夜の訪れ。
「──あ! ギルバート様!」
数分ほど走ったところに仲間達は居た。あまり離れていなくて良かった。
エルは恐らく何の気なしに振り返ったのだろうが、ちょうどそのとき目が合って、彼女がわずかに笑顔になったのを俺は確かに見た。しかしすぐに気まずそうに視線を外してわずかにうつむき加減になり、どうも調子が狂ってしまう。
俺が何かしただろうか? 直接何か意地悪をした記憶はないが……。
「遅かったな。何してたンだ?」
「いや、何ってほどじゃない。ちょっとした忘れ物だ」
うっかりしてンな、と小馬鹿にしてくるイグニスは相手にしない。忘れ物じゃないってことは分かってるだろうに。
「まぁそんなことはよろしいでしょう? それより、確かこの先……三十分ほど進んだところに、ちょうど休める広場のような場所があったはずです」
アーサーは記憶を辿るように斜め上を見た。顔を曇らせながらわずかに首をかしげたので、あまり自信はないらしい。彼は肯定するときも首を斜めに動かすことがあるから判断が難しい。表情や前後の言動も踏まえて、肯定なのか疑問や否定なのかを見極めなければならない。面倒な男だ。
「あぁ、確かにそんなような場所があったな。草だらけでちっとばかし居心地は悪いが、椅子とテーブルなんかもあった気がする。よく知ってンな、アーサー」
「えぇ、まぁ……経験が豊富なもので」
「若いのにすげェなぁ」
あっさりした感想だな。二十歳そこそこのオルディネ出身の奴がミナーヴァについて詳しく知ってるんだから、もうちょっと訝しく思ってもいいくらいだろ。経験豊富って言葉だけで納得しすぎだ。
ややしばらく歩いて二人の言う広場に着いた。
「ここか」
「うーん、虫がたくさん寄ってきそうな感じですね……。私はちょっと………嫌かも……」
林の中で舗装された道に接するように凹んで設置されている、遠くからでは分かりづらい広場。四人ほどが向かい合って座れるテーブルと椅子が二セットずつあり、辺りを囲うように生えている木が適度に影を作ってくれて過ごしやすそうではある。ただ手入れがなされていないのか、かなり草が生えていて見るからに歩きづらそうだった。
草さえどうにかなれば最高なんだがな……。
ちらり、とアーサーを見ると、視線に気付いた彼が二度見三度見をして「私ですか」と言った。
「そりゃあ頼りになるのはお前しか居ないだろう、アーサー?」
「いいでしょう、私はそれなりに器用ですからね」
そう言ったアーサーは軽やかに手を横に払う。その動作によって風が刃のように吹き、生え散らかる草を鋭く切って寝かしていく。本当に器用に椅子やテーブルを避けて風が移動していき、見る見るうちにすっかり草は柔らかい絨毯のように敷き詰められた。
「──まぁ、こんなものでしょう」
「すごーい! ふかふか!」
あれほど生い茂っていた足場はもう見る影もない。さすがだと手を叩いて功労者に目を向けると、アーサーは『当然ですがね』と言いたそうな自慢げな顔をしていた。
「パンは俺が持ってるから、木の実とか……まぁ肉とか、何かしら取ってこようぜ」
「じゃあアーサーとリッキィは座って待っててくれ。俺達で適当に探してくる。シリウスも留守番だ。リッキィのこと頼んだぞ」
「まかせろ!」
俺がアーサーにそう話している間にイグニスは一人でさっさと木々の隙間へ消えてしまった。この辺りは凶暴なモンスターも少ないしそれほどの危険もないだろうが、俺とエルは一緒に探しに行くことにする。手頃なモンスターが居てくれれば肉を確保できるんだが……。
食べられそうな木の実をもいで、見つけた兎を捕まえたり、そうしているうちにそれなりに食料も調達できたから戻ろうか、と話をした。その道中、エルはずいぶん笑顔になっていた。
「大勢で過ごすと楽しいですね! 私は一人で居ることが多かったので、こうやって誰かと喋ることも少なくて」
「それはそれで楽じゃないか? まぁ……少し寂しいかもしれないが」
俺は毎日がアーサーと二人きりだったから話題がなくて困った。職場でも一緒だったしそりゃ話題なんかあるわけないよな。それに、アーサーは無言の間があっても気になるような関係でもなかった。だから無理して喋ることもないだろう、と黙って過ごしていた。それは向こうも同じようだし、お互いに用事があれば遠慮なく話ができる。十分だ。
「確かに寂しいですね……でももう慣れましたから」
眉を下げて微かに笑うエルは悲しげだった。一人が嫌なら慣れる必要なんてない。そばに居てくれる人間は必ず居る。だが彼女は、一人で居ることに慣れるしかなかったんだろう。
「これからは俺達が居るから寂しくないだろう?」
「え?」
「いや、悪い。男ばかりだからな……むしろ嫌か」
戸惑ったようなエルの表情を見て余計なことを言ったと若干後悔した。今共に旅をしているのも、リッキィのことを考えて半ば無理矢理ついてきてもらってるようなものだ。本来なら男が三人も居る中に一人で混じるのは嫌だろう。
一人くらい女性が居ればまた違うんだろうが……仲間になってくれそうな女性の知り合いは居ないな……。
「いえ……嫌なんてことは! 皆さんこそ私のことが嫌なはずでしょう。それでも一緒に居てくれるなんて……」
否定的な言葉を続けるエルに俺は首を振った。
