第13話
監視カメラからSDカードを回収した後、僕は家を出て漫画喫茶へと向かった。
ユリカが会社に向かったのは確認したけど、それでも万が一があっては困る。不倫相手が家に来る可能性だってあるのだから、長居は無用だ。
月曜日から金曜日までの録画期間。
十六倍速で再生出来るものの、期間は膨大だ。
(これは時間がかかるな)
そう思いながら、SDカードをパソコンへと刺し、録画データの閲覧を開始する。
月曜日、帰宅したユリカが映し出されると、彼女の素の生活が映し出されていた。どうやら監視カメラは、きちんと役目を果たしていてくれたらしい。
棚の上に仕掛けたから、定点カメラのような感じで、リビングからキッチンまでが映し出されている。
リビングに姿を見せたユリカは、着替えを終えた後、夕食の準備に取り掛かる。
(……?)
でも、時たまに、彼女は不自然な仕草を取った。
手が止まっていたり。
自分の足を数回叩いたり。
顔を左右に振ったり。
思い詰めた仕草、そんな感じだ。
月曜日の夕食は野菜炒めと唐揚げだったらしい。味噌汁とご飯を二人分用意し、僕の分にはラップを掛ける。
『いただきます』
誰もいないのに手を合わせて、しっかりと〝いただきます〟をしてから食べ始める。
ユリカ一人きりの食卓には、哀愁が漂っていた。
(……別に、見なくていいか)
こんな動画を見たところで、今更コイツに情なんか移らないけど。
なんかちょっとだけ。
見ていて嫌な気持ちになった。
『悠君、出張なの?』
電話の相手は僕だろう。
僕との電話を終えた彼女の顔は、なぜか少しだけ笑顔だった。いなくて清々する、きっとそんな意味の笑顔なんだろうけど。
間違っても、連絡があって嬉しかった。
これではないと思う。
月曜、火曜、水曜……特に問題無し。
僕のいない家でユリカが一人で晩酌していたり、映画を見ていたり。
あくまで動作物を検知して録画をする監視カメラだから、記録された映像は飛び飛びだ。
それでも大量にある録画データ。
その画面をマウスでスクロールしていくと。
(……ん?)
その違和感は、木曜日にあった。
(記録された時間、午前中?)
ユリカの勤める化粧品工場は、基本的にカレンダー通りの勤務となる。
平日の午前中、ユリカが家にいるはずがない。
それはつまり、この日に何かがあったという証拠だ。
(さてはて、一体何が映っているのかな)
ワクワクにも似た好奇心と共に、僕は録画データをクリックした。
『早く、入って』
映し出されたのは、普段着のユリカだ。
それともう一人、スーツ姿の男が一人。
男は室内へと入ると、スーツ姿のままソファへと座り、俯いたまま神に祈るように両手を握りしめる。
『学徒君?』
そんな男の横に、ユリカは座った。
『……ユリカ、僕、失敗したらしい』
『失敗?』
『仕事、懲戒解雇になった』
屋炭という苗字は出ていないけれど、話の内容からして、この男が屋炭学徒で間違いないらしい。
懲戒解雇か。
まぁ、当然だろうね。
懲役じゃないだけマシだろ。
『もう、君を幸せに出来そうにない。いろいろと迷惑掛けてごめん。旦那さんにも僕のこと、もうバレてるんだろ? このまま僕が君の側にいては、間違いなく大変なことになる。だからもう、会うのは今日で最後に————』
隣に座ったユリカが、言葉を遮るように男とキスをした。それはまるで、愛し合う恋人のような優しいキスを、僕以外の男としている。
なぜか、胸がズキリと傷んだ。
『ユリカ……』
『学徒君らしくないよ、何があっても大丈夫って顔してないと。仕事に失敗したからって、別に平気でしょ? 学徒君には私がいるんだからさ』
……。
『それに、私だって働いて貯金もあるんだしさ。学徒君一人くらいなら、私一人で養うこと出来るし』
『でもそれじゃ、旦那さんに申し訳ないよ』
『あはは、大丈夫よ。旦那は私に惚れてるから。離婚しようって口にはしたみたいだけど、結局今も一緒にいるし。口だけで行動出来ないのは昔から、だから別に私は心配してないの。それよりも私が心配なのは学徒君だよ、一度の失敗で変な気起こさないでね? いなくなったら泣いちゃうよ?』
