癒し
オアシスに到着した先発隊100名の足取りはかなり重い。
大半のハンター達は乗り慣れないシロッコの揺れによりグロッキー状態になっており、一様に青い顔をして口を押さえている。
かく言う俺もその中の1人であり、後ろに乗っていたミモザと支え合いながらフラフラと歩いていた。
「大丈夫……じゃなさそーだね……」
背後からベリーニの声が聞こえてきたが振り返る余裕すら無く、片手を上げる事しか出来ない。
「肩貸してあげる。スコッチはミモザをお願い」
「かしこまりました」
フラつく俺の脇にベリーニの小柄な体が滑り込んでくる。
ベリーニとは頭1つ分違う為、肩を貸すと言うより胴体を支えられているような感じになってしまう。
お礼の1つでも言いたいが口を開けば全てが解放されてしまう。
それだけは避けなければならない!
人前で嘔吐だなんて!
それにしてもベリーニ、やけに足取りがしっかりしている。
彼女の顔をチラ見してみると、その顔は実に生き生きとした顔をしている。
まるで何事も無かったようだ。
「ベリーニ様は何故酔っていないのかと思っていますね?」
ミモザを支えつつ横を歩いていたスコッチが俺の心を見透かしたようにズバリ言い当ててきた。
お前はエスパーか。
「私が空気抵抗や衝撃を無効果する障壁を張っていたからですよ。それにしても他人の背に乗って移動するのはなかなか良いものですね、速度も申し分無かったですし」
あぁ、そうだ。
スコッチに乗った時に風圧等を全く感じなかった事を思い出した。
だから平気な顔でいられるんだな。
くそう、羨ましい。
しかしこの気持ち悪さ、解毒とかで何とかならないのだろうか。
「ちなみに治癒魔法で緩和する事は出来ますが、完治という訳にはいきません」
どうして俺の考えてる事がわかるのかと突っ込むのはもう止めた。
そんな余裕など最早無い。
吐くまい、吐くまい、と思うほどそっちに意識が集中してゆく。
「うぼろろろろろろ!」
……俺じゃない。
前を歩いていた見覚えのある2人組の男の1人が、耐えきれず胃の中身を盛大にぶちまけたのだ。
その光景を見ていたのは俺達だけじゃない。
周囲にいたハンター達も、青い顔をしかめて忌々しそうに吐瀉物を撒き散らした男を睨み付けている。
皆が耐えているのになんて不甲斐ない、それでもお前はハンターか、と聞こえて来そうな雰囲気だが、思っている事は多分違うだろう。
貰いゲロと言う言葉を知っているだろうか。
吐瀉物から発生するあの独特な芳香は強力な力を秘めている。
普通の状態であの臭いをかいでもキツイのに、集団グロッキー状態のこの場でそんな爆弾を投下したらどうなるだろうか。
別の意味でピリピリとした所に一陣の風が悪戯をする。
吹き抜けるのではなくそよそよと、あくまで場の空気を撹拌するだけの目的で優しく舞い踊る。
これはヤバい。
危険な香りを吸ってしまったのであろうハンターが口を押さえ、その場にうずくまる。
dead or a live の文字が頭に浮かぶ。
ここにいたら駄目だ。
登ってくる胃の中身を飲み込んで声を絞り出す。
「スコッチ、ここから離れろ……3人まとめていけるか……?」
「かしこまりました。それぐらい造作もありません、ベリーニ様は私に捕まって下さい」
