7.
第一王子・アルベルト王太子。別名、情熱の王子とも呼ばれ、恋愛劇や詩を好み、歯の浮くようなセリフを女性に投げかけることでも知られている。
思慮深く頭脳明晰、とは言い難いものの、類まれな強運によって地位を確立してきた。
両親からの寵愛で王太子に選ばれ、現陛下の腹心である宰相の息子、ルイ・フェイドリングと、王族公爵家の次期当主、デゥーク・グレッグワードの助けもあり、他の王位継承者の追随を許さない。さらには、長らく臣下たちの権力が大きかったこの国では、高位の貴族たちからも御し易い王こそが好まれる。そういった意味でも、支持の厚い王子である。
ーーしかし、それはすべて表向きの話。
「情熱の王子、か……」
つくづく自分には勿体無い二つ名だと、アルベルトは端正な顔立ちに、自虐的な笑みを浮かべる。
そうして、別れの挨拶をすませたオデリアとマーガレットのことを考えながら、骨ばった美しい手で小さな箱を弄んでいた。
「入るぞ」
と、ノックもなしにドアが開く。自分にそんな無礼な真似をする人間は、この世にふたりしかいない。
「国一番のふられ男となった気分はどうだ?」
「後世まで失恋王子として名を残すことは、間違いないな」
一応傷心の身だというのに、気のおけない親友であるルイとデゥークの言葉は、胸に突き刺さるものばかりであった。
アルベルトは、金色の髪をかきあげると、深いため息をついた。
「よく言うな。内心では喜んでいるくせに」
「なんのことだ?」と肩をすくめるデゥークに、アルベルトは詰め寄った。
「昔から、姉上は王妃だなんて似合わない、とひとの恋路の邪魔ばかりしていたではないか。マーガレット側についたのも、そのためだろう?」
「そう恨みがましく言われても、事実は事実だ。姉は王太子殿下の手には余る。なにせ、姉上は認めがらないものの、自分に仕えてくれる男が好きだからな」
悪びれない様子のデゥークを一瞥すると、アルベルトは次にルイを睨む。
「それから、親友の恋人に横恋慕とは、やってくれるな」
「もしマーガレットが本当に王妃になるつもりがあったのなら、私もおとなしく王太子殿下とマーガレットに仕えていた。しかし、実のところ、ふたりにふられて一番喜んでいるのは、殿下の方なんじゃないのか?」
アルベルトはすべてお見通しとばかりに言い放つルイに、苦笑する。
そして、物心ついたときから父に言い聞かせられていた言葉を、思い出した。
ーーお前が将来恋に落ちる女は、この世界の常識をすべて覆し、巨大な富と安寧をもたらすものになる。
それは、母が自分を懐妊すると同時に、王宮占術師によって出された<大予言>だった。
百年に一度ほどの確率でしかもたらされないものの、必ず当たることで知られる<大予言>は、父とその信のおけるわずかな臣下たちの間で、秘匿された。
『富と安寧』よりも、『この世界の常識をすべて覆す』ことをよしとしない人間が、周囲には大勢いたからだ。
そして、万が一<大予言>がもたらされたことが漏れたときのために、アルベルトは道化を演じるよう言いつけられた。誰も脅威だとは思わない王子として、アルベルトは生きていかなければならなかったのだ。
厳しい教育を受けながらも、それをひた隠しにしなければならないのは苦痛だったが、唯一の例外として事情を知るルイとデゥークの前では、本当の自分として振舞うことができた。だからだろうか、自分の人生を不服に思ったことは一度もない。
けれど、ある時まで、アルベルトは自分が恋に落ちる予言の女性など、この世には現れないのではと疑っていた。
周囲にいる完璧な淑女として育てられた女性たちを見ても、心動かされることは一度もなかった。
もしかしたら予言の女性は、この世のどこかにいるのかもしれない。けれど、それは自分の手の届かない場所にいるのでは、と思い始めていたある日。
