第十七話~野洲川の戦い~
六角と織田が激突します。
第十七話~野洲川の戦い~
六角承禎から観音寺城で起きた一部重臣らによる蜂起の経緯を聞き及んだ義頼は、大きく溜息をつく。 それは思った以上に、事態が混沌としていたからだ。
それはそれとして、手を打たなければ色々と不味い事になる。 何より織田家、いや織田信長に繋ぎを取る必要がある。 幾ら把握していなかったとはいえ、観音寺城の乗っ取りと重臣による蜂起など六角家側の失態でしかないからだった。
「まさかその様な事になっていたとは……先ずは、急いで尾張守(織田信長)殿に連絡をつけなければならないな」
「そうだな。 ではさっそ「殿! 御屋形様!!」く……何だ!」
義頼の言葉に高定が相槌を打った正にその時、山中俊好が息せき切って現れた。
その彼らしからぬ態度に義頼と六角高定、六角承禎と六角義治の四人が揃って驚きを表す。 しかしその直後に齎された情報により、彼らの浮かべた表情は驚愕の表情へと変化した。
義頼達四人の顔色を変えた情報とは、観音寺城の落城である。 確かに彼の城は、防御よりは政治的意図の多い城ではあった。 それでも観音寺城は、六角家の居城である。 城の防御力が皆無、という訳ではないのだ。
それであるにも拘らず、観音寺城は落ちたと言う。 この短期間でどうやってと言う思いが、四人の心うちにある。 しかし、事実は事実として受け入れなければならない。 義頼は、山中俊好に続きを報告させるのであった。
さて四人を驚かせた観音寺城を落とした者とは誰かと言うと、それは言うまでもなく織田信長であった。
観音寺城で六角家一部重臣による蜂起に巻き込まれつつも、和田惟政は何とか観音寺城からの脱出に成功している。 彼は観音寺城より逃げ遂せると、一路佐和山城を目指した。 観音寺城で起きた事を、織田信長に報せる為である。 六角家に反旗を翻した者達の追手を警戒して遠回りをした為に必要以上に時間が掛かったが、彼はどうにか佐和山城まで戻る事が出来た。
すると和田惟政は、織田信長に面会し観音寺城で起こった事態を報告する。 その際、六角高定や六角承禎が観音寺城での出来事に係わってはいないのではないかとも報告している和田惟政であったが、そんな事は織田信長に取り関係はなかった。
「観音寺城を攻める!」
その一言で、織田家による観音寺城攻めは決まっていた。
翌日、織田信長は佐和山城を出陣すると、その次の日の昼過ぎには観音寺城の麓に到着する。 そこで軍勢を、三つに分けて布陣した。
まず本隊は織田信長が自ら指揮して、観音寺城に相対する。 次に観音寺城の支城である箕作城には、佐久間信盛を大将に丹羽長秀や木下秀吉らを当てる。 最後にもう一つの支城である和田山城には、西美濃三人衆などの美濃衆を当てていた。
明けて翌日、織田信長は日の出と共に配を返して城攻めを開始する。 しかし城に立て篭もっている蜂起した者達も無能と言う訳では無い。 彼らは支城の和田山城と箕作城と上手く連携して対応し、一度は織田勢の攻めを凌いでみせた。
その頃には日も暮れはじめていたので、自然と戦も終わる。 すると、その日の戦の詳細が織田信長へ報告される。 その詳細を見つつ、彼は思案を巡らしていた
「ほう? 凌いだか……このまま攻め続ければ落とせるだろうが、戦の日数に比例して被害も大きくなるのは面白くない。 それに時を掛け過ぎれば、内紛に明け暮れている三好が再度纏まるかも知れんな」
織田信長が漏らした通り、畿内の三好家は未だ内訌の真っ最中であった。
具体的には、三好三人衆と松永久秀の対立である。 当初は三好家当主である三好義継を擁し、また阿波公方の足利義栄も味方にしている三好三人衆が優勢であった。
しかし彼らは次第に次期将軍候補である足利義栄を重視し、三好義継を蔑にし始める。 そうなれば、三好義継も彼の側近も面白い筈もない。 そこで三好義継は松永久秀と連絡を取り、三好三人衆の元から離れたのであった。