俺とミモザを両脇に抱え、ベリーニを背負ったスコッチは1度しゃがみこみ、爆発音ににた音を立ててその場から前方へ大きく跳躍した。
「「うげろろろろ!」」
「「うっぶぉぉおお!」」
「「おえ”え”え”!」」
跳び上がって幾ばくかの後、スコッチによるジャンプの影響でもうもうと砂煙の舞い上がる地表から、表現するのもおぞましい地獄の怨嗟にも似た多数の声が響き渡る。
100名のハンターの大半、そんな大人数が撒き散らかす大量の貰いゲロ。
想像するだけでも寒気がする。
下手したらこのまま空中でセスナ機による農薬散布のように俺もまた胃の内容物を広範囲に散布してしまうだろう。
「ご主人様、さすがにご主人様でも今戻されたら私とて否応無くこの手を離し、地表へと即刻お帰り願いますのであしからず」
さすが高尚なるドラゴン様、今吐いたら捨てるからよろしくとにべも無く言い放つ。
何があっても付き従うと言ったのはどこの誰だったであろうか。
だがしかし、ひゅうひゅうと顔を撫ぜる風はとても気持ちがいい。
少しではあるが照りつける熱さも軽くなる。
あれ、でも待てよ。
飛び上がったって事はいずれ降下するわけで。
今現在、目測でも地表から50mは離れているだろう。
そしてぐんぐんと近づいてくるオアシスの前に作られた簡素な村。
「スコッチ、まさか」
「このままあの中継所まで入ってしまおうと思っておりますが」
「や、やめ……」
「何故ですか? あ、そろそろ落ちます、しっかりと胃の中身をお締め下さいませ」
「ひっ……それを言うならシートベどぅふうううう!」
「いやっほーい!」
スコッチに背負られながら黄色い声を上げてはしゃぐベリーニ。
落下によりくの字に曲げられた体が強制的に伸ばされる。
命綱はスコッチの片腕のみのフリーフォールが始まった。
ミモザの意識はとうに無くなっているのだろう、ぐったり……いや、伸びきって落下をする彼女の顔は白目を向き口を半開きにしたゾンビのようで、俺は慌てて視線を逸らした。
なんて……ひどい……!
だが俺も人の心配をしている余裕は無かった。
玉ヒュンどころの話では無い。
落下時にかかるGの影響か、今朝食べたパンとスープの融合体がエイリアンの如く胃を食道を咽頭をと暴れまわる。
ンピュッ
あ。ちょっと出た。
口内を満たしていく酸性の液体が鼻腔を犯し始める。
脳内で悪魔の囁く声が聞こえてくる。
吐いてしまえ、そうすれば全て楽になる、つらいだろう? 苦しいだろう? 我慢するのは良くないぞ、と。
しかし対の天使様がかろうじて擁護に入る。
駄目だ! ここで吐いてしまえば全てが台無しだ! 出すのは簡単だ、だが吐いてしまえばスコッチに捨てられる。捨てられた先はどうなる? 胃の中身だけでなく臓物や脳漿までその身から吐き出す気なのかい? と。
答えはNO。
断固としてNOだ。
死んだ原因が嘔吐しながらの飛び降りなど是が非でも拒否する!
そんな葛藤をしている間にも地面はどんどん近づき、地面を凹ませて着地するかと歯を食いしばった。
衝撃に備えようと目をつぶり、口を両手で押さえつける。
50mから落下した衝撃はどの程度のものなのだろう、絶対吐くだろうな。
だがいつまで経ってもその瞬間は訪れない、まさか無意識のうちに吐いてしまいスコッチに捨てられ自分はとっくに死んだのではないだろうか?
