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薄氷の恋 ――不倫した妻と僕を結ぶものは、罪悪感という名の感情、ただひとつ――  作者: 書峰颯


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第3話

『あの、良かったらなのですが、次はドライブデートにしませんか? 紅葉も見頃ですし、有堂さんと散策したら、きっと楽しいと思うんです』


 仕事中に届いた、花桐さんからのメッセージ。

 内容を確認し、一人微笑む。

 ドライブデート、もちろん僕もしたい。


 でも、家の車を使ったら花桐さんと過ごした形跡が残るかもしれないし、行くとしたらレンタカーが必要になる。 


 さっそく僕は了承の返事をし、レンタカーを借りるべくスマートフォンを操作していたのだけど。


「何にやけてんだよ」


 いきなり肩を叩かれ、飛び上がるように驚く。


 見れば、僕にマッチングアプリを紹介した同僚の男、巻島だった。


 花桐さんのことを伝えると、彼は両肩をすくめながらもタバコに火を点け、深く吸い込み、ゆっくりと煙を吐いた。


「どうよ? 少しは奥さんのこと、許せるようになったか?」


 許せるようになったのか。

 そう問われると、何とも言えない。


 相も変わらずユリカは浮気をしているし、家にいても彼女は部屋へと引きこもり、リビングには僕一人しかいない。


 夫婦の会話なんて、一体いつのことか。


 子供がいたら違ったかもしれないけれど。

 それはもう、望めそうにないし。 


「まぁ、ただ今後、悠全が気をつけなくちゃいけないのは、お前も罪を背負っているってことを忘れないことだな」


 どこか嬉しそうに片方だけの口角を上げながら、彼は僕の肩を軽く叩いた。


「奥さんの浮気を無碍(むげ)に責めたらいけないぜ? だって、お前も浮気をしてるんだからな。それと、その浮気相手の花桐さんって人もリスクを背負ってお前と会っているんだ。いろいろと気をつけてあげろよ? 今のお前には、嫁さんと花桐さんの旦那さん、最低でも二人の敵が存在しているんだからな」


 花桐さんもリスクを抱えている。

 当然のことながら、浮気とは罪なことだ。


 互いに結婚しているのだから、法で罰せられる行為に値する。


 しかし、僕達の行為は浮気なのだろうか?

 肉体関係もない、会って話をするだけの関係だ。


 だけど。


 ただ楽しいだけの感覚に襲われていた僕の心に、彼の言葉で太い(くさび)が突き刺さったのは、間違いのない事実だ。


 とても、ありがたい忠告として受け止める。

 

「あと最後に、人間ってのは自分に甘い生き物だからな。自分の浮気は許せても相手の浮気は許せないってこと、肝に銘じておけよ」


 そこまで語ると、彼はタバコを灰皿へと投げ捨て、オフィスへと戻って行った。


(先に浮気をしたのはユリカなのに、もしかしたら僕だけが責められるということか……)


 心のどこかに、モヤが掛かる。

 理不尽、そう、思わざるを得ない。



「レンタカーを用意してくれたんですか、ありがとうございます。これなら車に残り香があったとしても、奥様にバレませんものね」


 花桐さんはどこか嬉しそうに、イタズラを隠す子供のように微笑んだ。


 いつもとは違う駅での待ち合わせ。


 人も少なく、周囲には僕と花桐さん以外、誰もいない。巻島に言われたからか、必要以上に他者の視線が気になる。


「どうかされましたか?」


 僕の不審な行動を、花桐さんはあっさりと見抜いてきた。


 都内での待ち合わせを避けたのも、探偵や尾行を恐れてのことなのだと伝えると、彼女は手の甲を口にあてながら笑い始める。


「有堂さんの奥様は分かりませんが、私の旦那は大丈夫ですよ。不貞を疑うどころか、不貞して欲しいと思っているくらいですからね」


 意味が分からない。

 そう伝えるも。


「……そうですね、紅葉を楽しんでから、お伝えしたいと思います。お伝えしてからだと、何をしても雰囲気悪くなりそうですから」


 これまで太陽みたいな笑顔しか見せなかった花桐さんの表情が、ここにきて初めて曇る。


 今回で三回目のデートだけど、これまで一度もこんな笑顔を見たことが無かった。


「運転、お上手なんですね」


 小一時間ほど車を走らせると、助手席の花桐さんが僕の運転を褒めてくれた。


「ブレーキの時に全然重力を感じないし、スタートもとっても静か。何ていうか、運転技術が優しさに特化している感じがします」


 別に、僕は普通に運転しているつもりだ。

 でも、そんな僕の普通を、彼女は褒めてくれる。


「有堂さんの運転なら、私寝れる自信があります」

 

