第191話 TVドラマが現実化した男
その昔、アメリカのテレビドラマで "Million Dollar Listing" というのがあった。
邦訳すれば「百万ドルのリスト」とでもなるのだろうか。
サンフランシスコやニューヨーク、ロサンゼルスを舞台にした不動産売買の話だ。
数億円、ときには数十億円の物件の売り買いには両方の側に不動産屋がつく。
売り手側は1ドルでも高く売りたいし、買い手側は少しでも安く買いたい。
その代理人となった双方の不動産屋が互いにタフな値段交渉をするのだ。
その人間ドラマや交渉術の面白さに妻もオレもすっかりはまった。
英語の勉強にもなるから一石二鳥だ。
さすが、アメリカは広いぜ、と感心するばかりだった。
が、まさか、それが自分の身にふりかかってくるとは!
ある日のこと。
オレは裁判所の調停委員を頼まれた。
事件は、おきまりの財産争いだ。
高齢のお金持ちが死んで子供たちが残された。
子供とはいえ、皆、立派な成人だ。
問題は故人が亡くなる前に「すべての財産を次男に譲る」的な遺言をのこしていたことだ。
もちろん長男は憤懣やるかたない。
そもそもアルツハイマーの人間の書いた遺言など無効だ、というのがその主張だ。
で、オレが尋ねられたのは、故人がいつまで正気だったのか、という医学的判断だ。
分厚いカルテその他の書類を読むだけで時間がかかる。
でも調停という厳粛な場に臨むわけだから手抜きはできない。
で、オレなりにここまでは確実に正気、ここからは判断能力がなくなった、という年月日をそれぞれ割り出した。
それら2つの日付の間はグレーということになる。
オレ以外の2人の調停委員は弁護士だ。
本番前の打ち合わせの席でオレは自分の考えを一生懸命に説明した。
「ということは、遺言を作成した時点ではアルツハイマーになっていたかもしれないし、なっていなかったかもしれない、ということですね」
「そうなんですよ。実際、かなり微妙な時期で、どちらとも言えないです」
各種診断書や意見書、カルテ本文や画像検査などから総合的に考えた結果だ。
「何か文書のようなものを作成した方がいいでしょうか?」
オレがそう尋ねると意外な答えが返ってきた。
「いや、特にそういうものは書いてもらわなくていいです」
そうこうするうちに調停の日が来た。
長男の代理人と次男の代理人が交互にオレたち3人の待つ部屋に呼ばれる。
「次男さんが財産を全部持っていくというわけにはいかないでしょう」
そう調停委員の弁護士が言うと次男の代理人弁護士が反論する。
「でも、遺言状がちゃんとありますから」
すかさず調停委員が釘を刺す。
「遺言を作成した時の判断能力は信用できないって、先生が言っているんですけどね」
先生というのはどうやらオレのことらしい。
「いや、私はいいんですけど、依頼人が何と言うかなあ。ちょっと確認してきます」
そういって次男の代理人は退室した。
ちょっと、これ、サンフランシスコの不動産屋と同じじゃん。
おおかた携帯電話で依頼人と打ち合わせをしているんだろう。
続いて長男の代理人が入ってくる。
「2億円よこせって、御長男もちょっと吹っ掛けすぎじゃないの?」
まずは調停委員が言う。
「遺言を書いたときは故人もかなりアルツハイマーが進んでいたわけですから、そんなのは無効でしょ?」
長男の代理人が反論する。
「いやいや、全面的に無効とも言えないですよ。先生はね、部分的には判断力が残っていると仰っているんだから」
「先生」ってのはオレのこと?
でも、この部屋の中にいる人間は全員「先生」と呼ばれる職業じゃないですか。
さっきの人には「判断能力が信用できない」と言い、今回の人には「部分的には判断力が残っている」と申し渡したわけで、つまりオレの専門的な見解は都合よく利用されてるってこと?
「私はもう少し安くてもいいんですけど。クライアントがどう言うかなあ」
長男の代理人も同じような事を言ってきた。
「なら、ちょっとクライアントと打ち合わせしてくれますか? 待っていますから」
長男の代理人も携帯電話を取り出しながら部屋を出ていった。
もう無茶苦茶だ!
サンフランシスコの不動産屋とどこが違うのか。
あの人間ドラマを目の前で見ようとは、夢にも思わなかった。
もうね。
人間のやることはアメリカでも日本でも、不動産売買でも裁判所の調停でも同じってことみたい。
今、思えば、あのテレビドラマは非常にリアルだった。
そりゃあ、面白かったはずだ。
読者の皆様。次の投稿は明日(2026年4月22日)の午前6時頃に行います。ゆっくりお休みになってください。




