第六十七話~越前出陣~
第六十七話~越前出陣~
六角館の一室に、足利義昭からの使者である京極高吉が通されていた。
彼の相手をしてるのは、義頼から命を受けた蒲生定秀である。 彼と高吉は昔からの知り合いであり、嘗ては高吉と彼の兄である京極高延との家督争いに目の前の男の味方として当時の六角家主君であった六角定頼と戦場を共にした関係でもあったのだ。
しかし今の高吉に、昔を懐かしむ様な雰囲気はない。 少し緊張した面持ちで、じっと義頼が現れるのを待っているのだ。 定秀も、その辺りは汲んでいるのだろう。 あくまで高吉を、上意の使者として丁寧にもてなしていた。
それから程なくして、義頼が部屋に入ってくる。 すると入れ替わる様に、定秀は退出した。 その事を気にする素振りも無く、義頼は腰を降ろす。 普通であれば館の主として上座に座るのだが、今日に限ってはその様な事はしない。 今の高吉は将軍の使者であるので、例え義頼が屋形の主であったとしても上座に座るなどは無礼に当たるので出来ない。 よって義頼は、当然の様に下座へと周り腰を降ろした。
「中務少輔(京極高吉)殿、お久しぶりにございます。 今日は公方(足利義昭)様の御使者、とお聞きしましたが」
「うむ」
義頼の言葉に一つ頷くと、高吉は己の懐から義昭からの御内書を差し出す。 恭しく押し抱く様に受け取った義頼は、丁寧に御内書を広げた。
そこには織田家より離れて、幕府にひいては義昭に味方をする様にと記されている。 そればかりか、味方となれば近江守護への任命と義頼の父親で今は亡き六角定頼が補任された管領代すら超える新たな管領家に処するとまで書かれていた。
確かに示されているのは、魅力的な提案である。 だが、義頼の心を動かす程の価値はなかった。 と言うより、そもそも心が動いていなかったのである。
先ず用意された二つの役職だが、そこに魅力を感じていない。 近江守護は代々の六角家当主が拝命してきた役どころなので、未練がないとは言わない。 しかし既に守護職が有名無実と化している以上、あればあったで有利とはなるがないからと言って困る事などないと言えたからだ。
そして管領についても、守護職とそう変わる物ではない。 既に力のない幕府の役など、守護職以上にお飾りとしかならないのだ。
それより何より義頼は、織田家……いや織田信長から並々ならない配慮を受けている。 殆ど口約束にしか見えない義昭からの誘い文句と、実質な高配を賜っている信長とでは比べるまでもなかった。
それでも礼儀上最後まで書状を読んだ義頼であったが、やがて視線を御内書から外す。 それから書状を丁寧に畳むと、高吉へと差し戻したのであった。
「中務少輔殿。 某は殿、いえ弾正大弼(織田信長)殿の妹婿です。 また六角家としても、弾正大弼殿には一方ならぬ恩義がございます」
「……」
「公方様が六角家を頼りとして下さる事は誠に光栄ではございますが、御内書を受け取る訳には参りません」
黙って義頼の返事を聞いていた高吉は、ゆっくりと目を閉じた。
義昭の命であったが故に使者として六角館を訪れた高吉であったが、彼も内心では義頼が裏切る訳が無いと考えていたのである。 しかし使者の任を拝命した以上、例え無駄足だと思っていたとしても届けない訳にはいかなかったのだ。
そして予想通り、義頼は義昭の味方にはならないと言う言葉が返って来る。 事前に考えた通りでの結末であり、予測の確認でしかなかった。
「そうですか。 やはり、それが貴公の返事ですか」
「やはり?」
「いや。 此方の事にございます、お気になさいますな」
「そうですか。 兎に角、真に相すみませぬが受ける事は叶いませぬ」
その後、暫く義頼と高吉はお互い見合っていた。
やがて高吉は、義頼から返された御内書を懐に仕舞ったかと思うと小さく首を左右に振ってからゆっくりと立ち上がる。 するとその時、義頼から高吉へ声が掛けられた。 と言うのも、一つ気になる事があったからだ。
