表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゼロの世界  作者: 大塚 束紗
2/14

青空と友達の意味

二章 青空と友達の意味





 青空に浮かぶ白い霧のように風にあおられる雲が、私が座るコンクリートでできた階段から見上げると、瞳にふっと映りこんできた。高く細く立つ、何階建てか想像もつかない建物の隙間からは、青い空とともに太陽の光が多少だが差し込んでくる。

 寒い・・・。久しぶりに外に出て一番にそう思ったのがそれだった。季節はもう冬に入っているため、外の寒気が私の着ていた青緑色のコートからはみ出した手を凍えさせる。

 はぁ~。私は両手を口元で囲み、吐息を吹きかけてみた。

 コートを着てきて本当に良かったとその時実感した。そうでないとたぶん今頃私はここで、凍え死んでいるだろうなと思う。

 このコートはマスターにもらった物だ。前の任務のご褒美らしい。このコートを着てみて思ったことは、驚くぐらいに私にぴったりだったこと。たぶんマスターは私のことを何でも知っているのだなと思う。そう思うと少し気持ち悪く感じてくる。

 私にはこんな風に定期的に、組織から任務という形で暗殺命令が下される。私の課せられる任務のほとんどは人を殺すこと。それもそのはずだ。私はそのためにここにいるのだから。

 今日の私の任務はこの建物の高級ビジネスホテルの周辺の路地の見回り。今夜、私はここで、このホテルに滞在している資産家を殺すそうだ。それは黒く塗装されたワゴン車の中で、運転するマスターに言われたこと。

 私はこくりと首を縦に振ってマスターに合図をし、私の膝の上に置いていたヴァイオリンケースを握り車から降りた。ケースがずっしりと重い。今、私を誰もが見てヴァイオリンケースを持った普通の女の子に見えると思うだろう。たぶんヴァイオリンのコンクールがこの近くであって、そのコンクールに向かう途中なのだろうと、そう思うに違いない。

 だがもちろん、この持っているケースの中身には、そんなもの入っている訳がない。中に入っているのは銃。しかも分解されたスナイパーライフル。

 さて、どこの世界に銃を持ってコンクール会場に向かう女の子がいるのだろうか?そう思うと少しおかしくなる。

 ワゴン車から降りた私は目の前の、四車線の向こうに立つホテルを見上げた。あたりをキョロキョロさせマスターに言われた通り、下見を行う。マスターは私が車から降りると、二十分後また迎えに来ると言い残して車を走らせた。車をいつまでも停車させて、変に怪しまれないようにするためだと思う。危険は最小限まで減らす、それがマスターが私に今までに何度も言い続けてきた言葉だ。

 私はすぐに車線を渡ると、ホテルの建物の間の路地裏に入り、見回りをある程度終えた後、マスターの車がここに到着するまで、ホテルの裏口の扉に続く階段に腰を掛けていた。

 誰の気配も感じない。たぶん昼間からこんなところに来る人なんていないのだろう。たぶん来るとしたら、変り者か、うるさいところが嫌いな人。まぁ、私はそのどちらでもないような気がするけど・・・。

 ここからは路地裏の外の大通りからは少し距離がある。でもここからでも十分外の風景は見えた。

 少しの休息・・・。そう思うと私は任務のことなど忘れまた、空を見上げた。

 雲はいつも自由。どこにでも飛んで行ってしまう。

そんなことを考えていると

「ねぇ、おねえちゃん?」

と誰もいないと思っていた路地裏で、私は不意に声をかけられた。それは少年のような高く無邪気な声。

その声で私は空を見上げていた視線をもとに戻し、声がした方を驚くように見ると、私の目の前に立っていたのは、幼い男の子だった。

 男の子の鼻には目立つそばかすに、癖毛でふにゃふにゃとした茶色い髪の毛。その髪は肩までかかっていて、一目見ただけでは女の子だと思ってしまうくらいに、かわいらしい顔立ちをしていた。

