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第七話 変化×日常

 十月半ばのある日の放課後。クラスには喜怒哀楽の感情がうねりを上げて轟いていた。その様はまさしく阿鼻叫喚の地獄絵図。

「終わったぜ……。テストが返却まで終わったという意味と結果が終わっているという意味を掛け合わせたこの俺のセンス冴えわたる感想、これ如何に?」

「遼平の人生が終わった、という意味合いが抜けているから減点百点かな」

「厳し過ぎだろ……それに減点のはずなのに点数が0かよ……。そっか……俺の人生終わっちまったのか……」

「……元気出しなよ。冗談を真に受けられると僕の方が困るって」

 まぁ定期試験の結果が返ってきただけなのだけど。

 帰り支度を済ませて制鞄を持っている僕は自分の座席で机に突っ伏す遼平のテスト結果を手に取った。そして本気で引いた。

「……遼平、これは真面目にやばくないか? 人生はともかく高校生活が終わりそうだぞ。留年という形で」

「マジで心配するの止めてくれよ、悲しくなるじゃねぇか」

「いや僕が遼平に里見先輩と呼ばれるのが嫌なだけだよ」

「へっ、絶対にシュウ先輩としか呼んでやらねぇからな。覚悟しろよ」

「何の決意だ、それ」

 呆れながらぼやいていると、

「どうしたのよ?」

 急に背後から声を掛けられ、ひょいっと遼平のテスト結果が記載されているプリントを誰かに奪われた。誰か、といっても声で誰かは分かっていたので焦りはしない。

「遼平が進級の危機に瀕してるって話」

「……ねぇ、割とリアルにヤバい点数で引いてるんだけど」

「大丈夫だよ、清水さん。僕も引いたから」

 振り向くと、リアルな引き顔を浮かべている清水さんがじっとプリントを眺めていた。うん、その顔をしたくなる気持ちはよく分かる。できれば冗談で済ませるラインを弁えて欲しい。これは洒落になっていないので扱いに困る。

「ちなみに、清水さんはどうだった?」

「あたしはいつも通りよ」

「……君のいつも通りもけっこう不安要素があるんだけど?」

「そんな真面目に心配する顔止めてよね。あたしも遼平レベルって思われてるみたいじゃない」

 その通り、と言いたい気持ちをぐっと抑える。負けると分かっていて勝負を挑むほど僕は馬鹿ではない。

 清水さんは遼平のプリントを持ち主の机に置くと、背負っていたテニスバックを下ろしてその中から試験結果のプリントを引っ張り出した。

 ん、とプリントを差し出されたので、受け取って見てみる。

「普通に普通で驚きなんだけど」

 驚くことに、殆どの教科が平均点に迫っていた。文系科目が少し悪いだけで、赤点が一つもない。

「あのね、二年になってからはそれくらい取ってるわよ。……去年、散々な目に会ったから、ね」

「あれで懲りない人間がいるのなら脳味噌開いて見てみたいよ……」

 揃って遠い目をする僕と清水さん。何というか、その……本当に大変だったのだ。手伝ってもらう側も手伝う側も。

 あの時期は常に一緒にいて勉強に明け暮れていたのに僕と清水さんの間に一切浮わついた噂が流れなかったことからも、客観的に見ても僕ら二人がヤバかったことがよく分かる。浮ついた話が大好きな高校生といっても良識ある判断ができるのだ。

 その一方で遠慮がなかったりもするのだけど。そういう話題の渦中にいるとしみじみとそう思う。

 突っ伏したままだった遼平が「マジでヤバいよな、やっぱ……」と覇気のない声で呟いているのを聞き流していると、ふと後ろから肩を叩かれた。

 先ほど同様、誰かは予想できていたけど今度は声をかける前に振り返った。

 遠慮がちに僕の肩を叩いていたのは、やはり桜井さんだった。ブレザーを着ている桜井さんは大和撫子然とした容貌もあってか、ちょっと大人っぽい。

 まだ教室には大勢の生徒が残っているけど、あまり注目されることはない。いや、正確にはなくなったか。周りの視線を気にせずに話せるのだから悪い気はしない。

「どうしたの、桜井さん?」

「朱里ちゃんがこっちに来ていたので。それと、どうしたんですか? 比嘉くん、随分とお疲れの様子ですけど?」

「テスト結果を見て半端なく絶望してるだけ」

「……だけ、って表現が間違ている気がしますよ。そんなに悪かったんですか……?」

「僕と清水さんがドン引きしてジョークを挟めないレベル。桜井さんは見ない方がいいと思うよ。掛ける言葉思いつかないほど酷いから」

 僕の助言に桜井さんはあはは、と乾いた笑い声を零した。多分、彼女が結果を見たら、笑うことすらできなくなる。伸ばしかけていた手を引っ込めたのは賢明な判断だと言えよう。

