第十六話~蜂起~
第十六話~蜂起~
近江佐和山城に、ある一行が到着した。
その一行を率いていたのは、今や尾張国と美濃国を領地としている織田信長である。 彼は、浅井長政に輿入れする妹のお市と共に自ら浅井領へとやって来たのだ。
だが寝耳に水だったのは、佐和山城にて出迎え織田信長を饗応する役目を命じられた遠藤直経である。 まさか織田家の当主とあろう者が、幾ら同腹妹の輿入れとは言え同行しているとは夢にも思っていなかったからだ。 この破天荒とも豪胆とも取れる様な織田信長の行動に対し、遠藤直経は一瞬だけだが驚きを露わにする。 しかしそれ以上に、織田信長という男に警戒の念を抱いた瞬間でもあった。
「お初にお目に掛かります尾張守(織田信長)様。 拙者、浅井備前守長政が臣遠藤喜右衛門直経と申します」
「おう。 役目ご苦労。 俺が信長だ」
「き、今日は此方にて体をお休めになり、明日小谷城へ向かいまする」
「うむ、任せる」
遠藤直経は織田信長を案内すると同時に、己が感じた直感にも近い警戒の念が間違いない事を確信した。
実に何気ない両者の会話であったが、その僅かのうちに遠藤直経は織田信長の持つ溢れる様な何かを感じ取ったのである。 その上、その才気とも取れる何かを織田信長自信が隠そうともしていない。 いやもしかしたら、気付いて居ないのかも知れない。 そう思い至った瞬間、遠藤直経の体に畏れにも似た震えが走った。
しかし彼は、何とかその事を織田信長へ悟られない様にと振舞う。 その事に気付いているのかそれとも気付いていないのか、変わり映えのない様子である。 その事に遠藤直経は、内心で胸を撫で下ろしていた。
何とか無事に織田信長を迎えた訳だが、彼の脳裏では警戒心に溢れている。 如何にして織田信長が、浅井家の脅威となり得ない存在となるかを腐心する。 やがて遠藤直経は、ある答えを導き出した。
そこで彼はその日の夜、一人馬を駆り佐和山城を密かに出ると小谷城に向かう。 やがて到着した小谷城で、取る物も取りあえず彼は主たる浅井長政に面会を願い出た。
小谷城で妻となるお市を迎えるべく最後の準備に急がしい浅井長政であったが、腹心の遠藤直経が面会を希望していると一族の浅井政澄から聞かされると、眉を顰めた。
そもそも、彼が小谷城へ来ている理由が分からない。 遠藤直経には、輿入れしてくるお市の一行を迎え饗応する役目を命じている。 その饗応役が饗応する相手を放って佐和山城から出て来ているのだから、その行動は本末転倒と言って良かった。
「如何なさいますか?」
「如何も何も……兎に角会おう。 直経が役目を放ってまで現れたのだ、もしかしたら不味い手違いでもあったのかも知れん」
「分かりました。 では、喜右衛門(遠藤直経)を連れて参りましょう」
浅井政澄がそう言うと、部屋から出て行く。 そんな彼を見送りながら、浅井長政は佐和山城で起きたかもしれない事案について考えを巡らせるのであった。 それから間もなく、浅井政澄と遠藤直経が連れだって部屋に現れる。 彼らは下座に腰を降ろしたが、その直後に遠藤直経が浅井長政に詰め寄った。
「殿。 信長を討つべきです」
『……は?』
遠藤直経の言葉を聞いて、浅井長政と浅井政澄は揃って驚きの声を上げた。
まぁ、いきなり家臣が同盟相手の当主を討とうと言い出せば彼らの態度も当然かもしれない。 それぐらい遠藤直経の言葉は、唐突だったのだ。
もしこの言葉を言ったのが彼でなかったら、浅井長政もそして浅井政澄もその者は気が狂っているのかと相手にしなかっただろう。 言ったのが遠藤直経だったからこそ、その様に切って捨てなかったのだ。
