Scene.1 ヤマトタケルノミコト
西暦2127年――
こんな日に限って雨だ。予報では、60%の確率で晴れだって言っていたのに。相変わらず、当てにならない。
勤務日初日だっていうのに、幸先の悪い自分にうんざりする。
ズン――何……この感覚。玄関で靴を履いていた私は、慌てて辺りを見渡した――
「きゃぁぁぁっ!」
悲鳴が聞こえた!? この声はお母さんっ!? 靴を脱ぎ捨て、急いでキッチンのドアを開ける――
「え、何!? 何これ、何なのよ、これ!?」
お母さんは宙に浮かび、足をジタバタされ、苦しんでいる。口からは泡が吹き出していた。
それを確認した瞬間、私はそれと目が合った。人の顔が3つくっついている、人の体をした何かと――
「……は、は、離しなさいよ! お母さんから手を離してっ!」
3つの口は不気味ににたりと笑った。
ドサッ――
隣の部屋で、何かが落ちる音がした。振り向いた私は、理解できなかった。もう1体それはいたからだ。
その足元に転がって動かなくなったお父さんを見て、私はやっと理解した。
「このっ! お母さんから離れろっ!」
振り抜いた拳は宙を舞い、私はその不気味な何かをすり抜けてしまった。その勢いで転んだ私の後ろで――
ドサリ――
白目を向いて泡まみれの口のお母さんが、ぴくりともしなくなっていた。
「……い、嫌」
私は頭を両手で抱え、首を横に振る。認めたくなかった。不気味な何かは、いつの間にかスッと消えていた。
「嫌……」
バタンと無理やり扉が開かれると救護AIドローンが4台、部屋に当たり前のように入って来た。
『生態反応なし……処置不要』
「え、待ってっ!」
私の静止はAIたちには届かなかった。
「嫌ぁぁぁっ!」
◇◇◇
何で大事な日に限って雨なんだろう。予報では、70%の確率で晴れだって言っていたのに。本当に、当てにならない。
初出動だっていうのに、相変わらず幸先の悪い自分にうんざりする。
一瞬、身体が重く感じる。入った。近くにいる。腰を落とし、ゆっくりと静かに歩みを進める。
少し先に、小さな少年の姿がある。彼は私に気付いたようで、こっちに来いと手を振っている。小走りに近づく。
「姉ちゃん、遅いやんか。もう始まっとるで」
彼の視線の先を見ると、袋小路へお札を投げる女性の姿があった。そして、彼女のお札が当たった存在が悲鳴を上げる。
「憑かれたんは、中島由美。一般人や。大方、気のせいやっちゅって、ほっといたんやろな」
少年が丁寧に解説してくれる。そして、彼はそこから走り込み、ポケットからパチンコを取り出すと、中島という女性から生まれている大きな霊体に向けて放った。
『ぎぃやぁぁぁっ!』
その一撃は、霊体を引き剥がす。浮かび上がったそれは、恨みを語る。
『なんで……なんで……僕を捨てた……』
次の瞬間、霊体に斜めの大きな空白が生じる。そして、霧散した。重かった空気が軽くなる。霊障が消えたことを意味していた。
1人の若い女性が、中島さんの額に手を当て確認する。
「ダ、ダメです。霊門が壊されています」
「ならば、気の毒ではあるが仕方はあるまい――」
霊門、確か事前説明で聞いた。霊体と肉体を繋ぐ扉のようなもので、壊れると霊体が流出して死に至ると。
お札の女性が、中島さんの胸に手を当て、ハッという掛け声と共に、力を込める――
次の瞬間、中島さん自身の霊体が浮かび上がった。
「恨みごとならあの世で聞く」
その声と共に剣撃が走り、その霊体は消滅した。それは同時に、彼女が亡くなったことを意味している。
事前に説明は受けていた。でも、正しい判断だったのだろうか。分からない。ただ、さっきまで息をしていた人が、もういない。それだけが、妙にはっきりしていた。
「て、撤退ルートは確保してあります。AIに捕捉される前に脱出しましょう」
若い女性がそういうと、皆後ろに付いて走っていった。刀を持つ男性が、顎でクイとしたので、私も付いて行く。私たちのいた場所にAIドローンが駆けつけたのは、すぐだった。
