麻酔と強制拘束の天空術で、完全に動きを封じられた。
雪舞う空の王者、ブリザード・ワイバーンが、呆気なく氷の上にひれ伏す。
辛うじて、舌だけは動いた。
「なんなんだこれは! 放せ!」
「だめよ。私が主治医。あなたは患者。主と従の関係は、永遠に覆らないわ。この問題においてはね。そういう取り決めでしょう?」
「なんで、こういうときだけ強硬なんだ! どうせ、末恐ろしいことを思いついたんだろう!」
「あら。よくわかったわね」
と、満面の笑みでキーロ。
こいつは、また俺を実験体にするつもりだ。
「やめろ! 何をする気かは知らんが、どうせろくなことじゃないんだ。俺は降りる! 断固として、やらんぞ!」
「馬鹿ね。選択権なんて、あなたにないのよ。それは、主治医である私だけのものなの。わかった?」
「わかるか! 拘束を解け!」
「私、思ったのよ。来る直前に刺激を送れば、筋繊維と細胞が活性化して、早く筋肉が出るんじゃないかって。そう思ったの」
俺の抗議を無視して、マッド・ドクターが死刑宣告前の主旨説明をし始める。
これはヤバイ。何となくだが、奴が言いだす結論がみえた。
逃げなければ。だが、体の自由はない。一ミリもどこも動かない。なんてこった。
「そう思ったから。こうすることにするわ」
「……どうする、つもりだ?」
俺は戦々恐々である。
対照的に、キーロは零下の中、真夏の太陽のような笑顔を浮かべた。
「――こうするの。『インジェクション・ボルト』」
俺はできれば気絶したかった。だが、俺は元七帝の一角である。そんなやわな精神はしてない。
お陰で、迫りくる狂気をこの身で体感する羽目になった。なんてこった!
「おい待て! 感電マッサージは寝る前だろ! まだ夕方だ!」
「勿論、寝る前にもやるわ。でも、これからもするのよ。アハッ。腕がなるわ」
「口角を吊り上げてそういうことを言うな! 訴えてやるぞ!!」
「どうぞ。好きにすれば? でも、これからの整体を、生き延びた後で、そうする必要があるわよ」
「ふざけんな! 俺はもう中央島にかえ―――――」
「――――せいっ!」
俺の第一左翼の付け根を、灼熱の電撃が襲った。
「があ―――――――――――!」
だめだ。訓練の直後で、ただでさえふらふらするってのに。
こんなの拷問だ。死んじまう。
「あら。反応が鈍いわね。おかしいな。――ああ、そういうこと。つまり、アニマ―ジュで体が大きくなったから、電圧を上げないとだめなんだわ。十倍ぐらいでいいかしら?」
だというのに、瀕死の俺をながめた揚句に、キーロはこれだ。
しかも、次の狙いは怪我をした第一右翼だ。
「おい、キーロ! いや、キーロ嬢! やめろ。後生だから。そこだけはだめだ。やめてくれよなあ、勘弁してくれ!」
俺の脳裏に最後に焼き付いたのは、キーロの無邪気な頬笑みだった。
「だ・め・よ」
かわいらしげに、そういうことを言う。
だが、これは間違いない事実だ。
奴は、ただの悪魔じゃない。その皇帝だ。
「えいっ!」
「ぎょへ―――――――――!」
――その後。俺は死んだ。いや、未遂で終わった。一応。




