第11話:下手人と黒幕
宝暦十一年(一七六一年)仲冬 蝦夷地・松前
松前、大店「伊勢屋」。
昨夜の騒ぎから一夜明け、帳場の前には捕まった少年が座らされていた。
年は小太郎よりいくらか下だろう。
薄い着物の裾は擦り切れ、手には細かな傷がいくつもある。
逃げ出さないよう一晩物置に入れられていた少年は、俯いたままだった。
九兵衛はそんな少年を黙って見ていた。
平助と小太郎は少年の後ろに腰を下ろし、逃げ出さないよう見張っていた。
番頭が少年の顔を覗き込み、首を傾げた。
「……この子供、どこかで見たことがございますな」
少年の肩がわずかに跳ねた。
番頭はしばらく考え、やがて「ああ」と声を上げた。
「たしか、浜近くの魚屋の丁稚ではなかったかな?」
少年の肩が再び強張った。
どうやら図星らしい。
「顔を上げろ」
九兵衛が言うと、少年は恐る恐る顔を上げた。
「名は?」
「……新吉です」
「新吉。昨夜の蟹は、魚屋から持ってきたものか?」
少し迷ってから、新吉は頷いた。
「はい……」
「誰に言われた」
「……うちの手代さんです」
横にいた平助の眉が跳ね上がった。
「ほんとだろうな!嘘だったらただじゃおかんぞ!」
「平助」
「……はい」
九兵衛に睨まれ、平助は口を閉じた。
九兵衛は再び新吉を見る。
「前の二晩も、お前か?」
「……はい」
「なぜ三日も続けた」
「蟹が多くて……一度じゃ運べなかったんです」
「全部でどれくらいあった?」
「分かりません。最初の日に詰めるだけ詰めても、まだ残ってて……。
何日かかってもいいから、全部持っていけって」
九兵衛は目を細めた。
……道理に合わない。
嫌がらせのためだけに、それだけの蟹を集めるとは思えない。
「あの蟹は、どこから手に入れた。
あれだけの量はそう出回るもんじゃない。
集めるのも楽じゃなかったはずだ」
新吉は再び口を閉ざした。
だが、もう隠し通せないと悟ったのだろう。
やがて、小さな声で答えた。
「……村山屋です」
平助が立ち上がった。
「やっぱり村山じゃないか!」
「……座れ、平助」
「ですが父上!」
「二度目だ。座れ、平助。
……三度目はないぞ」
わずかに苛立ちの滲む声に、平助は慌てて腰を下ろした。
九兵衛は新吉に続きを促した。
「お前は手代から言われただけなんだな?」
「はい。
俺、嫌だって言ったんです。
でも、やらなきゃ店を追い出すって……」
「……そうか。
これ以上はその手代に聞いたほうがよさそうだな」
九兵衛は立ち上がった。
「案内しろ」
「え?」
「その魚屋のところだ。
次は手代に聞く。
……言っておくがお前を見逃すわけじゃないからな。
しっかり案内しろ」
平助は勢いよく立ち上がり、小太郎もあくびを堪えながら続いた。
新吉だけがなかなか立ち上がれずにいた。
*****
浜近くの魚屋は、伊勢屋とは比べるべくもない小さな店だった。
軒先には木箱が並び、店に近づくと魚と潮の匂いが漂ってくる。
新吉を連れた九兵衛たちの姿を見ると、店の主人と手代の顔色が変わった。
「い、伊勢屋の旦那……」
「……蟹の件といえばわかるか?
