第一章24 バベルの塔「ただ、そこにある記憶のために」
空は果てしなく高く、手が届きそうな雲をつかんだとしても更に果てしなく広がっていた。
数頭の竜から降りた一同が真剣な表情を浮かべて降り立ったのは塔の七階部分。
その先より上には階は無く、開け放たれた天井から円形の空が広がっていた。
「お待ちしておりました」
タキシード姿にハット帽を被った老人がステッキを優雅に水平に振り、優雅にお辞儀をする。背は小さいがそこに衰えはなく、機敏な口調と白髭を纏いつつも若々しい顔の様子から初老よりも若い容貌。歩み寄ったセルに顔を上げる。
「ノワール、大穴の行く先は行き止まりでもなく、バベル内でもないな?」
「はい。構造から察するに、行く先はきちんと空気の通った空間でした。近くから外の空気も入り込んでおりますぞ。それが中々興味深いものでして、記石、魔石による反応も感じられませんでしたな。詳しいことはメモリーが把握しきれなかったというのが現状でしたな。特異石を使えば先まで辿れるかもしれませんが、何しろ二空間の距離があまりに冗長でして――」
「特異石だ。何人まで行ける」
ノワールの説明を中断して、セルが岩石に覆われた隙間から周囲の光を虹色に反射させている握りこぶしほどの宝石をノワールに差し出す。
「話は今度詳しく聞かせて貰おう。実に興味深いが今は先を急ぐ」
「いやはや、できることなら私目が大穴に飛び込んで確認したいところでしたが……致し方ありませんな」
ハットの唾を下げるようにして顔を遮ったノワールの言葉にセル以外のギルドメンバーが苦笑いを浮かべる。どうやら冗談半分というわけではなさそうだ。
「優先順位を決めてください。何しろこんな大人数は初めてですからな。以前は確か、四人でしたかな。今回は五人は保証できますが……残りのお二方は残念ですが、ほっほ、最悪魔獣の巣窟に零れ落ちるやもしれません」
「ルバートとかざきりで決まりかしら」
レナードの即答に当人の二人が声を上げた。が、セルがそれを遮る。
「武運を祈る。今は、先を急ぐ」
言葉を強調したセルの言葉にルバートとかざきりはぐうの音も出ない。
「途中で落ちてもいいが、その時は必ず別々になるように落としてくれ」という二人の抗議に愉快な笑い声を上げるノワール。
帽子を深々と右手で抑えたまま荒涼とした大地を先行する。ステッキの上部で特異石を弾くと、装甲の破片が飛び散り、中にあった宝石が光のレールをいくつも放射する。
「記憶門塔」
布が宙に広げられるようにして歪な闇の空間がセル達全員を飲み込めるほどの大きさで現れた。
ノワールが先行して地面と接触している部分から足を踏み入れる。ノワールの身体は消えることなく、薄闇を背景にしてその先の奥行きへと歩を進める。
セル達も続いて全員が歪な入り口に入り込むと、ノワールが片目の眼光鋭く光らせ、指を弾いた。
門の扉が閉まると、闇に包まれたその場が地面へと沈み混んで消えた。
***
巨大な大穴以外出入り口の無い洞窟の壁から黒いう闇が爛れ落ちていく、次第にそれが広がると、扉のような形になり、瞬時に闇が通路となるように奥行きを創り上げる。
そこからセルが顔を出すと、星汰、絵吏、ノワール以外のギルドメンバーが次々に姿を現した。
「やっときたな、待ちくたびれた」
大穴を背後にしたならば飲み込まれてしまいそうな重圧感の前で、アゲナが溜息を吐いた。
ゼロは両腕を頭の後ろで枕にして寝転がって欠伸を掻いている。
大穴を囲うようにして――正確には反対側までは囲えず、その両端から手前まで引かれたロープとそれに等間隔に巻かれたお札を首にもたれさせているアゲナの、場違いと言ってもいい体たらくな姿にギルドメンバー総員が目を細めた。
「アゲナ、そのお札は朧月が用意してくれたギルドの認証石に反応して解除することができる大事な結界じゃないかしら、それを呑気にたるませて何か言うことは?」