 目の前の男の子の大きな瞳に見つめられた私は、何も答えることができない。それは、不意に話しかけられたということもあるが今ままで、私はマスター以外に声をかけられることなどなかったからだ。

「おねえちゃんは、なんでこんなところにいるの?」

 男の子の顔が私に接近してくる。私は何と答えていいか分からず、

「えっと・・・」

と曖昧な返事をして、その目の前の男の子から目線をそらした。人と話すのはやっぱり苦手だ。もともとマスターとだって、任務や訓練の時以外はあまり話すことはないのだから。

 すると男の子は私の足もとに置いてあった楽器ケースに気が付いたようで、ケースに指をさして私に笑顔で問いかける。

「おねえちゃんは、楽器を弾くことができるの?」

「これは・・・」

 そう男の子に言われた瞬間、私の表情が一瞬にして強張るのが分かった。

 これは違う。このケースの中には分解したスナイパーライフルが入っているの・・・。でもそんなこと、決して言えるはずがない。

 男の子は足元の楽器ケースに相当興味を持った様子で、そっと両手を伸ばし持ち上げよとするが、私は必死になってケースを奪う。

「これはだめ!」

 その瞬間、私でも信じられないくらい大きな声が出たと思った。その声に目の前の男の子は少し戸惑ったがすぐに表情は和ぐ。

「そんなに大切なものなの?」

私は男の子から目をそらしてこくりとうなずいた。顔が少し赤くなって、熱い。

「えっと・・・」

 我に返った私は何を言って良いのかが分からなくなり、すぐに少年から目線を離す。こういう時、どうすればいいのかな?そう思い、また私は言葉を探してみたが、全然頭の上に浮かんでこない。

 だが目の前の男の子は、そんな私のことを悟った様子で

「わかった。じゃあそのヴァイオリンには決して触らないね。でも、その代わりに僕と友達になってくれないかな?」

とニコッと微笑みながらそう言った。

 初めて耳にする言葉だった。友達って何?

「僕には友達がいないんだ。お父さんは学校なんか行っても意味ない、お前は我社の後継者としての勉強だけしていればいいって言われて、いつも僕には専門の先生が勉強を教えてくれるんだけど、まったく大人って勝手だよね。いつも自分の都合のいいことだけしか考えていなくってさ」

 目の前の男の子はそういうと、ほっぺをぷくーと膨らませて、腕組みをする。

「あなたは、どこかの社長の息子なの?」

「うん、これでもこの街一大きい会社の息子なんだよ?」

 男の子は両手を腰に当てて、自信満々といった表情で、ふんっと鼻息を吐いた。そんな男の子の様子を見た私は、おかしくなってクスッと笑い

「へぇ~」

と小さくつぶやいた。

「って言ってもお父さんとは、もう何日も会っていないんだ。仕事が忙しいみたい・・・」

 目の前の男の子は少し寂しそうに私にそう言う。

「ところで、おねえちゃんはこんなところで何をしているの?」

「私は・・・命令を待っているの」

「命令?」

「うん、命令・・・」

「あ、もしかしておねえちゃんはこの国の秘密調査員で、悪い奴らを銃でバンバンってやっつける正義の味方だったりして!」

 また私はおかしくなってクスッと片手を口元に当てて笑った。

「だったらいいね」

 私がそう言うと、目の前の男の子も笑い出したそんな時だった。

「トウヤお坊ちゃま?トウヤお坊ちゃまー?」

 老人のような声が車の大通りの方から聞こえてきた。その声に目の前の男の子が気が付くように振り返る。

「おねえちゃん、じいが呼んでるからもう行くね」

「うん・・・」

 男の子は私に微笑みながらそういうと、男の子を呼んだ大通りへと走り、途中で何かを思い出すと、少し行ったところで、足を止めて

「ねぇ、おねえちゃん。僕たちもう友達だよね?」

と声を張り上げて私に言う。

 これが友達?