「……あ、そのー、何だ。 何故、饗応を命じたそなたがその様な意見を言って来るのかが分からないのだが……その、正気か直経」
「無論にございます、殿。 実は拙者、佐和山城にて尾張守殿に会い確信しました。 あの者は、才気が溢れすぎております。 遠からず、浅井家に取り災いとなりましょう」
遠藤直経がここまで警戒したのは、義頼に続き二人目である。 だが彼の警戒度は、義頼と比べ物にならないぐらい遥かに織田信長の方が上であった。
彼が義頼を警戒したのは、いわば結果論に近いところがある。 【観音寺騒動】や、最初の会合であった瀬田川を挟んで対峙した戦い。 そして宇曽川の戦いや、自分達は全く関わっていない小倉家の内訌による戦。
これらの事象と、六角家内における義頼の立場を考慮した末に直経は判断したのだ。
あの男は、浅井家にとって危険であると。
しかし今回、遠藤直経と織田信長は僅か数刻一緒に居ただけだ。 それにも拘らず、警戒を表したのである。 その事実に浅井長政も少し考えるが、やがて首を横に振ると己の考えを告げるのであった。
「直経。 その方の目を疑う訳ではないが、此度は尾張守殿自ら我が妻となる者を連れているのだ。 この様な信を示した相手に、暗殺などもっての外だ」
「殿! 言い分はわからぬでもありませぬが、話は家の存亡に係わる事です。 それでなくても、六角義頼と言う手強い者が隣国に居るのです。 何とぞご再考を!」
遠藤直経は説得する為に敢えて義頼の名を出したが、これが逆効果となる。 浅井長政には「勝てぬかも知れない相手を増やすのか」と言っている様に聞こえてしまったのだ。 勿論、遠藤直経にその様な意図など小指の爪先ほども無い。 だが彼の意図とは裏腹に、浅井長政は彼の言動をその様な意味でとらえてしまったのだ。
「くどいぞ! 直経!! いいか、婚儀は予定通り行う! 分かったら、さっさと佐和山に戻り饗応を続けろ。 これは主命だ!! 口答えは許さぬっ!」
「と、殿……分かりました」
怒気すら発しながら、浅井長政は遠藤直経へ佐和山城へ戻る様に言い放った。
己の言葉が主の怒りに火をつけた事に気付いた彼は、内心で忸怩たる思いに駆られる。 だが此処で下手に言葉を続けても、火に油を注ぐのと変わらない。 直経はそこで口をつぐむと、何も言わずに引き下がる。 そして彼は、一つ頭を下げると部屋を出て再び佐和山城への帰路へついたのであった。
なお幸いな事に、この行動は織田方に一切知られていない。 そして佐和山城に戻った遠藤直経も何食わぬ顔であった為に、特段何か言われる事も無かった。
明けて翌日、ある意味いい度胸をしている遠藤直経の先導に従い織田信長とお市の一行は佐和山城を出る。 行き先は無論、小谷城であった。 しかし、そんな織田家の一行を見詰める目がある。 それは、彼らの通る北国街道からほど近い場所に建つ古寺からであった。
その寺は度重なる戦でいささか荒廃していたが、それでも住職が居る寺である。 そんな古寺に、寺侍とは明らかに雰囲気が違う者達が滞在していた。
「あれが織田信長です」
その中の一人、甲賀衆の伴資定が話し掛ける。 彼の話し掛けた相手は、何と義頼であった。
実は義頼、織田信長がお市と共に同行しているとの情報を得ると伴資定に嫁入りの一行を見る事が出来る場所を確保する様に命じている。 伴資定もそれに答え、この古寺の住職を買収したのだ。
但しこの行動だが、とても大胆と言える。 何と言ってもこの地は、浅井家の領内なのだ。 もし浅井家の者に見付かれば、間違いなく義頼達は血祭りにあげられるだろう。 しかしその様な危険を犯してでも、義頼は織田信長と言う男を己の目で確認したかったのだ。
