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ロストアナザーワールド  作者: 洋稿史
第一章 【もう一つの世界】
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第一章23 アルカディシア「統べる力」

 セルは星汰と絵吏にこの世界のことについて話して聞かせた。

 

 レナードの記憶共有(ワールドコンタクト)によって大方把握していた二人だが、ギルドのとある応接間で二人はセルと向き合っていた。


「さっきレナードに記憶を補修してもらって、一緒に王国から抜け出すまでの記憶をまとめて貰ったんだけど……セル、君の記憶干渉能力(メモリー)は一体――……聞いてもいいかな?」

 

 星汰の言葉にセルの表情が少し険しくなる。セル纏う空気が部屋中に伝っていくようだった。


星婆(フェアリー)は記憶を見ることができる者。記憶が何よりも大切なこの世界では、星婆(フェアリー)のような存在が偽り無く公平に記憶を干渉することで、この世界の均衡を保っている。その星婆(フェアリー)に僕の記憶を見られれば、それはそのままこの世界の人々に伝えられ、僕らは捕まるどころか、僕らの住む世界まで危険なところだった。でも、セル、君がそれを防いだ。君が記憶干渉能力(メモリー)を使ったんだ。ねえ、星婆(フェアリー)の記憶はどこに行ったの?」

 

 星汰の言葉にセルは顔色一つ変えない。黙ったままどこかを見つめている。それはここではないような。意志の宿った瞳は頑なに閉ざされている。


 セルが一つ息を吐いた。それは触れれば凍りそうなほど静かに、そしてその眼差しはどこか遙か遠くを見通すようだった。


「これは王国、いや、この世界では知られてはいけないことだ。この世界を去るお前たちには関係のないことになるが、向こうの世界に帰るまでの少しの間でも、そのことを深く心に覚えていて欲しい」

 

 セルの言葉に星汰と絵吏は静かに頷いた。


「俺の記憶干渉能力(メモリー)の名は――記憶忘却(オブリビオンホープ)――自身の記憶をこの世から消し去る力だ」


 星汰と絵吏が目を見開く。誰も言葉を発しないまま数秒が過ぎた。


「記憶が一番大切な世界で、その、記憶を消し去るって……」

 

 絵吏が恐る恐る口にした


「言葉の通りだ。自分の所有している記憶を完全に消し去る。正確には忘却だな」

 

 セルの方を星汰がじっと見つめていた。それに答えるかのようにセルが語り出す。


記憶忘却(オブリビオンホープ)は指定した記憶を一時的にこの世から消し去る。そして、必要な場合、ほとんどが俺自身の中にある防衛本能が無意識に忘れた記憶を思い出しても安全だと判断した時に、記憶は再び俺の元に戻ってくる」


 目を細めた星汰がセルと視線を合わせる。


「自分じゃ自由に思い出せないの?」

「思い出せない。自己防衛本能に近い。だが、ある条件下ではそれを可能にすることもできる」

「ねえなんで? 記憶が大切なのにそれを、消し去るって」

 

 悲しい表情を浮かべる絵吏が訴えかけるように言った。


「この世界では記憶が最も大切だ。それを遵守するために星婆(フェアリー)のように記憶を見て、それを正確に映し出す者がいる。他にも人の記憶の中に入り込む者やそれを利用しようとする者、今回のように俺が王国に捕まり、俺の記憶を星婆(フェアリー)に見られればどうなる?」

 

 黙り込んだ絵吏の横で星汰が口を開く。


「絵吏ちゃん、セルは記憶を忘却する力を持っているからこそ、このギルドの長なんだよ。

 この世界において、セルの持つ力は何よりも強大で、何よりも無力なんだと思う」


 星汰の言葉に絵吏は息を呑み、セルが僅かに頷いた。


「俺が王国側の必要な記憶をこの世から消し去ることで、このアルカディシアを王国の支配から留めることができる。王国に支配されない為にも、記憶をこの世から消しさら無くてはならない」

「さっき、記憶を指定するって言ったけど……もしかしてあの時」


 星汰の言葉にセルが頷いた。


「基本的にはある事柄についてだ。……例えば、俺が今回星婆(フェアリー)から消し去った記憶は、星汰に関する記憶。一人の生涯のような膨大な記憶や複数人の記憶を瞬時には消すことはできない。広範囲のものや、同一の範囲内でも複数の記憶を有しているものにはそれだけ力が必要になる。   

 時と場合によるが、今回、星婆(フェアリー)は星汰の記憶の全てを完全に見たわけではない。ほんの一部を俺は消し去った。そしてそれは恐らく永久には戻ってこないだろう。

 他人の記憶を消去する場合――或いは自身の記憶を消し去る場合は、消し去る事柄も範囲もこちらが指定することが出来る」

 

 絵吏が疑問を浮かべて口を開く、


「でも記憶を消し去るのは自身の記憶なんじゃ……」

 

