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第462話 大変な夜を過ごした男

 オレが医学部を卒業した頃。

 医師免許証いしめんさえ持っていればどんな医療行為でもやり放題だった。

 だから当直のアルバイトにもせっせと行った。


 初めて行ったのは某病院の病棟当直。

 そこでは救急を受け付けていない。

 だから入院患者に対応するだけ。

 特に何もすることは無かった。


 次に行ったのは健診。

 何十人かの健康な人の聴診……だったかな。

 心雑音のある人なんか滅多にいない。

 たまに「ん?」と思う場合は、「要精査」に丸をつけるだけ。

 もちろん自分自身が精査をするわけではない。


 それからツベルクリン反応だかの皮内注射というのもあった。

 10人もやれば、すぐに上手うまくなる。

 これも特に頭を使う事はない。


 しかし、次第にアルバイト先の難易度が上がってくる。

 肩を脱臼しました、とか。

 足を切って縫合が必要です、とか。



 そして卒後3ヶ月目のある夜のこと。

 友達の代わりにスラム街の病院の当直に行く羽目になった。


 その病院では問答無用で救急患者を引き受ける。

 そして放射線技師が勝手にレントゲンを撮影してしまう。

 当直医が呼ばれるのはそれからだ。


 必要に応じて縫合をしなくてはならないが、体に絵が描いてあるのでやりやすい……はずもない!

 何で来る人が皆、揃いも揃って刺青いれずみを入れているわけ?


 まあ現役はほとんどおらず、年老いて「御意見無用」と彫った文字も皺だらけになっている人ばかりだけど。


「これは大変なところに来てしまった」と思っていたら「手術を手伝って下さい」というコールがあった。

 当時麻酔科研修医だったオレには驚天動地の話だ。


「あの、手術の助手なんかやった事ないんだけど……」

「やった事なくても来てください」


 というわけで、おっかなびっくり手術室に行った。


 産婦人科医が手術台の上に横たわった若い女性に説明を行っている。


 気道確保もせずに、いきなりケタミンで寝かせてしまった。

 鼻孔の前にテープで貼り付けた糸の動きで呼吸の有無を見るようだ。

 そんないい加減な事でええんか?


 そう思う間もなく産婦人科医に言われた。


「先生、手を洗ってきて」

「は、はい」


 手を洗ったオレにナースが手早く術衣を着せる。

 手術室に戻るとすでに開腹されていた。


子宮外妊娠がいにんで、卵管ごととってしまうから」

「はい」

「先生、結紮けっさつはできるか?」

「少しは」

「何でもいいから3回結んで!」


 何でもいいというのは、男結おとこむすびでも女結おんなむすびでもいい、という意味だろう。

 覚えたばかりの男結び両手結紮りょうてけっさつで3回結んだ。


 後は術者に言われるままに糸を結び、そして切った。


 生まれて初めての手術助手が子宮外妊娠か!

 予想外だったのは、人間の腹腔内ってのは温かいという事だ。


 手術助手をしながら不思議な高揚感こうようかんに襲われる。

 自分が世界と、いや宇宙全体と一体化したような感覚だ。

 オレが本当にやりたかった事はこれかもしれない!

 元々、脳外科に進むつもりだったが、改めてその思いを強くした。


 手術が終わったら、再び「御意見無用」の群れが待っている。


 ようやく朝になり、日が昇ってきた。

 まぶしい日の光を見ながら思ったのは「何とか生きて終わることができた!」という事だ。


 オレにとっては大変な、そして忘れる事のできない一夜だった。



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