 私は自分に疑問を無意識のうちに問いかけるが、答えは当分出てくる様子は無かった。だから私はとりあえず男の子の問いかけに軽くうなずくと、そんな私を見て男の子は満面の笑みになってまた私に笑顔で言った。

「おねえちゃん。僕、トウヤって言うんだ。じゃあまたね!」

 トウヤと言った男の子はそういうともう振り返ることなく、自分の声がする方へと走って行ってしまった。

「トウヤ・・・」

 私はさっき出会った少年の後姿を少年がいなくなってからも追い続けていた。そして名前を、トウヤという名前を忘れないように何度もつぶやいていた。どうやら私に今日初めての友達ができたみたいだ。そう思うと少し胸が熱くなった。

「どうかしたのか、ゼロ?」

 すると、不意に誰かに後ろから声をかけられた。それは聞き覚えのある男の低い声。私が振り向くとそこには巨体の黒い男、マスターが立っていた。

 私はゆっくりと立ち上がり、マスターのサングラスをじっと見る。

「・・・何でもないです」

 そう、私は言うと黙ってマスターは車の方へと歩き出した。その後ろを私はついて行く。





 黒いワゴン車の中、私は何も言わずに白く曇ったガラスをふいて、もう暗くなりかけている外の風景を見ていた。通りすぎる街の街灯が一斉に明かりを灯しだす。私たちが今通っている四車線の道路では大きな建物が並び、雑貨店や飲食店の光が通った妙に目立つ看板が、昼だった街を夜の街へと変えていく。

 すると私たちが乗っている車が、赤信号で止まった。斜め横の車のハンドルを握るマスターはブレーキを踏み、ゆっくりと停車させる。

 私の見ている歩道では、コートやジャンバーといった、厚着の服を着た何人もの人たちが、私の存在など見向きもしないで通り過ぎ去って行くのが見えた。もう季節は冬なのだ。

 きれいな肌色をした指先が冷たくなってしまった手をそっとコートの中にしまうと、私は口を開いた。

「マスター、友達ってなんですか?」

 さっき出会った男の子、トウヤに言われた言葉がずっと気になっていた。友達、それは私が今まで教わってこなかった言葉。

 私がそう問いかけると、マスターと車のミラー越しで一瞬目が合ったような気がした。目が合ったかと思うとマスターは私を見て深くため息をついてすぐにそらす。

「やはり何かあったのか?」

「はい、今日私に友達ができました・・・」

 私がそうつぶやくように言うとマスターは何も言わずに、青に変わった信号を見て、アクセルを踏んでいく。それにそって私の見ていた外の風景がまた流れを取り戻しどんどんと過ぎ去っていく。

 そして私とマスターとの間に少しの沈黙の時間が続いた。

「マスター?」

 私は何も話そうとしない彼に尋ねるようにミラーの奥に見えるマスターの顔を見ながらそう言う。

「友達など、お前には一切必要のないことだ。すぐに忘れなさい」

「でも・・・」

 マスターは自分が握っていたハンドルを片手で強く叩いた。

「もう一度言う。忘れなさい。そしてもう二度と考えるな」

 マスターの口調が強なる。こんなマスターを見るのは今までなかったことだ。私は怒鳴られてすぐに目線をガラスの外側へ戻すとマスターはそれ以上は何も言わなくなった。

 友達という意味を聞くのはまた今度にしよう。

 私はそう自分に言い聞かせて、マスターの怒声で震えだした腕を片手でそっと押さえつけた。





 白い吐息を、私は暗くなった空へと投げかけてみた。今夜は昼間ここに訪れた時のように快晴だ。いくつもある星の真ん中には手を伸ばせば届きそうなくらいの場所に、大きな満月が浮かんでいる。

 私は何も言わずに、私がいる廃墟の建物の屋上から大きな月に向かって手をそっと伸ばそうとしてみた。指先がないグローブをはめた手を月にかぶせるように見えるが当然駄目だった。やはり、こんな私の小さな腕じゃ大きな月には届くはずもないのだと思う。いやそんなこと考えても仕方がないのかもしれない。月はあんなにも遠く、そして私と違って美しく夜を照らすのだ。

