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第六十六話~十七条の異見書~


第六十六話~十七条の異見書~



 安宅信康(あたぎのぶやす)との折衝が無事に終了すると、義頼は経緯を主君である織田信長(おだのぶなが)へ報告する為に釣竿斎宗渭(ちょうかんさんそうい)と三好政勝(みよしまさかつ)の兄弟を岐阜へと派遣している。 そして自身はと言うと、伊賀国の山田郡を訪れていた。

 そこで義頼は、同地の伊賀国人に郡内の案内をさせている。 何ゆえにこの様な事を行っているのかと言うと、それは新たな屋敷の候補地を絞り込む為であった。

 但しその屋敷自体は、義頼の物と言う訳ではない。 しからば誰の屋敷なのかと言えば、北畠家の家督を北畠具豊(きたばたけともとよ)に譲った後に山田郡に移動する事となっている北畠具教(きたばたけとものり)の屋敷であった。

 他にも彼の嫡子で現北畠家当主となる北畠具房(きたばたけともふさ)と長野具藤(ながのともふじ)と北畠親成(きたばたけちかなり)の兄弟や、彼ら親子に同行する一族やら家臣らが住む場所を確保する為でもあった。

 それは、彼らが山田郡へ移動した後の屋敷の手配は、義頼に委ねられていたからである。 建築費用は織田家から支給されている為に義頼の懐が痛む訳ではないが、仮にも義理の兄や甥が寝起きをする屋敷となるのである。 流石に、手を抜くと言う訳にはいかなかった。

 その屋敷を建築する手順であるが、先ず建築する場所を地元の伊賀衆に頼み幾つか選出して貰った上で絞り込む。 そして実際に住む事になる北畠具教などを連れて現地に赴いて貰い、実際に確かめさせる。 そして彼らに納得してもらった上で、、本格的な建築に入るつもりであった。  

 すると義頼は、時間を掛けて候補地を幾つか回り、やがてこれはと言う場所を決める。 その後、織田信長に報告して許可を得ると、三瀬御所へ出向いた。 しかし訪問した屋敷には、前回の時と違って北畠具房はいない。 しかし北畠具教はいたので、義頼はそのまま話を進める事にした。


「じつは中納言(北畠具教)殿、新たな住居を建築する場所の見聞をしていただこうか思いましてな」

「それは嬉しいが、何ゆえか」

「住んでいただくならば、納得して貰いたかった。 それではいけませぬか?」

「なるほど……そう言う事ならば、見聞させてもらおう」


 翌日、義頼は北畠具教と彼の腹心などを連れて三瀬御所を出立した。 山田郡に入ると、阿波正高(あわまさたか)の館に宿泊する。 そして翌日に、義頼は候補地として選び出した地へ北畠具教らを案内した。

 義頼が案内した場所、そこは伊賀国内を流れる木津川の近くにある独立丘陵である。 木津川自体が天然の堀の様に丘陵の近くを流れており、丘陵の北側にも木津川の支流が流れていた。


「如何(いかが)ですかな? 中々の立地と自負しておりますが」

「うむ。 確かに。 ここならば、何も問題は無い」


 案内された北畠具教も一目でこの場所が気に入ったらしく、彼は即座に了承している。 それでもその日は現地の見聞に費やしたが、最後まで北畠具教の意見が変わる事はなかった。

 その後、彼らは三瀬御所へと戻るが、義頼は伊賀国に残り屋敷の建築に関する手配に入る。 実際に建築するに当たって必要な物や人夫などは、山田郡内の伊賀衆に依頼する。 しかも義頼は、彼ら伊賀衆と人夫に対して相場以上に給金を弾み時には臨時の賞与を与えると通達している。 そのお陰もあって工事期間の短縮に成功し、規模の割にかなり早く完成の日を迎えたのであった。

