6.
私は、結局のところ自分に自信がなかっただけなのかもしれない。
どこかで、自分には運命を変える力がないのだと、そう諦めていた。
あれはまだ、私が五歳のときのことだ。自分が、最後には誰も愛されずひとり孤独に朽ち果てる悪役であることを理解したとき、途方もない虚無感が私のことを襲った。
王子に婚約破棄されることはともかく、両親や、弟や、そして従者にさえ見捨てられるという未来が、恐ろしくて仕方がなかったのだ。
なんとかアルベルト王子の婚約者にならない手立てはないかと、苦心した。けれど結局、記憶を取り戻してからすぐに開かれたパーティで王子は私に跪き、愛を誓ったのだ。
それからも、私は怯えていたのかもしれない。
どんなに努力して原作とは違う、非の打ち所のない令嬢になっても。どんなに深い絆を両親や弟や従者と結んでも。
ゲームが始まると同時に、すべてなかったことになって、私は意志を失い原作通りのオデリアとなってしまうのではないかと。
だから初めから、アルベルト王子のことを避け続け、理解しようとはしなかった。学園に入学してからも、マーガレットのことを止めようとしたことなど、一度たりともなかった。
厳しい王妃としての教育を受けてもそれを評価されることがないのも、すべて自分が悪役令嬢だからだと、そう決めつけていた。
そして、ただ最後に、ふたりの鼻を明かしてやろうと、そればかりに固執していたのだ。
結局のところ、一番前世に振り回されていたのは、私だったのかもしれない。
現状を打破する努力を怠りながら、自分がいったいなにを不満に思っているのかさえ理解できずに、すべて今日まで静観していた。
だけどマーガレットと全力で戦い、いままでオデリアとして生きてきたどの瞬間よりも、自分は自分でしかないのだと実感することができた。
さらにクインの言葉で、どれだけ自分が盲目だったかを知ることができた。
「それでですね、最後に話したいことについてですが……」
神妙な顔のマーガレットは、私とクインをじっと見た。
三人で話し合いたい、というマーガレットの言葉は受け入れられ、私たちは人払いのされた一室にいる。
いまはルイとデゥークが応対してくれているが、この騒ぎの後始末をふたりに押し付けるわけにもいかない。残された少ない時間の中で、マーガレットが言いたいこと。
あまりにたくさん心当たりがあって、わからない。
「みんなゲームでの推しは誰でしたか? 私はナサニエルですけど。黒髪にあの凛々しい表情、生真面目なところがどストライクだったんで」
「はぁ!? 話したいことって、それ!?」
思わず令嬢らしからぬ声が出る。
「いやぁ、だって前世での私、あのゲームめっちゃプレイしたんですよ。特にナサニエルルートは、なんどわざとバッドエンドに直行したことか」
「ハッピーならともかく、なんでバッドなのよ」
「二度と目覚めることのないヒロインを抱えて、涙を流す悲痛なナサニエルのボイスに興奮してました」
「気色悪いわね。私はフツーにルイのグッドエンドルートが一番好きだったわよ。なんどもプレイした」
「だで食う虫も好き好きですねぇ」
「どういう意味!?」
くだらない言い争いをしていると、クイン嬢が静かなことに気がついて、私たちは彼女を見た。
「それで、クイン嬢は誰が推しだったんですか?」
と、クイン嬢は困り果てたように、首をかしげた。
「あの、おし? とはどういうことでしょう。私が無知ゆえか、さきほどから度々わからない言葉があるのですが……」
「待って」思わず大きな声が出る。「ではあなたは、転生者ではないと?」
クイン嬢は、もう一度首をかしげる。
私とマーガレットは、思わず笑い始めてしまう。
「ああ、まさか最後の最後の美味しいところを、転生者でないひとに持っていかれるなんてね」
「ええ、私たち、少しはお互い以外にも注意を払うべきでしたね」
「たいした洞察力だわ。この日までに私とマーガレットの計画を看破して、しかも誰にも見破られずに生徒達をまとめあげるだなんて」
「いえ、私のような弱小令嬢は、人一倍周囲の機敏に気を払っていないといけないだけでございます。看破だなんて、だいそれたことではありません」
クイン嬢は、謙遜ではなく、心からそう信じているようだ。
しばらくああでもないこうでもないと三人で話していたが、やがてマーガレットが名残惜しそうに、
「なにはともあれ、私はそろそろ失礼させて頂きます。殿下に、別れのご挨拶をしなければなりませんので」
「別れの?」
驚いた私が声をあげると、マーガレットはからりと笑った。
「ええ、あんなことを皆さんの前で言って、いまや私は貴族社会に対する立派な反乱分子。王妃だなんて、とんでもない」
罪悪感が、私の胸を締め付ける。
私は王妃の座など欲してはいなかった。ならば、初めからマーガレットに譲ってしまえばよかったのに、と。
