第325話 どす黒い感情を持つ女 2
仙北先生からオレに連絡があったのは1週間後くらいだろうか。
総合診療科の外来を辞めるにあたって、自分の通院患者を引き継いでもらえないか、というもの。
脳外科と総診あわせて数百人の外来患者がいるオレはできるだけ引き受けたくない。
だからこう言った。
「もちろん構いませんよ、仙北先生。ただし患者さんたちには『無茶苦茶怖い先生で、話が50秒以上続いたら急に怒り出す人だけど、それでもいいですか』って言っておいてください」
「50秒ってのはちょっと短すぎじゃないでしょうか?」
仙北先生は50秒を真に受けている。
いかにオレでも50秒ということはないけど、3分間なら十分にある。
やはり患者にはある程度の緊張感を持ってもらいたい。
そう注意しておかなかったら30分間しゃべり続ける人なんか珍しくない。
脳外科なら何か言われても「それは脳外科ではありませんね」で済む。
でも総診ではそれを言えない。
だから「頭も腰も胸も腹もどこもかしこも悪い」と主張する患者が詰めかける。
総診の患者1人を診察するエネルギーは、脳外科患者3人に匹敵する。
そのくらい総診ってのは疲れるものだ。
それはさておき。
オレは妻の疑問を仙北先生に尋ねてみることにした。
「開業したお父さんがどうしてお金に困っていたのでしょうか?」
それとなく質問をしてみた。
すると仙北先生の話は思いがけないものだった。
仙北先生のお父上は市民病院の産婦人科医をしていたのだそうだ。
「ちょうど私と弟が医学部に入ったので、父は病院を建てたんです」
「やっぱり勤務医の給料では苦しいですもんね。繁盛しましたか?」
「最初は入院患者さんが一杯でした。でも田舎の産婦人科なので少子高齢化の波をもろにかぶってしまったんですよ。若者がいなくなって」
「それは大変でしたね」
「入院患者さんが殆どいないのに人や設備は維持する必要があるし」
病院を建てるときの借金も重荷になったのだそうだ。
それで娘にお金の無心をするようになった。
仕方ないといえば仕方ない。
「田舎の高齢者は皆さん全身が痛いし病気だらけでしょう」
オレは誰でも考える事を尋ねてみた。
「産婦人科をやめて内科や整形外科をやったら良かったのに」
「それが……田舎なのに内科と整形外科は沢山あったんですよ」
資本主義社会の掟ですな、これは。
「それに父は頑固親父で、産婦人科に拘っていましてね」
昭和のお医者さんってのは基本的に頑固親父だからな。
よーく分かる。
「だったらウイメンズヘルスなんかは? 女性を対象にした総合診療ですよ」
「そんなのがあったらまず私がかかりたいです。腰も痛いし更年期も辛かったし!」
「ウイメンズヘルスってのは産婦人科ベースがピッタリだと思いますね」
「昔の田舎にはそんな発想ありませんでした。今もないでしょうね」
実は、ウイメンズヘルスってのはアメリカにはあった。
留学していた時に「日本にも欲しい!」と妻が言っていたくらいだ。
多分、今でも日本にはほとんど無いだろう。
という事で少子高齢化の波をもろに被り。
内科や整形外科にコンバートする事もままならず。
ましてやウイメンズヘルスなどという先進的な方向にも進めなかった。
そうしてお父さんにはお金が無くなってしまったのだそうだ。
この話は進行中のものではない。
仙北先生のお父さんは10年前に亡くなっているし病院も閉院した。
関係者はそれぞれに複雑な思いを抱えていると思う。
だけどオレには凄く悲しい話に思えた。
市民病院の腕利き産婦人科医が仕事にあぶれて、お金に困る晩年を送ることになるなんて。
ウチの病院なんか産婦人科医不足で還暦すぎた部長先生まで当直をしているのに。
田舎も都会もそれぞれに困ったもんだ。
(完)