その気になる事とは、細川藤孝の存在である。 嘗て殿中御掟が信長から出された際も、藤孝は義昭をなだめすかすなどして了承させている。 彼であれば、此度の様な場合も殿中御掟が出された時の様な行動に出ると考えたからであった。
「ところで中務少輔殿、兵部大輔(細川藤孝)殿は如何なされた? この様な場合、公方様を説得なり諌めるなりすると思うのだが」
「はぁ。 実は貴殿の言う通り、細川殿は公方様を説得なさろうとしたのだ。 しかし、聞く耳を持たれなかった」
「……そうですか。 では細川殿にお伝え願いたい、万が一の事がありましたら某の元まで来てくださいと。 無論、中務少輔殿もです。 決して悪い様には致しませぬ故」
義頼と高吉は、然程親しいという関係では無い。 むしろ親しいという意味では、書状の遣り取りなどを交わしている細川藤孝の方がよほど義頼と親しいと言えた。 義頼と藤孝は和歌や茶や弓など嗜み、好みとするところが似ている。 その様な経緯から、義昭がまだ近江国内に居た頃より友誼を重ねていたのだ。
しかし高吉とは、藤孝ほど親しい訳でもない。 元は同じ佐々木氏からの分かれた両家であったが、歴代に渡って仲が良いとは言えない関係であった。 だがその様な両家であるにも拘わらず、万が一の時は藤孝と共に高吉も受け入れると義頼は言うのである。 その言葉に高吉は、不思議そうな顔をしつつ逆に問い掛けていた。
「大変に有り難い申し出であるが、何故でしょうか?」
「兵部大輔殿とは、公方様の近江逗留の頃からより友誼を結んでおりました。 そして中務少輔殿ですが、元を質せば貴公の一族と我が一族は佐々木と言う同族にございますれば」
義頼は至極あっさりと、まるで隣の家にちょっとした用足しにでも行くぐらいの気軽さで答えた。
その為か、高吉は目の前の男が何を言ったのか一瞬理解出来ない。 やがて義頼の言った言葉の意味を噛みしめた高吉は、義頼に深々と頭を下げる。 彼としても、万が一の際に逃げる場所があると言うのは心情的にも有難いからであった。
「……忝い。 その、万が一の際には、宜しくお頼みします」
「うむ」
「ではこれにて」
「道中お気をつけて」
義頼の言葉に高吉は微笑を浮かべると、義頼の屋敷を辞したのであった。
高吉が屋敷を辞すると、再び本多正信のところに戻る。 義頼が腰を降ろすと、正信は高吉の用件を問い掛ける。 彼としても高吉が、どの様な立場で来訪してきたかが気になったのだ。
すると彼は苦笑を浮かべながら、正信に高吉が義昭からの使者として現れた事を伝える。 同時に御内書も持参しており、そこには前述した様な内容が書かれていた事も合わせて伝えた。
「そうですか、御内書ですか。 となれば、承禎様の情報も強ち間違いではないと言えるでしょう」
「ああ。 だがこれで、先ほどの兄上が齎した情報の裏が取れたかも知れんな」
「確かに、情報の確度は上がったか……なれば、正信。 俺は、岐阜に赴き此度の件について殿に直接伝えに行こうと思うがどうだ?」
「そうですな、それが宜しいかと」
正信から同意をえられた義頼は、そこで話を終えた。
翌日になると、供廻りの者と共に六角館を出立する。 やがて到着した岐阜城下にある信長の屋敷で、主と謁見した。 そこで挨拶を交わしてから、手に入れた情報を事細かに記した書状を差し出す。 黙って書状を読んだ信長は、憂鬱そうに一つ溜め息を漏らしていた。
それも致し方ないだろう。 足利義昭と武田信玄、この両者の動きが怪しいと言うのだ。 しかし武田家はある意味で例年通りの行動であり、疑わしい域を未だ出ない。 義昭に至っては、最早今更である。 殿中御掟に置いて、御内書を出す場合には信長に報告した上で添状も合わせるという内容を了承しているにも拘らず、報告もなしに飽くことなく出し続けている状態なのだ。
「武田に公方か……しかし、確定と言う訳ではないのだな
「はい。 武田はここ数年より多いと言うだけでしかありませぬし、公方様に至っては疑わしいというだけにございます」