そんな義頼であったが、伴資定からの言葉に彼は視線を向けた。
するとそこには、やや華奢な体躯という以外取り分け特徴が見当たらない様な男が馬に乗り歩みを進めているのが見受けられる。 その様な相手に義頼は拍子抜けしたが、徐に向けられた信長の目を見た瞬間、己の気持ちが自然と気が引き締まった事を認識した。
そんな義頼の変化に、同行していた蒲生頼秀が気付く。 そして、驚きとも取れる様な表情を浮かべている義頼を見て不思議そうな顔をしながらも声を掛けた。 その言葉掛けで我に返ったらしい義頼は、表情を戻しながら蒲生頼秀の方を向く。 それから、まるで自分の考えを確認するかの様に言葉を返していた。
「あの男をうつけと評したのが、一体何処の者であろうか。 あんな眼をした男が、うつけな筈がない。 あの目は、確固たる信念と叡智を持った者の目だ」
その時、義頼は、ふと視線を感じた様な気がしてそちらに目を向ける。 すると、此方を見ている織田信長の姿が映った。 先程は偶々此方を見たという感じであったが、今は違う。 はっきりと、義頼の方へ視線を向けているのだ。
その瞬間、義頼は織田信長がこの古寺に自分達が潜んでいるを分かっているのではないかとの思いに至る。 その直後、義頼は蒲生頼秀や甲賀衆に声を掛けると、急いで古寺の裏手から退去をした。
丁度その時、織田信長が古寺の方を見ている事に側近の堀秀政が気付く。 すると彼は、心持ち馬を寄せながら主へと問い掛けたのであった。
「殿。 如何なされました?」
「ん? 何でも無い、気にするな」
そう織田信長は堀秀政に一言答えると、まるで興味を失ったかの様に視線を元に戻した。
すると堀秀政は、視線を先程まで主が見ていた方向へと向ける。 しかしそこには、古ぼけた雰囲気を醸し出す古寺とその周辺に点在する幾つか家があるだけであった。
別段何か気になる様な風景とは思えず、堀秀政は首を傾げていたと言う。
この後は特に何も無く、お市の輿入れは問題なく行われる事となる。 そしてこの輿入れを持って、織田家と浅井家の間で同盟関係が構築されたのであった。
因みに古寺より抜けだした義頼達であるが、彼らはそのまま湖岸まで出ると琵琶湖沿いに近くの湊まで向かう。 そこには、待機させている堅田衆の船が停泊しているからだ。 これまた大胆とも言える行動だが、これは浅井家の人間の盲点を突いた行動である。 彼らとて、まさか六角宗家の人間が浅井領内の湊に居るなど考えていないのだ。
それに琵琶湖にある堅田衆の船が寄港していても、何ら不思議ではない。 運送業を生業とする堅田衆の船など、戦時でもなければ気にする事などまず無いのだ。
何はともあれ義頼達は、湊に待機させていた堅田衆の船に乗り湖上の人となる。 こうして無事に、浅井領から脱出したのであった。
織田家と浅井家の間で同盟関係が構築されてから暫く、不思議な事に近江国内において争いなど起きなかった。
六角家は、直ぐにでも戦があるのではと警戒していたのだが肩透かしを喰らった気分である。 だが、浅井家が織田と言う後ろ盾を得ている以上、何時攻めてくるかも分からない。 六角家としては、警戒を密にして浅井家と織田家の行動に注視していた。
そんな義頼の元に、一つの書状が届けられる。 差出人は、細川藤孝であった。
さて何故に細川藤孝から義頼に書状が来たのかと言うと、理由の一つに彼が修練した弓術がある。 と言うのも細川藤孝は、京に居た頃に日置流当代である吉田重高の弟から日置流を学んでいたのだ。