 やがて屋敷の建築が終了すると、義頼は即座に織田信長と北畠具教へと伝える。 すると織田信長は、吉日を選んで北畠家の家督相続の儀を行うと宣言した。 北畠具教や北畠具房も既に覚悟していた事であり、彼らを筆頭とする北畠一門からも特に反対などはない。 その為、北畠家の家督相続の儀はつつがなく終了していた。

 こうして北畠家の家督が無事に北畠具房から北畠具豊に譲られてから凡(およ)そ半月程の後、北畠具教を筆頭とした北畠一族と郎党が新たな隠居所となる地へと到着した。


「ほほう……」

「これは、中々……」


 北畠具教が完成した屋敷を見て、感嘆の声を上げた。 彼だけではない、息子達も驚きとも感心とも取れる声を上げていた。 しかし、それも仕方がない。 屋敷などとのたまっているが 実際には城と言っても差し支えがない規模を持っていたからであった。

 また守りにも十分配慮をされた作りであり、敷地内に曲輪を幾つも配置している。 それはあたかも、独立丘陵全体が城と言っていい様な構造となっていた。 これは何処(どこ)をどう見ても、隠居所などではない。 本拠としても十分なぐらい、確(しっか)りと築城された物であった。

 その様な新たな屋敷を目にし、感心とも驚きとも取れる反応をしている北畠家の一行へと近付く影がある。 しかし、彼に気付いた者など殆どいない。 だだ、剣豪でもある北畠具教だけは気付き視線を向けていた。

 やがて、影の者は一礼する。 それから彼らに、声を掛けた。 


「どうやらお目に叶った様で、何よりです」

「おわっ!」


 いきなりの声に驚いたらしく、北畠具房が声を上げる。 それから己の胸に手を当てて抑えながら後ろを振り向くと、果たして彼の視界に義頼の姿が入ってきた。 その義頼だが、不思議そうな顔をしている。 どうも彼が声を掛けた事で、北畠家の一行に対して齎した驚きについては全く気が付いていない様であった。


「どうなされた、左少将(北畠具房)殿」

「お、驚かさないでいただきたい」


 まだ動悸が収まらない心臓を気にしつつ、北畠具房が義頼に文句を言う。 しかし前述した様に、彼らを驚かす気があった訳では無かった。 その為か、ばつが悪そうな表情を浮かべながら彼は後頭部を掻いている。 すると北畠具教が、そんな義頼に対して苦笑を浮かべていた。


「左衛門佐(六角義頼(ろっかくよしより))殿。 貴公は噂にたがわず、中々の強者(つわもの)の様だな」


 北畠具教の言葉に義頼は、戸惑いと嬉しさが綯い交ぜとなった様な表情を浮かべる。 別段気にしている訳ではないが、強いと言われれば嬉しい事は嬉しいのだ。

 だが、喜色を溢れんばかりに表していると言った風情でもない。 大抵、若い者ならば強いと言われれば喜ぶ。 しかしながら義頼にその様な雰囲気が無かったので、北畠具教は訝し気な雰囲気で尋ねていた。


「どうも貴公は、あまり気にしておらぬみたいだな」

「そうですな……中納言殿、さしては気にしておりません。 ただ、言われれば嬉しいですが」

「なるほどのう」

「さて立ち話も何ですので、そろそろ入られては如何(いかが)か?」

「うむ。 そうするとしようか」


 その後、義頼の先導で北畠具教らの新たな住居となる屋敷へと案内した。 

 後日、北畠具教はこの隠居城と言っていい新たな屋敷に自ら名前を付けている。 彼は屋敷の規模と丸い丘陵の形から、丸山城と名付けたのであった。

 こうして北畠家に対する処置が終わりを告げ、北畠家と伊勢国内における懸念が無くなったと判断したのか織田信長は、ある書状を認める。 その書状の受取人は、京の足利義昭(あしかがよしあき)であった。

