第1話:満月の薔薇園
夜は薔薇の匂いを濃くする。凍えるほどに甘く、そしてすべてを嘲る。
私の手はいつもと同じように土を抱き、棘を払った。薔薇の赤は深く、まるで夜そのものを溶かしてしまうようだった。
「イザベル、来るのね?」
庭の影から声がした。月光を背にしたその人影は、まるで闇の縁を歩く貴公子のように見えた。
「……はい」
私は小さく答え、土を払いのける。何もかも、ただ静かに終わればよかったのに。
舞踏会の夜、城は光で満ちていた。金箔の壁、煌めくシャンデリア、笑い声。私はただ、庭師の娘でしかない。そんな私が、なぜここにいるのか。
その理由は、彼の微笑みだけだった。
「君を永く、僕のそばに留めたい」
その言葉は風のように軽く、だが胸に突き刺さった。祝福か、呪いか。私には区別がつかない。
彼は私の手を取り、冷たくも熱を帯びた指先で薔薇を差し出した。血のように深紅の花弁。
「これは契りの証だ」
微笑んで言う。次の瞬間、私の胸を彼の指先が刺した。熱が走る。痛みは……ない。
私は倒れなかった。目を閉じ、彼の掌に握られた薔薇を抱く。
温かい血が指の間を伝い、夜の空気に溶けていく。私は笑った。悲しい笑い。
「……これが、永遠……」
その瞬間、庭園の薔薇は不意に香りを変えた。甘さは鋭さを帯び、棘は鋭利に光を反射する。
人々は私を祝福しているのか、それとも滅びを予感しているのか。もはや区別はつかない。
――誰も救われない、という予感だけが、私の心に確かに落ちた。
月光は私を包む。薔薇は笑い、血の香りは世界を満たす。
不死の夜が、始まった。