その様な経緯もあり細川藤孝は、近江国内に置いて若くして凄腕の誉を受けていた義頼と公私ともに親しくなったのである。 他にも茶の湯や古典、囲碁など共通の教養を持っていた事も義頼と細川藤孝が親しくなるのに拍車を掛けていた。
そんな義頼と細川藤孝の友誼はひとまず置いておくとして、今問題なのは届けられた書状である。
越前国に足利義昭と共に滞在している細川藤孝からの書状を受け取った義頼は、書状を読んだ後で蒲生定秀と馬淵建綱それから本多正信の三人を呼び出している。 そこで三人に対し、細川藤孝から届けられた書状の中身を公開した。
すると本多正信は、やはりと言った顔をする。 そしてそれは、蒲生定秀や馬淵建綱も同様であった。 何と言っても織田家と朝倉家は、同じ主家に仕えていた家である。 決して仲がいいとは言えない両家であるが、主家が同じであった者同士であるが故に話が通じない訳ではないのだ。
「ああ、そうであったな。 最も、斯波家嫡流はその織田家に追放されたのだったな。 今は確か……同じ三管領の畠山家に居る筈だったな」
「御意」
義頼の問いに、本多正信は淀みなく答える。 最もこの情報を義頼に伝えたのは、他ならぬ彼であるのだから認識しているのは当然であった。
「まぁ、斯波家の事は置いておくとしてだ。 尾張と美濃を抑え浅井とも同盟を結んでいる織田家だが、左馬頭(足利義昭)様を手にすれば上洛に向けて動くと考えて間違いないか?」
「それはその通りであると思われます」
確信が伴っているのであろう。 本多正信は、主の言葉をはっきりと肯定した。 その考えは、義頼も同じである。 今になって考えてみれば、今までは上洛に向けて力を溜めていたのかもしれない。 それ故、織田家も浅井家も全く動きを見せなかったとも取れるのだ。
「さて、建綱はどうだ? 何か気になる事とかあるか?」
「そうですな。 あのうつけに、そんな大それた事など出来ない……と、以前の拙者ならその様にお答えしたかも知れませぬ」
「ならば今は違うのか」
「宇曽川の戦で藤十郎(蒲生定秀)殿と約束を交わして以来、拙者は噂だけでは無く色々な情報を集める事に腐心しました。 すると、今まで見えなかったものが色々と見えるようになってきました」
「それはつまり情報を集めた結果、違う答えを出した。 そなたは、そう言うのだな?」
「御意。 あの者はうつけにあらず。 接した事がないので断言は出来ませぬが、才があるのは間違いないと現状からは判断致します」
「うむ。 それでこそ、後を任せられる。 わしは、いつでも隠居出来るのう」
すると馬淵建綱は照れくさいのか、あらぬ方を向きながら鼻の頭を指で掻いた。 そんな彼を見た後で義頼は、隠居をほのめかす発言をした蒲生秀定に釘を刺しておく。 と言うのも、ここ最近になって蒲生定秀は何かと隠居を匂わす様な言動が多いからだ。
「定秀、隠居は許さんぞ」
「やれやれ。 殿は、年寄りに楽をさせてくれぬのか」
「無理だ。 せいぜい御伽衆にするぐらいだな」
義頼としては、蒲生定秀にまだ隠居をして欲しくはない。 少なくとも後数年は、家臣の要として存在して貰いたいのだ。
蒲生定秀の今後は取り敢えず置いておくとして、義頼は改めて馬淵建綱と蒲生定秀に意見を求める。 すると両者から帰って来た答えは、本多正信とほぼ同じであった。 つまり二人とも、浅井家は分からないが織田家が足利義昭を得れば上洛を行うと考えていたのである。
ただ、何時かと尋ねられても答えられなかったが……
「つまり、三人とも織田家は上洛に向けて動く! で相違ないな」
『御意』
「そうか、分かった。 では、ちょっと出て来る」
「どちらへ?」
「観音寺城だ。 御屋形様に報せに行く」