 彼は後に十七条の異見書と呼ばれる事となる要望書と言う名の命令を書に認めると、送りつけたのである。 程なく届いた異見書を呼んだ足利義昭は、怒りをあらわにして声を張り上げていた。


「おのれ信長! 将軍を何と心得ているのだ!! 最早、我慢ならぬわっ!」

「お待ち下さい、公方様! 怒りはごもっともなれど、お気持ちをお鎮めくだ……うっ」


 足利義昭の言動から不穏な気配を感じ取ったのか、細川藤孝(ほそかわふじたか)が諫め様とする。 しかし、彼の言葉の途中で冷たい視線が注がれた。 その視線は、今まで足利義昭から一度も向けられなかったものである。 その様な目で見られた為か、細川藤孝は思わず怯んでいる。 しかし足利義昭は、そんな彼に頓着せず冷たい視線を向けたまま言葉を紡いでいた。


「以前信長が出して来た書状の時も、その方は余を止めたな」

「……はい」

「で、その結果がこれか」


 足利義昭は床に叩きつけた書状を拾うと、細川藤孝に見せつける様にひらひらと揺らした。

 確かに、嘗て殿中御掟が送りつけられた時も諫めている。 しかし織田信長の存在があるからこそ、足利義昭が将軍の地位を保っているのもまた事実である。 下手に対立し、彼の兄である足利義輝(あしかがよしてる)が討たれた時の様に畿内から追われる事態は避けたかった。

 それ故に細川藤孝は、足利義昭を諭す。 彼に再びの凋落を、家臣として味合わせたくは無かったからだ。


「それは……その通りです。 しかし信長公と対立しても、利はありませぬ!!」

「黙れ、藤孝! その方の言葉は聞き飽きた、早々に下がるがよい」

「公方様!」


 足利義昭の言葉に、細川藤孝は思わず声を張り上げる。 だが、彼を一顧だにせず、手で下がれと示唆(しさ)する。 そんな足利義昭の様子に少なくはない衝撃を受けた細川藤孝は、肩を落としながら主君の前から下がって行った。

 すると部屋から出て行った細川藤孝と入れ替わるかの様に、部屋に入って来た者がいる。 その者とは、何と松永久秀(まつながひさひで)であった。 去年に摂津国で騒動を起こした彼であったが、確かに同年中は大人しくしていたのである。 しかし年始の挨拶と称して足利義昭の元を訪れてからは、密かに義昭の元を訪れる様になっていた。

 部屋に入ってきた松永久秀は、平伏してから何かあったのか尋ねる。 彼の目にも、義昭の機嫌が斜めなのが見て取れたからだ。 すると隠すつもりもない足利義昭は、松永久秀に織田信長からの書状である十七条の異見書を見せる。 受け取った彼は、隅々まで目を通してから丁寧に畳むと床の上に置いた。

 

「なるほど。 この様な事でしたか。 して、公方様はどうなされるおつもりなのですか?」

「堪忍袋の緒が切れた。 これ以上は、捨て置けぬ!」

「お待ち下さい、公方様。 「急いては事をし損じる」と申しますぞ」


 細川藤孝ばかりでは無く松永久秀にまで自制を求められた足利義昭は、鼻白んだ。

 だが、彼の言う事が分からない訳ではない、しかし今動かなければ、己が操り人形となるのはほぼ間違いない。 往年の良き足利の御代を取り戻したい足利義昭に取って、そんな未来は我慢ならなかった。

 しかし、松永久秀は軽く頭を振る。 彼にとっては、今動くのが不味いのだ。 もう少し後、具体的には収穫さえ終わればかねてより話し合っていたある御仁が動くからである。 それを待ってから、足利義昭には動いてもらいたかった。

