5.
どれほどの時間、こうしていたのでしょう。
オデリア嬢とマーガレット嬢の激しい舌戦は、もはやどちらが未来の王妃となるかなど、少しも気にしてはいないようでした。ただどちらが優れているかどうか、そのことに決着をつけるため、しのぎを削りながら、言葉という劔を交わしているのです。
おふたりの後ろには彼女達に味方する生徒達が並んでいるものの、いまはただの一騎打ちとなっています。
オデリア嬢を見る弟のデゥーク様や、従者のナサニエルさんの表情も、どこか誇らしげです。それはきっと、オデリア嬢自身がこの勝負を楽しんでいるからでしょう。
マーガレット嬢もまた、始めとは逆転して、いまやアルベルト王子を庇うように立ちながら、少しもへり下ることなく堂々と話しています。それを見るルイ様や生徒政会のみなさまのお顔は、晴れ晴れとしています。
長い長い論戦の後に、決着がつかないことを察したのか、お二人はどちらともなく口を閉ざしました。
そしておもむろに、オデリア嬢は、誰にともなく話し始めました。
「王妃たる資質としてわたくしに欠けているものはなにひとつないと、わたくしはそう自負しております。では、なぜわたくしは婚約を破棄されなければならないのでしょう? マーガレット嬢のおっしゃるように、例えわたくしが従者と度を越して親しくしていたとしても、それは殿下もまた同じこと。そんなものは、後付けの方便でしかないのでしょう?
本当は、みなさんもわかっているはずです。わたくし達女性の定めは、殿方にお仕えすること。ですから、自らにかしずかない女性など、誰も欲しがらない。わたくし達がどれだけ教養を身につけたところで、それが真に必要とされる日はこないのです。生徒政会に、いまだかつてひとりだって女性が入ることが許されたことがないのが、なによりもの証明でしょう。わたくし達女性にとっては、満ちていることもまた欠けていることとなる」
マーガレット嬢もまた、とても穏やかに、
「私は男爵家に加わるに相応わしくない。私は名誉ある魔法学園に名を連ねるに相応わしくない。私は生徒政会のみなさまとお話しするのに相応わしくない。私は王家に嫁ぐには相応わしくない。数えきれないほどに言われてきた言葉です。では、『相応わしい』とはなんでしょう? 貴族の血が流れていることでしょうか。爵位を持っていることでしょうか。そもそも、その爵位というもの自体、二百年足らず前に生まれ、四、五回代替わりしただけのものです。魔力という基準でひとを量り、優れていた者から高い地位を与えていっただけのこと。では、例え高い爵位を持っていても、魔力がなければその人間の尊さも失われるのですか。そのようなもので、ひとの貴賎が問われるというのでしょうか」
さきほどまで激しい議論を交わしていたおふたりは、お互いの顔をしばしの間見つめました。
さきにオデリア嬢が、その美しいかんばせに苦笑を浮かべます。
「どうやらわたくし達、初めから戦う相手を見誤っていたようね」
すかさずマーガレット嬢も、同意します。
「ええ、まったくその通りでございます」
オデリア嬢は、マーガレット嬢の前まで歩み寄ると、すっと白く美しい手を差し出しました。
マーガレット嬢は信じられないというように目を見開いたあと、どこかおずおずと手を伸ばします。
「マーガレット嬢、手袋をしたまま握手をするだなんて、無礼なことよ」
言葉とは裏腹に、オデリア嬢の声は優しく、それに勇気付けられたかのようにマーガレット嬢は手袋を外しました。
ふっと年頃の少女らしい勝気な笑みを浮かべたオデリア嬢は、マーガレット嬢の手をしっかりと握ります。
しんと辺りが静まり返ったなか、おふたりの後ろにいた生徒達が、問いかけるように私を見ています。
計画はどうするのか、と聞きたいのでしょう。
私は頷くと、前へ一歩出ます。
それと同時に、おふたりの後ろにいた生徒達のうちの半数ほどや、参列していた魔法学園の生徒達が、私の後ろに集まってきました。
おふたりは、弾かれたようにこちらを見ています。
「クイン・アンソン伯爵令嬢?」
オデリア嬢はともかく、マーガレット嬢まで私の名前をご存知だったとは驚きです。おそらく学園に所属する全生徒の名前を、おふたりとも記憶されているのでしょう。
なにはともあれ、紹介が遅れました私ーークイン・アンソンの計画とは、こうです。
おふたりによって引き起こされたこの生徒の不和に心を痛めた私は、すべての下級貴族の生徒を代表して、ここで不満のひとつでも提言します。おふたりの不用意な諍いが、生徒たち全体をかき乱したことを、諌めるのです。
かくして私は、例え自らがここで苦境に立たされることになろうとも、強くは出れない他の下級貴族すべてのために犠牲となる勇敢な令嬢となる。
無論、それはただの建前でしかありません。
実際のところ、私の目的はここでおふたりに不平をぶつけることではないのですから。
筋書きはこうです。
ここで大貴族であるオデリア嬢や、次期王女となるマーガレット嬢に反抗した私は、おふたりの反感を買ってしまい、そのためにアンソン家から勘当されます。当然、結婚も破談になることでしょう。
