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第988話 渡米する女 5

 意外なのは、UCLAなどの有名大学から合格通知が来る一方で田舎の大学から不合格通知が来たことだ。


 そして最後の合格通知はボストンからやってきた。

 ハーバード公衆衛生大学院、いわゆるHSPH (Harvard(ハーバード) School(スクール) of(オブ) Public(パブリック) Health(ヘルス)) だ。

 日本での公衆衛生学というのは医学部の中の1講座にすぎない。

 が、米国では公衆衛生大学院として医学部 (Medical(メディカル) School(スクール)) と同じくらいの規模と影響力を持っている。


 あれこれ考えた挙句、妻はハーバード公衆衛生大学院に行くことに決めた。

 その中の医療政策管理学科の修士課程しゅうしかていだ。


 ここで米国の大学のおおよそのシステムを説明しておこう。


 大学は大きく学部と大学院に分れる。

 前者を |undergraduateアンダーグラデュエイト、後者を |postgraduateポストグラデュエイト と呼ぶ。

 学部の方は日本と同じで、専攻を決めてそれらを学ぶ。

 主たる専攻を major(メジャー)、従たる専攻を minor(マイナー) と呼ぶ。

 何を専攻するかは個人の自由なので、分子生物学とドイツ文学といった不思議な組み合わせも珍しくない。

 でも学生たちは大真面目だ。


 しかし学部で学べることはごくわずか。

 だから本格的に何かを学ぼうとすれば大学院になる。

 つまり4年間の学部を卒業して2年間の修士課程に入るわけだ。

 ここでは専門的なことを集中して叩き込まれる。


 ただ、専門的なことというのには色々な解釈がある。

 公衆衛生と何の関係があるのか、のちに妻はマクロ経済学まで学ぶ羽目になった。

 教科書はサミュエルソンだったかな。

 マクロ経済のバイブルなんだとか。


 知らない分野を英語で学ぶというのは二重苦だ。

 当然、マクロ経済学だけでなく、法律とか損害保険だとか倫理学だとか災害医療とか。

 なんせ医療に関係するあらゆる事のうち、診療行為そのものを除いた残りすべてが公衆衛生学の対象になる。


 しかし、この時点ではすえの苦難など想像もしていなかった。


 例によってオレは地図を取り出してハーバード大学の場所を調べてみた。

 歴史と伝統にいろどられた広大なキャンバス!

 たちまちオレの頭の中にはエリック・シーガルの名作映画「あるあいうた」の場面がひろがる。


 でも医学部は何処どこ

 そして公衆衛生大学院は?


 なんとハーバードはタコ足大学だった。

 医学部や公衆衛生大学院は、本学と離れたロングウッド・メディカル・エリアにある。

 ハンティントン通りをはさんだ向こう側はスラム街じゃないか!


「ええーっ! 芝生に寝転ねころがって本を読む、という私の気持ちはどうなるの?」


 そういって妻は落胆らくたんした。


 しかし冷静に考えてみれば、スラム街こそ医療や公衆衛生の需要が大きいはず。

 かなったロケーションともいえなくもない。

 しかし、そんな事を口にしたら大変なことになる。

 だからオレはひたすら妻をなだめる事に終始した。


 とはいえ、無事に妻の行先は決まった。

 アメリカの新学期である秋に合わせて夏に日本をつ準備を始める。


 が、オレにとって最大の問題が片付いていなかった。

 妻が渡米するとして、肝心のオレはどうしたらいいわけ?


(続く)



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