第6話:ベル ― 最後に残された、気高き男
ベルと出会ったのは、2020年の6月のことだ。
いつものように、僕たちはのーす、アース、モコのためのフードや日用品を買いに、近所のペットショップへ通っていた。ペットと触れ合えるその場所は、僕たち家族にとってささやかな楽しみの場だった。
その中に、ベルはいた。
彼は、あまりに長くそこにいた。僕たちが訪れるたびに、彼のゲージの周りにいた他の猫たちは次々と新しい家族のもとへ旅立っていった。けれど、ベルだけはずっと、そこに取り残されていた。
僕は行くたびにベルと遊び、元妻に「この子を連れて帰ろうよ」と何度も促していた。しかし、決断は下されないまま、半年という月日が過ぎていった。
6月に出会い、季節が巡り、年末が押し迫ったある日。いつものようにショップを覗くと、まだベルはそこにいた。狭いゲージの中で、ただ静かに時を過ごす彼の姿を見て、元妻はようやく決意した。「家族になろう」。
その場で抱き上げたとき、店員さんと元妻が互いに涙を流していた光景を、僕は今も鮮明に覚えている。彼は、僕たちが最後に選んだ、一番大切な末っ子になった。
ベルは一番のマイペースだった。けれど、食欲だけは誰よりも旺盛で、よくお腹を壊しては僕たちを慌てさせた。そんな危なっかしいところも含めて、彼は紛れもない僕たちの家族だった。
けれど、穏やかな日々には、予期せぬ影も落ちた。
家族になって数ヶ月経ったある日、ベルはキャットタワーからテレビボードへ飛び移ろうとして足を滑らせた。落下した直後、今まで聞いたこともないような悲鳴をあげ、身を伏せるようにしてベッドの下へ潜り込んでいった。
這い出てきた彼が、後ろ脚を引きずっているのを見た瞬間、全身の血が引いた。すぐに連れて行った病院で告げられたのは「腰の骨が折れている」という診断だった。
絶句した。あの時、僕がもっとちゃんと見ていてやれば。僕の不注意のせいで、こんな小さな体に激痛を与えてしまった。悔恨に押し潰されそうになりながら、僕は彼の治療に奔走した。
治療は1年近くにおよんだ。それでもベルは耐え抜き、奇跡的に完治した。今では嘘のように走り回れるようになったけれど、あの時の彼の悲鳴は、今も僕の耳の奥に張り付いている。
ベルは、僕たちにとって最後に来た子であり、どこか気高い男としての矜持を秘めていた。甘えたいときにはとことん甘え、気まぐれに冷たくあしらう。カーテンの陰から僕をじっと見つめるその視線は、いつもどこか遠くの孤独を見通しているようだった。
第1話で僕が家を出たとき、カーテンの陰に隠れて僕を見つめていたあの視線。彼だけが、この家の終わりを一番鋭く感じ取っていたのかもしれない。
のーす、アース、モコ、ベル。
僕の人生を彩った、四つの小さな命。
君たちが僕にくれたのは、ただの「ペットとの時間」なんかじゃない。命の脆さと、誰かを想うことの痛み、そして愛することの尊さだ。
今はもう、あの部屋に僕の荷物も、僕の気配もない。
ベル、君は今も、窓辺で誰かを待っているだろうか。それとも、のーすやアースたちと寄り添って、穏やかな陽だまりの中にいるのだろうか。
僕の物語はここで終わるけれど、君たちとの思い出は、僕が生きている限り、消えることはない。
例え誓約書という檻の中にいても、例え僕の姿が君たちの記憶から薄れていても、君たちが僕の人生を温めてくれた事実は、決して奪えない。
ありがとう。君たちの名前を呼ぶだけで、僕は少しだけ、強くなれる気がするんだ。
いつかまた、巡り会えるその時まで。
僕の小さな家族へ、この祈りを捧げます。