「アーサーはどうも納得してないようだが、イグニスは嫌がってないと思う。あの『世界の中心は俺!』って感じの奴が、嫌いな奴と四六時中顔を合わせるなんて無理だと思わないか? エルのことが嫌なら最初からこうして旅なんかしてない」
イグニスも大人だから多少の嫌なことは我慢するはずだ。だが嫌いな奴はとことん駄目なタイプだろう。イージス騎士団長なんか名前を出しただけで怒鳴るほどだからな。まぁ彼の場合は双子の兄弟で、どうやらそれなりの事情があるようだし……あくまでも偏見に過ぎないが。
とは言え、イグニスはエルの見た目について「魔女そのもの」だと触れている。それでも気にした様子がないということは、やはりそれは大した問題ではないということだと思う。
アーサーだってあれこれ文句は言うが最後に折れるのは大抵アイツだ。どうしても譲れないことがあればてこでも動かない奴だからな、口出ししないのは許容範囲、ということだ。
気にすることなんかないのにな……。
「ふふっ、確かに。イグニスさんはきっとそうですね。言いたいことははっきり言ってくれるし」
「そうだろ?」
だから気にする必要はない。くよくよしてても辛くなるだけだ。
「……あ、この木の実は甘くて美味いぞ。沢山あるから一つ食べてみろ」
「え、本当ですか! やった!」
赤く実った艶やかな木の実。一口で食べられるほど小さく苺に似ている。だが苺とは違って表面に種はついてはおらず、あの集合体が気持ち悪くなることもない。
エルはそれをもぎ取って軽く磨き、ぱくりと口に含む。
「美味しい! これいっぱい取って……」
と、言葉が止まる。
「エル?」
「ぅ……おぇっ……、ぅぅ……」
突然膝をつき口元を押さえてうずくまってしまったエル。持っていた木の実はばらばらに転がった。
その目は血走り涙を溜め、途切れ途切れの浅く短い呼吸を繰り返し、一瞬落ち着いたかと思えば嘔吐いて体を震わせた。
「エル! どうした、吐きそうか!?」
「ぅえっ……夜、……ぅうっ……」
「夜? 夜が……どうしたんだ?」
呼吸、嘔吐き、呼吸。そして思い出したように『夜』と呟いては嘔吐く。何のことだか分からなくて、俺はただその小さな背中をさすってやることしかできない。
それが功を奏したのかは分からないが震えは少なくなっていった。それでも彼女の異常は一向に治まらない。タイミングは合うが、赤く実った木の実のせいだとはとても思えない。
不意にエルが顔を上げた。彼女は、横に膝を着く俺の目をじっと見て口を開く。
「夜の、訪れ……、たのしい、宴。呪いの紅茶……ひとくち……いかが?」
その目は俺を映しているのに俺を見てはいない。どこか虚ろで、俺の先にいる何かを見ているような遠い目だった。あるいは、誰かに言わされているような……。
「ジャック・オ・ランタン、っ……さようなら……、お詫びはお菓子と魔法を、召し上がれ」
「エル、どうしたんだ……しっかりしろ」
「遠慮はしないで、頂戴な。わ……私、わたし、は……全てを、ぁ、──」
「エルシェーベトッ!!」
思わず怒鳴ると、彼女はびくりと大きく肩を震わせてパチパチと何度か瞬きをした。玉のような涙が頬を伝ってぽたぽたこぼれた。
「……昼飯も食ってないのに、もう夜のことを考えてるのか。ちょっと気が早いぜ」
「昼……? 夜、夜が来て……私は……」
「夜はまだだ。明るいだろ?」
まだ混乱しているエルを落ち着かせるように手を握って、背中をゆっくりさする。呼吸はようやく深くなり、涙は乾いて跡を残した。目は……光が戻ってきたな。確かに俺を映して、俺と話をしている。
「怒鳴って悪い……大丈夫か?」
「ぅ……は、い……なんとか……。ごめんなさい……」
「いや、気にするな」
日陰に座らせて、俺は散らばった食料を拾い集めた。多少汚れたが、まぁ元々外にあったものだから軽く洗えば食えるようにはなるだろ。問題ない。
「さっき嘔吐いていただろう? 無理に動くのは良くない。もう少し休んでいこう」
エルは弱々しく頷き小さく息を吐いた。しばらくそうやって微かな風に当たりながら休んでいたが、その沈黙を破ったのは俺だ。
どうしても聞かずにはいられなかった。「急にどうして、あんなことになったんだ?」と。エルは言葉を選ぶようにゆっくり、ゆっくりと話し始めた。
「なんだか、頭の中が真っ暗になって……無意識のうちに喋ってて……。実を言うと、似たようなことは何度かあったんです。なんとなく意識が遠くなる感覚というか……いつも、こんなに酷くはなかったですけど」
弱々しく笑い「だから平気です」と呟く。もう慣れているから、と。
……何年も悪夢を見続けている俺はよく分かる。それが当然のように起きるからって、平気になるわけじゃない。慣れようがどうしようが嫌なもんは嫌だし辛いもんは辛い。
「エルがそういうならいいが、無理する必要はない。また何か異変があれば……いや、大したことはできないが、介抱くらいならできるだろう」
「ありがとうございます。……ギルバートさんの手は大きいから、手を握ってくれるだけで、安心します」
先ほどの無理をしたような微笑みとは違う、普段の晴れやかな笑顔とも違う、柔らかい花のようなエルの笑みに……少しばかり照れくささを感じたものの、かろうじて「それは光栄だ」と返すことができた。
こんな無骨な汚らしい手でも構わないのならいくらでも握ってやれる。側に居れたらな。




