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第六十五話~北畠家~

北畠具教・具房親子の処遇です。


第六十五話~北畠家~



 大晦日、義頼は年始の挨拶を行う為に岐阜城下の六角屋敷に居た。

 ただ今回に限って言えば、例年とは違い年始の挨拶だけが用事ではない。 それは、織田信長おだのぶながの息子三人の元服の儀に立ち会う様にとの命が義頼へあったからであった。

 その命を受けた時、思わず聞き返してしまったぐらいである。 彼にしてみれば、何で自分が立ち会うのだろうと言う思いがあった。

 確かに織田信長の子であれば、義理とはいえ甥にあたる。 だが、所詮は義理でしかない。 織田家直系の一族でもないにも拘わらず、そして烏帽子親に指名されている訳でも無いのに元服の儀に立ち会えというのだ。

 とは言え、断るなどもっての外である。 義頼は戸惑ながらも、その命を受諾するしかなかった。

 因みに、蒲生頼秀がもうよりひでにも同様の命が織田信長から届いている。 彼もまた義頼と同様に戸惑った訳だが、やはり断れる訳もないので了承したのである。 結果、目的地が同じと言う事で彼は義頼と共に岐阜へ向かった。

 大晦日の前日には、二人とも岐阜城下へと到着する。 そこで蒲生頼秀と分かれた義頼は、六角屋敷へと入る。 当然だが屋敷には、人質である六角義治ろっかくよしはるもいる。 屋敷に到着後、着替えてから義頼は彼と話をした。 話題は様々であり、真面目な話もあればくだらない話もしている。 元々、兄弟の様に育った二人なので、明け透けな会話であった。 

 するとそこに、蒲生頼秀が顔を出す。 彼も岐阜城下にある屋敷にて、身嗜みを整えていた。 その後、こうして六角屋敷を訪問したのである。 義頼にとっても弟の様な存在なので、会わないと言う選択はない。 義頼と六角義治と蒲生頼秀は、談笑しながら過ごしていたのであった。



 二日後、年が明けると岐阜城へ向かう。 新年の挨拶が行われる大広間に入ると、そこそこに織田家家臣が集まっていた。 義頼は広間に入り腰を下して、黙って時が経つのを待つ。 時間の経過と共に続々と織田家家臣が到着し、やがて広間に参加可能な織田家臣全てが揃う。 それから暫くすると織田信長が大広間に現れ、新年の挨拶が行われた。

 その後は、場所を別に移して例年通り年始の祝いも執り行われる。 年始の挨拶と祝いの宴に参加しつつ織田信長は、その裏で従属大名の使者や訪問客の対応に追われていた。

 明けて翌日、今年も義頼は信長の許可を得た上で元六角家臣達との親睦を深める新年の宴を行う。 その姿は、前日に織田家主催の新年の宴に参加したとは思えないぐらい確りとした所作であったと言う。

 その後、義頼は織田家臣に対する年始挨拶と嫡子の鶴松丸つるまつまる誕生の際に送られた祝いの品に対する礼を行っていた。

 そんな中、義頼は、浅井長政あざいながまさが新年の挨拶の為に岐阜を訪れている事を知ると、早速訪ねている。 これは、鶴松丸に送られた祝いの品に対する礼の意味もあった。 顔を合わせた二人は、通り一遍の挨拶を行う。 その後、義頼は鶴松丸誕生の際に贈られた祝いの品に対する礼を述べていた。


「備前守(浅井長政)殿。 我が嫡子である鶴松丸に対する祝いの品、真にかたじけなく存ずる」

「あまり気になさるな。 浅井家と六角家は、当主が信長公の姉妹を妻に持つのだから」

「なるほど、それは確かにそうですな。 では何れ、備前守殿にお子が出来たら改めて礼を致します」

「ああ。 楽しみにしているぞ、左衛門佐(六角義頼ろっかくよしより)殿」

「ご期待は、裏切りませんぞ。 では」


 浅井長政の前を辞した義頼は、六角屋敷へと戻った

 もし例年通りならば、彼は観音寺城を経由して領地に戻る筈である。 しかし今年はそうもいかない、先述した通り織田信長の嫡男と二男と三男の元服の儀に立ちあわねばならないからである。 その為、義頼は蒲生頼秀と共に岐阜城下の屋敷に留まっていた。

 それから数日経ったある日、織田信長の嫡子である奇妙丸と二男の茶筅丸、それから三男である三七の元服の儀が岐阜城にて行われる。 元服の儀は滞りなく進み無事に終了、その事に義頼と蒲生頼秀はほっと息をついていた。

