318.一条玲奈の日常その17
最終章開始!
新学期も落ち着いて来た頃、私はカーネーションの花束を手に持って都心部から離れた山の中を歩いていました。
人が住んでいる気配もなく、近くには廃墟となった建物があるだけで町も見当たらない、けれど不自然なほど綺麗に道が整備された場所です。
緑が混じり始めた桜の木から溢れ落ちる陽の光が暖かく、少し湿った春風が花の香りを運んで心地好い。
この道を通る度に、母が気に入っていたという場所を自分も気に入る事が出来てホッとします。
私は普通の人とは感性が違う様ですから、もしも母が好きな物を自分も好きでいられなかったらどうしようと不安になるのです。
ただ、ホッとすると同時に、この綺麗に整備された道を見て、あの男の関与を思い負の感情が腹に溜まるのを感じます。
何故この様に人気のない山の中で、周囲の廃墟と同じ様に朽ちず道が続いているのか、これだけ綺麗に整備しておきながら、何故立ち入り禁止なのか……その理由を考えれば考える程に嫌な気持ちになります。
安堵と不快――全く色の違う感情が混ざり合い、複雑な胸中となった私の視界に目的地が映る。
山の中腹、遠目に都心部が見える場所に、季節の花に囲まれている墓石が私の目的地です。
不愉快な先客を無視して、準備していた道具で丁寧に洗い清め始める。
もう既に掃除はされている様ですが、この男の手に触れたのなら私が改めてしっかりと洗ってあげなければなりません。
「私が清めた。お前がやる必要はない」
「……」
「選んだ花はカーネーションか。芸がない」
「……」
私の背後に突っ立ったまま、好き勝手に口を出す男の声が不愉快で仕方がない。
思わず手に持ったブラシからミシリと音が立ってしまう。それに気付いた男が鼻で嗤う。心がザワザワと落ち着かない。
「怒りを抱いたまま墓の掃除か? 故人に失礼とは思わんのか」
「……お母さんは、自分の目の前で私達が争うと悲しそうな顔をします」
「……」
「私が大人の対応でスルーしてあげているだけです」
「……やはり、何かが変わったな」
男の影が、自分の頬を撫でるように動く……恐らく以前に私がぶん殴った箇所でしょう。
意識してその時の事を思い出せば愉快な気持ちになります。私の背後に正樹さんが居るのだという事を思い出せば何も怖くありません。
自分の心が落ち着いたのを感じ取り、私は目の前の事だけに集中する様に手を動かす。
丁寧に、丁寧に……寝たきりだった母の身体を拭いていた時と同じ様に、優しく丁寧に拭いていく。
ここには水道が通っていない。何度も近くの湧き水へと往復して、汚れと穢れを落としていく。
交換されたばかりの古い花を抜き取ってゴミ袋に放り込み、ここまで持って来たカーネーションの花を供える。
「やる事が幼稚だな」
「会いたいと言っていた母に顔も見せず、今になって花を贈るなど女々しいというものです」
「お前さえ居なければ会えていたさ」
母が生前好きだったお菓子を供え、古い物をゴミ袋へと放り込む。
「祖父母を黙らせるのが遅れたのは貴方の力不足です」
「私が黙らせなければいけなかった相手は両親だけではない。お前みたいなのが生まれてしまったばかりに、私と玲子は要らぬ苦労を背負った」
「作っておいて無責任な発言ですね」
「責任取って飼い殺しているではないか――」
最後の仕上げとして、取り出した線香に火を着け、そして――
「――玲子に似ても似つかぬ私のクローンを」
その発言によって、手に持っていた線香の束をへし折ってしまう。
「……………………護衛も付けず、どうやら殺されたい様ですね?」
そこで今日初めて、私は背後の男へと振り返った。
「ここでか? 出来もしない事を口にするべきではない」
しゃがんだまま見上げた男の顔は、私に酷く似て何を考えているのかさっぱり分からない。
「まさかここから一生出ないおつもりで?」
何の感情も湛えず、無機質に、あらゆる全てに興味が無いのだと、冷たい瞳に見下ろされて苛立ちが募る。
地面から立ち上り、私に纏わりつく線香の香りが辛うじて私を冷静にさせた。
「私が玲子とずっと一緒に過ごしても良いと言うのならそうしよう」
「……」
「もう一度言おう。出来もしない事を口にするべきではない」
お互いに無表情のまま、腹の底で相手への憎悪を燃やしながら見詰め合う。
風が吹かなければ時が止まったのではないかと錯覚するほど動かない。
どれだけの時間、そうしていたのか……いつの間にか、へし折られて半端な長さになった線香が燃え尽きていた。
「来ないのなら私はもう行く」
男が踵を返し、山を降っていく――
「――それに私は、お前と違って諦めた訳ではない」
最後に、そんな不可解な言葉を残して男は去って行く。
「……あの男の何処が好きになったのですか?」
母の墓石をそっと撫でて、ポツリと呟いてみる――答えは返っては来ない。
母が好きなものは、私も好きでありたい。けれど、どうしてもあの男だけは好きになれそうにありません。
どうしても、どう頑張っても……憎しみが先に来てしまいます。
「お母さん、あのね――」
邪魔者が居なくなり、二人っきりに成れたところで、私はいつもの様に母に語り掛ける。
聞いて欲しいこと、相談したいこと、話したいことはいっぱいあった。
自分一人の力で友人を作る事が出来たということ、家族とどうしても仲良くなれそうにないこと、正樹さんから告白されたけど何をすれば良いのか分からないこと……ただただ一方的に話し掛ける。
お母さんあのね、お母さん聞いて、お母さん今日はね、お母さんこんな事があってね、お母さん――日が暮れるまで、日が暮れても、母の誕生日が終わるまで私は喋り続けていました。
主人公の人間味の無さは母親ではなく父親譲りだったという話







