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ゼロの世界  作者: 大塚 束紗
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最後のチャンスと誘拐

第四章 最後のチャンスと誘拐





「ゼロ、起きろ!」

 マスターの怒り声が突然聞こえてきた。その声で私は目をぱっと覚まして、辺りを見渡すと、そこはあの白いコンクリートで囲まれた私の部屋だった。私はシングルベットで跳ね上がるように起上がると、開けられていた扉の前にはマスターが立っていた。

マスターは眉間にしわを寄せながら私を見下すように見る。機嫌が悪いのは一目瞭然だ。

「お前には失望した・・・」

「え?」

 静かに言い放ったその言葉に何も答えることができない。

「昨日の失敗で今、組織が危機的状態に陥っているのは分かっているか?昨日の目標だったマリオが我々の組織の情報を警察に横流ししようとしている。それもこれもお前の失敗のせいでな」

 そのマスターの言ったことに私は昨日のことをはっと思い出す。昨日私は、目標を暗殺することができなかったのだ。それは初めての失敗だった。私は暗殺目標を百発百中で仕留めるようここで訓練されてきた。なのになぜだか昨日は作戦中ずっとトウヤのことが忘れることができなかった。その結果、任務を失敗してマスターの顔に泥を塗ってしまったのだ。

「あの、マスター、私は捨てられるのですか?」

 そう、上にこの組織に不必要だと判断された者はここにいる意味がない。そうやって消えていった者を私は何人も知っている。

 消される・・・。そう返ってくると思い込んでいたマスターの口からは、また違う答えが返ってくる。

「いや、お前にもう一度チャンスをやる」

 マスターがそう言うと、コートのポケットから一枚の写真を取り出して、私の目の前に差し出した。

「こいつを誘拐してこいとの上からの命令だ。この作戦でお前が今後、我々の組織に必要かどうか判断される」

 私は前に突き出された写真を見る。だがそこに映し出されていたのは

「トウヤ・・・」

 私はそう小さくつぶやいた。そこに映っていたのは間違いない、トウヤの姿だった。

「どうしたんだ、ゼロ?何か言いたそうな顔だな」

 唖然としている私の表情を見てマスターは言う。そう言われて私はすぐに我に返って写真から目をそらす。

「どうして、この子を誘拐するんですか?」

 本当は嫌だった。でもそんなことマスターに言えるはずがない。

「この子供、名前はトウヤ・ウローラ。昨日お前が仕留めそこなったターゲットの息子だ。上はこの子供をどうやらマリオを殺すための人質にしたいらしい」

 こんな時、マスターに何を言えばいいのだろう・・・?

「わかったな、これ以上失敗は許されない。これは命令だ」

 そうマスターは言うと、私の了解など必要ないというように私にそっと背を向けて扉の向こうへと出て行く。マスターが出ていくとすぐに鉄の扉は音を立てて閉まった。

 私は、これからどうしたらいいのだろう・・・。

 そんな疑問を宙に問いかけてみたがもちろん返事は返ってくるはずもない。





『作戦は、分かっているだろうな、ゼロ』

「はい、マスター」

 耳に着けていた小型の無線からマスターの声が聞こえてきた。それに呼応するように私は返事を返す。

 室内が妙に埃っぽい。それは当たり前だ。ここは街にあるビジネスホテルの使われていない物置部屋だ。そこに私はマスターが言う作戦通りにここの従業員の制服を奪い、この部屋に身をひそめていた。従業員の男はというと、ロープで縛って今はこの部屋の奥底に眠らせている。たぶんすぐに発見されることはまずない。

 もう一度、チャンスをやろう・・・というマスターが今朝言った言葉が頭によみがえってきた。

 この任務を失敗したら、私は消されるのだろう。そうなってしまったら今まで、何のために生きてきたのかが分からなくなってしまう。そういう今も、この世界に必要とされていないと感じる今も、何のために生きているのかが分からない。そんなの当たり前だ。今まで誰も教えてくれなかったのだから。そもそも誰かに教えてもらおうなんて言うのも間違っているのかもしれないけど。

 そんなことを考えながら私は、サイレンサーを装着した拳銃を、制服の内ポケットにしまった。

 生きる意味、そんなの誰にもわからない。でも、今はまだこの世界にいたいからマスターの命令に従うしかない。

 そう私は自分に言い聞かせるように自分の胸に手を置いた。自分の心臓の鼓動を感じるように。

『ゼロ、目標の社長の息子、トウヤ・ウローラはホテルの最上階のスイートルームにいる。情報通り、父親の方は民間会社から雇った用心棒を何人もつけているようだ。だが、息子の方は三人、しかも部屋の前で待機している。その三人に気づかれずに中に入ることができればこっちのものだ。いいかゼロ、こちらがマリオの息子を誘拐に成功すれば、向こうに大きな影響を与えることができる。だが、もし失敗すれば奴は裁判で発言し我々はさらなる脅威へと突き落とされる。失敗は許されない』