 式の後、義頼は六角屋敷に戻る。 それからなぜか蒲生頼秀も屋敷に来ていたが、別段屋敷の者から何か言われる事はなかった。


「ふぅ。 左衛門佐様、元服の義も無事に終わりほっと致しましたな」

「全くだ。 しかし、何ゆえに殿は俺達に立ち会う様にと言ったのだろうな」

「……さぁ、分かりません」

「それもそうか」


 問われて暫く考えた蒲生頼秀であったが、考えたからと言って分かる様なものでもない。 首を傾げながら素直に答えると、義頼も同意した。 するとその時、二人へ声を掛けた者がいる。 それは、六角義治であった。 義頼と蒲生頼秀は、彼から首尾はどうなのかと尋ねられる。 しかし烏帽子親えぼしおやでもなく偏諱を与えた訳でもない二人に取って見れば、規模を除けば普通の元服の儀でしかなかった。


「首尾と言われてもな。 問題なかったとしか言いようがない」

「まぁ、それもそうか。 普通に考えたら、元服に差などそうそうある物でも無いものな」

「そういう事だ」


 会話の流れから、自然に座った六角義治も交えて三人で話をする。 これは親睦を深めるという意味合いと、お互いの情報交換という意味を持っていた。

 その様な会話である為、年末と同様に話が尽きるなどといった事態に陥る事もない。 彼ら三人は、楽し気に時が経つのを忘れて話し合っていた。 しかし彼らの会話は、唐突に途切れる事になる。 その理由は、義頼が織田信長に呼び出されたからである。 用件とは何であろうかと思いつつ、主の元を訪ねた。


「何用でしょうか、殿」

「うむ。 そなたに確認しておきたい事がある……その方、北畠具教きたばたけとものりと兄弟と聞いたが相違ないか?」

「はい。 義理ではありますが、それが何か?」

「ならば義頼、その方に具教と具房を預ける」

「はあっ?」


 いきなりの話に、義頼は思わず茫然とした。

 その時の義頼の顔が面白かったらしく、織田信長は心中で思わず笑ってしまう。 何とか笑いが吹き出すのを抑えた彼は、おのれの気分を変える為に一つ咳払いをする。 それからまだ茫然としている義頼に北畠具教と彼の嫡子である北畠具房きたばたけともふさを預ける理由を説明した。

 話は元服した茶筅丸こと北畠具豊きたばたけともとよが、まだ元服する前まで遡る。 織田信長は茶筅丸が一刻も早く伊勢国を掌握する為にも、北畠家の家督を譲らせる時期をなるたけ早くにと考えていた。

 だが早急に事を進めてしまうと、今度は北畠具教と息子の北畠具房の扱いに困る。 とは言え、下手に伊勢国内に置いてく事もはばかられる。 そこで出来るならどこか別の土地に移動させる、若しくは外聞は悪いが謀殺をとまで考えていた。

 そんな時、織田信長は義頼と北畠具教が義理とはいえ兄弟である事を知ったのである。 その瞬間、北畠親子の扱いに目処めどがたったと北畠家の家督相続計画の前倒しを行う事とした。

 織田信長は茶筅丸を北畠家へ養子に入れる際に北畠家臣を説得する対応をした北畠家老の一人である水谷俊之みずたにとしゆきを呼び出すと、彼に脅しとも説得とも取れる態度を示したのである。 その態度と言葉から、彼は本気である事を察した。 そこで水谷俊之は、北畠具教と北畠具房を誅殺されない為にも北畠家重臣や伊勢国人達の説得を始める。 始め否定的であった彼らだが、奇しくも織田信長の長島攻めが転機となった。

 彼が長島全体を丸ごと兵糧攻めにするという戦法と、それを行っても屋台骨が全く揺るがない織田家という存在に北畠家臣や伊勢国人は畏怖を覚えたのである。 下手に北畠家に忠節をつくし、逆に滅ぼされては叶わないというのが彼らの偽らざる心境であった。

 勿論、保身を考えた者ばかりでは無い。 北畠家筆頭家臣と言える鳥屋尾満栄 (とやのおみつひで)の様に、純粋に二人の扱いを心配するがゆえに説得に応じた者もいたのだ。

 何はともあれ彼らの説得、若しくは中立を大半の北畠家家臣や伊勢国人に約束させた織田信長は、有力家臣からの説得という形で北畠家の家督を北畠具房から元服した茶筅丸こと北畠具豊へ早々に譲る様にと仕向けたのだ。


