一晩明けて
(天空都市群グングニル・中央島南西地区内陸部裏路地通り:簡素なアパートの201号室 ドアの前)
夜が明けた。凍死はしなかったようだ。ちゃんと心臓が動いてる。風邪も引いてない。
ぼんやりと滲む視界に、人工の太陽光が沁みる。
「……朝か。キーロを起こさないと」
俺は立ちあがって、ズボンと毛布の埃を払った。人工石でつくられた床は冷たい。体が変な固まり方をしていなければいいのだが。
夜中、ずっと背にしていた201号室のドアを、再び開ける。
案の定、キーロは一度も起きなかったらしく、玄関のカギは開いたままだ。不用心な奴め。
部屋に入り、玄関で靴を脱ぎ、廊下を通り過ぎて、例の研究室に辿り着く。
キーロは、まだ寝ているところだった。
チビのあいつがようやく一人収まるような小さなベッドで、気持よさそうに寝息を立てている。
気絶した後、資源再利用施設でもこうだったな。本当に、よく寝る奴だ。
まて、何か寝言を言ってるぞ?
「――ううん。ムニャムニャ。駄目よザザ。その和牛の照り焼き定食は、私が食べるんだから……。えへへ。あんたはカロリー制限中でしょう。もう……――――」
だいたいこんな感じだ。
ふん、夢の中でも俺から肉をとりあげる気なのか。どうせ、代わりに俺にはササミを食わせてるに違いない。
面白くないから、さっさと起こそう。
「おい、キーロ! 起きろ。朝だ。俺の怪我、治してくれるんだよな? こんなに寝てたら日が暮れちまうぜ。おい、起きろキーロ!起きろッたら!」
何度も揺さぶると、不機嫌そうなうめき声をあげて、キーロが薄眼を開けた。
「……もう。だれよお。私、やなことあったんだから、ほっといてよ」
だめだ。寝ぼけてる。もっと大きな声で行こう。
「お・き・ろ・よ! 俺の怪我、治せるっているのは、嘘だったのかよ? 起きろ、小娘! 苦学生! 黒ぶち眼鏡!」
ようやく、うっとおしげにキーロが毛布からはい出してきた。
「もお、なにい? 大家さん、今月分のおやちん、私ちゃんとはらったんだからね」
「俺は大家じゃない。元インペリアルリーガ―のザザだ。元氷息帝、ザザ・ムーファランド。昨日のこと、覚えてないのかよ?」
そこで、今日初めてまともにキーロと視線があった。
とろんとしていたキーロの両目。それが、だんだん焦点を俺に合わせていく。
そこで、奴は何故か奇声を発してベッドに直帰した。
「きゃ! ザザ選手! 何してるの、こんなところで!?」
あー。なんだか、予想通りの反応だ。やっぱり、家の中に留まらなくて正解だったな。
どうせ俺が、やましいことでもしたんじゃないかと、邪推してるに違いない。
冗談じゃない。俺のストライクゾーンは、グラマーな大人の女性だ。
こいつみたいなまな板、こっちから願い下げだ。
「さっきまで、部屋の外にいたけどな。お前さ、不用心だぞ。鍵も閉めずに寝いるなんて。お陰で、こっちは宿を探し損ねてドアの外側で野宿だ。風邪ひいたらどうしてくれる」
「……そんなこと言いながら、私に変なことしたんじゃないの……?」
ジトーっとこちらを警戒するキーロ。もう真面目に相手をするのも馬鹿らしくなってきた。
「ほら、証拠だ。これ返す」
夜の冷気をまだ纏った毛布を、キーロに投げてよこす。
「冷たいじゃない! 何これ、冷蔵庫にでも入れてたの」
「違う。冷蔵庫のように冷えてた表の廊下で一晩、俺が過ごす羽目になったんだ。さっきから言ってるだろ。少しは信じてくれても、バチはあたらないぜ」
「……そう。本当みたいね。疑ってごめんなさい」
「わかってくれたなら、いい。それより、昨日の続きだ。お前、昨日確かに言ったよな。排水パイプの中で。『怪我が治せます』。そういったよな」
キーロは、毛布の中に留まりながら言った。
「その話は、朝ごはんを食べながらにしましょう。「東洋亭」で食べるのはどうかしら」
「東洋亭」。昨日、晩飯を食べた飯所だな。キーロの集合住宅の近所にある店だ。
「早朝からやってるのか?」
「一応ね。まあ、近所に住んでる私みたいな常連限定で、モーニングが用意されてるわ」
「そりゃ助かる。じゃ、いくぞ」
「ちょっと待って。支度するから」