 マスターは念を押すようにそういうと私は

「もう失敗なんかしません」

とそうつぶやいて、埃っぽいこの部屋の扉を開けて出て行った。





 ガラガラとホテルの最上階の廊下で、料理が乗った白い台車を押し目標の部屋へと向かった。その部屋の外には、マスターが言った通りに黒いスーツ姿で、サングラスをかけた男三人が仁王立ちしている。胸のふくらみはたぶん拳銃だろう。

「止まれ!」

 男に一人が部屋に近づく不審な人物の存在に気が付きそう叫んだ。

「何者だ?」

 私に対して警戒をする男たちに、私は従業員の帽子を深くかぶりなおして笑顔で言う。

「ルームサービスです。こちらのお食事をお持ちしました」

 もちろん笑顔なんてものは嘘っぱち過ぎない。でも大体の人はこれで騙される。

 そう言う私に男一人が近づいてきた。見た感じそれといって私を怪しいと思っているようには見えない。

「子供か?もしかしてここの従業員?」

 そう話しかけてくる用心棒の男。なるべく余計なことは聞かないでほしかった。でも私はまだ子供だからそう聞かれてもおかしくはないのかもしれない。

「はい、本来ならばこのような高級なお部屋には、当ホテルでは挨拶をかねて、ここのオーナーがサービスをさせていただくのですが、あいにく今日はホテルが満員でして、従業員がみな忙しく、私のような者が食事を運ばせていただきました」

 ふーん、という男の声が聞こえてくる。そんな話をしても興味がないという感じだ。

「念のため、その中身を調べさせてもらうがいいかな?」

「もちろんです」

 私はそう答えると、台車の上に乗っていた料理が調べられた。男一人は念入りに中身を調べるが、ほかの男二人はこちらの様子を見るが、私が子供ということもあってか特に気にもとめていない感じだった。

「よろしい、入りたまえ」

 検査の終わった男はそう言うと私は、はいっと答えて扉を開けて中に入った。そして外に誘拐を悟られないように完全に扉が閉じるのを待つ。ガチャリと扉が閉まるのが聞こえると私は部屋の中を見渡した。

 その部屋はさすがに高級スイートルームということだけあって広かった。部屋の中央には色彩豊かな大きなカーペットが引かれ、その上には派手なシャンデリアがつらされている。隅に置かれてあるベットも豪華な作りをしているが、一番目を引くのはそこから見える景色だった。扉と反対側の壁はコンクリートの壁ではなくすべてガラス張りにしてあり、外の夜景が一望できるようになっている。

 私がこの部屋に入ってきて、私の存在に気が付いた人物が一人いた。それはシャンデリアの下のカーペットで、無数のおもちゃを散らかして遊んでいた男の子だ。

「遅いよ、僕もうお腹ペコペコだよ?」

 そう言って、手に持っていた飛行機のおもちゃを床に置いて、私に振り返ったのはまぎれもないトウヤだった。

トウヤは早く料理が食べたいというように、料理が乗った台車まで近づいてきた。

「お待たせしましたお客様・・・」

 私はトウヤにそう言って見せた。さっきの男たちの前のように笑顔で言えている自信はない。私が言うと、トウヤの近づく足がふっと止まる。

「ねぇ、もしかしてあの時のお姉ちゃんじゃない?」

 やっぱり声でわかってしまったと思い、これ以上隠しても無駄だと思った私は深くかぶった従業員の帽子を取ってトウヤをそっと見た。

「あぁ、やっぱりあの時のお姉ちゃんだ!」

 トウヤはそういって、わぁーと言いながら無邪気に私のところまで来て、私のお腹あたりを両手で抱きしめる。

「ねぇ、どうして?どうして?なんでお姉ちゃんがここにいるの?もしかして遊びに来てくれたの?」

 あぁ、また会ってしまった。しかもこんな形で・・・。

「でも変だな~。外には僕を守るために怖いお兄さんたちが、誰も中に入らせないように見張っているのにな~。ねぇ、お姉ちゃんはどうやって中に入ってきたの?」

 トウヤ君。ごめんね、私はこの命令をどうしても成功させなければいけないの、だから・・・。

 私は不思議がっているトウヤの頭をなでながら言う。

「トウヤ君、私たちが初めて会った時、トウヤ君が私に言ったことを覚えてる?トウヤ君私のことを、国の秘密調査員でしょって言ったよね。その答えは実は正解なんだよ。トウヤ君は今、悪い奴らに捕まっているんだ。だから私が助けに来たんだよ?」

