第9話 元凶からの手紙
カレーを食べ終えた里理。
順番的に「それでは本題に」となる場面だろうが、それよりも並べられたカレーの行く末が気になった。この場に置いては里璃以外が口にできないこのカレーたち。このまま廃棄されてしまうのではないか。
これを率直に尋ねたなら、「夜」はこれらのカレーは元の時に戻るのだと答えた。
意味が理解できない里璃が眉根を寄せれば、「夜」がテーブルを指で軽く叩く。
途端、音もなく消え去ったカレーたち。
これが魔法かと驚く里理へ、彼は言う。
テーブルに並んでいたカレーは、別の時から存在だけを引っ張ってきた代物で、こちらが手をつけなければ、元の時に戻れるのだと。
ならば、手をつけた場合、元の場所に戻らないカレーが出てくるのではないか。
やはりカレー泥棒では? と疑る里理へ、「夜」は面白そうな調子で言う。
最初から存在自体なければ、問題はなかろう、と。
「……そ、それってつまり、私の家にあるカレーは、最初から一食分抜かれていた、と?」
「違うな。今、お前の家に戻ったとしても、ルーの嵩に変化はない。不確定の未来、お前が食したのはそういう存在だ」
「???」
「……ふむ。分からなければ、幻の一杯を食したと思え。選択されなかった未来、パラレルの軸から弾かれた存在…………表し方は数限りないが、早い話、他のカレーをお前が食しても、盗んだことにはならん」
「……はあ」
理解は追いつかないが、泥棒にならないなら、問題はないのだろう。
第一、あれだけ並んでいたカレーの内、手をつけたのは自宅のカレーだけなのだ。減ったところで、自分の家のモノなら、文句を言われる筋合いはない。
しかもほとんど自分作。
仕上げの味付けで、激的な変化がもたらされていようとも、食す権利は兄より高いはずである。
無理矢理にでも納得したなら、食後のデザートとして、チョコレートパフェが用意された。
自宅で用意した覚えはないため、躊躇したなら、ワイングラスを傾けた「夜」が言う。
「案ずることはない。それはトヒテが実在の材料で作った品だ」
「え……」
それはそれで、食べる気をなくす話である。
何せトヒテは味見すらできない身の上。
そんな彼女が作ったモノは、只人の自分が食せるモノなのか。
用意された柄の長いスプーンを手にしても、差し込むまでには至らず。
そんな里璃の様子を受け、「夜」が思案げに首を傾げた。
「リリよ。甘味は苦手か?」
「サトリです。いや、苦手というか……」
ちらり、「夜」の傍に控えるトヒテの無表情を伺う。
ずっとそこにいる彼女が目の前のパフェを作ったはずもないが、同じトヒテ。
まさかストレートに、食べ物を食べない相手の料理は不安を感じる、と言う訳にもいかない。
しかし、「夜」はそれで察してしまったようで、
「ふむ。案ずることはない。確かにトヒテは物を食さぬが知識はある。もし、愛情がなければというなら、尚のこと、問題はなかろう。トヒテの存在自体が一種の愛だ」
『はい、その通りでございます』
「……そ、そうですか」
暴露された胸内の気まずさは、よく分からない主従の話で愛想笑いに変じた。
里理は意を決してパフェを掬い取る。
間違いがあったとしても、砂糖と塩くらいの間違いで済むよう祈りつつ、ぱくりと上部のチョコアイスと生クリームを口に入れ、
「…………………………美味しい」
驚きに目が真ん丸くなった。
程好くホイップされた生クリームの濃厚な味わいと、ほろ苦くも甘いアイスの冷たい口当たりが、混じり合ってはまろやかさを増し、さりとて余韻にくどさはない。
惚けた顔でトヒテを見たなら、サンストーンの瞳が笑んで見えた。
『御口に合われたようで、何よりでございます』
しかしそれも一瞬のこと。
