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エピローグ 〜甥から叔母に届いた手紙〜

 手紙と共に届けられたその写真には、西洋式の軍服に身を包んだ精悍(せいかん)な佇まいの青年が写っている。

 若かりし頃の兄英龍によく似ていて、つい口元がほころんだ。


 アメリカからここ韮山まで長い旅路を経て届けられた手紙の封筒の宛先は英語で書かれているので私には読めなかったが、『H・T・Yegawa』の『H』は英武、『T』は太郎左衛門、『Yegawa』は江川のことだと柏木忠俊(ただとし)と名を変えた総蔵が教えてくれた。『忠』の字は兄が贈ったものだ。


 父や兄も名乗っていた太郎左衛門の名を、異国で生活している甥が今もなお受け継いでくれていることが嬉しい。英武は兄の五男・籌之助である。


 兄亡き後、家督と職を継いだ三男・英敏(保之丞)は義姉・越と同じ文久2年に亡くなってしまった。


 わずか9 歳で韮山代官となった籌之助は、殺伐とした幕末を総蔵の知略と斎藤弥九郎殿の尽力、兄が遺した人脈により何とか乗り切った。



 英武は昨年の明治4年12月、『岩倉使節団』と共に海軍留学生としてアメリカに旅立った。


 律儀な甥は新しい生活で忙しいであろう中、出立して3 か月後にこの手紙を送ってくれた。『ぴーくすきる兵学校のゆにーほるむ』と言うらしい軍服を凛々しく着こなす甥の写真を見つめる瞳が揺れて一筋の涙が零れ落ちた。



 甥と共にアメリカに旅立った岩倉使節団には、兄が目を掛けて才能を育てていた家臣・肥田浜五郎(ひだはまごろう)がいる。

 

 兄の主治医だった肥田春安先生の息子で武士ではなかった彼は、長崎海軍伝習所で学び日本海軍機関科士官(きかんかしかん)第一号になり、咸臨丸(かいりんまる)では機関長を勤め、今やこの国の造船技術の第一人者である。


 一方で同じくらい兄に目を掛けられていた、松岡正平の三男・松岡磐吉(まつおかばんきち)は、榎本武揚(えのもとたけあき)殿らと共に函館にて敗戦し捕らわれた後、昨年釈放を待つ間に獄中死した。



 

 今はまだ夜も明けたばかり、『東の野に炎の立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ』のように朝日と残月が混在している。


 兄、義姉、保之丞、御先祖様、大奥でお世話になった方々を偲んで焚いた線香からうっすらと白く細長い煙が立ち上る。

 


 新しい時代を切り開こうと薩長率いる官軍に属した人々も、最期まで徳川将軍家への忠義を貫いた旧幕府軍の人々も、もとは『この国を守る』という同じ大志を抱いていたはずだった。

 英龍や後を継いだ英敏、英武の塾で学んだ才気溢れる者達の命運が、夜が明ける時に真っ二つに分かれてしまった。

 

 徳川への忠義と誇りを胸に戦った旧幕府軍は線香の煙のように儚く消え、勝利を手にしたはずの明治政府もまた、灰の上に立つ線香のように足元がおぼつかない。



「兄上様がご健勝ならば、「自分が米国に行きたかった」と悔しがったでしょうね。」

と独りごちる。臨終間際まで、何としても城に出仕し職務を遂行しようとした兄のことだから、きっと今のこの国を見たらもう一働きしなければと奮起したに違いない。



 兄は夜明け前に死んでしまった。海防のための『お台場』、砲を自国で大量生産するための『反射炉』西洋の軍隊を模した『農兵』、海からやってくる脅威から国を守る『海軍と軍艦』、それらを学び受け継いでくれる『人材の育成』など、数々の種を撒いて手塩をかけて、己の命をかけて育んでいたのに、その種が花開き実を結ぶ前に亡くなってしまった。

 


 線香の灰は植物にとって良い(かて)になるという。

 この線香が燃え尽きて灰になったら、義姉の御先祖様である北条早雲公が植えられた『キササゲの木』の根元に撒こうか。

 

 江川の家を守り続けてくれたこの木が、今年も淡く黄色い花を咲かせ良薬となる実をたくさんつけてくれるように。


 やがてこの家に帰ってくる、兄が遺したもう一つの『種』、英武の人生が花開き実を結ぶよう見守ってもらえるように。

参考文献

『幕末の知られざる巨人 江川英龍』 橋本敬之

『江川家の至宝』 橋本敬之

『写真集 日本近代化へのまなざし』 江川文庫編

『韮山塾・芝新銭座大小砲習練場 伊豆韮山代官江川英龍門人録』 橋本敬之編

『実伝 江川太郎左衛門』 仲田正之

『人物業書 江川坦庵』 仲田正之

『韮山町史』『韮山町史年表』『韮山町史の栞』

『韮山町史の栞 柏木忠俊伝』 仲田正之

『ふるさと百話』 静岡新聞社

『江川坦庵全集 別巻』 戸羽山瀚

『最後の韮山代官 江川英武』 伊豆の国市 韮山資料館

『江川太郎左衛門の生涯』 堀内栄人

『評伝 江川太郎左衛門』 加来耕三

『近代日本造船事始』 土屋重朗

『日本の歴史 江戸時代/十九世紀 開国への道 十二』 平川新


お読みいただかきありがとうございました。

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