私が外に出た時から思っていたことがある。やっぱりここに吹く風は冷たかった。廃墟の屋上に吹く風に文句を言っても仕方ないと思うが、でもマスターからもらったコートでは冬の夜の寒さを防ぐのには少々物足りない。マスターももう少しなにかもっと暖かいものをくれればいいのに。

そんなことを考えながら私は身体をぶるっと震わせると、片耳に取り付けた無線機からザァーという雑音が入り、それはすぐに人の声へと変わる。

『聞こえるかゼロ?』

 それはマスターの声。

「はい、マスター。しっかりと聞こえます」

 私がそうつぶやくとマスターはそうか、とうなずいて話を続ける。

『目標がもうすぐホテルから出てくる。スナイパーライフルのスコープで目標を確認しろ!』

「わかりました・・・」

 私はそう静かに返すと、建物の屋上の手すりに立てかけてあったスナイパーライフルを手に取った。その横には分解されていたスナイパーライフルが入っていたギターケースが蓋を開けて置いてある。

 身体を伏せながら廃墟の建物の目の前に立つ、ホテルの入り口をスコープで眺める。

 ホテルの前には三台の黒い車が並んでいる。その車の周辺には黒いスーツ姿のサングラスをかけた男が数人車を見張っているようだった。あれが、マスターが言っていた目標の用心棒だということが一目でわかる。

 するとまた、無線機からザァーという雑音が入ってきた。

『ゼロ、前にも説明をしたが。今回の我々の目標は資産家、マリオ・ウローラ。写真で見たように、六十代のいけすかない男だ。こいつは元々我々の組織の人間だったが、多額の金を持ち逃げし、そのあげく警察に組織の存在をすべて密告しようとしている。密告されれば、警察の調査が入り組織全体が危機的状況にさらされる。決して失敗は許されない』

 すると写真で見た頭の髪が全部白髪の、見た目は優しそうな男がホテルの自動ドアの前に立つのがスコープから見えた。隣にいる秘書らしき女と、なにかもめている様子だ。

「マスター、目標を捉えました。指示を待ちます・・・」

『了解だ。この任務はお前の手にかかっている。何発あれば目標を仕留めることができる?』

「一発で十分です・・・」

 私がそう言うとマスターは無線越しにふっと笑い

『期待しているぞ、ゼロ・・・』

と言って無線が切れた。

「期待している・・・」

 私はマスターに言われた言葉を白い吐息を吐きながら口に出した。

 期待している。私はその言葉を聞けて素直に嬉しいと感じた。私は何のためにこの世界に存在しているのだろう?前に一度そんなことを考えたことがある。マスターの命令に従って今まで数えきれない人を殺した。もう顔も名前も覚えていないその人たちの中には、たぶん悪人ばかりではなかったはずだ。きっといい人もいたのかもしれない。今日出会ったトウヤのように。


 ――おねえちゃんはこの国の秘密調査員で、悪い奴らを銃でバンバンってやっつける正義の味方だったりして!――


 トウヤのことを思い浮かべると、不意にトウヤが私に言った言葉が頭をよぎった。


――ねぇ、おねえちゃん。僕たちもう友達だよね?――


 私は、トウヤが言ってくれたような人間なんかじゃ決してない。この手を血で染めるようなただの人殺しだよ?