幼なじみであるデゥークの姉、オデリアを見て、抗いようのない大きな力に動かされるように、彼女に惹かれていくのを感じた。それまではオデリアを前にしてもなにも感じたことがなかったというのに、これが予言の女性なのだという疑いようのない確信が、全身を駆け巡ったのだ。
そして気がついたら、五歳にも満たない幼きアルベルトは、彼女の前に跪いていた。
情熱の王子、という二つ名は、そこから始まったのだ。
しかし、実際には恋も愛も、なにもオデリアとの間には生まれなかった。完全に自分の一方通行だ。オデリアはアルベルトといるとき、いつもどこか遠くを哀しげに見ていた。
なにか辛いことがあるのか。そう聞いてあげることができたら、どんなによかったか。
だが、オデリアはいつもデゥークやナサニエルの前では楽しげに笑っていた。いや、不幸そうにしていたのは、アルベルトの前にいる時だけだったのかもしれない。
それに気がついたとき、自分から彼女に近づくことが、できなくなってしまった。
オデリアは次第に自分のことを軽蔑するようになった。
当たり前だ。聡明な彼女と違って、アルベルト第一王子は他人の言葉を鵜呑みにする傀儡でなければならないのだから。
本当のことを共有するには、オデリアはあまりにも遠すぎた。
もし予言のことを知ってしまえば、彼女はアルベルトと否応なく結婚しなければならなくなる。そう考えると、ついぞ打ち明けることができなかった。
そんな時、入学式の日にマーガレットと出会った。
不思議なものだ。あれだけオデリアのことを愛していたというのに、マーガレットにもまた、同じだけ強い運命を感じたのだ。そしてマーガレットは、アルベルトのことを必要としていた。
ーーいや、正確には未来の王妃という地位を、欲していた。
けれど、それでもよかった。
マーガレットのしたたかな一面も含めて、アルベルトは確かに彼女に恋をしていた。
一緒に店でも見ながら出かけたときに目線が値札にいくのも、生徒政会に三度以上出がらしをとったお茶を出すところも、そして小さな子どもが遊んでいるのを楽しそうに眺めているところも、すべてアルベルトにとっては愛おしかったのだ。
しかし、マーガレットにもまた、予言のことを打ち明けることはできなかった。
彼女が本当に王族の一員になりたいのか、それが分からなかったからだ。いつも傷だらけの手をみては、なにかに思いを馳せていたマーガレット。だが、王族の一員になるのなら、間違いなくその傷はあってはならないものだった。
彼女が過去のしがらみを切り捨てることができたときに、自分のことを話そうとアルベルトは決めていた。
まあ、結局そのような日が来ることは、なかったのだけれど。
「しかし結局のところ、二人にとって、なにが今日という日をそんなに特別にしていたのか、分からずじまいだったな」
疑問を口にするデゥークに、アルベルトは頷く。
ひとつだけ、アルベルトは二人に共通した違和感を抱いていた。
それは時々、二人ともまるで未来を知っているかのように鋭い行動を取ること。また、いやに達観した発言をすることがあることだった。
オデリアとの結婚まであと一年となった時。
意外にも、オデリアは婚約を破談にしたがらなかった。そしてそれを見るマーガレットにも、焦った様子はない。
二人とも共通して、今日という日付に強い思い入れがあることに気がついた。マーガレットにはルイを、オデリアにはデゥークをつけて、二人の目的を探った。そして、アルベルトは二人の思惑通りに動いたのだ。
とはいえさすがに、父や母、国の要人の前でそのような恥を晒すわけにはいかない。
結局、かなり父に無理を言って、王宮を一時借りることにした。マーガレットとオデリアが声をかけていた生徒たちは招待したものの、それ以外の人間は、アルベルトが魔術で一時的に作り上げた幻術だ。
そうして後から、他の人間にはこう伝える。ひとり暴走するアルベルトを抑えきれなかったルイとデゥークが、さきに陛下にこのことを知らせて、手を打っておいたのだと。
