1 厠のネズミ
お読み頂きありがとうございます。楽しんで頂けたら嬉しいです。
転生モノって面白いよな?
事故に巻き込まれ、ふと気が付くと赤ん坊になって母親に抱かれていたとか、知らない部屋の天井を見上げていたとか、そんなワクワクするシチュエーション。
剣と魔法とドラゴンが飛び交う映画の様な世界。
そしてそこからは、生前の記憶や知識を武器にして無双していくんだ。
俺も趣味としてかなりの数を読んではいたし、仮に自分ならどうするか、どうやって生きていくかなんてことを夢想したりもしていた。
そうやって平凡な勤め人としての現実の憂さ晴らしをしていたのさ。
だから、自分自身にも転生が起こった可能性が「全く想像の埒外」なんてことはなかったんだ。
だけどなぁ.......
そういうのってさ、もっとこう神聖な雰囲気で始まるもんじゃないのか?
目の前に王様がいて「おお勇者よ!どうかこの国を救ってほしい!!」なんていうやつ。
あるいは女神様に潤んだ瞳で見つめられながら「あなたに祝福を授けましょう♡」とかさ。
なのに俺のスタートときたら.......
ふと気が付いたら、俺は厠で用を足しながら、慌てて逃げていく一匹のネズミを目で追っていたんだぜ.......
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「どうした通古?早く仕事に戻らないと上役がうるさいぞ」
厠を出て、さてここは一体何処なのかと辺りを見回していると後ろから声をかけられた。
恐らくだが「通古」ってのが俺の名前か肩書なんだろう。
そして肩書ではないとしたら、ずいぶんと奇妙な名前ではあるな。
振り返ってみれば、アジア系の顔をしたモブAが俺のことを見ている。
和服とはちょいと違う、ゆったりしてそれでいて動きやすい服装、髪は結い上げてあるようで頭には冠。
なるほど.......とりあえず、どうやら俺が転生したのは剣と魔法がスタメンの中世ヨーロッパ風世界じゃないようだ。
「あ、すぐに戻ります。ええと、仕事場ってどっちでしたっけ?」
「何を言っている?早くあちらで集計を続けんか」
「あ、はい、すみません」
言われた方を見ると、大きな倉庫がある。
そこへ行き中へ入ると、干した藁のような匂いが充満していて、なるほど、ここは穀物倉か。
どうやら俺は、ここで穀物の集計と管理をしているようだ。
俺は筆と竹簡を手に取る。
竹簡、つまり細く割った竹を束ねてシート状にしたもので、紙としての用途をまかなうものだ。
つまり紙が無いか、あってもかなりの貴重品ということで、どうやら俺はずいぶんと昔の時代に来たのかもしれない。
転生にともなう特典なのか、さっきのモブAとの会話もスムーズに行えたし、竹簡に書かれた文字も容易く読める。
というかこの文字、漢字だな!
無論、俺の知っているそれとは微妙にデザインが違うが、はるかな昔に漢文の授業で見たような文字の羅列。
紙が無くて文字は漢字とくれば、俺の転生先がどこなのかはかなり絞られてくる。
おや?
ふと倉庫のスミを見ると、日頃から麦や稗を盗み食っているのだろう、丸々と太ったネズミがいた。
俺と目があっても逃げる素振りすらせず実にふてぶてしい。
「お前ちょっとは遠慮しろっ」と追い払おうとしたその瞬間、俺の脳裏に閃くものがあった。
このエピソード.......知っているぞ!
厠のネズミと倉のネズミ。
一方は人に怯えて汲々と、もう一方は人を気にせず堂々と生きている。
人の栄達もまた同じ、生きる環境次第で如何様にも変わるものなのだ。
そう悟って一念発起し、諸子百家のひとり荀子の門を叩いた男。
苛烈な法家の一人として秦の始皇帝に仕え、後に位人臣を極めて丞相にまでなった男。
にもかかわらず始皇帝の死後、身の振り方についての判断を誤り、ついには悲惨な最期を迎えた男。
通古ってのは、やっぱり俺の肩書じゃあなかった。
「なんてこった.......」
どうやら俺の転生したのは、姓が李、名を斯、そして字を通古という、紀元前における中国の人間だったようだ。
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「おかえりなさいませ」
日が暮れて、同僚にそれとなく聞き出しておいた情報を頼りに帰宅する。
自宅は粗末な家で、年老いた召使の夫婦がいるだけ。
両親はとうに他界し一族とも疎遠で、まあ有り体に言うと天涯孤独な身の上だったようだ。
雑穀の粥で夕餉を済ませ、ぼんやりとした灯りの薄暗い室内で、俺は今後のことについて考えを巡らす。
実を言うと、俺はそれほど歴史に詳しいわけじゃない。
それでもここへ来る前はいい年齢したおっさんだったから、そんな世代の常として三国志、それに項羽と劉邦なんかは一般教養だったが。
もちろん、まずは漫画から入ったクチだぜ。
逆に言うと、俺の持っているこの時代の知識ってせいぜいそのレベルってことだ。
それ故に、これから起こることについてもボンヤリした予備知識しかない。
とりあえず、この李斯という男がこの後どう生きていくのかについて簡単におさらいしてみることにするか。
俺は静かに目を閉じると、ゆっくりと前世の記憶をたぐり寄せ始めた。
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