もし織田家が上洛に移るとなれば、ほぼ間違いなく近江国を通るだろう。 美濃国から京へ向かうには、東山道を通るのが一番早いのだ。 その上、北近江の浅井家は織田家と同盟を結んでいる。 尚更、上洛の軍勢を興した織田信長が東山道を使う事は容易に想像出来た。
そうなれば、話は六角家全体にまで及ぶ。 義頼が幾ら六角宗家の者とはいえ、当主でもない彼にその様な重要な事を個人的に判断出来る権限はない。 その様な理由から義頼は、観音寺城に向い御屋形たる甥の六角高定に面会するつもりである。 そこで彼に、六角家としての対応の決断を促すつもりであった。
その後、義頼は長光寺城を出て観音寺城に向かうと、六角高定との面会を希望する。 程なく希望は叶い、義頼は六角家当主の居る部屋に通される。 しかしそこには部屋の主たる六角高定とは別にもう一人、六角承禎が居た。
義頼は何故と思わないでもなかったが、どちらにせよ兄にも聞きたい案件ではある。 丁度いいとばかりに彼は、六角高定と六角承禎に藤孝から齎された情報を伝える。 その上で義頼は、二人に如何なる対応を取るのかを問い質した。
「……そうだな。 家臣に諮る前に、六角宗家の意見だけでも統一するべきか……義頼はどう思っている」
「以前申しました様に、六角家と織田家では国力は隔絶しております。 また、無駄に領民を戦火に晒すべきではないとも俺は考えます。 何より足利義昭公という大義名分を織田家が握っていますので、ここは上洛の軍勢に協力するべきかと」
「ふむ。 高定は?」
「俺も義頼と同じです、父上」
「ならば決まりだ。 六角家は、織田家に協力して上洛する」
三人で意見の統一が図られると、六角高定は家臣を集めた。
その席で彼は、上洛に対する協力要請があった場合には、六角家として了承する旨を伝える。 すると、一部重臣が強硬に反対した。
その事にいささか面を喰らった義頼達であったが、彼ら反対派はあくまで一部でしかない。 六角家家臣の大半は、どちらかと言えば六角宗家の考えに賛同している。 その為、彼ら反対派の意見が家中の主流となり得なかった。
そればかりか、義頼達六角宗家の者や反対派以外の有力重臣達からも説得を受けてしまう。 これでは少数しか居ない反対派としてはどうしようもなく、彼らは不承不承ながらも上洛の際には協力すると言う方針を受け入れるのであった。 この結果に義頼や六角高定、更には六角承禎は安堵する。 しかし後に、手痛いしっぺ返しを喰らう事になるとはこの時点では夢にも思っていなかった。
こうして六角家としての対応が決まってから暫く後、足利義昭と織田信長の使者として和田惟政が観音寺城を訪れる。 彼が数年振りに訪れた理由は、足利義昭の上洛に対する協力を促すものであった。
「左馬頭(足利義昭)様と尾張守(織田信長)殿からの書状にございます」
六角高定と面会した和田惟政は、二通の書状を差し出す。 それは足利義昭と織田信長からの物であり、細かな差異はあるがどちらも上洛に協力する様に促す内容であった。
六角高定は受け取った二通の書状を、確りと最後まで目を通す。 それから顔を上げると、六角家も上洛に協力する旨を伝えるた。 するとこの言葉に和田惟政は、酷く喜ぶ。 美濃国から上洛するに当たり、最大の邪魔となり得る可能性がある六角家の協力が得られるのだから当然の反応とも言えた。
何はともあれここに六角家と足利家と織田家の盟約は成り、六角家もまた足利義昭の上洛に協力する事となった。
やがて同年の秋頃、織田信長は自らの兵に加え少数ではあったが徳川家からの援軍も率いて居城の岐阜城を出立した。