今は使われていない地下鉄の入口の階段を下り、壊された壁の向こうに抜けた時、息を切らせた私の見上げた先に、彼らは立っていた。
最初に目が合ったのは、刀を左手に持つ短髪のスーツを着た男性だった。
「俺は五十嵐剣だ」
その声に釣られて、お札の女性が口を開く。首や腕に数珠を巻き、体形を隠す服を着た壮年の女性だ。
「妾は、狐火」
「わいは山形新太郎や、よろしゅう」
キャップのツバを後ろに被り、カジュアルな格好の少年が続いた。
「あ、あたしは、柊このはです。よろしくお願いします」
若い女性がお辞儀をしている。少しギャル寄りのカジュアルなファッション。豊満な胸が目に入る。
あと一人は、白衣に長髪を振り乱し、空中にひたすら筆を振り回し、ぎゃはは、ぐふふ、と笑っている。
「こいつは、九条透だ」
五十嵐さんが私の視線に気付き、補足してくれた。
この5人が、今日から私の部下――
「沙庭命です。本日付けで、この部隊に配属になりました。分からないことばかりですが、よろしくお願いします」
「聞いてる。所属したばかりで霊隊長抜擢なんて、前代未聞だからな」
無愛想に五十嵐さんは言った。
「この組織はヤマトタケルノミコト、でしたか。私、一昨日知ったばかりで」
「すげぇよな、姉ちゃん。霊力は未知の鬼級やろ? わいやって上級やのに。そないな級、聞いたことないわ」
新太郎くんが興味津々に私を覗き込む。
「前任者が、戦いで殺されてからひと月か。ヤマトにしては時間がかかったな」
「し、仕方がないと思います。人口は減少し続けるのに、反比例して霊障は増えているんですから」
五十嵐さんの言葉に、柊さんが補足している。
「結局、科学じゃ解明できなかっただけで、魂は存在する。肉体が誕生しなくなったから、余った魂は霊障になる。霊障はAIには映らない。社会機能のほぼ全てをAIに預けた人間を、唯一霊障から守る存在」
「それがわいらヤマトやな」
その言葉と、ほぼ同時に目の前の大きな扉が開く。とても大きい扉なのに手動というのは、最初に訪れた時も驚いた。
「第2霊隊、帰還した」
「おかえりなさい」と盛大に迎え入れられると、1人の男性が駆け寄ってくる。
「司霊官がお呼びです」
「分かった。おい、沙庭、霊隊に指示を」
五十嵐さんが私を見る。
「え? あ、はい。私は司霊官と会って来ますので、皆さんは解散してください」
その言葉に、皆散り散りに別れて行く。私は、先ほどの男性に司霊官室まで案内された。
「着任早々でご苦労だった。君が沙庭命だな」
司霊官が私を見る。短髪に無精ひげの生えた壮年の男性。左目には、年季の入った眼帯を付けている。右目だけで、値踏みするように私を見ていた。
「両親を霊障で亡くしたそうだな」
「……はい」
「AIは何と言った?」
「生体反応なし、処置不要、と」
口にすると、また胸の奥が冷える。あの夜のことは、一生忘れないと思う。
「ヤマトタケルノミコトは、AIに見えないものを専門に扱う組織だ。我々が『霊』と呼んでいるものの対処を行っている」
「伺っています」
「非合法だということも?」
「分かっています。ですが、私は両親を見殺しにしたAIを、もう信じることができません」
沈黙があった。司霊官の右目が、私の目から離れない。
「よろしい。では、次の任務を与える」
渡された資料に目を通す。新宿区市ヶ谷加賀町――
え? 待って。名前は――
「飛坂葵、20歳。新宿区市ヶ谷加賀町に両親と在住」
嘘だよね。あの頃は、何もなかったのに。
「……どうしたね?」
「……高校時代の同級生です」
「そうか。なら素早く霊障を終わらせることだ。霊門が壊れてからでは遅い」
「失礼します」と足早に司霊官室を後にする。そして、腰のバッグに手を当てる。ダーツが2本入っている。これが、私が霊力を込められる唯一の武器。
それにしても、葵……いつからそんなことになってたの?