このお陰もあり、押し込まれていた松永久秀は息を吹き返して押し返し始めたのである。 だが劣勢が挽回されただけであり、両者の戦いは膠着状態となったのであった。
織田信長としては、三好家が再度纏まらないうちに上洛を果たしたい。 近江国にて雌雄を決する様な戦を行うと言うならばまだしも、突発的に起きた内訌を原因とした観音寺城攻めなどで時を掛けたくないのだ。
「なれば、攻め方を変えるか。 秀政!」
「はっ」
「長秀と秀吉、それから一益を呼べ」
「御意」
側近の堀秀政に命じて、織田信長は丹羽長秀と木下秀吉と滝川一益を呼び出す。 三名が揃うと、丹羽長秀を総大将に任じた上で彼らへ夜襲による箕作城攻めを命じた。
その後、丹羽長秀と木下秀吉、そして滝川一益は如何に攻めるかを話し合う。 やがて彼らの出した結論は、火攻めであった。 方針が決まると三人は夜陰に紛れて密かに出陣すると、箕作城を静かに取り囲む。 包囲が終了すると、三人は夜のしじまを破る様にいきなり鬨の声を上げる。 同時に城へ火を掛けたのであった。
その一方で箕作城側はこの夜襲を全く予見していなかった為、城兵は慌ててしまう。 それでも何とか疲労困憊の体に鞭打って防戦に入ったのだが、疲労のせいもあって消火も間に合わず夜半過ぎには大手門が焼け落ちてしまった。 それでも彼らは諦めず曲輪に籠って戦ったが、こうなっては多勢に無勢である。 箕作城は、全滅に近い被害を出して落城してしまった。
この箕作城の落城を知った永田賢弘や楢崎賢道、三上恒安らは、観音寺城と和田山城から何処ともなく逐電したらしいとの事であった。
山中俊好の報告に、義頼は無論だが六角承禎や六角高定や六角義治も唖然とする。 まさか反旗を翻し蜂起までした者達が、僅か数日の間に逐電するなど夢にも思ってもみなかったからである。 やがていち早く我に返った義頼は、六角高定を見ながらはっきりと言い放った。
「高定! 此処まで事態が進行しては、最早織田と一戦交える他ないぞ!!」
義頼とて戦国に生きる一人の武士である以上、名は惜しい。 こうして戦端を開いてしまったのであるのならば、一戦も交えずに降伏するなどと言う無様な姿を敵味方に対して見せる気になどなれなかったのだ。 だからこそ、六角家当主である六角高定に一戦するべしと進言したのである。 しかし義頼の言葉を聞いた当の六角高定が、腕を組み何かを考え始めた。
此処に来てまさかの尻込みかと、義頼は六角高定の名を強く呼ぶ。 しかして彼は、義頼を宥めるとある物を持って来させる。 それは、義頼も数回しか見た事のない六角家に伝わる家宝であった。
「これは……真鳥羽根付き節無しの矢軸!」
この六角家の家宝である真鳥羽根付き節無しの矢軸は六角家に代々伝わって来た物であり、これを所持する事が半ば家督を相続している証の様な代物であった。 そしてこの家宝を見たのは、義頼もそう多くはない。 生まれてこの方、両の手で数えられるぐらいだろう。 それ故、義頼の印象が深い家宝でもあった。
「義頼とて、この家宝が持つ意味は分かるな」
「当たり前だ。 六角家の家督を持っている者を象徴する家宝だからな」
「その通りだ。 そこで義頼、この真鳥羽根付き節無しの矢軸をそなたに託す」
六角高定の余りにも唐突な言葉に、義頼は呆気に取られた。
それも当然である。 前述の通り、この家宝を持つ者こそ六角宗家当主の証明と言っていいのだ。 その家宝を、義頼に託す。 それは取りも直さず、義頼に六角家の家督を渡すと宣言している事に等しかった。
それ故か、義頼は思わずまじまじと六角高定を見つめてしまう。 そのうち、彼の中に一つの疑問が持ちあがって来た。 それは、どうして彼がいきなり家督の譲渡を言いだしたのかである。 その理由を聞かないうちには、義頼としては受ける気にはなれなかった。
「高定。 何故に、いきなり俺へ家督を渡すなどと言い出したのだ?」