 そんな何かを含んだ様な物言いに、足利義昭は興味を示す。 そんな彼に対して松永久秀は、小さく笑みを浮かべてから策を伝えたのであった。


「公方様。 大膳大夫(武田信玄(たけだしんげん))殿が程なく……そうですな、収穫さえ終われば動きまする。 それを待っても遅くはないかと」

「なるほど! そう言う事なら良かろう。 その間に余は書状を出し、多くの味方を引き入れようではないか」

「それでよろしいかと存じます」

「うむ」


 甲斐の虎とも甲斐の龍ともあだなされた武田信玄(たけだしんげん)が動く、その事を聞かされた足利義昭は喜びをあらわにした。

 その様な事情があるのならば、織田信長が不遜にも要求してきたこの異見書を飲むのも吝かではない。 いや、時を稼ぐと言う意味でも飲むべきである。 そこで彼は、織田信長へ不承不承にも了承したと臭わす返書を認めた。

 その一方で、彼は御内書を改めて各地へと送り始める。 するとその御内書を受け取った幾つかの者達は、足利義昭に従う事を決意していた。 この辺りは、腐っても将軍と言う事なのだろう。 しかしながら、勿論迷っている者もいる。 その中には、三好義継(みよしよしつぐ)が居た。 彼は今でこそ織田家に与しているが、松永久秀の影響もあるのか潜在的に言えば反織田である。 その三好義継がなぜ足利義昭の御内書を受けながら迷っているのか、それは淡路水軍棟梁である安宅信康の言葉が原因であった。

 彼の言った「久秀は信用出来ん!」との言葉を伝え聞いた時、三好義継の脳裏には「このまま、久秀と行動を共にしていいのだろうか」と言う思いが現れたのである。 同時に「自ら墓穴を掘っているのではあるまいか?」という思いも湧いてきたのだ。

 そればかりではない、安宅信康が三好義継を頼らなかった事も影を落としていた。 普通であれば、織田の陣営に居る彼を頼る筈なのである。 しかし、実際には義頼の家臣となっている釣竿斎宗渭と三好政勝を頼っている。 しかもその理由が、三好義継が疑問を呈する事となった松永久秀の存在なのである。 これだけの事案が生じたのであれば、迷いを生じさせるには十分であった。

 その為か三好義継は、この時点において旗色(きしょく)を鮮明にする事はなかったのであった。



 織田信長の出した十七条の異見書を発端とした動きが色々な場所で起こり始めた頃、義頼は義頼で本多正信(ほんだまさのぶ)からの報告を受けていた。

 その報告とは、武田家に関する物である。 彼の家が、兵を動かそうとしているとの事であった。 しかし、武田家が兵を出すのはある意味で恒例行事である。 武田信玄はここ数年、ほぼ毎年の様に兵を繰り出しているからだった。


「しかしだな正信。 武田は駿河を抑えてから、それこそ毎年の様に出陣している。 今回の出兵も、それに類する物ではないのか?」

「いえ。 どうも此度(こたび)の場合、そうとばかりは言えない様にございます。 確かに殿の言われる通り、武田家は毎年の様に兵を繰り出しております。 基本この動きに特段の変動がある訳ではないので、兵糧などの量は極端に変わりはしませんでした。 しかし今回の場合、明らかに例年より量が多いのです」

「うーむ……確かに、多い様に感じるな」


 説明と共に本多正信が共に義頼へ見せた彼自らの手による資料を見れば、確かに兵糧等の数や動きが例年より多い様に感じる。 その事から判断出来る事、即ちそれは例年以上の出兵という予測であった。

 元々義頼は、ほかの武将にはあまりない事を重要視する。 彼が重要視するのは情報であり、そして兵站であった。 無論、武を疎かにしている訳ではない。 しかし義頼は、武も情報も兵站もほぼ同列で扱うのだ。 いや、下手をすれば情報と兵站の方が武より上位かもしれない。 そう思わせるぐらい、義頼は情報収集と兵糧等に代表される兵站を重要視していたのだった。