「ふん。 疑わしいだけで十分なのだがな……まあ良い義頼、その方に二つ程申しつける」
「はっ」
「まず一つ、越前に向かえ」
実は越前国だが、今年の雪解け後に浅井長政が攻め込んでいるのだ。
その越前国に行けという以上、意味はおよそ限られている。 普通に考えれば、長政に対する援軍であろう。 と言うのも、浅井勢が苦戦しているからだった。
越前国に侵攻した浅井勢だが、緒戦は梃子摺る事無くあっさりと敦賀を占拠する。 そして敦賀を後陣とした長政は、次の攻撃目標を木の芽峠とした。 此処には、朝倉家が満を持して引いた防衛線がある。 逆に言えば、此処を攻略できれば朝倉勢の士気を下げるには十分な戦果となり得るのだ。
それだけではない、未だ朝倉家に従っている国人にも影響を与えるだろう。 そうなれば、一気に朝倉家の本拠地である一乗谷への道が開ける可能性があった。 それ故に長政は敢えて木の芽峠の攻略に動いたのだが、流石に朝倉家が力を注いだ防衛線である。 頑強に攻撃を跳ね返し、浅井勢を釘付けにしていたのだ。
「もしかして、備前守(浅井長政)殿の援軍ですか?」
「そうだ。 敦賀を取ったまでは良かったが、その後は木の芽峠で梃子摺っているらしい。 信玄坊主が動くと思われる秋の刈り取り後までは、まだ幾らかある。 また上杉としのぎを削っている一向衆どもが顕如の命で越前に向わぬうちに、長政と共に朝倉を落として来い」
その時、ふとある事を思い出す。 義頼はやや躊躇ったが、意を決すると信長に進言した。 その内容とは、長政の援軍に若狭国の国衆を加えられないかと言う物である。 朝倉家を攻めている浅井家への援軍に、何故若狭国人を加える理由が分からない。 訝しげに眉を寄せつつ信長が訪ね返すと、義頼は言い出した理由を告げた。
実は朝倉家に嘗ての若狭守護であった若狭武田家の嫡子である武田元明が、保護と言う名の下に監禁されている。 その救援の為と称して、若狭国人も朝倉家討伐に参加させたかったのだ。
理由を聞きある意味では納得した信長であったが、一つ疑問が残る。 何で義頼が、そこまで若狭武田家の内情に詳しいのかという疑問だった。 その点を突くと、義頼はあっさりと返答する。 それと言うのも、話は元明の祖父にまで遡る。 元明の祖父は武田信豊と言うのだが、彼の正室が義頼の姉に当たる人物なのだ。
即ち元明は、義頼の大甥に該当する人物なのである。 その様な関係から、義頼も若狭武田家の内情にはそれなりに詳しかったのだ。
「なるほどな……よかろう、許可する。 どのみち、長秀も援軍として出すつもりであったからな。 長秀に若狭国人を任せる、それで良いな」
「御意」
信長は、何れ丹羽長秀に若狭国を与えるつもりでいた。
その長秀に若狭国人を率いさせて元明を救出させれば、その後の統治が何かとやり易くなる。 その意味でも義頼の進言は、渡りに船と言えた。
こうして決まった浅井家への援軍を率いる将の面子だが、大将として義頼が任に就く。 副将は長秀とし、他にも森可成と森長可の親子も参画する。 そして、不破光治と佐々成政の両名。 更に越前国内における案内人として、朝倉家より離反した富田長繁と毛屋猪介と戸田与四郎の三名が軍勢に加わる事となった。
続いて命じられたのが、丹波国人の調略である。 一応織田家に降っているとは言え下手に京に近い事を鑑みれば、もし義昭が兵を挙げれば丹波国人が味方する可能性があるのだ。
「あそこは山陰、西国の入り口にして京のある山城の隣国だ。 国を上げて公方に味方されてはいささか面倒の事になるし、但馬や丹後や若狭に影響がでかねん。 そこで、先の但馬の一件で縁を持ったその方と光秀に丹波国人の抑えを任せる。 良いな!」
「はっ」
こうして二つの命を賜った義頼は、信長の屋敷を辞すると岐阜の六角屋敷に戻った。
その夜、彼は庭を見つつも丹波国人の調略をどうするか考える。 山城国の隣国という事もあってか、丹波国人は足利家に仕えて来た者が多いのだ。 他にも丹波国人で源氏の流れを汲んでいる者は、大抵が清和源氏の流れを汲んでいる者が多い事も悩みの種である。 何と言っても足利将軍家は、清和源氏の流れを汲んでいるのだ。