「……それはお前が、俺よりはるかに戦が上手いからだ。 その上、場数も踏んでいる。 こと戦において、家臣や国人達の信頼は俺よりはるかに凌いでいるのは論ずるまでも無い……悔しいがな」
「高定……」
六角高定の言う通り、家臣や国人達の戦に対する信頼は群を抜いている。 今生きている六角宗家の者の中では、間違いなく一番であった。 だからこそ六角高定は、家督を譲ろうと考えたのである。 次に起きるであろう六角家と織田家の戦に臨むに当たって、より万全を期す為に。
「それにやがて起きる織田家との戦が、激しい物となるのは俺でも分かる。 ならばこそ、義頼に譲るのだ」
「……だが家督を譲るとして、高定はどうする」
「それは既に決めてある。 元々俺は、嗣子として大原家を継ぐ事となっていた。 そこで大原の家名を継ぎ、名も義定と改める」
六角高定改め大原義定の言葉を聞いた義頼は、彼のすぐ近くに黙って佇んでいる六角承禎と六角義治に目を向ける。 すると六角義治は目を瞑っており、そして六角承禎はただ頷いていただけであった。
そんな二人の仕草に、両者が大原義定と同じ考えであると推察する。 それから彼をもう一度見ると、彼もまた頷いていた。 そこで義頼は、一度目を瞑る。 と同時に彼らが居る部屋の空気が、酷く重くなったように感じた。
どれくらい時間が経っただろう。 一瞬とも永遠ともつかない静かな部屋の中にあってただ一人考えていた義頼だったが、その瞑られていた目が漸く開く。 その見開かれた彼の瞳には、様々な事を飲み込む確固たる決意が灯っていた。
「あい分かった! この六角左衛門佐義頼、確かに六角家の家督を受け継いだ!!」
此処に急遽六角家の家督を継ぐ事となった義頼であったが、彼はそこで長光寺城に詰めている国人衆や家臣達を広間に集めている。 急に集められたと言う事もあり、広間はいささか騒がしかった。 その様な広間に、義頼は大原義定達を連れて現れる。 それに伴い、広間内の騒がしさはなりを顰めたが、代わりに訝しげな視線が義頼達へ向けられた。
それも当然であろう。 通常であれば、御屋形である六角高定が中心となる筈である。 しかし現状では、義頼が主導している風に捕えられたからだ。 だが義頼は、そんな広間の様子に対しても眉一つ動かさない。 想定されていたと、言わんばかりの態度であった。
程なくして軍議に参加できる者が揃うとその冒頭で義頼は、正直に六角家の現状を何一つ隠さずにありのまま伝える。 その途端、広間にざわめきが満ちる。 すると、その騒々しさを断ち切るかの様に義頼の声が広間の隅々まで響いた。
「これから一刻の時を与える。 俺が六角家の家督を継ぐ事や、六角家が織田と戦う事に納得いかない者はその間に退去しろ」
そう言葉を締めくくると、義頼は六角宗家の者達と共に広間から出て行く。 彼らの背には、広間から聞こえる様々な声が届くが、義頼も大原義定も六角承禎も六角義治も黙殺していた。
やがて自室へと戻った義頼は、本多正信を呼び出す。 程なくして現れた本多正信に対して義頼は、ある事を尋ねた。
「このままでは、徳川家とも事を構える事となる。 その方は、いいのか?」
「…………どういう意味でしょうか」
けっして短くは無い間が空いた後、本多正信は口を開く。 その声が少し震えていた様に感じたが、あえて追及せずに義頼は話を進めた。
「確かに俺は、お前と言う男を家臣に望んだ。 だが、手放しで迎えた訳ではない。 家臣に迎えるに当たって、多少は調べさせてもらった」
「そうでしたか……当然と言えば当然です」
「ああ。 そこで分かった事だが、お前の故郷には家族が居るのだろう。 そして、未だに呼び寄せてはいない。 そこから導かれる答えなど、大凡の想像はつく。 お前は何れ徳川家に帰参するつもり、そうだな」
「……我が家族の事も、知っておられたのですか」
「ああ。 そこで、そなたにこれらを餞別として与え様と思う」
