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薄氷の恋 ――不倫した妻と僕を結ぶものは、罪悪感という名の感情、ただひとつ――  作者: 書峰颯


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13/21

第13話

 監視カメラからSDカードを回収した後、僕は家を出て漫画喫茶へと向かった。


 ユリカが会社に向かったのは確認したけど、それでも万が一があっては困る。不倫相手が家に来る可能性だってあるのだから、長居は無用だ。


 月曜日から金曜日までの録画期間。

 十六倍速で再生出来るものの、期間は膨大だ。

 

(これは時間がかかるな)


 そう思いながら、SDカードをパソコンへと刺し、録画データの閲覧を開始する。


 月曜日、帰宅したユリカが映し出されると、彼女の素の生活が映し出されていた。どうやら監視カメラは、きちんと役目を果たしていてくれたらしい。


 棚の上に仕掛けたから、定点カメラのような感じで、リビングからキッチンまでが映し出されている。 


 リビングに姿を見せたユリカは、着替えを終えた後、夕食の準備に取り掛かる。


(……?)


 でも、時たまに、彼女は不自然な仕草を取った。


 手が止まっていたり。

 自分の足を数回叩いたり。

 顔を左右に振ったり。


 思い詰めた仕草、そんな感じだ。


 月曜日の夕食は野菜炒めと唐揚げだったらしい。味噌汁とご飯を二人分用意し、僕の分にはラップを掛ける。


『いただきます』


 誰もいないのに手を合わせて、しっかりと〝いただきます〟をしてから食べ始める。

 

 ユリカ一人きりの食卓には、哀愁が漂っていた。


(……別に、見なくていいか)


 こんな動画を見たところで、今更コイツに情なんか移らないけど。


 なんかちょっとだけ。

 見ていて嫌な気持ちになった。


『悠君、出張なの?』


 電話の相手は僕だろう。


 僕との電話を終えた彼女の顔は、なぜか少しだけ笑顔だった。いなくて清々する、きっとそんな意味の笑顔なんだろうけど。


 間違っても、連絡があって嬉しかった。

 これではないと思う。


 月曜、火曜、水曜……特に問題無し。

 

 僕のいない家でユリカが一人で晩酌していたり、映画を見ていたり。


 あくまで動作物を検知して録画をする監視カメラだから、記録された映像は飛び飛びだ。


 それでも大量にある録画データ。

 その画面をマウスでスクロールしていくと。


(……ん?)


 その違和感は、木曜日にあった。

 

(記録された時間、午前中?)


 ユリカの勤める化粧品工場は、基本的にカレンダー通りの勤務となる。


 平日の午前中、ユリカが家にいるはずがない。


 それはつまり、この日に何かがあったという証拠だ。


(さてはて、一体何が映っているのかな)


 ワクワクにも似た好奇心と共に、僕は録画データをクリックした。


『早く、入って』


 映し出されたのは、普段着のユリカだ。

 それともう一人、スーツ姿の男が一人。 


 男は室内へと入ると、スーツ姿のままソファへと座り、俯いたまま神に祈るように両手を握りしめる。


学徒(がくと)君?』


 そんな男の横に、ユリカは座った。

 

『……ユリカ、僕、失敗したらしい』


『失敗?』


『仕事、懲戒解雇になった』

 

 屋炭という苗字は出ていないけれど、話の内容からして、この男が屋炭学徒で間違いないらしい。


 懲戒解雇か。

 まぁ、当然だろうね。

 懲役じゃないだけマシだろ。


『もう、君を幸せに出来そうにない。いろいろと迷惑掛けてごめん。旦那さんにも僕のこと、もうバレてるんだろ? このまま僕が君の側にいては、間違いなく大変なことになる。だからもう、会うのは今日で最後に————』


 隣に座ったユリカが、言葉を遮るように男とキスをした。それはまるで、愛し合う恋人のような優しいキスを、僕以外の男としている。


 なぜか、胸がズキリと傷んだ。


『ユリカ……』


『学徒君らしくないよ、何があっても大丈夫って顔してないと。仕事に失敗したからって、別に平気でしょ? 学徒君には私がいるんだからさ』


 ……。


『それに、私だって働いて貯金もあるんだしさ。学徒君一人くらいなら、私一人で養うこと出来るし』


『でもそれじゃ、旦那さんに申し訳ないよ』


『あはは、大丈夫よ。旦那は私に惚れてるから。離婚しようって口にはしたみたいだけど、結局今も一緒にいるし。口だけで行動出来ないのは昔から、だから別に私は心配してないの。それよりも私が心配なのは学徒君だよ、一度の失敗で変な気起こさないでね? いなくなったら泣いちゃうよ?』