「それと此方の情報はまだはっきりと確認できた訳ではないのですが、先ごろ亡くなった大和守(遠山景任(とおやまかげとう))様に大怪我を負わせた飯田城主の秋山虎繁(あきやまとらしげ)もまた怪しい動きをしている模様です」


 美濃国の東側、いわゆる東濃と呼ばれる地域には岩村城を中心に遠山一族が支配権を持っている。 だが遠山氏の当代でかつ織田信長の叔母を娶った為に彼の義理の叔父となった遠山景任は、以前の秋山虎繁の侵攻の際に深手を負って寝たきりの状態となっていた。

 しかも、彼には実子が居ない。 そこで、妻のおつやの方を通して織田信長の息子を養子にと頼み込んだのである。 これは、織田家にとっても悪い話では無い。 何と言っても、合法的に遠山家を取り込むことが出来るからだ。 それは即ち、東濃における織田家支配権の確立にも繋がる話でもある。 そこで織田信長は養子縁組を了承すると、実子の御坊丸を遠山景任の養子としたのだ。

 しかし、幼い御坊丸に遠山家当主としての任を務める事などまず不可能である。 そこで遠山景任が亡くなった後の岩村城は、織田信長の叔母と言う立場にあるおつやの方が女城主として担う事となったのだ。

 とは言え、実質の軍事だが、対武田家の為に東濃へ配置された柴田勝家(しばたかついえ)がおつやの方と共に御坊丸の後見役となる事で担っている。 また、元黒母衣衆筆頭の河尻秀隆(かわじりひでたか)と金森長近(かなもりながちか)が与力として軍事の一部を担う事となっていた。

 

「何っ!? 武田の猛牛だと……となると、武田は本気だな」

「前回の侵攻より一年半は経っていますので、動く可能性はあるとおもいます。 最も動くとしたら、刈り取り以降と思われますが」

「まぁ、そうだろうな」


 織田家と違い武田家は、兵農分離を行っていない。 その為、農繁期はどうしても出陣しづらいのである。 だが刈り取りが終われば農閑期となるので、出陣しても問題は出ないのだ。

 因みにこれは、外の家でも殆ど変わりはない。 寧ろ不完全とは言え兵農分離を先行して行った六角家や、現在推し進めている織田家の方が異常と言えた。


「それから殿。 こちらは京の承禎様から齎(もたら)された物なのですが、公方様と武田家が連動しているやも知れぬから気をつけろとの事にございます」

「何だと!? それは真か!!」

「そればかりか朝倉家、そして先年和議を結んだ阿波三好家。 それと、石山本願寺なども同調している可能性があるとの事にございます。 更に、毛利も怪しいと」

「ま、待て正信! それでは、二年前のさいら「殿。 お客様にございます」い……」


 その時、部屋の外から声が掛かる。 だが本多正信から持たらされた情報に集中したい義頼は、声を掛けて来た小姓の水口正家(みなくちまさいえ)に後にする様に伝えた。

 しかし、彼は引き下がらず言い淀んでいる。 そんな水口正家の態度に、義頼と本多正信は訝しげな表情をした。

 水口正家は水口盛里(みなくちもりさと)の嫡子であり、若さに似合わず聡明である。 だからこそ義頼は、小姓に抜擢したのだ。 その彼が主より命じられたにも拘らず、逆らうと言うか躊躇う仕草をしている。 ならばと、本多正信に一言伝えてから部屋の襖を開けて廊下に出た。


「正家。 客と言ったな、誰だ」

「中務少輔(京極高吉(きょうごくたよし))様が、公方様からの使いとして参っておいでです」

「何っ!?」


 将軍からの使いとあれば、水口正家の態度も頷けた。

 何より、将軍である足利義昭の使者を待たせる訳には行かない。 義頼は水口正家に蒲生定秀(がもうさだひで)に京極高吉の相手をさせる様に命じると、一度部屋に戻り使者に会うべく正装に着替えるのであった。


異見書、ついに出ました。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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