行くぜ風穴
怪物と闘う者は、自らも怪物にならぬよう、気をつけるべきだ。
深淵を覗きこむ者は、深淵からも覗きこまれているのだから。
大きな苦痛こそ精神の解放者である。
この苦痛の喜びこそが、最後の深みに至らせるのだ。
昼の光に、夜の闇の深さが分かりはしない。
統計的に1人1人の気が狂うことは稀だ。
しかし、集団・国家・時代においては至極頻繁に起こりうる事である。
時代が過ぎ、人が変われども我らの行なったこの偉業は許されざる業として伝播して行く事であろう。
フ**リヒ・***ェ
朽ちた手記より抜粋。
***
「ここが……砂海……」
「ふわー凄いねー」
「話には聞いていたけど……圧巻ね……」
「本当に水みたいだねぇ……」
目の前に広がる常識外れな光景に俺達は言葉を無くしていた。
カルピシェク大砂海。
そこはまさしく海だった。
極限まで小さくなった砂の粒子が水のように蠢き、寄せては返すを繰り返している。
砂漠と砂海の境は無く、気付かなければそのまま砂の中に水没してしまうだろう。
今は【危険! これより大砂海!】と看板が立っており等間隔に打ち込まれた杭により判別する事が可能になっている。
風穴の入口付近では2台の砂車に積み込まれた資材が運ばれ、簡易キャンプが設営されている所だ。
設営を行う人員は確保されており、やる事の無い俺達は砂海の沿岸まで入り込みこの異様な風景に心を奪われているのである。
手で掬い上げれば、指の間からするすると零れ落ちていく極小の砂粒はザラザラとした砂独特の質感を感じさせず、シルクを撫でているように滑らかなのだ。
「この砂を触っているとなんだかムラムラするねぇ」
蠢く砂をこねくり回していたリオラが下唇を噛みながら嘆息する。
「ならないならない」
隣にいた俺は思わず突っ込んでしまうが、目線はぽってりとした厚みのある唇に釘付けになっていた。
俺もやはり男の子だという事だ。
絶妙な角度の上目遣いで見つめてくるリオラから視線を剥がして別の話題を振る。
「な、なぁ。リオラは後衛だよな? 近接には見えないし武器だって無いし、やっぱり魔法か?」
「アタシかい? アタシは回復担当だよ、こう見えてヒーラーなのさ」
「なん……だと……?」
「何だとはなにさ」
「いや、その……予想外というかなんと言うか」
衝撃だった。
人は見かけで判断してはいけないと思うが、衝撃だった。
「へー回復ねぇ。どうせ夜の回復担当よ、とか言うんじゃないでしょうね? 娼婦みたいに」
「ミモザ! お前何つー事言うんだ!」
「だって! この女一々目つきがいやらしいのよ! 舐めるようにリュートの事見ちゃってさ!」
「おや、嫉妬かい? ミモザはリュートの女じゃないんだろう? ならいいじゃないのさ」
「下品だって言ってるのよ! なっ何が夜の回復担当よ! ふしだらにも程があるわよ!」
「いやそれはミモザが言ったんだろ!」
「フフ……そんなに顔を赤くして慣れない言葉言うんじゃないよ。若いっていいねぇ」
「ふざけないでよ!」
「ふざけてなんか無いさ。ただ言われ慣れてるってだけ、昔それまがいの事もしてたし否定はしないよ。でも後悔も反省もしてない。……そうしないと生きて行けなかったから、ね」
「えっ……あの……そんなつもりじゃ……ごめん、なさい……」
自分が口走った嫌味が予想以上の重さと暗さを伴って返って来た事にミモザは狼狽し、思わず謝罪の言葉を口にしてしまう。
だが当の本人は気にしていないのか、何か言わなければと口を開けたり閉じたりしているミモザをみてケラケラと笑っていた。
ミモザを見るリオラの瞳は慈愛に溢れ、まるで怒られる事に怯えた子供を諭す母親のようだった。
「いーんだって、ホントに。後悔してないって言ったろ? フフ、そんな顔するんじゃないよぅ!」
「で、でも……」
「大丈夫だって言ってるんだからいーじゃねーか。つーか謝るなら最初から言うんじゃねーよ」
「はい……」
「ねーねー。お取り込み中悪いんだけどさ、集合っぽくない?」
スコッチと砂で遊んでいたベリーニが風穴の入口を指しながら唐突に言った。
その入口付近ではキャンプの設営がいつの間にか8割方終了しており、それぞれのパーティがそれぞれのメンバーと話し合いをしているのが見えた。
今ここにいるのは黎明メンバーと空翔る天馬のメンバーであるリオラだけ、残りの天馬さんとオルトロスは何処にいるのだろうか。
天馬のメンバーを探すよりオルトロスのおっさん達を探すのが早いと判断し、入口に集まっている集団に向かいつつぐるりとあたりを見回してみる。