しかし織田家の軍勢は、大垣城に到着するとそこで数日程だが待機する。 その間に織田信長は、先年織田家の版図に加えた北伊勢の兵と合流を果たした。
その後、大垣城を出た信長は佐和山城に到着する。 そこには浅井長政が自ら率いて来た兵と共に駐屯しており、彼らと合流した信長が、そのまま佐和山城で夜を明かしている。 その一方で織田信長が佐和山城に入った事を甲賀衆から聞いた義頼は、念の為とばかりに六角高定へ伝令を走らせている。 しかしそれから数日しても、全く連絡が無い。 不審に思った義頼は、山中俊好を観音寺城へ派遣した。
彼は、今でこそ義頼付きの甲賀衆ではあるが、元をたどれば六角家の重臣でもあった男である。 その様な男ならば相手が六角家当主の六角高定と言えども、無碍にして会わないなどまず無理である。 だからこそ義頼は、山中俊好を使者としたのだ。
こうして彼を送り出した義頼であったが、彼は何とも言えない思いを抱えていたのである。 根拠がある訳ではないのだが、胸騒ぎと言うかどうにも説明がしづらい何かを感じていたのである。 そんな何時もとは違う雰囲気の義頼に、本多正信が話し掛けた。
「どうなされました、殿」
「……いや、何か気になってな」
「観音寺ですか?」
「そうだ。 お前はどう思う?」
「……確かに全く連絡が無いというのは、おかしいです」
「やはりそうだよな……兎に角、俊好が帰ってくればはっきりするだろう」
すると、それから数日と経たないうちに、山中俊好が息せき切って戻って来る。 尋常とは言えない彼の様子を訝しがりながらも義頼は、観音寺城の様子を尋ねる。 だが、山中俊好から齎された報告に、義頼は自分の耳を疑ってしまった。
しかし、それも無理はないだろう。
何せ彼の口から出た言葉は、観音寺城の乗っ取りだったからである。 流石に、詳しい事情を調べている時間が無かったらしい。 しかし山中俊好は、それでも出来うる限り情報を集めたのだ。
その結果分かったのが、義昭の上洛に協力する事に反対した六角一部重臣による蜂起である。 旗印から兵を挙げたのは、永田賢弘や楢崎賢道、三上恒安らであった。
「馬鹿な! 納得していたではないか!!」
「どうやら、納得をしていなかった様です。 また確実ではありませんが、反旗を翻した者達の後ろに三好家の影が見え隠れしてるのではないかと」
「三好? 何でここに三好が出て来る!」
「どこで左馬頭様の上洛に反対した者達を知ったのかは分かりませんが、三好家重臣の手の者が彼らをあおったらしいとの噂があります。 ですが、まだ裏は取れてはいません。 引き続き調べさせてはいますが……」
「三好の重臣!?……そんな話しは聞いていな……」
その時、あまりの事に義頼の頭から抜けていた事が思い出された。 そう、兄と二人の甥の事である。 万が一にも彼らが蜂起した者達の手に落ちると厄介な話となる。 恐らく、自らの正当性を表す為に六角宗家の者を神輿として表に出すのは間違いないからだ。
「兄上は! 高定は! 義治は如何した!!」
「はっ。 それがその……行方が分からないのです」
「行方知れずだとっ!? まさか捕まっているというのか!」
「それについてはまだ何と「殿っ!」も……」
言葉を続けようとした山中俊好であったが、その言葉は新たに現れた男によって遮られる。 意図した訳ではないが、結果として彼の言葉を遮る形となったのは、蒲生頼秀であった。 その彼が、部屋の外から義頼へ声を掛けている。 眉を顰めながらも襖を空けると、彼は要件を聞く。 すると蒲生頼秀が放った言葉は、義頼に嬉しい知らせを届けるものものであった。