「あら、そんなお顔をなさらないでください。私、これでも満足しているんです。王妃になるだなんて、私が勿体無い。もっと上を目指すと、決めたんですよ」
「もっと、上?」と、目を丸くするクイン嬢。私も、あっけにとられていた。
「ええ。でも、殿下にはずいぶんとお世話になりましたから、私、お礼を申し上げてくる所存です」
そうしてマーガレットは、颯爽と去って行った。
「王妃よりも上をご所望だなんて、ほんとうに貪欲な方ね」
ちょっと笑ってしまった私に、同意を示したクインは、しかし眩しそうに、
「でも、憧れてしまいます。私も少しだけでも、あの勇気を見習いたいです」
「ずいぶんと殊勝なことね。今日のあの行動は、まさしく勇敢だったじゃない」
「ええ、でも、あの計画は、私の妥協だった。本当に欲しいものに対して、向かっていけたことは一度もないんです」
少しなにか思案した後、クインは、両手で自分の頰を叩いた。
「よし! 私、アルベルト王太子殿下に拝謁してきます。どうしても、申し上げたいことがあるのです」
ちょっとびっくりしたけれど、クイン嬢の決心した表情を見て、私は、
「いまから私もご挨拶するつもりだから、それについてくるといいわ」
それから、二ヶ月後。
私ーーオデリア・グレッグワードは、北の大地へと向かう馬車から足を下ろした。
それを、唯一ついてきた従者であるナサニエルが支えながら、言ってきた。
「分からないな。どうして、わざわざこんな僻地に自ら追放されるのか」
まだ懲りもせずにそんなことをいうナサニエルの、ひたいを小突く。
「あら、そんなことをいうのならいますぐ帰ってもいいのよ? 私と一緒じゃなきゃいやだって、泣きながらついてきたのは、あなたのほうじゃなくて?」
泣いてはいない、とナサニエルは無言でこちらに訴えかけてはいたが、言葉にすることはなかった。長い長い経験から、私に刃向かったところで勝てないのはわかっているのだろう。
ちなみに私は、ナサニエルやデゥークの前だと、気が抜けて「私」と言ってしまう。とくに誰も気にしていないようだから、直そうとしたことはないのだ。
「それで、ここがこれから住むことになる屋敷ね?」
一面の銀世界のなかに佇む、それなりに立派な石造りの屋敷を見る。
長らく誰も住んでいなかったというから、かなり薄汚れているのではと思ったが、意外にも手入れされたばかりのようだ。
「すでに使用人が何人か送ってあると聞いた。どうやらかなりの働き者らしいな」
「ええ、いいことだわ。ここで私の新しい人生がスタートするんだから」
重々しい鉄の扉をナサニエルが開き、私が一歩踏み出す。と、
「おかえりなさいませ、お嬢様」
メイド服のマーガレットが立っていた。
「ちょっと! あなたなにやっているのここで!?」
マーガレットはアルベルト王子や生徒政会、そして私の口添えにより、お咎めなしとなったはずだ。学園にせっかく戻るチャンスがあったのに、なにをここでしているというのか。
「いやぁ、思えば私、三年間ずっと打倒オデリア嬢を掲げてここまでやってきたんです。そしてそれを企んでいる時が、一番人生の中で充実していた時でした。いまさらオデリア様と離れるだなんて、できませんよ」
「気色悪いこと言ってないで、本当の目的を話しなさいよ!」
と、あっさりとマーガレットは「そうですね」と話し始める。
「私、思ったんです。王妃になるっていう選択って、所詮私の逃げだったと。誰にもかしずかないオデリア様を見て気がついたんです。権力を憎んでいるはずなのに、その権力に媚びへつらう自分は、誤っていたと。確かにそれは楽な道かもしれませんが、その末に大義をなし得ることはないでしょう。社会を変革するという聞こえのいい言葉で、自分をごまかしていたにすぎないのです」
「だからって、ここにきてなにができるっていうのよ……」
「貧困層や孤児の居場所があの国にないというのなら、ここが新天地となればいいだけのこと。この地を開拓して、富を築き、豊かな場所にする。そうしてどんどん人を迎い入れ、ゆくゆくは私がここを統べる女帝となる」
「はぁ!?」
マーガレットは、ああ、と頷いた。
「ごめんなさい。私たち、の間違いでしたね」
「やめてよ、ひとをそんな計画に巻き込むのは」
「でも、ここを統治する心算で、オデリア様もいらっしゃったのでしょう?」
あながち否定できないだけあって、私は黙り込む。
花のように愛らしい笑みを浮かべたマーガレットは、
「では、まずはここを豊かな場所にして、無視できない発言力を手にいれる。そうして次は、あの国を根本から変えるのです。階級制も、男尊女卑も、すべて」
「そうしたら、『ざまぁ』ってあの社会を嗤ってやるの?」
にやり、と私たちは微笑んだ。
「ええ、それも終わったら、今度こそどちらが世界の帝王にふさわしいか、勝負しましょうね」
「あら、意外と最後にクイン嬢にかっさらわれるかもしれなくてよ?」
マーガレットと私は、顔を見合わせると、大きな声で笑った。