語れば響く機械的な声音には、感情が欠落していた。
(人間、じゃないけど……見た目で判断しちゃいけないんだなぁ)
絶品と分かった以上、迷う心は他方に捨て、スプーンを進めつつ里理は思った。
* * *
両手を合わせ、目を閉じて。
「ごちそうさまでした」
肩の力を抜き、背もたれに身を預ける。
そこそこ苦しくなった腹に手を当て、ひと擦り。
身を起こしては、椅子にきちんと座り直した。
なし崩しで夕飯をいただいてしまったが、本題はこれから。
短く息を吸い、長く吐き出し、
「あの、それでどうして、私はここに?」
最初の問い。
自宅の居間にいたはずが、珍妙な箱に触れた途端、見知らぬこの屋敷に来た、そもそもの理由。
方法は、分かる。
何せ相手は魔法という、幻想の産物だった、なんともいかがわしい力を、当然の如く口にしていたのだから。
魔法を用いられて、ココに連れてこられた――。
攫われた、と言った方が正しいのかもしれない。
どちらにせよ、縁遠いどころか、在りはしまいと思っていた力。
詳しく考えても埒は明かないだろう。
想像の範囲外は適当に放り捨て、招かれた用件だけを問うつもりの里理へ、「夜」は言葉で答えることなく、指揮者のように手を軽く振った。
『はい。里理様、こちらをどうぞ』
気だるげな主の無言の指示に応えたのは、アメジストの瞳を持つトヒテ。
「あ、うん……封筒?」
差し出された白い封筒に首を傾げたなら、す……とペーパーナイフが視界の端に現れる。
コレを受け取り、トヒテへ礼を言えば、無表情のまま傾ぐ顔。
『御礼を賜る所以が判別しきれぬのですが?』
「え……いや、まあ、挨拶だと思って」
『はあ……?』
――誰かに何かをして貰った時、それがお節介であっても、嫌いな人間だったとしても、礼は言うべきだ。
と、お節介どころか、傍迷惑にしかならない行動をする兄に言われ続けた里理。
ほとんど洗脳の域で習慣づいてしまったが、大抵、礼を言われた相手はそんなに悪い顔をしなかったので、説明を求められても応える言葉がない。
挨拶と聞いて、困惑を雰囲気に滲ませる無表情のトヒテへ、これ以上重ねられる言葉も見当たらず、里理はいそいそ封筒を裏返した。
するとそこに見つける、ここへ来る前に目にした筆跡。
「……大叔母さんからの?」
「そう。エルからの手紙だ」
「夜」へ確認を取れば、鷹揚に頷いた。
「私との取引に応じたエルは、手紙をお前に渡して欲しいと条件を付けた。何が書かれているのか問うても、彼女は答えなかった。それで気になってな。エルと分かれてから幾度か開けようと試みたのだが」
「……他人に渡す手紙、勝手に読もうとしたんですか?」
紳士然の動作から、思慮分別のある人だとばかり。
そんな思い込みを崩され、呆気に取られる里理に対し、「夜」は少しも悪びれた様子なく言ってのける。
「ふむ? 気にならぬか? 幾ら問うても答えを得られぬ内容だぞ?」
「ど、同意を求められても……」
戸惑うことしかできない里理に、姿勢を正した「夜」は、テーブルの上で手を組むと、至極、真剣な声音で、
「それにエルは魔女だ。彼女を信用していないわけではないが、手紙に何らかの魔法が仕掛けられている可能性もある。たとえば、時間差で発動する、もしくは、特定の人物に渡した途端……」
「!」
含まれた意を察し、里理の眼が手にした封筒へ向けられた。
大叔母に限って里理へ害を為すとは覚えない――と思っていたのは昔の話。
この妙な連中に囲まれる羽目になった原因に、大叔母が深く関わっていそうな今となっては、疑心暗鬼だけが募りに募る。
「まあ、仕掛けはあるまい。中身は調べられなんだが、呪いの気配は見当たらぬしな」
「そう、ですか……」
「そうだ」
では何故、無闇に人を警戒させるようなことを?
