3.
意外と長くなってしまいました。
5話から10話までには終わると思います。
「オデリア様が他の殿方の側で微笑むといつも、殿下の御尊顔には陰りが差しました。宸襟を悩ませられる殿下のお姿を拝して、私もまた、胸が締め付けられる思いだったのです。そして身の程知らずにも、殿下の御心に少しでも寄り添うことができたら、そう願うようになったのでございます」
観衆がざわめいた。
さきほどまでは、一方的にアルベルト王子が破談にしようとしていた。だが、私はいま、オデリア嬢がさきに浮気したと暗に示したのだ。そうなると、一気に形勢は逆転する。
「なにをいう、マーガレット。私の心には君しかいないというのに!」
アルベルト王子は私の肩をつかむと、言い募る。
いや、まあ、いまはそうでしょうけどね。
打ち合わせもなにもないし、アルベルト王子からしてみれば青天の霹靂だろう。
でも大丈夫。アルベルト王子は本当にアホだ。アホでまあまあ可愛いひとだ。あと一押しで台本通りに動いてくれるはず。
「いいえ、あなた様はなによりもオデリア嬢を愛しておられたのです!」
「マーガレット……」
宝石のように翠の瞳が、戸惑いがちに揺れた。
よっしゃ!
「そう、王太子殿下にとって、オデリア嬢は最愛のひとだった!」
ーー愛していたっといったら、愛していたのです!
王子、私のいうことが間違っていたことなんてないでしょう?
そんな思いをこめて、私の肩に乗せられた手をぎゅっと掴む。
と、だんだんそんな気になってきたアホベルト王子は、ぎゅっと胸をおさえると、一歩前に歩み出た。
「そうだ! 私はオデリアのことを愛していた!」
さすが王子、超乗せられやすい! そこが好き!
「ええ! 殿下にとって、オデリア嬢はこの世のどんなに輝く宝石よりも眩く、どんなに鮮やかな花よりも尊い存在だった!」
はい、ここで復唱してください、王子。
「そうだ! 私のオデリアに対する愛は、月のない夜にひっそりと輝く湖よりも静謐で、新たに生まれ変わる不死鳥の炎よりも激しかった!」
オデリア嬢がげぇっという顔をした。
気持ちがわからないでもないから、一応心の中でごめんなさいと言っておく。
「けれど、従者が?」と後ろから小声で王子を誘導する。
「だが、君の隣にはいつもその従者がいた! 張り裂けそうになった私の胸を再び癒してくれたのが、マーガレットだったんだ。そしていまの私が愛するのは、彼女だけだ」
なんだなんだと、会場がざわめく。
主人を守らんと後ろでこちらを睥睨していた黒髪の美形騎士は、突然の指名に驚いて目を見開いた。
彼は攻略キャラのうちのひとり、従者のナサニエル。
乙女ゲームの方だと、没落した家から引き取られオデリアの従者となるんだけど、散々いびられて感情を表に出すことが出来なくなってしまう。そんななか、ヒロインがなんやかんやあって彼の心を癒し、闇の中から救い出すのだ。
とはいえ、こっちの世界ではオデリア嬢はちゃんとした主人。
かなり懐いているみたいで、いつも後ろをくっついて回っている忠犬さんだ。正直、攻略できなかったのは惜しいかな。推しキャラだったし。
「お言葉ですが、従者の仕事は、主人の傍にいること。ナサニエルは義務を果たしていただけですわ」
冷めた態度をオデリア嬢は取っている。
あらら、色恋沙汰には鈍いのかな? ナサニエルさんもかわいそうに。
外野からすれば、彼がオデリア嬢に並並ならぬ思いを抱えていることは火を見るより明らか。
とはいえ、公私混同することはない人間のようで、いまも発言を許されてはいないから後ろに控えているに過ぎない。オデリア嬢が自分の力でこのくらい弁明できるって、信じているのかな?
「あれは二年生の剣技大会のことでした。ナサニエル様は、オデリア嬢の飾り紐を腕に巻き、優勝なさったのです。そして、それをご覧になった殿下の頰には、一筋の高貴な涙が……!」と涙ながらに語る私。
ちなみに剣技大会とは魔法学園のメジャーな競技のひとつである。
純粋な剣の技で競う大会には魔法を使うことは許されておらず、学生の従者も出場可能。オデリア嬢在学中は、毎回ナサニエルが勝利をかっさらっていっていた。
二年の時、気まぐれにオデリア嬢がリボンをあげたみたいで、以来それを眺めているのを時たま見かける。当然いまも、剣に巻きつけていた。あんな大切にして、健気なものだ。
剣技大会? いつのことだろう? ときょとんと殿下は私を見るけど、待てよ、わんころ。いまは口を挟むでない。
すると、そういえばそんなこともあったかもしれないな、という表情に殿下はなった。よしよし、いい子だ。
「従者に激励として物を贈ったまでのことですが、それがここまでの誤解を招いたというのなら謝りましょう」
言いながら、眉をひそめるオデリア嬢。
いやいや、それは苦しいでしょう。オデリア嬢もそれは分かっているはずだ。
女性の身に付けるものを体につけるっていうのは、この世界ではかなり深い意味を持つ。それに、
「どうかご自分のお気持ちに嘘をつかないでください! いまもナサニエル様が肌身離さず飾り紐を身につけていることが、なによりの証拠!」
ナサニエルさんの顔に動揺が走る。
まあ彼からしたら本当に愛しているわけだからね。でもそれが、かえって私の言葉に重みを与えてしまった。
「恐れながら、身分という障害がどれだけ大きく思えるかは、私にも痛いほどにわかっているつもりです。けれど、真実の愛の前には立ちはだかれるものなど、なにもないのです」
「そうでしょう、殿下?」と同意を求めて王子の顔を見ると、彼は力強く頷いた。
「そう、おふたりの関係をご存知だった殿下は、貴婦人の名誉を傷つけないためにも、オデリア様からこの婚約を破談にされることを密かにお待ちしていたのです!」
よしよし、これでアルベルト様の方にもフォローが入った。
あとは余計なことを口走らせないようにするだけでいい。
...........