そんな事をつらつらと考えていた義頼だったが、誰か近づいて来る気配を感じてそちらに視線を向ける。 そこにいたのは、六角義治であった。 彼は隣に座ると、気軽に話し掛ける。 この場が公的ではない為、義治は畏まった喋り方ではなく砕けた喋り方で義頼に話し掛けたのだった。
「ちょっと、面倒な事でな」
「悩み事か……なら俺に話してみろ。 ただ、解決はできないかもしれないけどな」
そう言うと義治は、人を喰った様な笑みを浮かべながら手にしている酒を掲げる。 そんな義治に、義頼は小さく笑みを浮かべると他言無用と前置きしてからゆっくり話し始めた。
このまま悩んでいても、解決できそうにないと判断したからである。 義治が言った通り、話したところで解決できるかは分からない。 しかし話す事で、己が気付かない事が提案されるかもしれないとも考えた故であった。
義治が持ってきた酒を一杯だけ飲みつつ聞いた義頼の話だったが、丹波国の事と聞き難しげな顔となる。 清和源氏の流れを汲むものが多数を占める丹波国人相手では、義頼の近江源氏ひいては佐々木氏の伝手を使った調略と言う手が使いづらいからであった。
だからこそ、義頼も悩んでいたのである。 二人が雁首揃えて悩む中、何かを思いついたらしく義治が己が手を打つ。 それから視線を義頼に向けると、自身の考えを伝えた。
「そうだ、義頼。 京の父上に話を持ち掛けてみてはどうだ?」
「兄上か……確かに兄上なら、何か知っているかも知れん」
義頼の兄であり義治の父親である六角承禎は、六角宗家の人間では一番年嵩である。 ならば二人が知らない様な事も知っているのではないのかと義治は考えたのだ。
確かにこのまま頭を悩ませて悶々としているよりは、ましである。 翌日になると義頼は、子飼いの忍びである鵜飼孫六を呼び出す。 そして直筆の書状を託すと、六角承禎の元へ派遣した。 それから岐阜を出立すると、領国である伊賀国へと戻る。 そこで義頼は、甥の大原義定と本多正信を呼び出すと、二人に信長からの命を伝えた。
すると。二人揃って眉間にしわを寄せる。 それでなくても義頼は、浅井勢に対する援軍として軍勢を率いて越前国へ向かう命を受けている。 その命を出した本人から、丹波国人の調略も命じられたのだからその様な態度も仕方がないと言えた。
「越前へ向かいつつ、丹波国人の調略とは……」
「正信。 その様に、眉間にしわを寄せるな。 それから、義定もだ」
「しかしなぁ、義頼。 寄せたくもなるぞ」
「そう言うな義定。 それはそれとして、今は兄上に助言を求めている。 孫六が帰り次第、改めて話そう」
「ふぅ。 了解した」
その頃、義頼から当てにされている承禎はと言うと、六角堂近くに改めて建てた京屋敷で義頼からの書状を読んだ後、じっと考えていた。
だが彼が考えていた理由は、弟や息子とは違う。 それと言うのも、父親の六角定頼がまだ健在であった頃に丹波国人についてどこかで聞いた事があったからだ。 つい先程まで忘れていた話だったのだが、義頼からの書状を見た事で深く沈んでいた記憶が引っ掛かったのである。 それから承禎は、割と長い時間考えた後で漸く思いだす事に成功する。 その後、即座に書状へ認めていた。
この承禎が思い出した事とは、清和源氏の流れを汲む国人が多い丹波国の中にあって少ないが近江源氏の流れを汲む一族が居ると言う事である。 その一族とは、丹波国人の中で筆頭格と言える波多野氏の重臣である籾井氏であった。 その籾井氏の現当主である籾井綱重へ、接触を図ると言う物である。 それに上手くすれば、そのまま波多野家当主の波多野秀治まで辿り着けるであろうとまで書き添えていた。
やがて書き上げた書状を孫六へと渡すと、彼は急ぎ伊賀国へと舞い戻る。 そこで承禎からの書状を見た上で、義定と正信を交えて話し合った。 と言っても義頼は、越前国へ向かわねばならない。 となれば丹波国への対応は、残った義定や正信の役目となるのは必定であった。