 絵吏の言葉に星汰は動じなかった。


「その通りだ。俺だけでは自分の記憶しか消し去ることしかできない」

「それならどうやって」

「だがそれもレナードがいれば別の話だ」

「レナード……あ」


 絵吏が目を見開いて星汰の方を向く。星汰はゆっくりと頷いた。


「レナードの記憶共有(ワールドコンタクト)は自分と他人との記憶を共有するもの、他人の記憶に自分を通すことでまた別の記憶に植え付けたりと汎用性が高い。そして、俺の記憶干渉能力(メモリー)記憶忘却(オブリビオンホープ)はレナードの記憶共有(ワールドコンタクト)の力を使うことで他人の記憶を消し去ることができる」

 

 絵吏は審議場でセルが来てすぐにレナードを呼んで星婆(フェアリー)に何かしていたことを思い出していた。


「つまり、レナードちゃんがいればあなたの力って、かなり強力で」

 ――怖い。そう言いかけたかのように絵吏は口を噤んだ。


「だけど、消し去った記憶はいつか戻るんだよね? 消し去った誰かの記憶もいつか戻るとしたら」

 

 星汰の問いにセルが鋭い視線で空中を見定めた。


「確かに消し去った記憶はいつか本人の元へ戻る。だが、それは俺が安全だと判断した時、或いはなんの前触れも、理由もなく突然に――だ。記憶によってはすぐ戻ってくる場合もあれば、長い間――永久に戻ってこない場合もある」

「消した記憶の中にはもう戻らないものもあるってこと……?」


 星汰の言葉に絵吏が物憂げな表情を浮かべる。


「そうかもしれない。いつかは戻るとしても、戻らない期間を考えれば、それは永遠に戻らないことと同じと言える。あるいは、俺が死ねば戻る記憶もあるのか――それとも、そのまま忘却されたままか」

 

 碧の双眸からは一切の表情が読み取れない。、星汰と絵吏はその瞳をじっと見つめていた。


「セル、君にも戻ってこない記憶はあるの?」。

「ある。はずだ」そう答えたセルに絵吏が口を開いた「はず?」

「ああ、どんな記憶を忘れたのか、それが戻ってきているのか、それすらも俺にはわからない。ただあるのは俺がいくつも記憶を消し去っているという事実だけ」

「……悲しく、ないの?」という絵吏の言葉にセルの眼光が僅かに鋭く絵吏に向けられた「その感情は理解できない」。

「だって、大切な記憶も消し去ることだってあるんでしょ、例えば、大切な思い出とか、セルは何とも思わないの?」

 

 目の前で視線を逸らしながら言う絵吏を見て、セルはエリスの姿を思い浮かべていた。


「大切な記憶ならいつか戻ってくる」

 

セルの言葉に星汰と絵吏が顔を見合わせて眉を寄せた。


「必要とあれば、僕たちの記憶も消えるってことだね?」

 

 その場に冷たい空気が漂う。セルは表情一つ動かさないままわざと微笑を浮かべて見せた。


「安心してくれ、お前たちの記憶は――消しはしない。そうしない為にも、無事お前たちをもう一つの世界に送り届ける」


 それは始まりから終わりまで、僅かな揺らぎのない確かな瞳だった。


     ***


「まさか驚きましたわ」


 夜のテラスでレナードが星汰に微笑んだ。本来の主に向けるその眼差しをレナードが向ける。


「ロストアナザーワールド……セル様の記憶干渉能力(メモリー)で私が記憶を消した後、あなたからその言葉を聞くことによって一時的に記憶が戻って来るなんて。今回の件本当に助かりましたわ」

 

 満点の星空が一面に輝いていた。それを見上げていた星汰がレナードに視線を移す。


「本当なら、あの後、私がセル様の記憶干渉能力(メモリー)を使ってあなたの記憶を消した後、意識が戻らないように私の記憶干渉能力(メモリー)で昏睡状態にする予定でしたの。そうしなければすべての記憶を消した後に意識を戻した場合、その後後遺症が残る上に、記憶を戻した後に意識のズレが生じてしまうのよ。

 けれど、私が記憶干渉能力(メモリー)を使う前に、妖精神姫(フェアリーミリーゼ)があなたの記憶を喰らい、変えてしまった――……本当に、すまないかしら、いくら謝っても許されないけれど」


 両手を握りしめて俯くレナードに星汰は微笑んでいた。


「ありがとうレナード。君がいなければ、きっと絵吏ちゃんを救えなかった。それに、この世界に来たのは僕が原因でもある。本当に迷惑をかけたね……」

「そんな、迷惑だなんて――」


 レナードの言葉を星汰が笑って遮る。


「それに、レナードのおかげで残った記憶もある――……それが、今は、大切に……」

 

 顔を両手で抑え込んで膝を付いた星汰の両目から涙が零れ落ちる。

 手の甲に涙が伝うよりも前にレナードが星汰を抱きしめた。


「絵、吏ちゃんが――大切な絵吏ちゃんが、助かって、それだけで、何も、他に何も、望むことはないのにっ――――思い出せないんだっ……そこにあるはずなのに、記憶はあるのに…………空っぽみたいなんだっ」


 涙を流すレナードの元で、星汰は声が枯れるまで叫び続けた。

 星々は尚も燦々と煌めいていた。

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