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虫食いメランコリー  作者: 佐川時計
五章「彼女たちによる非行と飛行(前)」
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04.0


 … … …


 相変わらずぶつ切りの言葉で、彼女は彼女自身を語った。


 前の学校でも私はいじめられていた。

 学校へ行けば、机に彫刻刀で落書きをされ、椅子に画びょうを貼りつけられ、チョークの粉をかけられ、バスケットボールの的にされ、足払いをかけられ、らりあっとをされ、給食にゴキブリの死骸を入れられ、掃除中に汚れた水を浴びせられ、お気に入りの服にハサミを入れられ、靴を砂場に埋められ、公園の池に落とされた。私は学校が嫌いになった。

 家に帰れば、お父さんにぐーでお腹を殴られ、兄さんにちょきで目を突かれ、お母さんにぱーで顔をはたかれた。私は家族とじゃんけんが嫌いになった。

 でもそれよりも、何よりも、私は自分が嫌いになった。こんなにも皆から嫌われる自分のことが、自分でも嫌いになった。

 生まれつき白い髪も、かすれた声しか出ない喉も、握力の弱い手も、事故で弱くなった足の筋肉も、兄の目潰しで弱くなった視力も、私の持っているものの全てを呪った。

 ある時憂鬱な気分で家に帰ったら、お父さんとお母さんが離婚していた。私はお母さんに引き取られて、こっちに引っ越してきた。

 少しは何か変わるかも、って思ったけど、実際は周りが知らない人だらけになって、いじめがちょっと陰湿になっただけだった。吹奏楽部に入りたかったけど、お母さんにだめって言われちゃった。結局は何一つ変わらなかったし、変えられなかった。

 でも、嬉しいこともあった。

 田野さんが私のこと、助けてくれた。初めて誰かが味方になってくれた。それで私、ちょっとだけ幸せになれたんだ。

 でも田野さん、きっと私をかばったから、いじめられて不登校になっちゃった。それで私はまた、私のことを呪った。

 でも田野さんは、不登校になる前にひとつだけ教えてくれた。何か一つでも、琴平さんが明るく前向きになれるものを見つければいいって、そう言ってくれた。正直そんなもの、何も思いつかなかったけど、言われてから私は一生懸命それを探した。

 ひとつは、この屋上から見える空。あの高速が走る山の向こうに沈む夕日がとてもきれいだった。屋上鍵は、今年の頭に自殺した先輩からもらった。

 もうひとつは、久万くん。図書室で届かないところの本をとってくれたり、日直の仕事とか掃除とか、私の分までやってくれたり、他にも色々助けてくれたよね。

 私、とても嬉しかった。久万くんの姿が見たくて、学校に来るのが嫌じゃなくなった。

 今の私にとっては、このふたつだけが生き甲斐なんだよ。

 だから久万くん、ありがとう。


 違う。

 違う違う違う。

 違う、そんなんじゃない。

 僕も、元委員長、田野さんだって、そんなつもりじゃなかったんだ。

 田野さんが琴平さんを助けたのは、琴平さんのためじゃない、琴平さんを救うためじゃない。ただそうやっていじめられっ子を守る自分の姿に憧れただけなんだ。前向きになれるものなんていうのも、きっと彼女なりに、そう言っている自分に憧れていただけで、全部委員長らしくありたいという欲が彼女に行わせた、偽善なんだ。

 僕だってそうだ。色々助けてくれた、なんて彼女は言ったが、図書室と日直のことを含めても、僕が彼女を助けた回数なんて片手で数えられてしまいそうなくらいのはずだ。本棚の下で必死に手を伸ばす琴平さんがうざったくて見ていられなくなっただけで、日直の業務や掃除をよりにもよって琴平さんと一緒にやるなんてへどが出ると思っただけだ。

 それを彼女は、偉くいいように、自己中心的に解釈したらしい。周りから嫌われて当然だ、周囲から無視されて当然だ。

 やはりこの女は、今ここで死ぬのが何よりの幸せなのではないか。

 フェンスの向こうの足場はほんの三十センチ程度しかない。今ここでフェンス越しにでも彼女を強く押せば、彼女はそのまま下へ転落するだろう。彼女の握力だ、すぐにフェンスにしがみつくことは難しいはずだ。

 そうだ、僕はきっとそのために琴平さんの呼び出しに応え、そのために屋上まで来た。

 残念だけど、そういうことだから琴平さん、僕が今すぐに殺してやる。僕が今すぐに楽にしてやる。僕が今すぐに、

「久万、くん?」

 そこで僕は、自分が屋上の床に膝をついていることに気付いた。

 我に返ったとたんに、頭頂部と下あごの辺りから同時に強く殴られたような痺れが広がり、強烈なめまいと耳鳴りが僕を襲った。琴平さんを突き落とそうと伸ばした右手が、よろよろとフェンスにたどり着き、そのままぐったりと力を失う。

「だい、じょうぶ?」

 フェンスの向こうに突き出た僕の指に、琴平さんの指が触れる。

 彼女の指は酷く冷たかった。自分の身体が熱くなっているんじゃないかと思うほどに、ひやりとしていた。

「だ」

 僕は左手を床に就き、それを支えにして無理矢理立ち上がる。

「大丈夫だ、問題ない。そんな事よりも、続きを聴かせてくれよ琴平さん。僕に助けて欲しい、っていうのは、どういうことなんだ」

 四肢の震えを意思だけでどうにか押さえつけて、平静を装う。

 そんな僕の姿は、琴平さんの目には明らかに異常に映っただろう。しかし彼女は、僕に対してその先の言葉を紡いでくれた。


 いつも、いじめられると胸が苦しくなる。肺が締め付けられて、息ができなくなる。心臓が押しつぶされそうで、でも内側から破裂しそうな、そんな感覚を毎回味わってきた。

 家に帰って、お父さんやお母さん、兄さんにいじめられた時もそうだった。喉の上から気管を直接握りしめられるようだった。

 でも、もっと苦しくなる時がある。

 久万くんのことを考えた時、久万くんを見ている時、久万くんに優しくしてもらった時。

 気がつくと息ができなくなってる。いつの間にか、自分で息をするのを忘れてる。

 いつも、幸せなんだ。この苦しみになら溺れて死んでもいいって、そんな風に考えてた。

 助けて。

 この苦しさから、私を助けて。


 僕を想うと、僕を見ると、欲しくなるから、欲しい物が手に入らないから、彼女は苦しい思いをしている。きっと、そういうことなのだろう。僕はそういう人間を、他にも知っている。

 そして、おそらくこの後彼女が口にする台詞も、僕は知っている。

 僕はそれを彼女に、琴平さんに言わせるわけにはいかない。というか、僕が琴平さんからそれを言われてはならない。

 それこそ彼女を今すぐにここから突き落としてでも、口を封じるべきだ。

 いや、封じるべきだったのかもしれない。封じるべきだったのだ。

 今この瞬間の僕には、そこまで考える頭はあっても、それに着いてくる身体がなかった。身体を、自由を何者かに奪われていた。

「久万、くん」

 琴平さんは、涙を流しながら、微笑みながら、口を開いた。

「好き、です。私と、付き、合って、下さい」

 彼女の冷たい指が、フェンスの向こうから僕の掌にそっと触れた。

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