そう言ってから本多正信の前に出したのは、決して少なくは無い金子である。 そして、金子に添えられた書状であった。 受け取った本多正信が書状を良く見ると、それは感状である。 つまり義頼は、感状と金子この二つを与え正信へ六角家を退去する様にと暗に促しているのだ。
何れは徳川家に帰参をと考えていた本多正信に取り、今の事態は六角家を辞去する好機と言える。 だが、此処で六角家を離れていいのかという思いがあるのもまた事実であった。 そんな本多正信の心情を憚ったのか、義頼は金子と感状を持たせて退席させる。 すると本多正信は、一つ頭を下げると半ば心あらずと言った感じで部屋から出て行った。
その後、義頼は山内一豊を呼び出すと本多正信と同じ対応を行う。 彼は元々尾張の国出身であり、近江国の出身では無い。 それ故、本多正信と同じ様に山内一豊にも金子と感状を与えたのだ。 しかし彼は、渡された感状を手に取るとゆっくり左右に引き裂く。 これには、義頼も驚きの表情を浮かべたのであった。
「殿。 確かに拙者は尾張出身ですが、お気になさらないで下さい。 拙者は、死ぬまで……いえ死しても殿にお仕えいたします。 それに家族も既にこの地に居ります故、今はこの近江こそが我が故郷です」
「……そうか……感謝するぞ」
「はっ」
山内一豊から嬉しい返事を聞いてから暫く、約束の一刻が経った。
そこで義頼は、広間へ戻る為に部屋から出る。 するとそこには、旅支度では無く鎧を着込み戦支度を整えた本多正信が控えていた。 つまり彼も、山内一豊と同様に六角家に残る決心をしたのである。 それは即ち、徳川家の帰参という道を本多正信が諦めた瞬間でもあった。
「……それが、その方の答えか。 後悔は、しないのだな」
「はっ」
「そうか。 ならば正信、広間に行くぞ」
「御意」
その後、義頼は本多正信を伴い広間に入った。
最悪、六角宗家の者以外は誰もいない可能性もあったが、それは結果として杞憂となる。 何と、誰一人として欠けている者は居なかったのだ。 既に観音寺城は落ち、六角領の半分は織田家の手に落ちていると言う不利な状況にある。 しかし彼らは、それでも織田家では無く六角家を選んだのである。 そんな彼らに対して義頼は、感謝の念を禁じ得なかった。
広間の上座に立った義頼は、まるで礼でもするかの様に近江国人へそして家臣へ頭を下げる。 そして顔を上げると、決意の表情と共に口を開いたのであった。
「相手が大軍なのは皆も既に知っておろう。 故に、城に籠っても意味は無い。 そこで長光寺城は捨て、我らはここに布陣する」
義頼が指し示したのは、野洲川であった。 この川は、古来より幾度となく戦場になった歴史がある。 近江武士である彼らにとって、勝手知ったる場所であった。
「なるほど。 そこならば兵力で落ちる我らにも、僅かですが勝機は有るかもしれません。 して、如何様な布陣をなさるのですか?」
「乾坤一擲、伸るか反るかの大博打よ」
蒲生定秀の問い掛けに対して、にやりと笑みを浮かべつつ答えた義頼の言葉に広間に居る者達は皆考える。 やがて彼が指定した戦場の地形などを考慮した本多正信が、驚きの表情を浮かべつつ一つの答えを導き出した。
「……背水の陣……」
義頼は布陣する場所を指し示した際に、野洲川を越えた場所を指し示さなかった。
それは、軍勢が布陣する場所を大雑把に指示したからでは無い。 始めから背水の陣を引くつもりであったが故に、敢えてその場所を指示していたのだ。
「そうだ正信。 狙うはただ一つ、信長が首だ」
『承知っ!』
劣勢であるのは百も承知である。 しかし劣勢であるからこそ、覆してみたいと思うものである。 この広間に居る近江国人と六角家家臣の心情が、まさにそれであった。 だからこそ彼らは、力強い了承を返したのである。 そんな彼らの力強い返事を聞いた義頼は、一瞬だけ笑みを浮かべる。 だがすぐに表情を引き締めると、蒲生定秀と馬淵建綱へ目を向けた。
「定秀、建綱! 湖南と湖西の者達に、檄文を出せ!! 織田と雌雄を決する! 集合場所は野洲川だ!!」
