【思ひ染む 逆さ芙蓉の 鬼子母神】10
簡単あらすじ
・夏祭り中の騒動で深手を負った粟島宿儺は、両親と連絡が取れないことを気にして、小森病院を抜け出し、神奈川の実家へ戻ることに。
・道中で怪異に襲われるが、そこを救ったのは鬼道柊だった。常夜の宴を求めているという柊と共に、焦る気持ちを抑えて実家へ向かう宿儺だったが……?
昼の熱気が、ヘルメットの隙間から容赦なく入り込んでくる。
混雑した首都高は、田舎に帰省する者、旅行に行く者、あるいは長期休みだろうと関係なく仕事に向かう者──。様々な事情を抱えた車がひしめき合っていた。
その中で、車の間を器用にすり抜けながら改造されたバイクの排気音が響き渡る。
(間に合え……)
脳裏に浮かぶのは、連絡の取れない両親のこと。そして、未だ病院のベッドで眠り続ける友人のことだ。
「くーちゃんよォ、ちょいと飛ばしすぎじゃねーの?」
不意に耳元で柊の声がして、宿儺は我に返る。
ほんの一瞬、後ろの重みを忘れてしまった。自分ひとりの感覚で操っていたことに今更気づき、フロントブレーキを強く握りしめる。
「す──すんません、柄にもなく焦っちまって……」
タイヤが唸り、車体が沈む。二人乗りの経験が乏しいせいか、後ろに柊が乗っているにも関わらず、無茶な運転をしてしまった。
「焦んなくて大丈夫だよ。くーちゃん家にゃ、頼れる助っ人を向かわせてっから。こんなこともあろうかと思ってな」
柊は、含みのある言い方をして宿儺をなだめる。その飄々とした声色が、宿儺の中のざらつく気持ちを落ち着かせてくれた。
「──」
深く深呼吸をして、ひとまず冷静さを取り戻した宿儺は、すぐにアクセルを戻す。
高架へ向かう分岐で、ギアを一段落として回転を合わせていく。
東京と神奈川の境目に差し掛かった時、空気が変わった気がした。それが嫌な予感でないことを祈りたい。
見慣れた海沿いの道をまっすぐ向かった先に、彼の実家があった。
「父さん、母さん!」
家の敷地にバイクを停め、宿儺が声を張る。返事はない。玄関に向かおうとする宿儺の襟首を、柊が掴む。柊は幼子をたしなめるように指を振って短く舌を打つと、迷うことなく酒蔵へと向かった。
「ああ──いるいる。どこから入り込みやがったんだか……」
酒蔵へ近づくたび、嫌な気配が漂ってくる。ねっとりとした湿度は肌にまとわりつき、不快さを滲ませていた。
今まさに、山のような大きな体を持つ黒い化け物が酒蔵に近づいている。酒蔵を守るように立ち塞がったのは、柊から指示を受けた青蛙神ハル。そして、その肩に乗っているでっぷりとしたカエルは、父である金華将軍・雨福だった。
彼らと対峙しているのは──二足歩行のワニ女。
「あら……ずるいじゃない、助っ人なんて」
ワニの姿をした妖怪は、低い女の声で笑う。雨福とハルも柊に気づいたようだ。
「老师、请小心!」
武器を構えたまま、ハルが警戒を促す。当の柊は、新しく開けたばかりの煙草を、口に咥えているところだ。
「お前さん、ここに来るまで何人喰ったんだい?」
まるで軽い世間話のように軽い口調で、柊が尋ねる。
「さあ──忘れちゃった」
にた、とワニ女が笑う。
「心配しなくても全員食べてあげる。青蛙神の坊やも……あなたもね」
「ほぉ」
柊は短く返事をすると、煙草の煙をふうっと吐き出した。
同時に、彼の周囲を炎の風が巻き上げていく。
「悪ィけど、こっちも急いでるんだわ」
女の頭上に、小さな太陽が出現する。少なくとも、宿儺にはそう見えた。
目を凝らしてよく見ると、それは炎で形作られ、中心に人の拳のようなものが見える。まるでスポットライトのように、煌々とワニ女を照らしている。
「炎使い? それが何だって言うのッ! 私は狐白様の──」
ワニ女が吠えた瞬間、最後まで叫ぶ時間も、反撃の隙すら与えず、激しい地響きと共に女の体が押しつぶされた。
その体は高温で焼き尽くされ、跡形もない。
「よう。ご苦労さん」
何事も無かったかのように、柊が煙を吐き出しながら軽く手を振る。ハルは、遠慮がちに蔵の扉を開けた。
蔵の中には、宿儺の両親が匿われている。宿儺の知る、いつもの両親の姿だ。
「父さん、母さん……大丈夫か?」
「おかげさまだゾ! くーちゃんも無事で……良かっタ」
レガーレが、ぎゅっと宿儺を抱きしめる。
宿儺と別れて家に戻った後、家の周りを不審な車が徘徊していることに気づいた高見が、レガーレを連れて蔵に匿ったと言う。
「タカミはワタシたちを守ってくれたんダ。急だったカラ、スマホを持って来なかっタ」
ふと気がつくと、柊が高見と何か話をしていた。高見から受け取った酒瓶は、宿儺が家族や友達を守るために使った粟島の酒と同じもの。
「いいね──じゅーぶんだ」
柊は満足そうに酒瓶を揺らし、早速蓋を開けて味見している。
常夜の宴──邪を祓い、鬼を酔わせる酒。
「その酒って……普通の人間にも使えますか?」
我ながら変な質問だと思う。
柊は黙って酒瓶を揺らした後、宿儺の頭を軽くぽんぽんと撫でる。
「話してみな。おじさんがチカラになれっかもしれねェよ?」
そう言って勝気に笑った柊の顔は、宿儺が幼い頃によく見た最強の陰陽師そのものだった。