もちろんおふたりを敵に回すことは恐ろしいですが、私含む多くの下級貴族が同じ意思を示したのですから、おふたりにとっても、下手に手出しをすればご自身の身を滅ぼしかねない。勘当までされた私を、どうすることもできないでしょう。
私は学園時代、薬学ばかりを受講していましたし、財政難のアンソン家では生計を立てるために薬を売ることも多くありました。その繋がりを頼り私は、平民の中に加わり、働いて生きていく。
名ばかりの貴族という枷から解放されることが、私の目標でした。
代を重ねるうちに血は薄れ、もはや特段魔力に優れているわけでもないアンソン家は、ただ貴族というしがらみに囚われるだけの過去の遺物。それに縋ることなく、新しい人生を切り開くことが私の夢です。
それを叶えるために、おふたりのこの舞台を奪い、利用する。それが脇役である私の復讐。
「オデリア嬢、マーガレット嬢、私は魔法学園のしがない一生徒ではありますが、恐れながらあえて無礼なことを申し上げます。この一年、本来ならば学びの場であるだけでなく、交流の場でもあるはずの魔法学園で、表沙汰にならずとも生徒内での不協和音を感じている者が多くおりました。そしてここにいま立つものはみな、そのような不和はすべて、オデリア嬢とマーガレット嬢の間の軋轢こそが呼び水になっていると考えているのであります」
ーーそうなるつもりでしたが、それは失敗に終わってしまったのです。
だって、この場にいる誰もが、おふたりに説得されてしまった。
まるで人形のようだとその美貌ばかりが囁かれていたオデリア嬢の、内に秘められた激しさを知ってしまった。
そして、殿方に取り入ることしか興味のない軽薄な女だと言われていたマーガレット嬢は、自らが公爵令嬢と比べても劣らないほどに理知的で落ち着いた方であることを示したのです。
二百年前の戦乱の時から時代が変わってもなお、魔力という尺度で階級をつけることで生じている矛盾。女性の活躍を許さない社会の暗黙の了解。
確かに、おふたりの口にされたことはこの貴族社会を覆すものになり、けっして許されるものではありません。
しかし、おふたりのおっしゃったことは誰が言葉にせずとも、常に私たちのなかのどこかでくすぶり、そして私たちの間をおぼろげに揺蕩っていたのです。
「どうやらわたくし達、初めから戦う相手を見誤っていたようね」
オデリア嬢のお言葉に、私もまた、敵を見誤っていたのだと、気づかされました。
本当に嫌いだったのは、落ちぶれた伯爵家に女として生まれた自分の運命であり、愛してもいない老人と結婚させられる未来であり、それにいままで抵抗してこなかった自分だったのです。
けれど、それでも私はこの計画を実行しました。
オデリア嬢もマーガレット嬢も、ここでおふたりに刃向かったところで、私のことを取り潰そうだなんてする方ではないと、確信したからです。
なぜならお二人は、互いの言葉を最後まで聞き、互いを尊重しながら戦われていた。
そのような方たちだからこそ、きっと私たちの訴えも理解してくれるはず。
そう知ってしまった以上、私はさらに続けます。
「ーーしかし、おふたりの間の確執は、いまはもうなくなったのでしょう。私たち百五十七期生は、あと一年で学園を卒業となります。それまでの間、おふたりが中心となって形作る学園生活を、心から楽しみにしております」
言い終えるとともに、深々と礼をします。
私の後ろにいる生徒達も、同じ気持ちなのでしょう。異を唱えるものは誰もおらず、同じように礼をしていました。
けれど実際、オデリア嬢とマーガレット嬢おふたりともが学園に帰ってくることは、難しい。そのことも、誰もが理解していました。
これだけの騒ぎになってしまった以上、箝口令を敷くことも無意味でしょうし、どちらかが責任を問われることになってしまう。
それでも、願わくばおふたりが手を取り合ってお作りになる学園が、見てみたかった。
そんな私の思いを汲んでくれたのでしょうか。
さきほどまでじっとなにかに耐えるように私の話を聞いていたオデリア嬢は、お手本のように美しい礼をしてくださいました。マーガレット嬢も、それに倣います。
「学園の生徒たちの声に耳を貸すのも、それを代弁するのも、本来ならばわたくしがすべき義務でした。それを放棄してしまったこと、慚愧の念に耐えません。わたくしの代わりにその義務を全うしてくださったこと、クイン・アンソン伯爵令嬢に感謝致します」
そしてオデリア嬢は、ふと寂しげな笑みを浮かべました。それはまるで、取り返しのつかないことを悔やんでいらっしゃるかのようでした。
マーガレット嬢は、そんなオデリア嬢に気づかれてか、なにかを考えるように目を閉じられます。と、いつものようにおねだりする子猫のように愛らしい笑みを浮かべ、両手を合わせました。
「勝手なことばかりして、ごめんなさい。ですが最後にオデリア嬢とクイン嬢と、三人でお話してもいいでしょうか」