新吉に大体のことは聞いた。
まさか、知らんとは言わんよな?」
「う……わ、わかりました。
どうぞ、上がって下さい。
中で話しましょう」
そんな奴は知らんと突っぱねることもできただろう。
だが、魚屋の主人は観念したように素直に応じた。
言い逃れをするつもりはないらしい。
先ほどまで主人を睨みつけていた平助も、わずかに目を丸くしていた。
主人は店の奥へ九兵衛たちを通した。
だが、席についても主人と手代はなかなか口を開こうとしない。
九兵衛はため息を一つつき、手代を見た。
「この子供に蟹を持っていかせたのは、お前だな」
「……はい」
「村山から言われたのか?」
「それは……」
手代が主人を見る。
主人は苦い顔をして俯いた。
九兵衛は急かさなかった。
ここまでの様子を見れば、大方の事情は察しがつく。
大店から無理難題を押しつけられた小商いの者が、暖簾を守るためにやむを得ず従う。
商いの世界では、珍しくもなんともない話だった。
やがて手代が重い口を開いた。
「数日前、村山屋へ魚を納めに行ったんです。
ですが……質が悪いから、こんなものは買えないと言われまして」
「ほう」
それだけなら、村山屋に非があるとは言えない。
生の魚は、特に扱いが難しい。
冬場であっても、時が経てばすぐに傷み始める。
傷みが出ていると見れば、仕入れを断るのも商いなら当然のことだ。
「それで?」
「困ると申し上げました。
うちにとっては大きな取引です。
そうでなくても余裕なんてないのに。
あの魚を買ってもらえなければ、うちは……」
手代はそこで口を濁した。
主人が代わりに頭を下げた。
「少し前、先代が急に亡くなりまして、私が後を継ぐことになったんです。
これまでも店には出ておりましたが、商いを取り仕切るとなると勝手が違いまして。
手代に助けてもらいながらなんとかやっているものの、なかなかうまくいっておりませんで。
村山屋との取引までなくなれば、春まで店がもつかどうか……」
小太郎が主人を見る。
「そんなに悪いの?」
「小太郎」
九兵衛が名を呼ぶと、小太郎は慌てて口を閉じた。
「続けろ」
「はい……。
それで理兵衛さんが、裏にある蟹を引き取ってくれるなら、あの魚も買ってやっていいと」
「蟹だと?」
「はい。裏に、蟹の入った桶がいくつもありました。
『うちも蟹を仕入れてみたはいいが、どうにも売れなくて困っていてな。
お前さんがあれを引き取ってくれると、俺も助かるんだが』
……そう言われました」
九兵衛の眉がわずかに動いた。
「村山が、そんなに蟹を持っていたのか?」
「はい。
どうしてあれほど集めたのかまでは、私には……」
「それで引き取った」
「……はい」
「そのあと、伊勢屋へ持っていけと言われたわけか?」
手代は慌てて首を振った。
「い、いえ!
そこまでは言われておりません!」
九兵衛は黙って続きを待った。
「ただ……理兵衛さんが仰ったんです。
『そういや伊勢屋は蟹を使った品を扱っているそうじゃないか』と」
平助の顔が険しくなる。
手代は続けた。
「『あそこなら使い道があるかもしれんぞ』と。
それから……」
「それから?」
「昼間は忙しいだろうから、持っていくなら夜の方が親切だ、と」
平助が拳を握った。
「何だそれ!どう考えても――」
九兵衛は平助の前にすっと片手を出した。
「よせ、まだ話は終わっていない」
手代は肩を震わせながら続けた。
「『夜道は滑るから気をつけろ。店先で転んで、蟹をぶちまけたりしたら大変だからな』
と……」
「それだけか?」
「いえ……。最後に
『蟹の匂いに野犬でも寄ってきたら危ない。そんな時は構わず逃げろ』
とも言われました」
平助が顔を険しくした。
「父上、やっぱり村山の差し金ですよ。
これじゃ、うちの前に蟹をぶちまけて逃げろって言ってるようなもんじゃないですか」
「そう取ってもおかしくはないな」
「そうでしょう!なら――」
「慌てるな。今聞いたのはこの店の者の話だけだ。
理兵衛さんがそう言ったという証はない」
「……それは」
手代は着物の袖を握りしめ、俯いた。
証などあるわけがない。
そのためにわざと遠回しな言い方をしているのだ。
理兵衛とてそれぐらいは考えている。
「それで、どうなんだ。伊勢屋へ嫌がらせをしろと言われたのか?」
手代は肩を震わせながら首を振った。
九兵衛は鼻から小さく息を吐いた。
「お前はどう受け取った」
「……伊勢屋さんの店先に撒け、という意味だと」
「それで丁稚にやらせた」
「はい……」
「……なるほどな」
うまいやり方だ。
村山にとっては、売れ残った蟹を魚屋へ押しつけた時点で、処分の手間がなくなる。
その後、魚屋が蟹をどうしようと知ったことではない。
言葉の裏を読んで思い通りに動くようなら、また使えばいい。
何かあっても、知らぬ存ぜぬを通せば済む。
何しろ、自分は何一つ命じていないのだから。
「理兵衛さんとは、その後なにか話したのか?うちに蟹を持っていった後で」
「翌日、また魚を持っていった時に……。
伊勢屋さんへ蟹を持っていったが、雪で転んで店先にぶちまけてしまった、と」
「理兵衛さんは?」
「笑ってました。
『だから転ばないように気をつけろと言ったじゃないか』って……」
平助の頬が引きつった。
爪が食い込むほど拳を握っている。
なんとか堪えてはいるようだが、怒りはまるで隠せていない。
九兵衛は何も言わず、手代へ視線を戻した。
「他には何か言ってたか?」
「いえ。
『また蟹が余ったら頼むかもしれん。今後も魚を持ってこい』
と、それだけです」
「……そうか」
蟹は処分できた。
伊勢屋への嫌がらせもできた。
おまけに、今後使えそうな手駒まで手に入れた。
すべて思い通り、というわけか。
少し腹が立つ。
だが、それ以上にその手際に感心している自分がいることの方が、癪だった。
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