 これはあの時トウヤに言えなかった返事。でもこんなことを言ったらきっと、トウヤに嫌な顔された。たぶんその場で私に背を向けて、逃げられてしまっていたと思う。だからそんなこと、絶対言えるはずがない。トウヤは私の初めての友達なんだから・・・。

『ブゥー、ブゥー、ザァー!』

 するとまた無線に雑音交じりの音が聞こえだした。

『ゼロ?聞こえているのか、ゼロ』

 すぐにマスターの声がする。

『目標が建物から出てくる、奴は相当ご立腹のようだ。奴が建物から出てきた瞬間を狙え、この距離だ、お前なら簡単なはずだろ?』

 私は、はいっと答えて構えているスナイパーライフルのスコープを再び覗き込んだ。

 視界に映るのはホテルの入り口と、その前の三台の黒い車、それに背の高いサングラス姿の数人の男たち。

 スコープをホテルの入り口へとズームさせると、すぐに目標のマリオが出てきた。私はマリオをスコープでとらえると

『ゼロ今だ、マリオをやれ』

 無線のマスターと声とともにライフルの引き金を引いた。

 パキューンッ!!という一発の銃声が凍りつくような夜の空に響き渡った。音とともに装填していた空薬莢が飛び、ライフルの反動が私の身体へと伝わってくるのがじっくりと分かる。

 私のライフルから放った一発の弾丸は、軌道を目標の頭へと飛んでいく。そんなはずだった。だが、なぜかマリオの頭は吹き飛ぶことはせずに、弾はその肩を貫いた。

「狙撃!?」

 そう叫んだのが穴の開いた肩を抑えて痛そうに塞ぎ込んだマリオから聞こえてくるような気がした。

 いきなりの狙撃で、黒い服の用心棒たちは胸から慌てて銃を取り出してマリオを、スナイパーの視界外の、車の陰へと押し込もうとする。

『ゼロ、何をしている、もう一発だ!やれっ』

 マスターの声が聞こえる。

 私はすぐにスナイパーライフルのレバーを引き次の弾を装填すると、スコープで狙いを定め引き金を引く。

 パキューンッ!

 しかしその銃弾は車の陰に伏せるマリオの頭をかすりもしない。私が放つ二発目の弾はほぼ無意味だった。スナイパーライフルで狙っている距離がいくら短いとはいっても、視界にとらえている目標の姿が小さすぎる。

 二回も外してしまった・・・。

 その事実は、狙撃された当の本人達よりも私が一番驚いていた。次の弾を装填しようとするが、さすがに二発目の発砲で私が今いる位置が向こうにばれてしまったようだ。

 男はすぐに車にマリオを乗せて、車を発進させようとする。

 パキューンッ!!

 引き金を引き、次はマリオの乗っている車の席を狙ったが車のガラスが割れただけで、目標に当たったとは到底思えない。

 そして私が次の弾を装填するまでにはもう、マリオを乗せた車はスコープの視界から外れてしまった。

 失敗、その二文字が私の中に突如現れた。

『ゼロ、何をしているんだ!早くそこから逃げろ!』

 呆気にとられている私にマスターの怒りに満ちた叫び声が無線から聞こえてきた。

『早くしろ!奴らの追手がすぐ近くまで迫ってきているんだぞ!』

 その声にはっと我に返った私は、はいっと返事をして持っていたライフルを肩に背負ってマリオを狙った建物の屋上の反対側へと走り込み、端に来た瞬間に、腰に装着していたワイヤーを建物の手すりにひっかけた。

 そして私は身を外に乗り出して体の重心を下へと向ける。

 今、私はワイヤーにつるされた状態になっている。命綱はこの太いワイヤーただそれだけ。そして訓練通りに、取り付けられたワイヤーのストッパーを外すとビュウウゥ―ンという全身を高速で横切る風と共に、私の身体は地上へと下降した。

