二人の課題
(天空都市群グングニル・中央島南西地区内陸部裏路地通り:簡素なアパートの201号室内)
「――つまり、こういうことだ。俺は怪我を治してプロに復帰したい。お前は大学に行くために推薦状が欲しい。お互いの利害が一致してる。俺がプロに返り咲けば、お前に推薦状を書いてやれる。お前は、その為に俺の怪我を治す。WINWINのビジネスができる。そういうことだよな?」
「まとめると、そういうことになるわね。私とあなたは、利害が一致しているわ。それに、お互いが欲しいものを、提供できる立場にある。協力するには、お互い申し分ない相手ってわけね」
「東洋亭」でササミと豆腐を食べた後、俺達はキーロの研究室に戻ってきていた。
昨日までの条件を再確認して、今に至る。昨日の認識で、だいたいよさそうだ。
やはり、キーロは俺の怪我を治せると、自身で確信している。確信までいかなくとも、その可能性はあると踏んでいるようだ。
「だが、一つ分からないことがある。どうして、俺に会ったこともなかったのに、怪我が治せると思った? 最初にあったときが、初対面だろ? 排水パイプのときが」
「そうね。でも、私が『サーチ』を使いこなせるのは知ってるでしょう? それで、診察したのよ。あなたを。後ろから」
確かに、あのときキーロは俺の背後にいた。だが、ちょっと待て。
キーロが見たのはアニマ―ジュ前の姿だ。変身前の姿を見て、変身後の怪我を診察できるのか?
「なあ、でも直接俺の変身後の姿を見てる訳じゃないだろ?」
「確かに、会ったときは、まだ見ていなかったわ。それでも、だいたい分かるのよ。マナの流れとか、変身前の身体に起きたフィードバックとか。そういうことで、大まかな状態は分かるの」
……そんなこと、できるのか? 本職の天空獣医師からも、こんな話、聞いたことが無い。
あ、でも。クラウンが治療のとき話していたような……。難しすぎる内容で、詳細は覚えてないけど。
つまり、本職のトップができることを、キーロもできるということだろうか。驚天動地だ。
だが、希望が沸いてくる。こいつとの出会いは、天空闘竜の神からの贈り物だ。
きっと、物事がいい方向に進むだろう。信じてみる気になる。
「それに、変身後の姿も、その後見たわ」
「飛び降り自殺未遂のことか?」
「そ。ああすれば、あなたは変身して私を助けるしかない。あなたなら、助けに来ると思ったの」
「……だからってな。自分の生命を危険にさらすことないだろう」
「でも、ああしないと、あなたは私を相手にしなかったわ。だって、そのときは詐欺師だと思われてたんだもの」
「うっ」
「まあ、結果オーライよ。私とあなたで協力するのが、最善の選択だと思ってもらえたから」
「……まあ、そうだな。それで? これからどうするつもりだ? 目標は定まったんだ。次は、行動で示すべきだろ?」
キーロは、短く首を振った。
「その前に。計画を立てなきゃ。私達のゴールは、確かに定まっているわ。私が怪我を治して、あなたがインペリアルリーガーに返り咲くことよ。でも、そこまで行くには幾つもの困難な課題が存在する。特に、怪我は一筋縄ではいかないわ。あなたの第一右翼支柱筋剥離は、すでに剥離が癖になっている。もう前の剥離は一応接着しているけれど、再発する危険があるの」
「それは、クラウンからも聞いたよ。クラウンは、天空都市一の名医だぜ」
「そうね。確かに、事故後の治療は鮮やかの一言に尽きるわ。でも、この怪我の恐ろしいところは、何度も言うけど再発率の高さなの。再発させないためには、第一右翼支柱筋の周囲を、徹底的に鍛える必要があるわ。周囲の筋肉を極限まで鍛えることによって、接着の弱まった第一右翼支柱筋を補助するの。いわば、筋肉の鎧ね。鎧を着込むことによって、あなたの弱点である第一右翼支柱筋を、守る。そうすれば、また飛べるようになるわ」
「……怪我をする前と同じくらいか?」
「それは……たぶん、難しいでしょうね。鎧で補強したからといって、剥離癖が治る訳ではないの。それに、第一右翼支柱筋の周囲を鍛えれば、反対側の第一左翼も鍛えなければいけないわ。分かっていると思うけれど、飛行というのは、左右のバランスが命なの。各部位の黄金比を考慮しながら、第一左翼だけじゃなくて、全身の肉体改造を精密に計画し、実行しなければならない。無論、それには気の遠くなるようなトレーニングの山脈を越える必要があるわ。食事も、三食厳正に制限よ。……それでも、やる覚悟がある?」
「無論だ。初めから、そのつもりだぜ」
俺に迷いはない。現役のどの時期よりも、厳しい冬の時代が待っているのだ。だが、可能性があるだけ、俺はキーロに感謝している。
つい二日前までは、可能性すらなかった。あるだけ、まだましだ。