「御屋形様と右衛門督(六角義治)様、承禎様が参られております!」
『何っ!?』
蒲生頼秀から報告を受けた義頼は、急いで落ち延びて来たのであろう三人が通された部屋に入る。 果たしてそこには六角高定と六角承禎、それから六角義治が居た。 大分肌や衣服が薄汚れたりしている様だが、彼ら三人に目立った傷は見当たらない。 その事に安心しつつも義頼は、彼が抱える医者に三人を診察をさせた。
その結果は、取り分けて問題はないと言っていい。 弱冠だが衰弱のきらいもあるが、それも確りと栄養を取り休めば問題なく回復する程度のものであった。
「皆が無事で良かった」
「どうやら心配掛けた様だな、義頼」
「兄上、無事ならば良いのです。 しかし、観音寺城で何が起きたのですか」
「謀反の話は聞いたか?」
「はい。 高定より連絡が無いので、俊好に繋ぎを取らせました」
「そうか。 ならば話そう」
話は、和田惟政が佐和山城に居る織田信長の使者として観音寺城を訪れる十日ほど前まで遡る。
実はこの日、観音寺城を訪れた者がいたのだ。 その者とは、三好三人衆と篠原長房の密使であった。 その密使の話は、足利義昭の上洛阻止の協力要請である。 だが既に六角家は、足利義昭への協力を決めている。 だからこそ二人は、これを拒否した。
すると密使はあっさりと帰ったので、二人はこれで話は終わりだと思い安堵する。 その為、六角高定と六角承禎は三好家からの密使について義頼へ連絡を入れなかったのだ。 しかしその三好家からの密使は、すぐに帰った訳ではない。 六角高定と六角承禎の前から辞した後で彼は、密かに六角家内に居た織田家との同盟反対派に接触したのだ。
そもそも反対派は、少数であった為に時勢非ずと自らの主張を引っ込めたのだが三好家の協力が得られるのならば別である。 彼の家は最盛期よりは力が落ちたとはいえ、まだまだ畿内に置いて絶対的とも言える力を有しているのだ。
この様な三好家の後ろ盾を得た彼らは勢いづき、己れらの主張を通す為に蜂起と言う非常手段に打って出る事を決断したのだ。
そして彼ら反対派は、足利義昭と織田信長の使者である和田惟政が観音寺城に到着した正にこの時、計画を実行に移したのである。 その目論みは成功し、観音寺城は反対派によって掌握されてしまった。
まさかの事態であった訳だが、足利義昭と織田信長の使者である和田惟政は蜂起の混乱に乗じてからくも観音寺城から脱出に成功している。 そして六角高定と六角承禎だが、使者を迎える警護の為に観音寺城に居た望月吉棟以下甲賀衆の助力ににより彼らもまたかろうじて彼らの手から逃げ遂せる事に成功した。
そんな二人が逃げたのは、石馬寺方面である。 これは、六角承禎の考えがあっての事だった。
「父上。 何故、石馬寺方面なのですか?」
「義治を連れ出す為だ。 あ奴とて六角宗家の者、蜂起した者達にとって神輿としては十分だろう」
その後、石馬寺に到着した六角高定一行は、六角義治と合流するとその足で観音寺城から落ち延びたのであった。
なお六角家に反旗を翻し蜂起した反対派重臣達だが、仕方無く観音寺城に籠っている。 更に言えば和田惟政も逃し、六角宗家三人のうちで誰一人も確保出来なかった現状に置いては他に手が無かったのだ。
その一方で観音寺城より逃げ遂せた六角高定達であるが、彼らは甲賀衆の案内で長光寺城へ向かう。 蜂起した織田家との同盟に反対派の目を欺く為に大きく迂回したので、彼らの到着までに数日掛かってしまったのである。 そして今頃になって、漸く六角高定達が長光寺城に到着したのはその為であった。
ご一読いただきありがとうございました。