「あっ、美沙樹。帰る準備できたの?」

 そこで横から清水さんが口を挟みながら物理的に体も挟んできた。テニスバックで僕を攻撃しつつ、桜井さんの隣に居場所を確保している。男子相手にも遠慮しない強気なその姿勢はさすがの一言だ。

 抱き付かれるほどの勢いで引っ付かれた桜井さんは嫌な顔を一つせず微笑を浮かべている。清水さんのような女子にも優しいその心意気はさすがの一言だ。

 そしてそんな二人のやり取りを見ながら、文句の一つも言わない僕。女子友達の友好関係を取り持つため、清水さんの行動を水に流してあげるその慈悲の心はさすがだと誰かに言ってほしい。よろしくお願いします。

「はい。お待たせしました」

「じゃあ行くわよ。今日を楽しみに勉強頑張ったんだしね」

「あれ? 二人で帰るの、今日は?」 

 試験開けからは部活動も練習とそして文化祭での出し物もあってか、忙しそうにしていたはずだ。今日だって清水さんはテニスバックを持ってきているし、てっきりテニス部の練習に行くと思っていた。

 ただそれだけなのに、

「なぁに修樹、美沙樹と帰れなくて寂しいの?」

「あ、朱里ちゃんっ?」

「……恩を仇で返されたような気分だよ」

 桜井さんの茶々で桜井さんが裏返った声を上げ、僕は呆れ声で返す。

「一人で帰るのだって楽しいから僕は大丈夫だよ。そういう意味じゃなくて、清水さんが部活に行かなくていいのか聞いたんだよ」

「なんだ、そーゆーこと? 今日は昼練に参加するためにラケット持ってきただけよ。放課後の練習はなし……っていうか、これから美沙樹と買い出しに行くのよ」

「買い出し?」

「テニス部で出し物をするのに必要な小道具を揃えるんですよね」

 首を捻る僕の隣から、桜井さんが確認するように補足説明を行ってくれた。

「まっ、去年と一緒の出し物だからちょっと補充するだけよ。そのついでにクレープも食べるってだけ」

「君の表情を見るに、そっちの方が本命な気がするんだけどね」

 この前まで夏にアイスを食べすぎたとか言っていたのに、舌の根の乾かぬ内にクレープに手を出すとは。

「秋の新作が出るんです」

「秋の新作ということは秋の味覚を使うということ。例えば秋刀魚とかかな?」

 咄嗟に昨日の夕食のメニューが頭に浮かんだ僕を誰が責められようか、いや、誰でも責められるらしい。

「……ごめん、冗談だから」

 清水さんが前傾姿勢で拳を腰溜めに構えているだけではなく、桜井さんまで非難の目を向けてきていたので、素直に謝ることに。うん、自分でもあり得ないとは思っていたんだ。それにこれから甘味を食べに行く女子に秋刀魚の話をするのは駄目だろうね。デリカシーが足りない。

「無難なのだと……栗とか?」

「初めからその発想をしてほしかったわ」

 呆れてはいる清水さんの反応から伺うに正解らしい。

 清水さんが床に置いていたテニスバックを背負い直す。んじゃーね、と実になおざりな別れの言葉を残して、彼女は教室の前側の扉に歩き出した。

 僕の隣に残ったままだった桜井さんがペコリ、と頭を下げる。

「今日は朱里ちゃんと一緒に帰るので、ごめんなさい」

 礼儀正しく謝罪する姿に、僕は苦笑を浮かべる。それほど申し訳なさそうにしてもらっては、此方としても困る。これまでの会話で分かっていることでもあるし。

「そんなに気にしなくていいよ。折角だから、楽しんできて」

「はい。それじゃあ、里見くん。また明日です」

「うん、また明日」

 軽く手を振ると、桜井さんは嬉しそうに顔を綻ばせてくれた。長い髪を揺らして翻る。そしてトタトタと小走りで清水さんの後を追うように教室を出ていった。

 こうして残されたのはむさ苦しくも、男子二人。まだ教室に残っている生徒も少ないから、凄く空しくなる絵だ。

「なぁ……シュウ」

「生きてたのか、遼平。どうした?」

 空気を読んでいたのか本当に動く気も失せていたのかは分からないけど、先ほどまで死体のように微動だにしなかった遼平がむくりと上体を起こした。そして、僕に懐疑的な目を向けている。