「ほぅ。飛翔魔法を使いこなす者がここに混じっているとは驚いたな」
あぁ、知らない声が聞こえる。
俺はやはり死んでしまったのか、この声は天使だろうか、悪魔だろうか。
野太いおっさんの声を放つのは死神に違いない、こんなしゃがれた声の天使なんていてたまるか。
「これはどうも。お初にお目にかかります、スコティッシュ・フォン・バルトフェルドと申します」
「それも妙齢の獣人、おまけに礼儀も弁えているとはな」
「して、あなたは」
「これは失敬、俺の名前はダグラスだよろしく頼むぜ」
おかしいな。
スコッチの声も聞こえる。
しかもご丁寧に死神の自己紹介付きだ。
「いつまでその荷物を抱えているんだ?」
「あぁ、そうですね。目を開けてくださいご主人様」
脇に感じていた圧迫感が消え、一瞬の浮遊感と共に顔面へ大きな衝撃が走る。
「いってぇええええ! これ砂じゃねぇのか! スコッチてめぇいきなり離すとはどういう了見……うぶぅ!」
ザリザリした感触が顔全体から感じられ、鼻骨が酷く痛い。
その痛みで吐きそうになっていた事も忘れてスコッチへくってかかる。
だが当の吐き気は顔面の痛みなど超越して、再度食道を駆け上がって来た。
「おうおう……ずいぶんとだらしねぇな。シロッコに酔うって事はお前さん低ランカーだな?」
噴出しそうになる口を両手で必死に押さえ、男の言葉に静かに1度頷いて答える。
「まぁいい。この丸薬でも飲んでしばらく横になってろ。そうすりゃじきに収まるだろうよ」
「ず、ずびばぜん」
「そこのアンデッドみたいになってる嬢ちゃんにも飲ませてやれ。めちゃくちゃ苦いが吐き出すんじゃないぞ?」
「びゃい」
鼻を打った痛みも合わさり、鼻水を垂れ流しながら差し出された丸薬を受け取り一息に飲み込む。
もちろん逆流してきた液体が水代わりだ。
酸味とうまく調和して男の言っていた苦味もそれほど感じられない。
アンデットと呼ばれたミモザにはベリーニが水と一緒に無理やり口の中に押し込んでいる。
俺は若干涙目になりながらも、砂とは違う質感の地面へ大人しく横になる事にした。
傍らではスコッチとダグラスが何やら話をしている。
どうやらここは中継所の入口に位置している場所らしく、高ランカーの元気なハンター達が次々と中へ入っていく。
中継所は藁葺きの屋根に木枠を組んで板を嵌め込んだだけの簡素な建物が整然と並んでいる。
踏み固められた土の道がその横を通り、その奥からは青々しいオアシスの緑が顔を覗かせており、見るからに涼しげだ。
「おい兄ちゃん。病んでいる所悪いんだがあと半刻もしたら1次探索の開始だ、集合場所はここと反対側の広場だ遅れんなよ」
ダグラスはそれだけ言うと、さっさとどこかへ行ってしまった。
返事をしなくてもいいように俺の事を気遣ってくれたのだろうか。
ゴリラヤクザみたいな風体だが優しい所もあるんだな。
「容態の方はいかがですかご主人様」
「ん……まぁまぁ、だな……」
「そうですか。半刻ともなればゆっくりしている暇は無いので担いでいきましょうか?」
「いや、大丈夫だ。気持ち悪さがどんどん抜けていってる。もう少ししたら大丈夫だ。それより……」
ちら、と横に寝かされているミモザを見る。
額にうっすらと汗が滲んでいるが、先ほどまでの青白い顔では無くなっておりもう少しで回復するだろう。
「ミモザ様も大丈夫そうですね、今ベリーニ様が色々と手続きをしてくださっています。ベリーニ様が戻り次第向かうとしましょう」
「分かった。所で手続きってなんだ?」
「よく分かりませんが泊まる宿関係ではないでしょうか?」
「そうか」
「はい」
なんだかんだでベリーニにはそういう事務手続きを押し付けているような気もする。
今度教えてもらおう。
いずれ俺がやる事にもなるんだろうしな。
「ふぅ……気持ちいいな」
「そうですね」
小さな溜息を吐き、静かに瞼を閉じる。
地面は熱い砂では無く、ひんやりとした石畳。
太陽に晒されても冷たいのは地面から突き出る散水弁から放たれる霧状の水のおかげだろう。
冷たい霧が風に乗って肌を撫でるのもとても心地良い。
浸っている俺の心情を理解しているのか、スコッチは一言頷いただけで黙り込みじっと立ち尽くしていた。