「感謝してくれ、バベルに住んでる俺がこうして見張ってるんだ。朧月の姉さんも俺が見張ってくれて安心だとよ」
一見すれば洞窟の中、光源がないのに空間が自然な暖色を帯びているのは記石を光源としたバベルの塔の気質らしい。大穴を目下にセルが静かに目を伏せる。同じようにして歩み寄ったレナードが札の結界に手をかざし、手のひらに固定させていた紋章の入った六角形の認証石を右に移動させる。
隔離した光が霧散し、ロープが地面にしなびて広がった。二歩踏み込めば闇という位置でセルが振り返ってレナードからギルドの認証石を受け取る。大穴にかざすと、二重で空間を覆っていた結界が割れ、闇に触れる前に消える。セルが短く息を吐くと、振り向きざまに向かい合った二人へ視線を注いだ。
「覚悟はいいか?」
セルの背後、二人で両手を広げても到底おさまりきらない大穴をみやって、先に口を開いたのは黒い髪の落ち着いた印象のある少年。向かい合う少年と瓜二つの顔。
「大丈夫。ここまでありがとう」
「これを、浮遊石と呼ばれる石だ。特殊な加工がしてある」
「ありがとう。最後まで……」
セルが丸い雫の形をした黄色い石の付いたネックレスを星汰の首元へかける。
「絵吏、まさか足が竦んでいるんじゃないだろうな?」
「す、すくんでなんか、ないわよ! ……でも、本当は、足が竦んでた。この世界に、あたし達の体もちゃんとここにあって、もし、帰れなかったらどうしようって……だけど、もう大丈夫」
「そうか、もし何かあれば、この石がお前たちを守ってくれるだろう」
セルが菱形の万象石が固定された銀色のブレスレッドを絵吏の左手首に付ける。
「ありがとう。セル」
絵吏がはにかむようにして笑顔を咲かせる。その場の皆が絵吏の笑顔を見守り、かざきりは密かに涙を浮かべていた。
「みんなありがとう。星汰を救ってくれて、あたしが無事なのもみんなのおかげだよ」
星汰が絵吏の左手をそっと、確かに握った。
「僕の方からも、本当にありがとう」
絵吏の鳴き声に困惑していた表情に決意を灯らせ顔を上げた星汰の顔を、二人の言葉をその場に居る誰しもが記憶に刻み付けていた。
「ここでさよならだな」
セルの言葉、そして表情は二人の背中を後押しする明るい声音だった。
「短い間だったけど、あなたたち二人の記憶は確かに刻み付けられましたわ、どうかお元気で」
レナードが絵吏に皮肉混じりの視線を向けてほほ笑んで言った。その後星汰と絵吏がお互いを見て笑う。それから、レナードは視線を星汰としばらく交わした。
「どうかお元気で……」
「うん…………エリスもね」
エリスと絵吏が視線を交わす。
「俺も楽しかったぜーお前らとはもっとここに居てもらいてーけどよーそうは言ってらんねーもんなぁ」
ルバートが両手を頭の後ろに添えて恥ずかしさを紛らわすように顔を横に逸らして言った。
「元気でな」
「ルバートこそ」
ルバートは星汰の言葉を受け視線を交わし、泣き顔の絵吏をみて小さく笑った。
「…………」
沈黙の後で、視線がかざきりに集まる。
「なっ、な、なんだ」
自身の涙を堪えるために、神妙とも呼べる顔つきで無表情を演じていたかざきりが焦りを浮かべる。
「いや、あなたの番かしら」
「なんだじゃなくてー、なんかあるだろー」
レナードとルバートがかざきりに冷ややかな視線を送る。
「アゲナとゼロが居るではありませんか!」
かざきりに視線を投げられたアゲナとゼロが横になったまま手を上げる。
「元気でなー」
「おやすみ」
「なんだ貴様らッ!」
「まあ、二人は別に特に関りはなかったかしら」
レナードの言葉に苦笑を浮かべる一同。
「アゲナとゼロ君もありがとうー!」
絵吏が二人に笑いかけた。アゲナとゼロは少し照れたように親指を立ててグッドポーズを掲げる。
そして再びかざきりへと一同の視線が集まる。
「いや、私は……その――」
かざきりが星汰の足元に視線を送り距離を僅かに詰める。
「星汰殿、その、すまなかった。あんな、ことをして、その、ありがとう」