「本当に付き合ってねぇの?」

 放たれた問いはここ最近何度も聞いたことのあるものだ。隠さずに溜息を吐き、答える。

「付き合ってない。見れば分かるだろ」

「見た感じが付き合ってるから、俺だけじゃなくてみんなが同じような質問をするんだよ。普通、付き合ってもない高校生男女は約束して一緒に帰ったりしねぇって。説得力ねーよ」

「……」

 実に説得力のある言葉に、押し黙る。それもそうだ。付き合っている風に見えないのなら、そんな問いかけはしない。実にシンプルな着想だ。

 納得はしたくないので、眉を潜める。

「あの桜井さんと一緒にかれこれ半月も一緒に帰ってるんだぜ? 邪推されるに決まってる」

「試験前は彼女、清水さんと一緒に帰ってたよ」

「つーか、桜井さんが話し掛ける男子がシュウだけだろ。その時点で怪しい」

「どう考えても桜井さんがいきなり何人もの男子と仲良くなる方が不自然だよ。……とにかく、僕としては付き合ってないって言うしかない。それが事実だし」

 ちょっと苛ついているからか、かなり無理矢理に話を纏めて僕は教室を後にしようとする。どうせ遼平は部活がある。一人で帰るのだから、帰るタイミングは自分で選ぶべきだ。

 制鞄を片手で持ち、そそくさと歩き出す。我ながら情けない対応だとは思う。

 教室を出る直前、

「俺はなー、マジでシュウがそう思ってるなら気にしねぇんだぞ」

 軽い響きで、遼平がそんなことを言ったのが耳に届いた。

 返事はしなかった。

「何やってんだ、僕は……」  

 学校を出て駅に向かう道すがら、軽く自己嫌悪した僕は盛大に溜息を吐きだす。

 遼平が悪いのではない。むしろ、普段より刺々しい態度になっているのは僕だ。そんなこと、分かっている。

 そしてそうなっている理由まで分かっているのだから、性質が悪い。

 ――桜井さんから衝撃的な告白を受けてから、かれこれ二週間が経とうとしている。

 あれから一緒に帰るようになって、僕が桜井美沙樹という人間に持っていた印象はその大部分が間違っていることが分かった。

 意外とおっちょこちょいで、少し天然。

 少し突飛な考えをすることがあって、深く考えずにすぐに行動してしまう時がある。

 男子を毛嫌いしているのではなく、ただ男子とどう接していいのか分からないだけで時間を掛ければ普通に話せる。

 清楚で奥ゆかしい印象の佇まいを見せている時はたいてい考え事に集中しており、周りが見えなくなってしまう。

 慎ましやかな態度を取っているのに、けっこう負けず嫌い。

 甘い物には目がないようで、実に美味しそうに食べる――など、挙げればキリがない。

 それは多分、清水さんなどごく少数の人を除けば、そして間違いなく男子では僕しか知らないことだ。如何に男子が、そして僕が盲目だったかがよく分かる。勝手に勘違いして勝手に過大評価していたのだから、そんなイメージを押し付けられて人気を集める桜井さんからすればきっと迷惑ですらあるのかもしれない。

 そして本気で他人に嫌いなどというような人間でもない。それはむしろ彼女と一緒に行動するようになって、認識が強まった。付け加えるのなら、嫌いな相手と平然と一緒に帰れるような性格でもない。

 それなのに、彼女は僕に嫌いと告白した。一緒に昼食を食べようとした。一緒に帰りたいと言った。クラスメイトの男子で僕にだけ、素顔を晒す様な距離感で接している。

 それに対して僕は今、非情に身勝手で都合の良い解釈が脳裏を掠めている。彼女が話し掛けてくれる度に淡い期待を抱いてしまっている。

 まったく情けないことこの上ない。二週間も一緒に帰りながら、あの告白の事を訊ねるどころか、自分から話し掛ける事すらロクにしていないくせに。あくまで誰が相手でも同じような距離感で接することに拘っているくせに、彼女からの行動を期待しているのだ。