言葉には出さず、黒茶の眼で「夜」の黒い双眸を睨む。
怯まずこれを受けた「夜」は、小首を傾げて手を差し出した。
「さておき。開けぬのか、リリよ」
「サトリです。……言われなくたって」
文句は唇の先にだけ留め、ペーパーナイフを用いて開封。
「夜」から開けられなかったと聞いていたので、あっさり取り出せる中身に、少しばかり唖然としてしまった。
恐る恐る取り出せば、四つ折の便箋が二枚。
ゆっくり、開き――――
「……あの?」
いきなり手紙と里理との間に割り込んできた、ツインテールの後頭部に戸惑った。
当のトヒテは気にも止めず、
『……ダメです。やはり内容が分かぬよう、細工が施されております』
「そうか……残念だ」
「……まだ諦めてなかったんですか、手紙の覗き見。……トヒテ、退けて貰っても?」
『はい。失礼いたしました』
悪びれた様子のない謝罪を受け、里理はなんともなしにため息を一つ。
こちらに手紙を読むようせっつく、白仮面と無表情たちを胡乱な瞳で一瞥。
それからようやく、便箋へと視線を落とす。
声に出して読めと、視線だけでねだる「夜」には構わず、黙って大叔母の文字を追った。
描かれている文字は、日本語でも、大叔母の母国語でもないのだが、これも魔法のせいなのか、読解はすんなりできた。
――親愛なるリリへ
貴女がこの手紙を読む頃、私はもう、この世に居ないでしょう。
本当は私が直接、貴女に伝えたかったのだけれど、ある理由から私は現在暮らしている場所を離れられず、電話も使用できません。
その理由はここには記しませんが、いつの日か分かることと思います。
それよりも今は私の古い知人、「夜」について語った方が良いでしょう。
一つ、訂正をさせて貰えるなら、彼に託したこの手紙は、本当は貴女が彼に会う前に、貴女の手に渡っているはずでした。
ふふふ、妙な言い回しと首を傾げているかしら?
まるで届かないことを前提として認めていると。
正解よ、リリ。
この手紙が「夜」には読めなかった旨を聞いていると思われますが、つまりはそういうことなのです。
「夜」は私が託した、どうしても読めないこの手紙を、どうにかして貴女より先に読みたくて、期日まで貴女に渡さず、自身の手元に置いていたと――
そこまで読んで、里理は呆れ果てた視線を「夜」へと送った。
「……どうした?」
何かしら、手紙の内容が聞けるのではないかと、声に若干の期待を含む「夜」。
結局、里理が発したのはため息だけで、再び眼は便箋に移る。
至極残念そうな「夜」だけを残して。
何故、そんな「夜」の行動を予測できたくせに、開封できない魔法を掛けたのか。
疑問は残るでしょうが、一先ず、私の経緯を聞いて頂戴。
もう疑いようもないでしょうけれど、改めて言うわ。
貴女の大叔母であるエル・H・ゼウバライは、幼い貴女へ告げた通り、正真正銘の魔女。それも、お伽話に出てくるような、悪い意味合いを兼ねた魔女なのです。
優しい貴女のことだから、私が悪い魔女だと言われて、首を傾げているかもしれないけれど、救いようがないほど悪いのは確かです。
何せ、ヒトから見て「悪魔」と称されるに相応しい存在へ、あるモノと引き換えに、様々な品物を手に入れたのだから。
あるモノ――それは、我が一族の血に連なる全ての親族の身柄。
「……は?」
茫然とした言葉が漏れた。
顔を上げ、「夜」を見つめ、
「……あの、これって本当ですか?」
「これ、とは?」
便箋を指差せば、ぐっと身を乗り出す「夜」。
よほど手紙の内容が気になるらしい。
「いや……その、親族の身柄と引き換えに色んな品物をって」
「なんだ。そのことか……」
途端、がっかりした様子で椅子に身体を預け、「夜」の手が軽く振られた。
すると横合いからトヒテが差し出す、厳めしい羊皮紙の束。
便箋は手にしたまま、これを受け取った里理は、まず喉で呻いた。
年季を感じさせる薄汚れた色合いはともかく、そこに書かれた細かい文字は乾いた血の色。気分的に身体から距離を置いた位置で、便箋同様、読解のできる不思議な文字を追い。
「嘘……大叔母さん…………何を考えて、こんな」
テーブルへ羊皮紙を置けば、すかさずトヒテが回収する。
次いで、何もなくなった白いテーブルに肘をつき、里理は額を押さえた。
今し方読んだものが信じられないと、緩く首を振ったなら、染み渡る低い声音が苛むように響く。
「嘘ではない。エルは確かに契約を行っている。それも数多の相手と」
「でも、だからって……」
口にするのも憚られる、羊皮紙の内容。
事細かな部分を割愛し、端的に示せば、それは人身や臓器の売買を表していた。
何を隠そう、里理自身の名もそこに在り、「塊」という者の下へ、売られる手筈となっていた。
それも、十四の頃合で。
今の齢にして四年前の話、当に過ぎた齢ではある。
しかし、酷い寒気を覚えた。
里理には覚えがあったのだ。
示された齢の頃に、一度だけ。
奇怪な出来事が里璃の身に降りかかっていた。




