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第3話 1万円札を踏む女

 スナップと呼ばれる診察法がある。

 患者が何か言いかけた段階で診断をつけてしまうことだ。


 1例を紹介しよう。


 ある日の診察室、おとずれた患者は中年女性。


「先生。今朝、起きたときに目が回ってですね」

「ああ、それは良性発作性頭位変換りょうせいほっさせいとういへんかんめまいです」

「えっ?」

ほうって置いたらなおるので、家で寝ていてください。お大事に」

「私、何も言ってませんけど」


 こんなやりとりだ。

 患者にしてみれば何のことやらさっぱり分からない。


「要するにですね、朝起きたら天井がグルグル回って」

「はい」

もして」

「ええ」

「頭を動かしたらまた目眩めまいがひどくなって」

「そうです」

「じっとしていたら20秒ほどで戻るんでしょ」

「何で分かるんですか!」


 これは内耳を構成する三半規管さんはんきかんの不調が原因で起こる。


 三半規管は精密なモーションセンサーだ。

 こいつが回転加速度かいてんかそくど検知けんちする。

 3つある半規管はんきかんのうちの1つに耳石じせき迷入めいにゅうすることによって誤動作ごどうさを起こすわけだ。


「横の動きよりたての動きに弱いんじゃないですか?」

「そういわれれば」

「ちょっとやってみましょう」

「ええ」

「車の運転をしているとして」

「はい」

「一旦停止して、左右確認の動作をしてください」


 患者は言われたとおりに左右確認をした。


「どうですか?」

「特に何もありませんでした」


 オレが予想した通りだ。

 次は縦の動きをやってもらう。


「じゃあ、高い所にあるものを取る動作をしましょう」

「ちょっと目が回ったような」

「次は椅子に座ったまま靴紐くつひもむすぶ動作をしてみましょうか」

「うわわっ。グラッと来ました!」


 やはり縦の動きに弱い。


「じゃあ、なぜ目眩が起こるのかというメカニズムを説明しますね」

「お願いします」

「耳の奥にある三半規管に小さな砂粒すなつぶみたいなものが入りこんでですね」

「ええ」

「それで感覚がおかしくなっているわけです」


 思いっきり端折はしょった説明だ。

 でも、くわしく説明するとかえって理解してもらえない。


「治るのですか?」

「治ります。砂粒は2、3日でけてなくなってしまうんですよ」

「良かった!」


 実際には三半規管から外に出るのだけど、溶けるといった方がイメージしやすい。


「治るまでは自宅でおとなしくしていてください」

「はい」

「この目眩は頭を縦に動かすと誘発されますからね」

「確かにそうみたいです」

「1つだけ注意しておいて欲しいんですよ」

「何でしょうか?」


 患者は無邪気な眼差しをこちらに向けた。


「地面に1万円札が落ちていたときにですね」

「えっ?」

「『ラッキー!』と思ってあわてて手で拾おうとしたらダメですよ」

「1万円札なんか落ちているわけないじゃないですか!」


 彼女の抗議は無視して続ける。


「頭を動かすと目が回ってころんでしまいますから」

「先生、何を言うんですか」

「まず足で1万円札を踏んでください」


 オレは実際にやって見せた。


「そして誰にも目撃されていないことを確認しつつ、そろそろと腰を下ろす」

「……」

「頭を動かさないようにしながら慎重に1万円札を拾ってください」


 オレの演技につられて患者も真剣な表情になっている。


「これで1万円ゲットしましたね!」

「ホントに落ちてたら嬉しいんですけど」(笑)

「確かにその通りです。きっと明日にはだいぶ良くなっていますよ、お大事に」


 患者に明るく楽しく前向きに生きてもらう、それがオレたち医師のつとめだ。

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