そこまでしたのは、マーガレットとオデリアが今日という日を計画通りに進めることが、きっととても大切なことなのだろうと、どこか直感的に感じたからだ。
そしてそれは当たっていた。
アルベルトは知ることができた。
オデリアとマーガレット、アルベルトの愛する彼女たちこそが、やはり予言の女性であるということを。そして、二人のどちらも、自分のものにはならないと。
だが、それでいいと、いまは思えた。
夫である自分にかしずくオデリア。あの手の傷を消したマーガレット。どちらも、自分の愛した彼女たちではなくなってしまう。
「きっと二人は、予言通り変革をもたらすのだろうな」
そうつぶやいたアルベルトは、しかし、いつまでも失恋に浸ってはいられないと、デゥークに命ずる。
「そろそろ二人に、種明かしをしてきた方がいいな。私の見たところ、二人ともかなり招待客の様子に違和感を覚えていた。頼んだよ、ルイ、デゥーク」
両者とも、あからさまに顔をしかめた。
「プライドを傷つけられた姉貴が怒った時、どれだけ恐ろしいか、殿下は知らないからそんな非情なこと命ずることができるんだ」
「マーガレットのちくちくとした小さな嫌味と、どちらがマシかな」
口ではいいながらも、二人もまた、彼女たちのことを愛しているのだ。
オデリアとマーガレットのことを頼んだぞ、とアルベルトは二人の背中を見ながら思う。まあ、自分が口にせずともふたりは上手くやるのだろう。
静けさを取り戻した部屋で、アルベルトは息をつくと、手に持っていた箱を開き、小さな指輪を取り出す。
ーーオデリアに片思いしていた十年間、マーガレットとともに歩んだ三年間、そのどちらも終わったのだ。
これでいい。そう確かに安堵している。だが、失恋の痛みがないわけではない。
酷い予言である。あれだけ夢中になった女性を、手にいれることができないのだから。
いつまでもこうしてはいられないと、しばらくして、指輪を箱の中に戻した時、
「あの、失礼します」おずおずとした声が突然ドアの向こうからかけられて、アルベルトは驚く。
「君は……」
「クイン・アンソン、アンソン伯爵家の長女です」
ドアを開けると、さきほどの勇敢な令嬢が、まるで別人のように萎縮した様子で立っていた。おびえさせないようにと微笑みかけると、頰のそばかすまで見えなくなってしまうのでは、というほどに赤くなる。
「あの、どうしても昔のことでお礼申し上げたくーーも、もちろん殿下が覚えてらっしゃらないのはわかっているのですが、えっと、ですね」
「ーー覚えているよ」
「えっ?」
十五の時にダンスパーティで偶然会ったご令嬢ーークイン・アンソン。
アルベルトにとって、貴族から騎士階級のなかの人間で、名と顔が合わないものはいないのだ。
「そ、そうですか……。あ、あの時は本当にありがとうございました。それで、その」
クイン嬢は顔を真っ赤に染め上げながら、なにか話し続けているが、アルベルトの耳には入っていなかった。
またあの時の感覚が、蘇ってきたからだ。まるでなにか大きな力が働いているかのように、抑えようもなく惹かれるあの感覚。しかし、まさか、と考えているうちに、クイン嬢は礼をすると恐縮して走って行ってしまった。
アルベルトは、しばらく逡巡した後に、指輪の入った箱を手に走り出した。
なにせアルベルト王太子殿下は、情熱の王子。愛した女性に向かって、一途に走っていかなければならないのだ。
「美しき姫君、どうか私と……」
そうしてクイン嬢に跪いたとき、自分が愛を誓う女性は彼女で最後になると、アルベルト王子は確信した。
これにて完結です。
ここまで読んで下さり、本当に本当にありがとうございました!
書きたいことを書ききれなかったり、冗長になってしまったりと、悔いの残る面もたくさんありますが、お楽しみ頂けたのなら嬉しいです。
そのうち後日談を書くので、そちらの方もよろしくお願いします。