『御意』
それから数日も経たないうちに、将兵を率いて長光寺城を出陣した義頼は軍議で言った通り野洲川を渡る事なく川を背に布陣する。 それから東山道を塞ぎ、いやが上でも織田勢が六角勢と対陣せざるを得ない状況に持っていった。
するとその日の夕刻頃から、義頼の檄文を受け取り行動を共にする事を決めた近江国人達が集り始める。 その二日後、ほぼ集まり切ったと判断した義頼は、有力家臣を集めて軍議を開いた。
「檄文でも知らせたが、この一戦に全てを掛ける。 国力差故に、次は無いだろう。 この戦で敵大将の信長を討ち取る事が出来なければ、先など無い。 そう心得よ!」
『おう!!』
義頼が野洲川に布陣した翌日、織田信長は観音寺城にあった。
降伏して来た元六角家家臣への対処も終わっており、あとは美濃立正寺から既に出立している足利義昭を迎えてから上洛を再開するつもりであった。 そんな彼の元に、長光寺城主であり今は六角家当主となった義頼の動向が届く。 すると織田信長は、いち早く織田に降伏した山崎賢家改め山崎片家を呼び出した。
因みに彼は、織田家に降伏した際に改名したのである。 と言っても漢字を変えただけであり、呼び方は全く変わっていなかった。
「殿、何用でしょう」
「うむ。 その方の目から見て、六角義頼とは如何なる男だ?」
まさかここで義頼の事を聞かれるとは思ってもみなかった山崎片家は、少し驚いた様な表情になる。 そんな彼に対して織田信長は、長光寺城の様子を伝えた。
「そう言う事にございましたか」
「それで、どうだ片家」
「左様ですな……左衛門佐(六角義頼)様ですか……あの方は手強い。 その一言に尽きます。 もし承禎様の後を継いだ者が右衛門督(六角義治)殿では無く左衛門佐様であったならば、六角家の内訌は無かったかも知れません。 最も当時の左衛門佐様は元服前ですから、考えもしなかった事ですが」
「ほう。 それは、調べた以上だな」
「は?」
実は織田信長だが、上洛する前に浅井家と同盟すると決めた頃から六角家の調査も行っている。 その中には当然、義頼の調査も入っていた。 それ故、ある程度は義頼について把握している。 だが念の為のという意味も込めて、山崎片家を呼び出し人となりを訪ねたのだ。
しかしてそれは、功を奏したと言える。 義頼が長光寺城主となって以来の行動から、信長は凡そ把握したつもりであった。 しかし実際に本人を知る者から聞くと、自らが考えていた以上の者であるらしい。 幾ら元仕えた家の者とは言え、悪い印象が出ないのだから相当なものであった。
兎に角、山崎片家から聞きたい事は聞けたので織田信長は彼を下がらせる。 それから他にも幾人かの元六角家臣を呼び出しては、義頼の事を聞きだす。 だが彼らのその答えは、多少の差異はあるにしろ総じて論じれば概ね好評と取れるものであった。
「つまり、良くも悪くも手強いと言う事か……面白いな」
織田信長はそう漏らすと、不敵な笑みを浮かべるのであった。
それから数日を経てして、立正寺を出た足利義昭の一行が近江国へと到着する。 彼らが桑実寺へに入ると、織田信長は兵を率いて出陣した。
しとしとと小雨の降る中、東山道を進んでいた織田勢が野洲川の手前まで到着すると織田信長はそこで行軍を止める。 街道が六角勢によって塞がれていたと言う事もあるが、何より義頼の陣を見た為であった。 ざっと敵を観察すると、織田信長は兵を四つに分ける。 最後尾に本陣を置き、その前に残りの三つを配置したのであった。
こうして布陣を決めると、織田信長は改めて義頼の陣に目を向ける。 そこには、報告された兵数よりももう少し多いぐらいの将兵が布陣をしていた。 その兵数は、一万数千ぐらいであろう。 事前の報せでは万は越えていなかった筈なので、それから更に増やした様である。 その事実だけでも、山崎片家ら元六角家臣の話も決して嘘や誇張でないことが判断できた。
