来訪した者
「では、御検討の程、宜しく御願いします。」
午前中のモデルルーム見学者は、今見送ったカップルで50組目だった。平日である事を考えると、まずまずの出足と言える‥。
受付嬢として雇った女子大生にも、バイト代相応の仕事を与える事が出来た。
「じゃあ、弁当と飲み物を用意してありますから、各自昼休みに入って下さい。」
責任者の僕は、バイトの4名と自社の担当者2名に指示を出した。
全員に弁当が行き渡ったのを確認した後、僕自身も簡易ベンチに腰を下ろして、昼食を取る事にした。とりあえず、手にしていたペットボトルの蓋を開け、温かい煎茶を一口啜った。なんとなくホッとしている自分が日本人である事を再認識する瞬間である。
懐からスマホを取り出すと、案の定、着信表示がされていた。
着信は全部で4件あった。1件は会社の上司から、1件は石橋さんから、そして2件は知らない同じ携帯電話からのものだった。
知らない携帯電話の主が誰なのか?気にはなったが、とりあえず、まずは上司へ電話した。
思った通り、「何か問題はないか?」などと部下を気にかけてる風な事を言ってきたが、来客状況がどんなあんばいか心配で電話してきたのは見え見えだった。人は良いのだが、何とも気の小さい人だ‥。僕が「なかなかの出足ですよ!」と報告すると、「そうか、そうか!」と感情を隠す事もなく、嬉しそうな声で応答してきた。こういう正直で分かり易い所は、人間っぽくて僕は意外と好きだった。
次に、石橋さんにかけようとしたが、その直前、画面上に[留守番電話に伝言有]の表示が出ている事に気づいた。
それで、先に伝言を聴いてみる事にした。その伝言が、知らない携帯電話の主からのものである可能性が高いと考えたからであった‥。
『伝言は‥1件です。‥‥9時35分‥』
お馴染みの音声ガイドに続いて、伝言が流れた。
『警視庁の松上です。今朝通報頂いた件で、お話を伺いたく電話させて頂きました。また、かけ直させて頂きます。』
内心、そうではないかと思ってはいた‥。
だが、思うのと実際に相手の言葉を聞くのでは全く違う。
ごく近い内に、自分が警察から事情聴取を受ける事になるというリアリティが、自分が想定していた以上に精神的に重くのし掛かってきた。
自分が何か犯罪を犯した訳ではないのだが、現場から立ち去ったという負い目と、世の中の大半の人が持っているであろう警察に対しての自己防衛本能が、僕を若干情緒不安定にしていた。
取り敢えず、石橋さんに状況説明をして貰おうと考えた僕が、スマホの電話マークをタップしようとした時だった‥。
二人の男が、会場入口の方からこちらに向かって歩いて来るのに気付いた。
一人は身長170㎝弱でチューリップハットの帽子にグレーのトレンチコート、一人は身長180㎝強で帽子は被らず黒のハーフコートという格好だった。
前者ががに股で肩を揺すりながら前傾姿勢で歩くのに対して、後者は背筋を伸ばして胸を張って真っすぐ歩き、こちらに近づいてくる。恐らくは50代と30代ってとこだろうか?少なくとも、販売物件を観に来るような組み合わせではなかった。
彼等は入口から一番近くにいたアルバイトに声を掛けた。そして一言二言会話した後、僕の方に向かって視線を送った。
近づいてくる。
彼等は僕に用があるという事らしい。
(刑事だ‥。)
僕は直感した。
僕の中に、緊張感が走った。
そして、やって来た二人の内の年輩者の方がまず口を開いた。
「渡辺直樹さんですね。」
「はい。」
「警視庁捜査一課の松上です。」
彼はそう言って警察手帳を見せた。初めて見たが、本物なのだろう。
「柏木です。」
続いてもう一人も手帳を見せ、名乗った。
彼等の肩越しに、後ろで先程声を掛けられたアルバイトを囲んで数人が会話しているのが見えた。
自分が警察の訪問を受けた事が、これから知れ渡るのだと理解し、少々憂鬱になった‥。
「今朝通報頂いた件で、お話を伺いたいのですが、いま大丈夫ですか?」
「はい、丁度昼休みに入った所なので‥構いませんが。」
「御協力、感謝します。」
松上という刑事は礼を述べた。
それから、一瞬後方をチラッと見た。
「あっ、良かったら事務所の中に場所を替えましょうか?」
僕が、申し出ると、
「助かります。」
そう言って頭をかいた。
事務所内のソファーに座ると、話を始めたのは柏木という若い刑事の方だった。
「渡辺さんもお仕事がおありでしょうし、単刀直入にこちらから幾つかの質問をさせてって貰ってもいいですか?」
「ええ、どうぞ。」
「まず、渡辺さんが死体を発見した時の状況なんですが‥。」
「やはり、あの方は亡くなっていたんですか?」
「ええ。ご存知ではなかったんですか?」
「正直、そうかなとは思ったんですが‥。」
「何故亡くなってると思われたのですか?」
「体を叩いても反応無かったですし、‥手を触ったら冷たかったので‥。」
「本当ですか?」
「本当です。」
「発見した時の、様子は?」
「半開きの助手席のドアから手がはみ出ていたんです。それで不信に思って中を覗くと、男性がうつ伏せに倒れていたんです。」
「うつ伏せで手が外にはみ出ていた。本当ですか?」
「本当です。」
どうやら「本当ですか?」というのは、この男の口癖らしい。いや、わざと言っているのかもしれない。いずれにしても、人を不快にさせる台詞には違いない。
その後も質問は続いた。
その中で知ったのだが、被害者は首を絞められて殺されていたとの事だった。
「何故、現場から立ち去ったのですか?」
「自分の職務への対応上、時間がなかったからです。」
「本当ですか?どんなですか?」
「この販売物件会場の入口のセキュリティキーを管理していたからです。」
「被害者とあなたは知り合いですか?」
「いえ、知人ではありません。」
「本当ですか?」
「本当‥‥あっ、いえ。」
ここで、初めて答えを間違えた。そして、慌てて修正した。
「すいません。考えてみれば、僕は被害者の顔を見ていないから、知人かどうかなんて判るわけないんですよ。」
「なる程、うつ伏せの被害者を発見したと言ってましたよね。」
「ええ。」
僕が、そう答えると男はポケットから写真を取り出し、僕に見せた。
「こちらが被害者です。どうですか?」
僕は写真を凝視したが、その顔に見覚えはなかった‥。
「いえ、知らない人ですね。」
すると、男は更に別の写真を取り出した。
「では、こちらは如何でしょう?」
「‥‥あっ!」
僕は、その人物に会った事があった。
「知ってる人なんですね。」
「ええ‥。」
その写真は、先程と同一人物が制服姿をしているものだった。
その人物は、約3ヶ月前に僕が拾ったお金を交番に届けた時に、対応した警察官だった。