「…………あい分かった。 北畠家、いや伊勢国の為に敢えて泥をかぶってくれよう」


 重臣らの説得を受けてそう答えた北畠具教の顔は、苦虫を纏めて何千匹も噛み潰した様な表情であった。

 これだけ不満をあらわにしながらも、彼が説得に応じたのには訳がある。 その理由は、こちらもやはり長島攻めであった。 北畠具教とて、当主を経験した男である。 織田信長が長島攻めで行った事が、途方もない事など容易に判断がつく。 それだけではない、信長はその様な長島攻めを行いながら同時に摂津国へも援軍を出したのだ。 それも、兵糧などを全て織田家が用意してである。 こんな事など、北畠具教が当主であった頃でも決して出来ない事であった。


「……申し訳ありません、大殿。 我らが不甲斐ないばかりに」

「言うな。 どのみちわしや具房の代で北畠を潰すなど出来ぬし、その様な事態になったらご先祖に申し訳がたたん」

「はっ」

「して、わしと具房はどうなるのだ? 監禁か?」

「滅相もございません! その件につきましては、隠居領として伊賀の山田郡を賜る事になっております」

「伊賀だと? つまり我ら親子は、六角家預かりという事か……まぁよい。 監禁に比べれば、遥かにましな扱いだ。 満栄に俊之、信長に伝えろ。 北畠の家督、確かに具豊にくれてやるとな」


 こうして合意を見た北畠家の家督は、滞りなく譲渡される事となったのであった。 



 織田信長からこの話が自分の元にまで来る事となった経緯を黙って聞いていた義頼であったが、話が終わると了承の返事をした。

 

「そうですか……分かりました。 中納言(北畠具教)殿が承知であるというのならばこの義頼、喜んでお預かり致します」

「うむ。 では彼奴等の身柄、任せるぞ」

「はっ」


 主からの話が終わり、屋敷に戻るとそこには義治と蒲生頼秀が揃って待っていた。

 彼らも、義頼が呼び出された事が気になっていたからである。 戻って来た彼から話を聞くと、二人は安堵の表情を浮かべた。 それは、話の内容が北畠家に関する事だったからである。 言わば義頼は巻き込まれた形であるが、それゆえに対応さえ誤らなければ問題となる事はないからであった。


「しかし……俺が言うのも何だが、お前は後始末を任される事が多いな」


 六角義治の言葉を聞き、義頼は苦笑を浮かべた。

 それも、そうであろう。 彼の初陣とは、観音寺騒動と言う名の六角家内訌の調停と後始末だったのである。 初めて兵を率いて向かった先は、観音寺騒動の際に観音寺城を占拠した後藤高治ごとうたかはる三上恒安みかみつねやす永田景弘ながたかげひろ池田秀雄いけだひでお平井定武ひらいさだたけであった。

 義頼は彼らとは差し向かいで話し合い何とか一時的な静観を了承させると、今度は観音寺城から落ち延びて三雲城にいた六角承禎ろっかくしょうていに会い義治が隠居する事で彼らから譲歩を引き出したのである。 しかも彼は蒲生定秀がもうさだひでを派遣してこの内訌に便乗する形で出陣してきた浅井長政あざいながまさと会談を行い、何とか六角家と浅井家との間で講和まで持ち込んだのだ。

 そしてこの観音寺騒動は、六角義治が引き起こしたと言っていい。 その当事者である彼からそう言われてしまったのだから、苦笑するしかないと言うのが本音であった。


「まぁ、いいさ。 今更の事だしな。 それよりも俺は、明日にでも発つ。 中納言殿と、話をしなければならないからな。 ああ。 それと、あまり他言はするなよ」

「分かった」

「承知しました」


 義治と蒲生頼秀から同意を得ると、満足そうに頷く。 それから夜食を取り、暫くした後で眠りについたのであった。

 明けて翌日の早朝、義頼は岐阜を出立する。 街道を南に下り、やがて義頼の一行は尾張国へと入る。 そのまま尾張国を抜けると、伊勢国へと入った。 彼の向かう先は、具教の隠居所である三瀬の館である。 別名、三瀬御所とも呼ばれる館であった。