 それがなんとももどかしくて。

 とっても嬉しくて、歯がゆかった。


 燃えるような紅葉の中を二人で散策し、途中にあった屋台で軽食と飲み物を購入すると、僕たちは二人、ベンチへと腰掛ける。


 山の紅葉へと向けられたそのベンチに座ると、眼の前には絶景しかなくて。


 他の観光客や話し声もどこか小さく聞こえてくるような、不思議な感じがした。


「有堂さんと一緒だと、何でも楽しい」


 花桐さんが買ったのは、屋台の人に勧められたレモンサワーだった。


 アルコール度数五パーセントのサワーを一口飲むと、彼女は美味しそうに目を細める。


「ずっと、このままなら良いのに」


 紅葉を眺めながら、彼女は小さくそう言った。

 とても小さくだったから、僕は返事をせず。


 そのまま静かにしていると、コトリと、彼女は僕の肩に頭を乗せてきた。


 高鳴る心臓を抑えながら、僕は平然を偽装する。


 とても下手くそな嘘だったから、花桐さんには見透かされてそうだけど。


「有堂さんの奥さん、浮気でしょ?」


 不意に、彼女が言った。


「私の旦那もね、浮気をしているの」


 続けて語られた内容は、なんていうか、僕の想定の範囲内の言葉だった。


 だから特に驚きもせずに、彼女の言葉に耳を傾けていたのだけど。


「旦那の浮気相手、私の妹なの」


 その言葉には、さすがに驚きを隠せなかった。

 

「私ね、証拠を押さえて二人に突っかかったの。そうしたら、なんて言ってきたと思う? 妹の旦那を自由にしていいから、それで許せって言ってきたのよ? そんなの信じられないでしょ?」

 

 手にしたお酒をぐっと飲みながら、花桐さんは語り続ける。

 

「でもね、旦那の浮気相手が妹だって知って、何も出来なくなったの。だって、訴えたって相手は妹だし、私が動いたところで、唯一の肉親が苦しむだけ。亡くなった両親だって悲しむだろうし、親戚にだって口が避けても言えないわよ」


 最後の一滴まで飲み干すと、花桐さんは身体全部を僕へと預けてきた。


「家に帰りたくない」


 その言葉の意味は、どこまでも純粋だ。 

 

「家には妹の旦那がいるの。夫は妹の家。まるで夫婦が入れ替わったみたいでしょ? 私ね、最近、ずっと結婚したことを後悔しているの」


 羽織っている薄手のコートから出ている彼女の手が、僕の服の裾をきゅっと摘まむ。


「もっと早く、有堂さんと出会っていればな」


 その言葉が、どこまでも嘘の無い言葉だという保証は、どこにもない。


 もしかしたら全てが彼女の演技で、何もかもが嘘まみれで、真実の一欠片すら無かったのだとしても。 


「……っ」


 それだとしても、今の僕に、彼女の誘惑を断るすべは、持ち合わせていなかった。


 ベンチに座りながら、高校生のように軽く唇を重ねると、彼女の瞳は一気に女を帯びる。


 二度、三度と重ねたあと。

 僕達は何も言わず、互いの手を握り続けた。


 この時間が終わらなければいいのに。

 僕達の間に、言葉は無かった。



「奥さんの浮気、証拠を押さえておいた方がいいと思います。いざ離婚をするって時に証拠が無いと、弁護士さんも動けないと思いますから」


 花桐さんへとユリカのことを伝えると、彼女は僕へと的確なアドバイスを教えてくれた。


 ユリカが浮気をしているのは間違いないのだけれど、証拠と言われると何一つ残していない。


 というか、残したくなかった。


 スマートフォンに残る画像ひとつだって記憶から消したいくらいなのに、それを見つけ保存するだなんて、以前の僕がしたらそれだけで死を選んでしまいそうだ。


 だけど、今は花桐さんがいる。

 理解してくれる人がいるから。


 ユリカがお風呂に入った後、僕はいつもの通りテーブルに残されていたスマートフォンを手にし、横の起動ボタンを押した。


 ユリカの画面ロックの解除方法は、以前のままなら僕の誕生日だ。


 変えられている可能性が高い。

 恐る恐る四桁の数字をタップする、すると。


「……」


 なぜか、ロックが解除されてしまった。

 僕の誕生日なんて、絶対に嫌なはずなのに。


 呆気に取られながらも、メッセージアプリであるLimeを起動し、一番上にある『学徒』という名前の男とのメッセージを開く。


 がくと(・・・)、であろうか?

 それともまなと(・・・)


 どちらにせよ、男であるのは間違いない。


『今日、どこで会おうか』

『家でいいよ』

『家? 旦那さん、大丈夫?』

『大丈夫、なんか最近、出かけてるから』

『わかった、じゃあ、今日は家で楽しもっか』


 メッセージは今日の日付だ。

 つまり、今日、この男は家にいたということ。


「嘘だろ……」


 落胆と共に、吐き気が込み上げてきた。

 今日、この家に男が来ていた。


 それでも、自分のスマートフォンを手にし、メッセージをカメラに収める。


 画面をスライドさせると、裸のユリカの写真が出てきて、それを見たら、僕はこぼれ落ちる涙が止まらなくなった。

 

 ユリカが浮気をしている。

 そのことは、既に把握していたことだ。

 別に昨日今日で知った訳じゃない。


 訳じゃない……けど、認めたくなかった。

 僕以外の男にユリカが抱かれているということ。


 心のどこかが歪みそうになる。


 叫びたい、だけど、そんな荒んだ心の中で響いたのは、同僚、巻島の声だった。


 ——お前も同罪だろ?


 唇が、花桐さんとのキスを思い起こさせる。

 僕も、同じことをしている。

 その事実が、僕の涙を堰き止めた。




「ねぇ、ユリカ」

「……なに?」

「僕のこと、好き?」


 お風呂を出てきたユリカへと、改めて問う。

 僕の問いに、彼女は呆れ顔ひとつ。


「好きだよ」


 そう言い残しながら、部屋へと消えていった。

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