第8話 主の命令
努めて注視するカレーに対し、(わーおいしそー)と心の中でわざとらしく叫びながら、一口。
「! こ、この味は…………」
「気に入っていただけたかな?」
里璃が驚きを隠せずにいれば、静かに届く「夜」の声。
先ほど目を逸らした事実も忘れ、視線をそちらへ向けたなら、定位置に戻ったトヒテを後ろに、「夜」が頬杖をついた姿がある。
「な……どうして、これ?」
「それを食したかったのではないか? 紛うことなき、お前の家の味を」
「…………」
言葉を失くした里璃は、もう一掬い、カレーを口に入れた。
味は、腹が立つほど絶品である。
何故腹が立つのかといえば、この味には覚えがあったからだ。
不意打ちで味見させられた、兄の特性味付けカレーと同じ味が。
「……か、カレー泥棒?」
そんな馬鹿なと思いつつ、「夜」を上目遣いに見たなら、一瞬停止、後。
「ふむ? なかなか面白いことを言う。しかし、そのような趣味に興じる時間なぞ私にはない。第一、ヒトの食すモノは食べられぬゆえ」
「食べ、られない?」
「ああ。飲料に関しては問題ないのだが」
頷かれ、思わず里璃はテーブル上のカレーを見やった。
「夜」がこれを食べないなら、この一団はどういう結末を迎えるのか。
ふと、視界の端にトヒテの姿が映る。
「……もしかして、トヒテが残ったのを食べる、とか?」
想像してみたが、残り物のカレーを頬張る美少女の姿は、どれだけ首を捻っても形にならなかった。
「いや。トヒテは何も食せぬ」
「…………え?」
呟いた独り言を拾われ、里璃は目を丸くする。
返答を期待しない疑問に答えがもたらされたことより、その答え自体に驚いたなら、「夜」の方まで若干身じろいだ。
「……トヒテから聞いておらぬのか? ヒトではないと」
「いえ、それは聞きましたけど」
「では、中身は見たか?」
「へ? 中身?」
何を言っているのか分からない顔をしたなら、納得したように「夜」が頷いた。
「ふむ……トヒテ」
『はい』
返事は里璃の背後、控えていたアメジストの眼を持つトヒテから。
静かに里璃の隣まで進み出たトヒテへ、「夜」は短く命を下す。
「脱げ」
ぎょっとする内容に対し、当のトヒテは、
『畏まり』
「はあっ!? ちょ、ちょっと待って!?」
『――ました』
里璃の動揺を余所に、首の後ろへと手を回した。
しゅるり、紐の解かれる音が続く。
「ま、待って!? ど、どうしてトヒテが脱がなきゃ」
『里璃様。申し訳ございませんが、御前の御命令は最優先事項。いかに貴方様が制止を叫ばれようとも、御聞きする訳には参りません――という断りを、このような姿勢で入れること、お許しくださいませ』
トヒテは少し前屈みになりつつ、なおもごそごそ背後に回した手を動かす。
「ええっ!? ちょ、ちょっと「夜」さん……様? と、とにかく、トヒテに脱げなんて!?」
決意の固い彼女を知り、命令した当人に取り消しを求めれば、今度はきちんとワインらしい色合いのグラスを手にした「夜」が言う。
「敬称は不要だ。「夜」で構わぬ」
「いや、問題はそこじゃなくて!!」
『はい、脱げました』
「!!」
ジャジャーンという効果音が付きそうな、機械的でありながら楽しそうな声が隣からやって来た。箱の中に詰められたマジシャンが、一瞬にして外へ飛び出す、そんな誇らしげな響き。
正直、見たくはない。
見たくはないが、服の中身を里璃へ見せるため、脱いだトヒテをそのままにしておくことはできなかった。特に、真正面にいる「夜」の黒い目がワイン以外を映せば、確実に隣の彼女を捉えてしまう。
――服を脱いだ、あられもない姿のトヒテを眺める「夜」。
想像だけで、激しい動悸に襲われそうだった。
それとも、こんなことは日常茶飯事なのだろうか。
軽々しく「脱げ」と言うくらいだ。
……だからといって、里璃の心が休まる話ではないが。
恐る恐る、赤か青か、染まる色に迷う顔を、隣のトヒテへと向け。
「……………………………………………………機械?」
『いいえ。電力に依らぬ、絡繰りにございます。形代ですから』
機械的な声でそう答える隣のトヒテ。
里璃は先ほどまでの焦りも忘れ、まじまじと首から下、曝け出されたトヒテの身体を見た。
数度瞬き。
変わらないそこには、トヒテの背後も隙間から覗ける、歯車や螺子、鉄板といった、凡そヒトらしからぬ構造がある。
「……寝取る機能はない…………壊されたって……つまり、そういう?」
遅れてやってきた、着替え時の「夜」とトヒテのやり取りに対する理解。覗き込むように問えば、里璃が中身を見たためか、脱いだ服を再び着付けつつ、
『はい。ワタクシには女性の機能はございません。体裁が女性として整えられているだけなのです』
「だから、食べ物も?」
『はい。ワタクシの身体は、定期的にメンテナンスを受ければ、半永久的に稼動いたしますので、食物摂取はもちろん、燃料補給も不要です』
「そうなんだ……」
としか、言いようがない。
トヒテが絡繰り仕立てと分かれば、瞳の色以外、同じ姿形をしている理由も分かる。が、何をどうすれば彼女らがこうして動き語れるのか、そちらはさっぱり分からなかった。専門家でも何でもない里璃、ふと気づいて問う。
「メンテナンスを受ける? あれ? それじゃあ、壊されたってどういう……あ、ごめん」
『いかがされましたか、里璃様? 謝られる理由にワタクシは心当たりがありません』
「いや……だって、トヒテの仲間だったんでしょ? それなのに、私」
部外者である自分が、容易く「壊された」と口にしたことを悔やむ。
彼女らに心があるかは別としても、心ない言葉を吐いてしまったと。
壊れるとは即ち、人で言う死を意味しているのに。
大叔母のエルが死んだと聞かされた時、彼女との関係が希薄であった両親は、世間話のように語っていたが、里璃はショックを受けていた。
思い出した感触に下唇を噛む。
――と。
『はあ、そういうことでしたら、御前に仰ってくださいまし。ワタクシはワタクシが幾ら壊れようが全く気にしませんが』
「……トヒテ」
咎める声が「夜」から為された。
ゆるゆるそちらを見たなら、纏う気配に不快が含まれる。
しかし淡々とした調子のトヒテは、言葉として命じられない以上、察する気はない様子で続けた。
『ワタクシはヒトで言うところの、娘ですので』
「……誰の?」
『もちろん、御前の』
「…………ぜ、全部?」
『はい、全て。トヒテは御前の娘であり、なおかつ、この屋敷に勤める給仕』
「………………」
「夜」に謝罪した方が良い、というトヒテの言葉は理解できた。
今しがた見た中身を考慮したなら、トヒテの製作者たる「夜」の労苦は、大変なモノだろう。自身の作品を、息子や娘と表す話は聞いたことがあるので、その辺も別段おかしなことではない。
しかし、あの、ずらりと並んだトヒテを「夜」一人が作り上げたと思ったなら。
なんともなしに、里璃は感嘆の息をつく。