 無事に御所へと到着すると、具教と面会の運びとなる。 先触れに関しては既に出しておいたので、滞りなく面会する事が出来た。


「お久しぶりです、中納言殿」

「そうよな、およそ数か月ぶりか。 息災そうで何よりだ」

「ええ。 それと……お初にお目に掛かる、左近衛少将(北畠具房)殿」

「ああ。 お見知りおきを、左衛門佐殿」


 北畠親子に対しての挨拶が終わると、北畠具教が話を振ってきた。

 義頼が訪問してきた理由については大体見当がついていたので、いわば確認である。 しかして予想は、たがう事などなかった。 義頼が問い掛けに頷くと、北畠親子は暫く目をつむる。 やがて眼を開いた北畠具教の表情には、微かに諦観ていかんの色が見えていた。


「そうか……ならば不本意だが、これから宜しく頼む」

「お任せあれ」


 この一件は最早決まっていた事であり、今更齟齬をきたすなどあり得ない。 その為、義頼と北畠具教と北畠具房の親子の遣り取り自体はそう時間も掛からずに終了した。

 固い話が終わると、彼らは場所を移す。 そこで義頼は、北畠具教の妻である北の方と会った。 彼女は血を分けた姉であるが、実は相見えるのは初めてである。 義頼が父親である六角定頼ろっかくさだより最晩年の子である為、彼が生まれた頃には既に北畠家に輿入れしていた彼女とは会った事がない。 正に、生まれて初めての姉弟会合であった。

 初めて顔を合わせた姉弟は、暫くの間黙ってお互いの顔を見つめ合う。 やがて北の方の口から、楽しそうな忍び笑いが漏れ始めた。


「姉上? 如何されましたか?」

「いえ。 懐かしいと言うかなんといいますか。 でも、確かに父上の面影がありますね」

「そう……なのですか? 姉上」


 義頼の実父である六角定頼は、実は彼が幼い頃に亡くなっている。 その為か、父親の顔をよく覚えていない。 あるとしても、おぼろげな記憶だけである。 なので似ていると言われても、思い当たらなかった。

 そんな弟を見て北の方は、彼女の兄でもある六角承禎ろっかくしょうていに聞いてみればわかりますと告げる。 その言葉を聞いた義頼は、機会があれば聞いてみようと心の片隅で思うのであった。

 その夜は、北畠具教の計らいもあり夜遅くまで北の方と語り合う。 とは言えその話は、義頼の知らない父親についてが殆どであった。

 その翌日、三瀬御所を出ると義頼は伊賀国へと足を向ける。 漸く屋敷に戻った義頼であったが、その翌日には伊賀国人衆と六角家家臣達から年賀の挨拶を受けている。 その後、伊賀衆と家臣達の合同で新年を祝う宴を執り行った。

 特段問題もなく新年の宴を開催し終えた義頼は、漸く落ち着けるとばかりに部屋で寛いでいる。 その傍らにはお犬の方がおり、彼女が差し出した湯呑を飲み干していた。


「やれやれ……新年から色々あったな」

「お疲れ様にございます、あなた」

「うむ。 とは言え、数日中には観音寺城に向かはねばならん」

「そう……ですか」


 夫である義頼の言葉に、お犬の方は少し寂しげな表情を見せた。 その時、部屋の外から声が掛かる。 声を掛けて来たのは、釣竿斎宗渭ちょうかんさいそういであった。


「殿。 お寛ぎのところ申し訳ありません」

「何だ」

「少々お話があります」

「そうか。 お犬、席を外してくれ」

「はい」


 お犬の方が部屋から出ていくと、義頼は彼を部屋に招き入れる。  だが部屋に入って来たのは釣竿斎宗渭だけではない、彼の弟である三好政勝みよしまさかつも同行していた。

 一人ならば兎も角、兄弟揃って現れた事に対して義頼は訝しげに眉を寄せる。 すると兄の釣竿斎宗渭が、懐より書状を取り出す。 差し出された書状を読み進めるうちに、義頼の表情は引き締まった。

 しかし、それも納得は出来る。 書状の際出人が、安宅信康あたぎのぶやすだからであった。

 彼が当代を務める安宅氏は、三好家の水軍を率いる一族である。 その安宅信康が、釣竿斎宗渭と三好政勝に接触して来たというのだ。 だが、その理由が思い当たらない。 不審げな表情を浮かべながらも義頼は、二人に理由を尋ねていた。