こうして役割分担が決まると、彼らは共に丹波国人の調略を行う事となっている明智光秀の元へと向かう。 そこで、役目についてのすり合わせと情報の共有を行ったのであった。
「ほう。 流石は近江源氏、いや佐々木氏と言うべきですかな。 宜しい。 そういう事ならば、そちらはお任せします。 拙者は、他の国人を説得致しましょう」
明智氏は、清和源氏の流れを汲む土岐氏の更に分流である。 清和源氏が多い丹波国に対する人材としては、不足はない言える筈であった。
こうして丹波国での事を義定と正信、それから光秀に任せた義頼は伊賀衆と甲賀衆に招集を掛けてから観音寺城に移動した。 やがて観音寺城に入ると、即座に近江衆を招集する。 程なくして近江衆が集ったのだが、その頃には丹羽長秀を筆頭に織田家の将も兵を率いて観音寺城に到着していた。
越前国へと向かう事になる軍勢が遺漏なく揃うと義頼は、彼らと共に水軍の船で琵琶湖を縦断して海津湊へと上陸する。 そのまま街道を北上すると、疋檀城を経由してから敦賀へと入った。 敦賀は長政によって既に落とされており、今は浅井勢の後方拠点として機能している。 その敦賀に入った義頼らは、彼らの到着に合わせて前線の木の芽峠より戻ってきていた浅井長政と面会した。
「備前守殿。 殿の命により、援軍としてまかり越しました」
「よくぞ来て下された、左衛門佐(六角義頼)殿。 それとついでの様ですまぬのだが、祝いの品真に忝い」
長政が礼を言った祝いの品とは、義頼が丸山城建築に係わっていた時の事である。 その頃に浅井家で、二人目の男子が生まれていた。 母親は、側室である八重の方であった。
彼女の産んだ子は、万寿丸と名付けられる。 すると義頼は、正月に約束した通り長政に祝いの品を送ったのだ。
「何の。 某に嫡子が生まれた際には、備前守殿から祝いの品をいただきましたのですからお気になさらぬ様に……ところで話は変わるが、若狭の者達は来ていますかな?」
「うむ。貴公達が到着する少し前に、な」
義頼が進言した若狭衆の出陣が信長より伝えられると、彼らは息巻いた。
そして若狭国人筆頭の逸見昌経が、臨時の大将として軍勢を率いて敦賀にやって来たのである。 此処に援軍と合流した彼らは、当然の様に長秀の配下とされたのであった。
こうして着陣の挨拶と若狭国人達の処遇を済ませた義頼達は、長政と浅井家重臣達と共に軍議に入る。 彼らにとってまず解決するべき問題は、如何に木の芽峠を攻略するかであった。
先ず木の芽峠だが、此処には木の芽峠城を中心に四つの城が築かれておりこの一帯で城砦群の体を成している。 そしてその木の芽峠城には、朝倉氏の一族である朝倉景健が入って防衛していた。
他にも印牧氏、真柄氏、前波氏、山崎氏といった錚々たる者達がそれぞれの城砦を守っている。 幾ら山岳戦を得意とする浅井家であっても、これでは手こずるのも道理であった。
「これはまた、何ともはや……」
「完全に攻めあぐねておってな」
「でしょうな」
正攻法では無理……とは言わないが、かなりの被害を覚悟しなければならない。 そう思うに値する、朝倉勢の布陣であった。 その時、義頼と共に軍議に参加していた沼田祐光が初めて口を開く。 彼は軍議が始まってからずっと、近江国と越前国の地図を眺めていたのだ。
その祐光が言い出した策、それは軍勢を二つに分けると言う物である。 その言葉を聞いた軍議に参加している者達から、異口同音に疑問の声が上がる。 そんな彼らに祐光は一つ頷くと、懐より扇子を取り出して指し棒代わりとして使いながら説明を始めた。
「方々もご存じの通り、近江から越前に入るには大きく分けて二つあります。 一つは湖西を通り敦賀に繋がる道、言わずものがなですが備前守殿と我ら織田家の援軍が通って来た街道にございます。 そして今一つは、湖東を抜けて栃ノ木峠を越えて木の芽峠の後方へ出る道となります」
