第656話 安請け合いする男 3
「君の名前は何というのかな?」
オレは横に立っていた小学生と思しき金髪の男の子に声をかけた。
「ミカエル……ミカエル・リシャールです」
普通の日本語だった。
日本生まれの日本育ちかもしれない。
「何年生?」
「小学校6年生です」
「そうか、今日はお母さんについて来て偉いなあ」
そう言うと横から母親が口を挟む。
「この子はあまり学校に行きたくないんです……イジメがあって」
困ったもんだ。
「そうか。『ガイジン、ガイジーン。ちょっと女にモテるからといって良い気になるなよ』とか言われるのか?」
親子は驚いてオレの顔を見ている。
図星だったのか。
「でもなミカエル。学校に行きたくないという気持ちも半分くらいはあったかもしれんけど」
オレは子供の目を見て言った。
「後の半分はアレだ。『お母さん大丈夫だろうか。日本語でうまく説明できなかったらどうしよう。よし、僕が助けてやろう』と思って来たんだよな」
「いや、そういうわけでも……」
「いいや。お前はいくら弱虫でも、お母さんのためなら100倍の力を出せる男だ。なんせフランス人だからな」
なんか訳の分からないキャラをミカエルに押し付けてしまった。
「だからな、ミカエル。お前に頼みがある」
ミカエルは黙ってうなずく。
「もし夜中にお母さんの具合が悪くなったらお前が救急車を呼んでやれ」
「ドクター、この子はシャイだから」
「普段はシャイでも、お母さんが困っていたら助けてやるよな!」
オレはミカエルの両肩に手をおいて励ました。
「先生と一緒に練習しようぜ。救急車を呼ぶための練習だ」
「どうするんですか?」
「先生が救急指令室の役になるからな、お前は119番してくれ」
「分かりました」
オレは院内PHSを耳にあてた。
「火事ですか、救急ですか?」
「救急です」
「どうしました?」
「えっと、お母さんが……」
次の言葉が出て来ない。
「そこはミカエル、冷静に相手に情報を伝えろ。『お母さんが息苦しいと言っています。一昨日、病院でマイコプラズマと診断されて抗生剤をのんでいます』とか」
「分かりました」
「よし、やってみろ」
「お母さんが息苦しいと言っています。2日前にマイコプラズマと診断されて、もらった薬をのんでいます」
驚いた。
オレの言ったことをほぼ正確に再現している。
「次に何を訊かれるかは分からないけど、そんなに難しい質問は来ないはずだ。『お母さんの名前と年齢を教えてください』くらいかな」
「ローズ・リシャール、34歳です」
「なかなか良いじゃないか。でも相手に安心してもらうために必要な情報を付け加えておいた方がいいな」
「必要な情報?」
「『ローズ・リシャール、34歳のフランス人です。日本語は通じますが、念のため僕も一緒に行きます』とかさ」
男の子はうなずく。
「次は住所を訊かれるぞ。ちゃんと言えるか?」
「〇〇町〇丁目✕✕-✕✕です」
「マンションの名前は?」
「△△です」
「何階かな」
「6階です」
ちゃんと答える事ができている。
「その次はな。『エレベーターにストレッチャーは入りますか』って訊かれたりするわけよ」
「ストレッチャーって?」
「ほら、あそこにあるだろう」
オレは外来の処置スペースを指さした。
「あれだったら大きすぎてマンションのエレベーターには入らないと思いますけど」
「救急隊が心配しているのは、ちゃんと道路まで患者を下せるかって事だ。だから『ストレッチャーは入らないけどお母さんは歩けます』とでも言っておけ」
「でも、もし歩けなかったら……」
「救急隊員に背負ってもらったらいいから」
「重くないですか?」
「大丈夫だ。君のお母さんは美人だからな、救急隊員たちが争って背中を差し出してくるよ」
「ガッハッハ」とオレは笑ったが親子は当惑していたので、慌てて取り繕う。
「でもな。お前はブスな女の子にも親切にしてやるんだぞ」
するとミカエルは真面目な顔でこう言った。
「僕にとってブスな女の子なんかいません」
「お、おう」
さすがにフランスの男だけあって、言う事が男前すぎる。
釈迦に説法とはこの事だった。
それから10分だか20分だか。
練習の甲斐もあってミカエルはスムーズに電話のやり取りができるようになった。
「よし、ミカエル。もう大丈夫だ」
「はい」
「なんか顔も引き締まってきたな。来た時とは別人みたいだぞ、自信を持て!」
こうしてオレの診察は終わった。
何度も礼を言いながら親子は帰路につく。
それにしてもミカエルはなかなか見どころのある奴だった。
幸いな事に母親の症状は悪化することはなかった。
が、ミカエルの身に予想外の事が起こる。
(続く)