あの2人はとても分かりやすいからすぐに見つかるはずだ。
何しろ坊主頭にくたびれたレザーアーマーという某世紀末に出てくるモヒカン頭と似たような格好だからだ。
蛇足かもしれないが、オルトロス2人の名前を聞いたときは某配管工兄弟を思い出してしまった。
ダメリオとダルイージって。
頭文字がニアミスなだけじゃないか。
この世界に土管なんてあるはずも無いと思っているのだが、若干の期待を隠せない俺がいる事もまた現実だ。
「ようねーちゃん。どうだ? 俺達とチーム組まねぇか? なぁに、あんたは疲れて返って来た俺達にマッサージでもしてくれりゃあいいんだ、それで分け前は折半。悪かねーだろう?」
「もちろん全身しっかりとほぐしてもらうぜぇ? 至る所をなぁ、げひゃひゃ!」
人混みの中をうろついていると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
あぁ、いたわ。
本当に分かりやすい。
「やめてください……ほんと、間に合ってますんで……」
頭の悪そうな会話を辿ると、オルトロスの2人が小柄な戦士風の女性に言い寄っているのが見えた。
茶褐色のロングヘアーを後ろで纏めた女性は心底迷惑そうにあしらっているのだが当の2人は諦める気配が全く無い。
「いいじゃねぇかよ、な? 悪いようにはしねぇからよう」
「悪いのは頭だけだもんな」
「あぁん?!」
「何だとて……テ、テメェ! なんでここに!」
背後からかけられた俺の言葉にテンプレで返してくれる2人。
こいつら声も覚えられないんだろうか。
「なんでここにじゃねーよ。一緒にここまで来ただろうが、それにあんた等はウチのパーティだろ? 迷惑行為してないでさっさと来てくれよ」
「チッ……分かったよ。しかたねぇな」
「そこまで言うなら付いてってやるよ!」
この2人はどうして常に上から目線なんだ。
軽い殺意すら覚える。
これで実力も無かったら風穴に置いていこうかとも思ってしまう。
いや、むしろ置いていった方がこの世界の為になるんじゃ……。
そんな事を思いながらもひとまず、ゴミを見るような目をしていた女性剣士に謝罪し、馬鹿2人を連れて残りのメンバーを探すべく歩き出したのだった。
***
「さてと……みんな揃ったな?」
「すまん。空翔る天馬、ここに」
「チッ! ガキ共が調子に乗りやがって」
「はいはーい、闇に抱かれし黎明おっけー」
結局、空翔る天馬が一番バラバラで探し出すのに苦労した。
集まっていたハンター達もその数を半分以下にまで減らしている。
目を離せば女性ハンターに声をかけまくるオルトロスに辟易しつつもつい先ほどようやく全員集合となったのだった。
「うっし! それじゃあのパーティの次に風穴に入るからな! 何があるか分からないんだ、マッピングや各自警戒を怠らないように!」
「了解した」
「んふふ……リュートがいれば百人力だよ。回復は任せな、例え四肢が弾け飛んでも治してア・ゲ・ル♪」
「四肢断裂なんて縁起でもない! そういう不吉な事は言わないでくれるかしら?」
クールなドロテアと、俺に対してやたら色目を使ってくるリオラは180度タイプが違う、弓のシュートは一言も喋らないし魔法少女ミランジェはベリーニと意気投合したらしく2人でキャッキャと黄色い声をあげているし、ミモザはリオラに敵対心剥き出しだ。
もう馬鹿2人は無視する事に決めた。
纏まりが無さ過ぎるこのパーティ、かなり先行き不安だが仕方ない。
風穴の入口は、巨大な魔物の顎骨が大きく開いたまま地面から突き出しているその口の中だ。
顎骨はほぼ化石化しているのだが、その迫力はかなりのものだ。
地面は魔法で加工してあるのかブロック状の階段が設置されている。
風穴に明かりは無く、砂の地面にぽっかりと空いたその入口は底が見えない奈落へと続くかのような錯覚を感じさせる。
俺達の前に入ったパーティの明かりが小さく灯って揺れ動いているのが見えるが、周囲の闇が濃く、すぐに飲み込まれてしまった。
風穴が放つ迫力と、パーティリーダーだという重圧でゴクリと喉が鳴る。
「行くぞ皆! 【打ち捨てられし暴虐の回廊】に潜入だ!」
「「「「「オオー!!」」」」
1度拳を強く握り締め、自分を鼓舞する意味も込めて一際大きな声で出発の合図をし、‘ライティング’の魔法で明かりを灯し、一歩一歩闇の中へと足を踏み入れていく。
大丈夫、大丈夫だと自分に言い聞かせながら。