「なるほど。 だから、二つに分けるか。 確かに今ならば、兵を分ける余力はあるな……」
そう言って長政は、祐光の言葉に同意した。
但しこれは、義頼ら援軍が来た事で余力が生まれたからである。 もし援軍が来なければ、到底無理な話であった。 だからこそ長政は、攻め口を敦賀一本に絞っていたのである。 しかし兵数が増えた事で、こうして別の策も出来る様になった。 真、援軍を送ってくれた信長には感謝の一文字しかない長政であった。
しかし、その策に待ったを掛ける者がいる。 それは他でもない、義頼である。 祐光が策を提示してから、彼もじっと絵図面を見ていた。 これは軍議を開くにあたって、分かり易いだろうと長政が用意させた物である。 その絵図面にも、当然だが栃ノ木峠を越える街道は記されている。 しかしそこには、無視できない物も記されていたのだ。
「だが祐光、それは敵も分かっているのではないか? 実際、朝倉家は栃ノ木峠にも砦を作っているぞ。 その上、警戒を密にされては意味が無くなってしまうのではないか」
「ええ。 ですから殿と備前守様には、口論をして物別れとなっていただきたい」
『はあっ?』
またしても異口同音に、軍議に参加している者から声が上がる。 特に義頼と長政の声は、飛び抜けて大きかった。
その中にあって一人、いや二人程が祐光に同意する。 その二人とは義頼の幕僚の一人である三雲賢持、それから長政の弟である浅井政元であった。
因みに政元だが、遠藤直経亡き後長政の参謀役の一人を務めている。 なおもう一人の参謀役は宮部継潤であるが、彼は浅井家居城の田上山城に残りそこで後方支援と情報収集に努めていた。
それは兎も角他家の賢持は別にして弟の政元が賛同した事に驚き尋ねると、彼は祐光の後を継ぐ形で説明を始めた。
「これもまた各々方が知っての通りですが、浅井家と六角家の仲は悪いものでした」
『おいっ!』
遠慮会釈の無い政元の言葉に、意図せず義頼と長政が声を揃えて突っ込みを入れる。 何とも息の合った二人の反応に、軍議の雰囲気がいささか和む。 しかし政元は、顔色一つ変えずに言葉を続けていた。
「勿論、今は違います。 少なくとも対立はしておりません、ですが朝倉家の者はその事を知りますまい」
二年前、織田家による朝倉攻めの際に起きた浅井久政の一件で、浅井家内で特に六角家を敵視していた者達は揃って強制的に隠居の処分を下されるなどされ表舞台から姿を消していた。
また、義頼と長政がどちらかと言うとお互いを好意的に見ている事もあって、以前ほど両家の関係は悪いと言う事はない。 どう贔屓目に見ても、足を引っ張り合う様な事にはならない関係であった。
「そこで、その事を利用するのです」
『利用?』
またしても言葉が揃う義頼と長政に、今度は政元も小さく笑みを浮かべる。 それから政元は賢持に目配せをすると、その意を汲んで賢持は続きの説明を始めた。
彼からの説明によれば、義頼と長政との間で狂言を行うと言うのである。 二人が喧嘩別れをし、激昂した義頼は怒りのままに兵を退くのだ。 しかしこれはあくまで、敵である朝倉勢にそう見せる為でしかない。 兵を退いた義頼は、適当な頃を見計らって転進して栃ノ木峠を目指すと言う物であった。
流石にそこまで説明されれば、軍議に参加した者達も理解する。 要は、朝倉勢に動きを悟られない様にする為の偽装なのだと。
「ははは。 これは面白い策だ」
「……くくく確かに、面白い。 というか、奇抜な策だ」
「全くだな、左衛門佐殿」
とてもにこやかな表情をしながら、先ず森可成が楽しげに笑い出した。 すると釣られる様に、義頼や長政も笑い出す。 暫く義頼と長政、それから可成の笑い声だけが軍議の間にこだまする。 やがてその笑いは全員に伝播すると、暫く軍議の場を笑いが席巻していた。
やがて誰からともなく、笑いが収まって行く。 すると義頼と長政は、二人揃って人の悪そうな笑みを浮かべたのであった。
義頼、越前へ出陣です。
ご一読いただき、ありがとうございました。