『ユリカ……ありがとう』
『……学徒君?』
『僕、後悔してるんだ』
『後悔?』
『ユリカとずっと一緒だったのに、僕は告白すら出来なかった。もっと前に告白していたら、きっと今頃、僕と君が結婚していたはずなのに』
……。
『ふふっ、そうかもね。でも、昔に告白されていたら、多分私、断ってたと思うよ?』
『……そうなの?』
『だって、学徒君の良さに気づいたの、今の旦那と結婚してからだもん。それまでの学徒君の評価って、オタクで陰キャでズルくて、何をするにも臆病でダメな男の人って印象だったからね』
ユリカはそこまで語ると、屋炭へと身体を寄り添わせる。タクシーの時のように彼の手を握りしめ、屋炭へと彼女からキスを求めた。
『誰かの女になっても私を愛してくれた貴方だから、私は惚れることが出来た。こんなの普通じゃないよね、でも私は、普通じゃないのが好き』
『……ユリカ』
『学徒君、私って女はね、こういう風にしか人を愛せないの女なの。昔からそう、誰かの男とか、愛してはいけない人とか、そういう人にしか愛情を注げない女なの。今の旦那との結婚は、そういう自分との決別を意識しての結婚だったのだけど』
両手で屋炭の頭を包み込むようにすると、自らの胸の中で慈しむように抱きしめ、頭を撫でる。
その姿勢のまま片膝を男の股の間へと刺し入れると、ユリカは彼の足の上に腰を落とした。
『でも結局、私は変われなかった。多分、離婚して学徒君と一緒になったら、私は貴方を嫌いになる。だから、今の関係が一番いい』
言うと、ユリカは視線を上へと向けた。
突然のカメラ目線に、心臓が止まりそうになる。
もしかしてユリカ、僕の盗撮に気づいていたのか? 気づいた上で屋炭を呼んだということは、自分の性癖を僕にも知らせる為に、これを?
『ふふっ、危うくて、薄氷の上でダンスを踊っているみたいな、そういう恋愛が好きなの。だから、学徒君は何も気にしなくていい。全部を私に委ねて』
視線を屋炭へと戻すと、その場所のまま、二人は営みを始めた。
僕との結婚は、自らの性癖を正すため。
でもダメだったから、不倫を許して欲しい。
この動画は、僕へのメッセージだ。
心臓が、変に動く。
気持ちが悪い。
呼吸が上手く出来ない。
有堂ユリカ……いや、花園ユリカという女性を、僕はまだまだ知らなかったみたいだ。
だけど、彼女も僕のことを知らない。
僕は、何も出来ない腑抜けなんかじゃない。
でも、それなのに。
「ちくしょう……」
胸をワシ掴みにし、モニターを前にうずくまる。
なんでだろう。
なんで、涙が溢れてしまうんだ。
彼女は特定の誰かを愛することが出来ずにいる。
だけど、今のこの状況は。
僕が不倫をしている、この状況は。
「ユリカにとって、最も僕を愛することが出来るという、そういう状況じゃないか……」
マヤの恋人になった僕だから。
他の女の恋人になった男だから。
だから、愛することが出来る。
何が正しくて。
何が間違いなのか。
僕の常識が、音を立てて崩れ始める。
そして、僕は気づくんだ。
ユリカにとって最も好ましいこの状況を作り出した人物、僕の味方だったはずの人。
それが、一番の敵だった可能性。
止まらない涙を流しながら、スマートフォンを握りしめる。
涙で視界が歪むのを無理に振り払い、強引に指でタップをし続ける。掛ける番号は既に登録済みだ、何度も連絡し、何度も相談した相手。
「おお、なんだ急に電話してきて?」
男は、いつもの調子のまま、陽気に語る。
「君に、聞きたいことがあるんだ」
あってはならない可能性。
僕の行動、全てがユリカに筒抜けだった可能性。
彼が敵だった場合、何もかもが崩れ去る。
「巻島、もしかして君は」
喉の奥が熱い。
発するべき言葉が喉から出てこない。
沈黙。
うつむき拳を床に押し付ける。
呼吸を整え、聞かないといけない。
けど。
「ああ、言わなくてもいい」
必要のない沈黙を、彼は飄々と打ち破った。
「全部、お前の考えている通りだよ」
そして、あっさりと認めるんだ。
「俺が、ユリカさんからお願いされて、お前に不倫を勧めたんだ」