疑問を浮かべる絵吏の隣で星汰が笑う。
「全然。こっちこそ助けてくれてありがとう」
「星汰殿……」
笑顔を浮かべたかざきりは、恥ずかしい様子で体を不自然に絵吏の方へ向ける。そこへ絵吏が歩みよった。
「かざきりちゃんのおかげであたしまだ生きてるよ。みんなきっとかざきりちゃんを頼るけど、女の子ってことを忘れちゃだめだからね」
絵吏の笑顔にかざきりは涙ぐんだ。
「絵吏殿おお~」
声を震わせるかざきりを絵吏が笑って頭を撫でる。他のギルドメンバーも笑っていた。
「クロウ君もありがとうね」
地面から黒い陰を延ばして上半身だけ姿を出しているクロウに絵吏はお礼を言った。クロウは地面の陰に潜り込んでしまう。
大穴を背後に絵吏と星汰が並んでもう一人の自分達と向かい合う。くすりと笑った絵吏の声が星汰とギルドメンバーへと伝う。
「エリス……」
普段の自分とは弱弱しくも決意の宿った芯のある少女の名を絵吏が呼んだ。
「絵吏さん……」
エリスの方も絵吏の名を呼んだ。きゅっと締め付けられた胸元は慈愛の証であるかのようだった。
「元気でね」
「……はい、絵吏さんこそ」。
絵吏がエリスに寄り添うと、ゆっくりと強く抱きしめた。
「絵吏さん……」
顔を上に向けてエリスは少し苦しそうに言った。
力強く言葉を届ける絵吏の目には涙がこぼれていた。
「もう来ちゃ駄目ですよ。……あなた達の、記憶と、世界があるんですから」
その言葉に絵吏の力がぐっと強まる。口元は歯を食いしばっていた。
「うん、ありがとう」
絵吏の言葉にエリスは儚く笑った。エリスは何も言わずに目を閉じる。
「本当に助かった。礼を言う」
星汰とセルが向かい合って言葉を交わす。
「こっちこそ、迷惑をかけちゃったね」
星汰の言葉にセルが目を瞑って首を振った。
髪の色は違えど、二人の顔はうり二つ。お互いがお互いの顔を見合った。それは同じ自分であるはずなのに、自分とは思えない程に違って見える。けれど、落ち着いて言葉を交わせる相手ということが、二人の間でかけがえのない共通点だった。
「君に会えて良かったよ」
星汰の言葉にセルが少し驚く、言った本人も少しだけ照れていた。
「ああ、俺もお前に会えて良かった」
二人がお互いの右手を掴み胸元に引き寄せる。
抱きしめ合っていた二人が離れ、手を握りあっていた二人が離れた。
それぞれが並び合い、最後の言葉を交わす。
「絵吏、本当に助かった。元気でな」
セルの言葉に絵吏が笑う。
「エリスちゃん……ここまでありがとう。ここでのこと記憶に大切にしまっておくよ」
星汰の言葉にエリスは、いいえ。と、小さく笑った。
「いい! セル! くれぐれもエリスを頼んだわよ? 私がちゃーんと見張ってるからね!」
絵吏の言葉にセルが苦笑いを浮かべる。
「別に頼まれる覚えはないだが……わかった。星汰、お前も絵吏を頼んだ」
セルの言葉に星汰が、うん、と頷いてはにかんだ。
「何それ! そこは逆だから! 私が星汰を頼まれなくっちゃ」
絵吏の言葉に一同が笑い声をあげた。
「ただ、そこにある記憶の為に」
星汰と絵吏が顔を見合わせて微笑んだ。
「「「「「「「「ただ、そこにある記憶のために」」」」」」」」
その言葉を最後に、星汰と絵吏がそれぞれと顔を見合わせた。
星汰と絵吏は振り返り、お互いの手を強く握った。暗闇に触れるつま先から一気に飲み込まれそうな巨大な闇。震える手に力が入った絵吏の手を星汰がそれより強く握り返した。
「星汰……」
「大丈夫。絶対帰れるよ、それに」
二人で顔を見合わせる。
「みんなも見守ってくれてるから」
二人は背を向けたまま、こっそり後ろを見た。そこにはギルドのみんなの笑う顔があった。
星汰と絵吏は抱き合って、穴の中へと飛び込む。二人の身体は確かに、決して離れることのないように、強く抱きしめられていた。
かけがえのない記憶を抱いて、二人は笑顔で落ちていく。
――ただ、そこにある記憶のために。