 そんな自分の矮小さにも呆れるけど、

「案外、僕も単純だよなぁ……」

 なんてことはない。

 桜井さんの新しい一面を知っておきながら、他の男子と一緒なのだ。 

 あの日、初めて無邪気な笑みを見せる桜井さんを見て、こんなことを考えているのだから。

「おにーちゃん!」

「おほーっ!」

「ひゃあ!?」

 そんな重要なことを考えている時に後ろから突撃を受けた僕が奇声を上げたことを誰が責められようか、いや責められまい、今度こそ。

 駅前の交差点で奇声を発した僕らに視線が集まる。くそ、何で桜井さんと一緒に帰っていない日まで注目を集めなくてはならんのだ。

 という恨みの視線を込めて僕は振り返りざまに不詳の妹、麻衣を睨んだ。すると麻衣も負けじとこちらを睨んでいた。ほほぅ、どうやら僕の過失であると言いたいようだ。

「お兄ちゃん、驚きすぎ!」

「ゴメンね、麻衣。一般常識を持っている平凡な高校生のお兄ちゃんは後ろから飛びつかれることに耐性がないんだ」

「まるでわたしが普通じゃないみたいな言い方止めてよねー」

「いや……久々に麻衣の制服姿を見たけど、それは多分、普通じゃない」

 明るく染めた茶髪を肩の少し下まで伸ばし、雑誌で見たことのあるようなファンシーな髪形に整えている。制服のスカートもちょっと信じられないくらい短くしており、兄としては心配するくらい素肌が露出している。左肩にかけているバックもこれまたお洒落なもので、そこに多種多様なアクセサリーを装着している。家との雰囲気が違うのでもしやと思ったけど、中学生なのに化粧までしているらしい。

 学校に行くだけなのに気合いを入れ過ぎだ。なんだ、学校では毎日ファッションモデルのように写真会でも実施しているのか。似合っているから誰の前に出しても恥ずかしくない自慢の妹だけど、それだけに変な輩にでも注目されないか心配だ。

「わたしの周りだとこれが普通ですー。せっかく女の子なんだから、お洒落しないと」

「あぁもう、麻衣の友好関係が心配だね。チャラい奴らとツルんだりしてないよな?」

「……ねぇ、お兄ちゃん。シスコンって知ってる?」

 素で心配したのにドン引きされた。こら、後退って距離を取るな。まるで僕がガチで危険な変態みたいじゃないか。

「なぁ麻衣、僕がシスコンならお前も十分ブラコンだと思うぞ」

 こうして過激なスキンシップを取ることが家族愛の表現として適切なら、だけど。

「分かってないなー。妹のブラコンはね、女子力として評価されることもあるの」

「……なるほど」

 確かに、兄のシスコンより世間体がよさそうなのは共感できた。反論のしようがない。

「それにほら、わたしは可愛いから」

「まぁ否定はしない。可愛いよ」

「でしょ? それに比べるとお兄ちゃんは…………んーっ、普通」

「そんなに溜めて言わなくても」

 なんで僕は妹に面と向かってこんなことを言われているのか、少し疑問だ。別にいいだろ、普通で。素晴らしいぞ、普通。駄目な所がないんだぞ、普通。良い所もあったりするかもしれないんだぞ、普通。

「で、麻衣はどうしてここにいるんだ?」 

 ようやく、突撃されてから気になっていた疑問を口にする。

 麻衣がこの駅前に遊びに来たのなら分かるけど、それなら制服ではなく私服だろう。僕が通っていた、そして麻衣が現在進行形で通っている地元の中学校では、放課後に制服のまま遊びに行くようなことは原則禁止にしていたはずだ。麻衣もそこは分別ある常識人。キチンと校則は守っていたはずだ。

「文化祭の実行委員になったんだ、わたし。で、備品の買い出し」

「こんな所までか?」

 行事好きな麻衣が実行委員になったことは不思議ではないけど、こんな場所まで手間を掛けずとも地元にそこそこの店ならあるだろうに。

「喫茶店をすることになって、折角だからエプロンみんなでお揃いの作ろうってなったの。で、ここの近くに親戚がその手の材料を取り揃えてる店を経営してる人がいるってことで、安くしてくれるからって見に来てたの」

「なん……だと……!?」

 理由を詳しく説明してくれた麻衣に戦慄する僕。今、この子はなんと言った。正気か心配だ。バイオテロを引き起こすつもりだとしか考えられない。

 そんな僕の驚愕の視線を向けられていたバイオ兵器製造個体こと我が妹は、実に冷ややかな目で僕を見ていた。

「中学生の出し物だよ? メニューはドリンクと既製品のお菓子くらいだけ。それにわたしは接客担当だもん」

「そ、そうか! そうだよな。いやぁー、麻衣なら宣伝やら客集めも兼ねて接客に回った方がいいよな! よっ、我が自慢の可愛い妹!」

「で、その心は?」

「お世話になった母校で死人が出るような事故が起きなくて一安心、一安心…………はっ!」

 しまった。つい調子に乗って遼平やらとのノリでバカ正直に答えてしまっている自分がいた。日々の習慣とはまっこと恐ろしきことよ。

 と後悔してももう遅い。毎日美味しい食事を家族に提供している母さんの血をたっぷりと受け継いでいるはずなのに、ワンダホォーな料理しか製造できないことは実はかなり気にしている、存外に繊細な乙女心をお持ちの麻衣は頬をパンパンに膨らましていた。