やってくれるじゃない。
おかげでいまの私は、従者との禁断の恋に身を委ねたご令嬢だ。これまた小説みたいな設定に、事の成り行きを見ていた女性たちがきゃっきゃっと黄色い声を上げている。
とくに意味もなくナサニエルにあげて、たまたま彼がつけていたリボンをそんな使い方するだなんて……狡猾な女である。
ーーまさかこの手を使わなきゃいけなくなるだなんてね。
「私がナサニエルと恋仲にあると? マーガレット嬢、面白いことをおっしゃるのですね」
ふぅ、と、いかにもバカバカしいというように、ため息をつく。
「それについては、いまは言及しないでおきましょう。根も葉もない話ですから、かえって否定することも難しい。……ですが、確かにもし私が不実を働いていたのだとすれば、マーガレット嬢にとって祝福したいことでしょう。なにせ、ご自身の不義をすべて説明することができるのだから」
ここまでしたくは、なかったんだけどね。
「でもマーガレット嬢、あなたは初めから、いえ、学園に入学する前から、アルベルト王子に取り入るつもりだったのではないの?」
これまでとは違う、どこか深刻なざわめきが辺りに広がる。
さすがのマーガレットも、目を見開いて、口を押さえた。
「なにをいう、オデリア! マーガレットをそこまで侮辱するというのか!」
アルベルト王子の瞳に怒りが走る。
そうだ、「取り入る」だなんて、まるでマーガレットが国を傾けることを画策しているかのような物言いだ。さきほどまでの、どちらが悲劇のヒロインとなるかのポジション争いとはまるで違う。
この手には使うのにはーー少々、いや、かなりの罪悪感があった。
といっても、実際、マーガレットには国政を裏から乗っ取るつもりくらいはあるのかもしれないと、さっきの彼女の様子を見て思ったのも事実だけどね。
「わたくしも、まさかとは思っていました。ですから、さきほどまでこの方に証言していただくのを、躊躇していたのでございます。でも……もう手段を選んではいらせません。ヴァイオレット嬢、証言して頂けるかしら?」
ヴァイオレット・ワーレン。
この乙女ゲームのサポートキャラ。
ヒロインと同じ平民の出ではあるものの、大貴族が商人の父親に恩があるために名誉入学が許された少女。商人の父親の情報網で、攻略キャラのプロフィールを詳しく知っている。最初からヒロインの味方でいてくれる唯一のキャラで、その名の通り紫色の髪の美人だ。
名前がマーガレットと同じで花からきているというのも、彼女がヒロインの絶対の味方であることを示唆している。
だけど……。
一方歩み出たマーガレットは、まず私に礼をする。
「オデリア様、ご心中お察し申し上げます。お優しいあなた様には、さぞお辛い選択だったでしょう。けれど、英断をくだされたこと、心より感謝申し上げます」
彼女は、私側の人間だ。
そして決定的な証言が、彼女にはできる。
「マーガレット嬢は、入学式の日から、ことさらにアルベルト王太子殿下のことを気にされているようでした。わたくしに、王太子が休み時間どちらにいらっしゃるのかと、お尋ねになったことが数えきれないほどあります。そればかりか、生徒政会の方々のことまで……」
ヴァイオレットは、どんどんマーガレットに不利な証言を続けていく。
マーガレットは、ショックのあまり床に崩れ落ちた。細かく体が震えている。
悪いわね、さすがにヴァイオレットの裏切りは、予想できなかったみたい。
ヴァイオレットは、マーガレットがいかに攻略キャラ達に常に興味を持ち、接触を計っていたか証言した。ふたりが一緒にいるところをよく見かけるので、嘘だとは誰も思わないだろう。
私はヴァイオレットのことを、ゲーム開始前から懐柔していた。ことさらに親切にし、来たる日のために備えていたのだ。
もちろん、まさか証言してもらうことになるとは、思っていなかった。
だけど、限界まで臆病になるのが、戦略ってものでしょう? マーガレットさん。
と、その瞬間、マーガレットの首飾りが、きらりと瞬いた。
なにかの合図か? そう思ったとき、
「姉上、まさかあなたとこの場で対峙することになるとは……」
弟のデゥークが、私の後ろから声をかけてきた。