 一瞬で地上につくとさすがに体制を崩し、アスファルトの上に前のめりになるが必死で体を起き上がらせ、反対車線に止まっていたマスターの車まで走った。

 車の扉を開けて飛び込むように車の二台に入ると、前に乗っていたマスターはミラーで私が乗ったのを確認し、すぐに車のアクセルを思いっきり踏む。

 すぐに車は音を立てて発進し周りの景色が変わっていく。

 マスターは車を発進させるとすぐに、内胸ポケットからハンドルを握る方の片手で携帯を取り出して耳に当てた。

「俺だ、かなりまずい状況になった。応援を今すぐによこせ!いいな」

 要件だけを伝えたマスターは荒っぽく通話を切り、チッと舌打ちをする。

「あの・・・マスター?」

 自分の顔が相当強張りマスターに言ったのが分かった。こんな状況じゃ震えたような声しか出すことができない。

 マスターは私のそんな様子など見向きもせずに運転に集中しながら

「作戦は失敗だ、お前は黙ってろ」

と、強く私に怒鳴った。お前のせいで作戦が失敗したと言わんばかりなその言葉に、私の身体が一瞬で凍りつく。

 私はただ何も答えることはできなかった。まるで浮かんでくる言葉が全部かき消されてしまうようそんな気がしたからだ。私のせいで作戦が失敗したという事実はもう変わらない。今は自分を攻めることしかできなかった。

 あぁ、私はこんなにも無力なのか・・・。

 私は冷たいガラスに頬を当てて高速ですぎ去っていく街の明かりを見ながらそう思ったその時だった。

パァーン!

 私たちが走る車の後方で一発の銃声が放たれた。その銃弾は車のバックガラスに穴をあける。その音とともに車体が左右に強く揺れた。

 体制を崩した私は隣に倒れるようにして席に頭を打つ。

「くそっ、追手か、やけに早いな・・・」

 マスターはそういうとハンドルを握りなおしてアクセルを再び踏み車体を加速させる。

「ゼロ、追手の車両は何台だ?すぐに確認しろ!」

 不意にマスターに言われた私は、はいっと答えて窓ガラスを開き、後ろの顔を乗り出して後ろから迫る車体を見ようとするが

 パァーン!

 また発砲音が響きその弾は私の頬を軽くかすっただけだ。かすった場所は軽い切り傷のようになって中心から赤い血が流れ落ちた。

「馬鹿が!顔を乗り出しすぎるな!」

 すぐにマスターの怒声が聞こえてくる。はいっと私は返事を返して次は恐る恐る何台が追ってきているのかを見ようとするが、暗い中での車両のライトのせいで目を細める。

 後ろでは光るライトが二つ・・・。この時点で確実に一台は追ってきていることが分かる。あとはその車が何台あるかだけだ。

 私は目を細めると同時に目の上に掌を当ててみた。すると一瞬だが、私たちに迫る二つの光の横にもう二つのライトが現れる。

 決まりだ。

 私はそう確信すると窓から杉具に顔を引っ込めて、マスターの座る運転席へと体を乗り出す。

「マスター、追手は二台です、これからどうしますか?」

「二台だと、まぁいい、ゼロこれで奴らに応戦しろ!」

 そう言ったマスターは隣の席に立てかけてあったアサルトライフルを私に差し出してきた。だが急に出されたライフルを受け取るか私は少し困ってしまう。暗殺を失敗させた私にこのライフルをとる資格があるのだろうか。これで本当にマスターを守ることができるのだろうか。

 そう考えると全身の筋肉が勝手に震えだした。もう不安を思い浮かべることしかできない。

「ゼロ!早く取るんだ、時間がない」

 その時、追手の一台の車両が、私たちの乗っている車両の真横まで来て、思いっ切り体当たりをした。

 ガチャ―ンッ!!

 音を立てて車両が強い衝撃とともに真横に揺れて私はバランスを崩す。

「・・・クソッ」

 舌打ちをするようにマスターはそういうと、ライフルがその衝撃で私の足元へと落ちる。

 

―― 私は・・・本当にこれをとってもいいのだろうか?


 ライフルに伸ばす手の震えが止まらない。何度も願ってもそれは止まろうとはしない。

 

―― 今の私に、マスターを守ることができるのだろうか?

  キュイーン、ガシャーン!!

 再び車両が真横から体当たりをしてきた。社内が大きく揺れながら、マスターが握るハンドルに力が入る。

「ゼロ!俺の言うことを聞け!早くそのライフルを取るんだ!」

 マスターの叫び声。その声で私は、はっと我に返り転がっているライフルを手に取った。

「・・・はい」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