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第1話 目覚めてしまった男

 脳神経外科外来の診察室にやってきた青年はHIV感染者だった。


 前任者からオレが引き継いだ症例だ。

 HIV治療については専門医療機関が引き受けている。

 しかしてんかんに対する抗痙攣薬こうけいれんやくはこちらで出す必要があった。


「先生。僕、仕事をクビになってしまったんですよ」

「クビ……ですか」

「HIVにかかっているってことを上司に申告したら」

「そんなことでクビに?」


 余計な事を言っちまったもんだ。


 現代医学におけるHIVは、もはや慢性疾患まんせいしっかんにすぎない。

 薬さえキチンとのんでいれば平均寿命近くまで生きることができる。

 でも、世間はそう思っていない。


「普通の人は理解してくれないからなあ」

「ついでにゲイだってことも言ったんですよ」

「そんなことまで言っちゃったの?」


 カミングアウトする必然性が分からん!


「ちゃんと言っておいた方がいいと思ったんですけど」

「それ言って何かメリットあるんですか」

「なかったです、全然」


 世間ではLGBTだのHIVだの、色々言われている。

 一般の人には特殊な事かもしれないが医療機関では日常風景だ。

 このギャップが時として悲劇を生む。


んだ事は仕方ないとして、これからどうするんですか」

「今は農業をしています」

「なるほど」

「イモやカボチャは文句言いませんから」


 確かにそうだ。

 そう言いながら彼が服用している薬をチェックした。

 血圧が高いのかβ遮断薬(ベータブロッカー)が入っている。


「あれれ、こんな薬のんでいるんですか?」

「まずかったですか?」

「男性機能が落ちてしまいますよ」


 ちょっとセンシティブな領域に踏み込みすぎたかな。

 でも医師として言わないわけにはいかない。


「いいんです、僕なんか。相手もいないし」


 お相手の性別については詮索せんさくするまい。


「でも男ってのはね。抜く抜かないにかかわらず、さやの中の刀は常にましておくべきでしょ!」


 勢いで言っちまった。

 この人に「男」って言ってよかったのか?

 そもそも「刀」を持っているのか。


 ええい、余計な事は考えるな。


「先生、それ凄く説得力ありますね!」


 なんと、青年の心に刺さってしまった!

 見事なまでに。


「まあ、これから支障を来すようなことがあったら、また相談してください」

「分かりました」


 その場はそれでおさまった。



 そして半年後。


「先生、大変な事になりました。役に立ちません!」

「何のことでしょうか?」

「相手が出来たのに、役に立たないんです」(泣)

「ああ、刀がびついていたってことですね」

「そうなんです」


 要するに男性機能に支障を来したということだ。


「じゃあ例の薬をやめてみますか。血圧が上がるかもしれませんけど」

「僕にとっては血圧よりこっちの方が大切です」


 ということでβ遮断薬を中止したら青年は見事に復活した。

 なんかオレまで嬉しくなっちまう。



 農業の方も調子良くやっているのだとか。

 パートナーとともに新天地を求めて引っ越すそうだ。


「私が出している抗痙攣薬はどこでも入手できますけど」

「ええ」

「感染症内科からの薬はもらえるんですか?」


 HIVの薬などという直截的ちょくせつてきな表現は避けた。


「ええ、むこうにも専門の病院があるみたいなんです」


 心配する必要はなかったみたいだ。

 オレもつい、農業、田舎、無医村、という先入観を持ってしまっていた。



「先生?」


 気がつくと青年がまっすぐオレを見つめていた。


「お別れですね、これで」


 一緒に泣いたり笑ったりした日々を思い出して、ついホロリとしてしまう。


「くれぐれも体に気をつけてくださいね」

「頑張ります。どうもありがとうございました」


 ちょっとパートナーがうらやましい気がした。

 オレも目覚めてしまったのかな。

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