「おいおい、朝飯食いに行くだけなんだぞ?」
ここまで、キーロは全く毛布から出てこない。
最終通告的に、毛布を隔ててくぐもった怒声が聞こえてくる。
「乙女には、色々あるの! い! ろ! い! ろ!!」
交渉の余地はなさそうだった。チェッ! でもまあ、服とか洗顔とかメイク(はしてない気もする)とか、色々あるんだろう。いろいろ。
さっき通った廊下をまた通って、外気の冷たい表に帰ってくる。
どうせ、こう言う場合は三十分以上はかかるぞ。どうせなら、先に「東洋亭」に行くのもありだな。そうしようか? そうすれば、あいつにキャンセルをされずにオーダーが通る。
五分だ。一応五分待とう。それで来なけりゃ、先に言って脂身たっぷりの料理を注文するのだ。ふふふ。いいぞ、今から涎が出てきそうだ。二食連続でササミなんて食ってたまるか。
しかし、予想は外れた。キーロは丁度五分でやってきたのだ。俺の考え、見透かされてたのか? まさか。まさかな。
「……言っておくけど、モーニングのお品がきは初めから決まっているわよ。あなたが注文しようとしていた脂身の多いお肉なんて、あのお店にはないわ。残念だったわね。まあ、だからこそ、あなたが先に行っても構わなかったんだけれど」
キーロは、紫色の両目で、俺の心中を見透かしてくる。
「可愛くない奴。そうですか。ご立派ですなあ、欲望に負けるグラディエーターを上手に管理して。ご自分の睡眠時間と家の施錠は、そうでもないようですが」
「……どういう意味よ」
「いやあ、なんです、あれですな。どんな天才にも、欠点はあるものだと思ったしだいで。天才キーロ嬢、家の鍵を閉め忘れる。河童の川流れですな」
「馬鹿にしてるわね……! なんで起きた瞬間からそう他人に陰険になれるの!?」
「陰険など、めっそうもございません、大天才キーロ嬢。私めは、ただ悲しいのでございます。昨日ある程度信頼関係を築いたと思っていた相手から、早朝一番に向けられた感情は、猜疑心。全く信頼などございませんでした。悲しいですなあ! ……昨日、泣いてるお前を、誰が抱きしめて慰めたと思ってる。俺の優しさを、返せ」
ああいう行動、実はものすごく勇気がいる。
ああまでしたのに、やましいことをする人間だと思い込まれていたとは。
俺は、単純に残念な気持ちだった。
ところが、キーロは昨日のことを思い出して恥ずかしくなったのか、それをごまかすためにも俺にすごい勢いで食ってかかってくる。
「な、な、何が慰めてやったよ! ばっかじゃないの!! 自意識過剰も甚だしいわ! どうせ、七帝時代はモテまくって、とっかえひっかえだったから、そのときの感覚で私も同じように扱えばいいと思ってるんでしょ!? 信じられない! 傲慢高圧唯我独尊男! いい? この際いっときますけどね、あなたは私のタイプじゃありませんから! 全然違うから!! 未来永劫違うから!!!」
「あーそうかい。俺だってな、まな板は願い下げだ!」
「ま、まな板ですって……!」
ヒク、とキーロの喉仏が動く。やっぱり、かなり気にしてるみたいだな。
「この馬鹿! クズ野郎! レイシスト! 人権侵害罪で死刑になれ!!」
顔を真っ赤にして、キーロは先に「東洋亭」に入っていった。しかも、引き戸は俺の目の前で締め切りやがった。なんて横暴な奴だ。
だが、キーロを怒らせると怖い。俺は昨日それを学んだばかりだ。
それに、あれは言い過ぎだ。流石に、まな板は駄目だよな。まな板は……。かなり気にしてたし。
後で、謝っておこう。俺も子供過ぎたな。傲慢だったかもしれない。反省しなくては。
一つ深呼吸して、さっきの感覚を忘れる。朝飯ぐらい、平和に食べよう。
木製の年季の入った引き戸を開けて、俺は「東洋亭」の中に入る。
俺の方から、キーロに謝っておいた。最初、キーロは俺を無視していたが、最終的には許してくれた。ほっと一安心である。
朝食のおかずは、やっぱりササミだった。
あと、白いけど全く甘くないプディングみたいなものもあった。豆腐というらしい。謎の液体をかけて食べた。まあ、不味くはない。だが、活力漲るジューシーさも、ない。
――――さて、キーロの機嫌も直ったことだし、昨日の続きを話そう。