『ユリカ……ありがとう』


『……学徒君?』


『僕、後悔してるんだ』


『後悔?』


『ユリカとずっと一緒だったのに、僕は告白すら出来なかった。もっと前に告白していたら、きっと今頃、僕と君が結婚していたはずなのに』


 ……。


『ふふっ、そうかもね。でも、昔に告白されていたら、多分私、断ってたと思うよ?』


『……そうなの?』


『だって、学徒君の良さに気づいたの、今の旦那と結婚してからだもん。それまでの学徒君の評価って、オタクで陰キャでズルくて、何をするにも臆病でダメな男の人って印象だったからね』


 ユリカはそこまで語ると、屋炭へと身体を寄り添わせる。タクシーの時のように彼の手を握りしめ、屋炭へと彼女からキスを求めた。


『誰かの女になっても私を愛してくれた貴方だから、私は惚れることが出来た。こんなの普通じゃないよね、でも私は、普通じゃないのが好き』


『……ユリカ』


『学徒君、私って女はね、こういう風にしか人を愛せないの女なの。昔からそう、誰かの男とか、愛してはいけない人とか、そういう人にしか愛情を注げない女なの。今の旦那との結婚は、そういう自分との決別を意識しての結婚だったのだけど』


 両手で屋炭の頭を包み込むようにすると、自らの胸の中で慈しむように抱きしめ、頭を撫でる。


 その姿勢のまま片膝を男の股の間へと刺し入れると、ユリカは彼の足の上に腰を落とした。


『でも結局、私は変われなかった。多分、離婚して学徒君と一緒になったら、私は貴方を嫌いになる。だから、今の関係が一番いい』


 言うと、ユリカは視線を上へと向けた。

 突然のカメラ目線に、心臓が止まりそうになる。


 もしかしてユリカ、僕の盗撮に気づいていたのか? 気づいた上で屋炭を呼んだということは、自分の性癖を僕にも知らせる為に、これを?


『ふふっ、危うくて、薄氷の上でダンスを踊っているみたいな、そういう恋愛が好きなの。だから、学徒君は何も気にしなくていい。全部を私に委ねて』


 視線を屋炭へと戻すと、その場所のまま、二人は営みを始めた。


 僕との結婚は、自らの性癖を正すため。 

 でもダメだったから、不倫を許して欲しい。

 

 この動画は、僕へのメッセージだ。


 心臓が、変に動く。

 気持ちが悪い。

 呼吸が上手く出来ない。


 有堂ユリカ……いや、花園ユリカという女性を、僕はまだまだ知らなかったみたいだ。


 だけど、彼女も僕のことを知らない。

 僕は、何も出来ない腑抜けなんかじゃない。


 でも、それなのに。


「ちくしょう……」


 胸をワシ掴みにし、モニターを前にうずくまる。

 なんでだろう。

 なんで、涙が溢れてしまうんだ。


 彼女は特定の誰かを愛することが出来ずにいる。

 

 だけど、今のこの状況は。

 僕が不倫をしている、この状況は。


「ユリカにとって、最も僕を愛することが出来るという、そういう状況じゃないか……」


 マヤの恋人になった僕だから。

 他の女の恋人になった男だから。

 

 だから、愛することが出来る。

 

 何が正しくて。

 何が間違いなのか。


 僕の常識が、音を立てて崩れ始める。

 

 そして、僕は気づくんだ。


 ユリカにとって最も好ましいこの状況を作り出した人物、僕の味方だったはずの人。


 それが、一番の敵だった可能性。


 止まらない涙を流しながら、スマートフォンを握りしめる。


 涙で視界が歪むのを無理に振り払い、強引に指でタップをし続ける。掛ける番号は既に登録済みだ、何度も連絡し、何度も相談した相手。


「おお、なんだ急に電話してきて?」


 男は、いつもの調子のまま、陽気に語る。


「君に、聞きたいことがあるんだ」


 あってはならない可能性。

 僕の行動、全てがユリカに筒抜けだった可能性。

 彼が敵だった場合、何もかもが崩れ去る。


「巻島、もしかして君は」


 喉の奥が熱い。

 発するべき言葉が喉から出てこない。


 沈黙。


 うつむき拳を床に押し付ける。

 呼吸を整え、聞かないといけない。


 けど。


「ああ、言わなくてもいい」


 必要のない沈黙を、彼は飄々と打ち破った。


「全部、お前の考えている通りだよ」


 そして、あっさりと認めるんだ。


「俺が、ユリカさんからお願いされて、お前に不倫を勧めたんだ」

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― 新着の感想 ―
タイトルそういうことね 確かにアドバイス初手からおかしいし怪しかったけど… 行くかー、離婚に強い弁護士事務所
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