「なるほど。 片家達の話も、まんざら嘘ではないと見える。 しかし、よくこの短時間で集めた物だ。 左馬頭(足利義昭)様からの話にも少しは出ていた男だが、評判以上の様だな。 後は……戦場で試させてもらおうか」
その一方で義頼だが、織田勢を見ても動揺は殆どない。 自軍の兵より織田の兵の方が多い事は、既に織り込み済みである。 何より対峙する覚悟が決まっているので、兵数の差など今更なのだ。
それでも流石に、六角勢の兵に動揺の様な物が広がってしまう。 味方から発せられたその様な雰囲気を肌で感じた義頼は、小さく舌打ちした。 それでなくても、兵数で負けているのだ。 この状況で敵に飲まれれば、敗北は戦を行う前から確定となる。 そこで義頼は、大胆とも取れる行動に出た。 馬淵建綱や進藤賢盛ら重臣の反対を押し切ってまで、前線まで移動したのである。 流石に最前線までは出なかったが、それでも一歩間違えが起これば織田勢からの弓矢の餌食となりかねない。 その様な場所にまで、大将が移動したのだ。
その上、遥かに勝る兵数を持つ織田勢を豪然と見返している。 その姿に、味方の動揺はまるで波が広がる様に収まっていった。
「義頼め。 あの若さで、兵の機微を分かるか。 ある意味、戦の申し子だな」
「父上。 やはりこの決戦に当たって、家督を譲った事に間違いはありませんでした」
「……まぁ、そうだな」
大原義定の言葉に、六角承禎はやや曖昧に答えた。
彼は、義頼が家督を受け継ぐ決断をした時、同時に決めたであろう覚悟にも気づいていたのである。 最も、その事を言うつもりもない。 言えるとすれば、それは義頼自身だけでしかないからだ。
そんな父親の様子に違和感を覚えたのか、大原義定が不思議そうな顔をする。 だが六角承禎はその息子の態度に反応する事無く、じっと義頼を見詰めていたのであった。
「なるほど。 片家らが好評価する訳だ」
六角勢と対峙する織田勢の大将である織田信長は、うろたえていた敵がまるで潮が引いていくかの様に収まっていく様子にある意味感心する。 それと同時に、まだ二十歳そこそこの若僧があそこまで将兵の信頼を勝ち得て居る事実に織田信長は更なる興味を義頼に覚えたのであった。
「楽しみな事よ。 どの様な手を見せてくれるのか。 のう義弟殿」
「……そうですな」
織田信長は、傍らに居る義弟の浅井長政に声を掛ける。 しかし彼の表情は顰められており、楽しげな義兄となる織田信長と比べて酷く対照的であった。 そんな六角勢と織田勢であるが、その日のうちは戦も起きずお互いが対峙しただけで終わる。 明日になれば戦と言う考えは、敵味方共通にあった。
最も、六角勢は決戦と捕えていたが織田勢は上洛の途中にある戦の一つと捕えていたのであったが。
さて小雨が降りしきる中で対峙した両軍勢であったが、その小雨も夜半前になると漸く上がる。 それから程なくすると、急に冷え込み始めた。
「……これは……重虎と清光を呼べ!」
「はっ」
味方の動揺を押さえた後で建綱らの言葉に弓矢が届かない場所まで下がった義頼であったが、天気の変化に急遽使いを走らせた。
やがて永原重虎と沢清光が現れる。 二人が揃うと、義頼はある事を尋ねた。 それは、霧の発生についてである。 義頼も数年来に渡って湖南を纏めていた事もあり、ある程度は気候についても知り得ている。 その知識の中において、霧が発生すると思われる状況に似ている様な感じを持ったのだ。
しかし、思い込みもあるかもしれない。 そこで義頼は、野洲川から近い位置に領地をもつ二人を呼び出した。 彼らは義頼よりも、遥かにこの辺りの地理や気候に詳しい。 ならば二人に尋ねれば、大体の答えは得られる筈だと考えたからであった。
その結果、義頼の考えた通り二人からの答えはほぼ同じであり霧の発生する可能性は高いと言う。 ならばと義頼は、蒲生賢秀を呼び出すと沢清光と共に別の命を与えたのであった。
ご一読いただき、ありがとうございました。