 嘘をついた・・・。心がじんじんと張り裂けそうなくらい痛くなるそんな嘘を。

「そうなの?じゃあ、外にいる人たちは、実は悪い人達なの?」

「・・・うん」

 私は小さくうなずいた。

「お姉ちゃんは、本当に正義の味方だったの?」

「うん、そうだよ。だからこれから、私と一緒に、安全な場所まで逃げよ」

 私がそう言うと、トウヤはまた不思議そうな顔をする。なんでだろう?と一瞬思ったがそれはトウヤが言った言葉ですぐに分かった。

「おねえちゃん?なんで、泣いてるの?」

 私の顔を見上げるトウヤの頬に一筋の涙がこぼれた。それは初めて流す涙。

 そんな時だった。この部屋の扉が激しく叩かれる。どうやらそれは外にいた用心棒の男たちだ。たぶん本物の料理を届けに来たホテルの従業員が来たのだろう。部屋の扉は三回激しく叩かれてガチャリと音を立てて勢いよく開く。そこから用心棒の男三人が、拳銃を持ちながら中に突入してきた。

「お前は誰だ!トウヤ様から離れろ!」

 男の一人が私たちに対して怒声をあげる。だけど私は男の言った言葉を無視するように拳銃を内ポケットから取り出して、そっとトウヤの頭に銃口を付けた。

「お姉ちゃん?」

 トウヤは少し驚いたように私に言う。

「ごめんねトウヤ君、少し、怖い思いさせるね」

 そんなトウヤに対して私は聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で言った。そして男たち三人に目線を向け、声を張り上げて叫ぶ。

「もし、あなたたちが一歩でも私に近づいたら、この子を殺す!」

 さっきまで涙がこぼれていたはずなのに、そんな気持ちはもうどこかに吹き飛んでしまった。

 さすがに、トウヤに拳銃を突きつけられた状態では、用心棒の男たちは手が出せないのか、自然と動揺した空気に変わりだした。

「やめろ、この状態がお前には理解できないのか!お前は完全に囲まれているんだぞ、おとなしくその子を離せ!」

 そう言った男一人が、拳銃を私に向けチャンスをうかがいながらこちらに歩み寄ってきた。何とか、私との距離を縮めたいらしい。けどそんなの私が許さない。

 私は拳銃の引き金に再び指を置いて、トウヤの頭に強く拳銃を突きつけた。

「もう一度言う、これ以上私に近づけばこの子を殺す!」

 男のチッという舌打ちが聞こえてきた。そして一番真ん中にいた、三人の中で一番私との距離が近い男が、何を思ったのか、私に向ける拳銃をそっとおろした。

「分かった、君の要求を聞こう。このまま私たちと睨み合いを続けるという訳にもいかないだろ?」

 この男は私を子供だと思ってなめているのかな?そう思うとふっと笑えてくる。

「私に要求なんて無いよ、ただ私は命令に従うだけ。そのための人を殺す機械なのだから・・・」

 感情がない笑いを最後にして見せたその時だった。部屋の明かりが突然と消え、激しい風が、壁一面に張られていたガラスに当たり、ゴトゴトゴトと音をあげた。

「なんだ!?」

とあたりをキョロキョロしだす男達。その後、少しの揺れがこの部屋を襲う。

 その正体は私だけが知っていた。ガラスに吹き荒れる風がだんだんと強くなり、それに耐えきれなくなったガラスは一斉に割れ、それと同時に一つの強い光と、すさまじい飛行音が中に入ってきた。

『ゼロ、こちらは配置についた』

 マスターの声が無線機から聞こえた。光の向こうに見えるもの、それは組織が作戦のために用意したヘリコプターだった。

「はい、目標は確保しました、やってください」

 私は無線越しにそういうと、トウヤを抑えつけるように頭を下げ体を床に伏せる。その瞬間に、マスターが乗っているヘリの先端に取り付けてあった一丁のガトリング砲が

ウイィィィィィ――ンッダダダダダッッ!!!

と音を立てて、炸裂し目の間の用心棒の男たちを皆殺しにしていく。目の前でさっきまで威勢の良いことを言っていた男たちは、次々と叫び声のようなものをあげながら、体に無数の穴を付けて、一人、また一人と、床に顔を付けて死んでいった。

 ヘリの掃射が終わったこの部屋は、男たちの血と穴が開いた壁とで無残な姿になってしまった。唯一、美しいと思えるのは、宙に散っているのが白い羽毛と粉々になった紙だ。さっきのガトリング砲の弾丸がベットにでもあたったのだろう、そこから飛び散った羽毛がヘリの光に反射し、雪のように私たちを包もうとしている。

『掃除が終わった、ゼロ、目標は無事か?』

「大丈夫です、回収してくださいマスター」

 私はそう言うと、トウヤに向けていた拳銃をそっと胸ポケットへとしまった。




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