第991話 渡米する女 7
日本にいる研究室のOBから先方にオレの略歴をファックスで流してもらった。
すると感触は上々。
「脳外科医をやりながら画像の研究をしているなんて面白い奴じゃないか。給料は出せないが、それで良かったら是非来てくれ」
現地の研究室のボスからはそんな返事が来た。
ようやくオレにも行先が見つかったぞ。
給料がない?
上等だ!
もしコミュニティ・カレッジに行ったとしても給料はないわけだし。
それからはもう記憶に残っていないくらいバタバタした日々だった。
家のこと、車のこと、荷造り、アメリカで住む場所の手配。
やるべき事は山のようにあった。
あまりにも多かったので断片的な記憶が順不同に残っているだけだ。
そしてついに7月のある日。
オレたち夫婦はサンフランシスコ便の列に並んでいた。
最終目的地のボストンまでの直行便はなく、途中で乗り継ぐことになっている。
先頭が見えないくらいの長蛇の列。
正しい所に並んでいるのか不安になったオレは前にいるアメリカ人らしい青年に英語で尋ねてみた。
「この列はサンフランシスコ行きで合っていますか?」
そうすると青年は |"I hope so."《そう願っているんだけど》 と返してきた。
うまい!
アメリカではこういう当意即妙なギャグとも張り合っていかなくてはならないのか。
オレはますます気を引き締めた。
貧乏留学でありながら機内ではビジネス・クラスに案内された。
妻の奨学金のスポンサーの1つがユナイテッド・エアー、まさにこのサンフランシスコ行きの飛行機だったから優遇してもらえたのかもしれない。
そんなオレたちを乗せた機体がいよいよ搭乗ゲートから離れてゆっくりと進み始めた。
そして離陸すべき滑走路を前にしてピタリと停まる。
徐々にエンジン音が大きくなってきた。
エンジンの轟音が極限に達するとともに機体が動き始める。
もう後戻りは出来ない。
飛行機はどんどん加速していく。
ついに機体が地面からフワッと浮き上がった。
オレは何の心の準備もできていないまま、否応なしに異国に連れていかれる。
行く手に待ち受けているのは想像すらできない冒険の数々。
今風に言えば、リアル異世界転生だ。
ともあれ、賽は投げられた。
そう、オレが持っていた賽を妻が強引に投げてしまったのだ。
(「渡米する女」シリーズ 完)