「ま、麻衣、その……仕方ないんだ。人には必ず得手不得手があってな……」

「それ、言い訳にすらなってないんだけど?」

「……麻衣、甘い物でも食べるか? 今日は僕が何でも奢ってあげるよ?」

「口での説得諦めるの早いよっ!」

「だってアレを食べた身としては、不幸な人が増えないことを素直に喜ぶしかないんだ……」

 何年前の事だろうか。材料不明、調理法不明、料理名不明、表現に適切な色、匂い不明という我が家のキッチンにある具材からは錬成不可能に思える料理が出てきたのは。僕と父さんの間で通称、ヘヴンズ・ゲートと呼ばれたそれは文字通り食した人間を天国へと連れて行ってくれる扉の役割を十全に果たしてくれた。……女子が家庭的かどうか気になるようになったのって、あれ以来な気がするなぁ。家庭的な女の子って、驚異的なほどに魅力的だよね。……ほんと、まったく困ったものだウチの妹は。

 話を強引に切り上げるべく麻衣の手を取って駅へと歩き出す。そんな僕に突き刺さる視線がビシバシ。どうやら非リア充である彼らからすれば「お兄ちゃん」と僕の事を呼ぶ麻衣ですら羨む対象として見れるようだ。羨ましいね。まぁ僕もリア充でない点は彼らとまったく同じなのだけど。……言ってて色々と情けなくなる台詞だ。ここ最近のことを考えると余計に。

「じゃあいつものファミレスでパフェがいい」

「りょーかい」

 しばらくすると不貞腐れながらも麻衣から要望が出された。

 麻衣もかなり甘い物に弱い。奢るというキーワードを僕が出したこともあってか、引っ張られている麻衣の顔にはもうお怒りの様子が見られなかった。

 いつものファミレスというのは地元にあるちょっと洒落た店の事で、家族で行くことがある店だ。

 お金に余裕があるとはいえ、あの店でパフェを一つ奢るのは今月の財布事情に響かないわけでもない。今月は他にも、母さんへの誕生日プレゼントを買ったりもしているからだ。

「そういえば秋の新作が出てるって聞いた気がするんだ。むぅ、栗かイチゴ、どっちにするか悩むー。お兄ちゃんはどれにするの?」

「僕は油のたっぶり乗った秋の味覚、秋刀魚のパフェでもあれば頼むかも」

「……お兄ちゃん?」

「というのは冗談で、僕はいいよ。甘い物は好きだけど、さすがにパフェ丸ごと一つ食べるのはちょっとね」

「じゃあ二つ頼もうよ」

「ごめん、僕の話聞いてた?」

「余ったりしたらわたしが食べるから大丈夫!」

「……それ、麻衣が二つとも食べたいだけじゃないか」

 でも、僕は予想外の出費が増えたことを嫌がりながらも、久々に妹とゆっくり話せる機会ができたことに喜んでいた。最近、学校で色々とまぁ忙しいこともあり、家族での時間を取ることが減っていた気がする。麻衣の方も実行委員をしていたからだろうけど忙しかったようだし、兄妹で偶にのんびりするのは悪くない。

「わたしが頼んだ方もお兄ちゃんにちょっとあげるから」

「ちょっとだけなんだね。……まぁいいよ。今日は麻衣のご要望を何なりと」

「やったー! お兄ちゃん、カッコいい!」

「はいはい、アリガトね。麻衣も可愛いよ」

 だって家族だから。

 家族との時間を大切にすることは何も間違っていない――はずなのだ。

 ――本当に付き合ってねぇの?

「どうしたの、お兄ちゃん。早く帰ろうよ?」

 ふと、今日の遼平との会話が頭によぎった僕は気付けば足を止めていた。

「……そうだね、帰ろっか」

 迷いを振り切るように僕は麻衣に引っ張られる形で歩を進めた。

 気持ちを切り替えるのに、少し時間がかかった。

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