「最短で、いつ復帰できる? 今年のチャンピオンゲームズには、間に合うのか?」
チャンピオンズゲームとは、七帝だけが出場する天空闘竜で最も格式高い大会だ。毎年大晦日に決勝がある。今は十一月の二日だから、あと二カ月もしないうちに開催してしまう。
キーロは、俺の提案を聞いても、眉間に縦皺をつくったままである。
「チャンピオンズゲームなんて、気が早いわ。ゼロとは言えないけど、ほぼ無理よ。プロのグラディエーターに復帰するくらいなら、あと一カ月あれば可能かもしれないわ。飛竜の肉体はもともと強靭だから。普通は、怪我なんてめったにしないくらいだし。なのに……どうして、こんな大怪我したの?」
キーロの厳しい目線が突き刺さる。俺がよっぽど馬鹿をやらかしたと思っているようだ。
だが、それは誤解である。俺自身にも、正直その瞬間のことは、よく分からなかった。
「あーなんだ。実を言うと、あんまり当時のことは覚えてないんだよな。雲の中を飛んでたら、いきなり第一右翼に激痛が走ったんだ。いきなりだぜ。別に急な動きをした訳じゃない。ほとんど滑空しているぐらいだった。なのに、いきなり激痛が走った。信じられないかも知れないが、それが事実なんだ。なんでなのかは、俺にも分からない」
「本当?」
「ああ。クラウンにすら、詳しい原因は分からなかったんだ。妙だよな」
「おかしいわね。でも、その話題はまた、詳しく聞きましょう。別の機会に。それよりも、訓練の話よ。――――本当に、やるのね? 最後まで?」
キーロは、もう一度念を押す。やはり、かなりハードな復帰準備になるようだ。
だが、俺の気持ちだって変わらない。
「ああ。やるぜ、キーロ。俺は返り咲く。そのためなら、多少の地獄は見てもいい。それに、今こそ地獄だ。これ以上、悪くなりようがないんだ。それなら、どれだけ苦しくても、俺は可能性に賭けたい」
「そう。なら、トレーニングをこなすのはあなただもの。私は、主治医に徹するわ。ただし……」
「……ただし?」
「断言できるわ。あなたの人生で、後にも先にも最も過酷な数カ月になる。覚悟、しておいてね」
俺は無言で頷いた。
でも、なんでそんな笑顔でいうんだよ? サドなのかあいつ。
「オーケー。やってやろうじゃない。で、どこで訓練するんだ? あてはあるのか?」
「天空都市上の練習競技場と、上空空域での訓練許可を、申請しておいたわ。今日、その結果書類が届くはずなのだけれど……」
そうキーロが言った矢先、インターホンが鳴った。キーロが対応する。
暫くして、キーロが返ってくる。手には、小さな封筒。
「もしかして、申請の返事か?」
「そうよ。たぶん、許可が下りてるはず……」
そう喜色ばみながら、キーロは封筒の中身を確認した。
そして、どう動揺する。
「ええっ! どうして!? 不許可なんて。それにどっちも。一般の誰でも申請できるはずなのに……」
俺はキーロから紙をひったくった。読む。
なになに、『申請者はアニマ―ガスの免許を所持していないので、今回の申請はお断りさせていただきます』だと?
「おい、キーロ。俺の名前で申しこまなかったのか? 確かに訓練施設は市民に一般開放されてるが、アニマ―ガスが優先されるんだぞ」
「え。そうなの、私、知らなかった……。それにこれ、あなたに会う前に申請したの。だから、私の名前で……」
「俺と会う前から、あった後の計画を実行してたのか。前のめりすぎだ」
「ごめんなさい。でも、早く訓練できた方が、いいと思って……」
キーロはしょげている。不手際を反省しているのかもしれない。
でも、悪気があった訳じゃない。気持もうれしかった。
それに、これは使える。
俺は、不許可通達の紙を封筒に戻し、ジャケットの内ポケットにしまった。
「まったく。そういうとこ、あるよな。でも、こいつは使える。キーロ、行くぞ」
俺はキーロの手をとって、研究室を後にする。
「ちょっと、何処行くの、ザザ選手!」
「選手なんてつけるな。呼び捨てでいい。グングニル市役所だよ」
「市役所って、なにするの?」
「まあ、見てな」
そういって、俺はキーロと部屋を後にする。
グングニル市役所は、この中央島の中央地区にある。つまり、島の中心だ。併設されている市議会と並んで、天空都市の行政を担っている。公営の訓練場や飛行許可の認可なども市役所で行っているから、訓練場所を確保するためには、役所に申請に行かねばならない。
訓練場所がなければ、キーロのリハビリと訓練もできないだろう。
これは死活問題だ。
――――俺の思いついたアイディアが、うまくいけばいいのだが。
……それほど大した思いつきでも、ないのだけれど。
――――とりあえず、市役所にいこう。あとは、行政の出方を見るしかない。