「ふむ? 宗渭に政勝、甚太郎(安宅信康)殿がその方達へ接触して来た理由とは何だ?」

「どうも安宅殿は、織田家への恭順を願い出ているのではないかと思われます」

「はぁ?」


 想像の埒外らちがいな理由に、義頼は素っ頓狂な声を上げた。

 だが、何ゆえに安宅信康が織田家に恭順しようと思ったのか。 その決め手となったのは、篠原長房しのはらながふさが織田家と結んだ和議であった。

 と言うのも安宅信康は、織田家との和議を結ぶに当たり堺は阿波三好家に与する事になると考えていた節がある。 そこには、彼が率いる淡路水軍にとって堺は押さえておきたい港だからと言う理由が存在していた。

 しかしそんな安宅信康の思いに反して、堺を含めた泉北せんぼくは引き続き織田家の領地となっている。 この事実を知った彼は篠原長房の元を訪れて抗議したが、彼はけんもほろろに追い返されたのだ。

 ここに安宅信康が持っていた阿波三好家に対する愛想は、完全に雲散霧消うんさんむしょうする。 彼は織田家からの調略に乗り、阿波三好家を見限る決断をしたのである。 そしてその繋ぎ役としてと釣竿斎宗渭と彼の弟である三好政勝に頼んだのだ。


「なるほどな。 まぁ、理由は分かった。 しかし……その場合、左京大夫(三好義継みよしよしつぐ)殿に話しを持っていかないか? 仮にも三好家の当主は、左京大夫殿であろうが」


 阿波三好家は、三好家の本貫地を守る分家である。 しかして三好家の当主は、三好家内の事情が何であれ未だに三好義継である事に変わりは無い。 幾ら袂を分かっているとはいえ、当主は当主である。 その当主が織田家に与しているのだから、そちらに話を持っていくのが筋という物であった。


「その件につきましては、拙者も兄者も尋ねました。 ですが、安宅殿の答えは簡潔でした」

「政勝。 安宅殿は何と答えた?」

「「久秀を信用出来ん!」 だそうにございます」

「……」


 思わず絶句した義頼を見て、釣竿斎宗渭と三好政勝は揃ってばつが悪そうな表情を浮かべた。

 さもありなん。 三好義継が信用できないのではなく、彼の後見として長年近くに居た松永久秀まつながひさひでが信用できないからというのが理由なのだから仕方がないだろう。 そしてそんな二人を見た義頼はと言うと、藪蛇となる前に他家の事であるとしてこれ以上踏み込むのを留めたのであった。


「まぁいい。 他家の内輪もめなぞ、巻き込まれたくもない。 それよりも今は、安宅殿の事だ」

「はい。 それで、大殿(織田信長)への繋ぎをお願い出来ますか?」

「いいだろう。 淡路水軍が味方となれば、得る物は大きいだろうからな」


 その後、義頼は詳しい経緯を釣竿斎宗渭と三好政勝に書状の形で認めさせると、自らの書状も添えて岐阜へと届ける。 やがて岐阜に到着した使者から受け取った義頼の書状に目を通すと、織田信長は少し考えた後で彼らの帰順を認めた。

 そこには義頼が言った通り、淡路水軍を味方に付ける利点が大きく作用している。 いずれは行う事になるだろう四国への出兵の際に、和泉灘を抑える淡路水軍が味方であれば非常に有り難いのである。 逆に畿内を守るにあたっても、四国から簡単に三好勢を渡海させなくすることが出来る様になるのだ。

 つまり利点が大きく、不利益は少ないと言える。 そうである以上、彼に取りこの臣従を受けないと言う選択は存在しなかった。

 考えが纏まると、織田信長は義頼宛ての返書を右筆に認めさせる。 やがて返書が届くと、書状の内容を確認した上で彼は釣竿斎宗渭と三好政勝に渡した。

 義頼から織田信長の書状を受け取った二人は、手土産となるこの書状を持って安宅信康に連絡する。 その後、釣竿斎宗渭と三好政勝は、安宅信康と密かに面会を行う。 その席で織田信長からの書状に目を通した彼は、釣竿斎宗渭と三好政勝の手を取り頭を下げていた。


「釣竿斎宗渭殿、右衛門大夫(三好政勝)殿。 感謝致しまする」

「何の。 貴公とは、元とはいえ同僚であったのだ。 気にするな」

「そうですぞ、甚太郎殿」

「お二人とも、まっこと忝い」


 改めて安宅信康は、釣竿斎宗渭と三好政勝の二人に頭を下げる。 そして後日、改めて岐阜に赴く旨を彼に約束させた六角家の二人は、義頼の元に戻ったのであった。


北畠具教・具房親子は六角家預かりとなりました。

そして淡路水軍、三好家を見限り織田家につきました。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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