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薄氷の恋 ――不倫した妻と僕を結ぶものは、罪悪感という名の感情、ただひとつ――  作者: 書峰颯


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第12話

 昨日の夜まではとても楽しかったのに、今日は朝から陰鬱極まりない。


 スマートフォンを見れば、ユリカからの律儀なメッセージが届いている。


『九時には到着するからね』


 スタンプもハートマークもない、愛想の欠片もないいつものメッセージだ。

 

 マヤの爪の垢を煎じて飲めばいいのに。

 そう思ってしまい、一人苦笑う。


「悠君、待った?」


 駅のコンコースにいると、ユリカから声を掛けてきた。腕の部分がちょっとだけ大きいヘソくらいまでのスウェットに、グリーンのパンツスタイル。


 ロングの髪を後ろでお団子にして、前は七三にして垂らしている。切れ長の瞳にのった化粧は薄く、誰が見ても綺麗なお姉さん、といった印象だ。


 僕には男を誘う、下卑た姿にしか見れないけど。


「って、なんで悠君までキャリーケース持ってるの? 洗濯物とかあれば、今日アパートに行って私が洗ってあげたのに」


「アパートにユリカは入れないよ。それに隔週の出張みたいなものだって伝えたでしょ? 洗濯物は家に帰ってから洗えば、それでいい」


「家に帰る?」


「当然でしょ? 土日に帰宅して、来週はいつも通りの通勤だよ」


「そっか、知らなかった」


 教えてないからね。


 ユリカもキャリーケースを持っているということは、一泊するつもりだったのかも。


 コイツと二人きりの息苦しい外泊なんて、絶対にお断りだ。


「ちぇっ、悠君の一人暮らししてる部屋とか、見ておきたかったのにな」


「それは写真で送ったでしょ。家具完備の、1Kの狭い部屋だよ」


 ここまで会話をして、なに普通の会話をしてるんだと、自分の額をこづく。


 相手は不倫をしている最低最悪の女だ。


 僕に向けている笑顔だって、どうせ裏の意味があるに決まってる。


「じゃあ、キャリーケースは預けちゃおっか」


「預けて、どこに行くのさ?」


「だって、せっかくの名古屋なんだよ? 観光しないともったいないじゃん。ほら悠君、早く行こ」


 ユリカの伸ばした手が、僕へと向けられる。

 夫婦ならば当然、その手を取るのだろう。


 だけど、僕は彼女の手に、触れたくなかった。

 伸ばされた手を避けるように、自らの手をポケットへと入れ込む。


「……ごめんね、手を繋ぐとか、恥ずかしいよね」


 淋しげに微笑む。

 恥ずかしいんじゃない。

 触りたくないんだ。


「じゃあ、行こっか」


 心の底から行きたくない。

 絶対に楽しくない自信がある。


 だけど、僕は平静を装わないといけない。

 ここで彼女と揉めるのは、ダメだ。


 マヤとの未来のため。

 今は我慢をする。


「すいません、名古屋城までお願いします」


 タクシーに乗り込み行き先を告げると、ユリカは僕の手を握りしめてきた。逃げようにもタクシーの後部座席では逃げ場はないし、運転手さんの目もある以上、仲の良い夫婦を演じないといけない。


 手を握りながら、彼女の目が僕を見る。

 さっきのは違うよね?

 そんな、心の声が聞こえてきそうだ。


(外でも眺めるか)


 顔も見たくない。

 ただ、それだけだ。


「ここが名古屋城か……悠君、早く行こ」


 土曜日だからか、沢山の人で賑わいを見せる名古屋城へ正門から入ると、いきなり視界に巨大な城が飛び込んできた。

 

 やや緑色をした屋根に、純白の壁、土台となる石垣からしてスケールが違う。


 圧倒。

 まさにこの言葉が一番しっくり来る。


「悠君、金のシャチホコがちゃんと天守閣にあるよ! 凄い! 本物の名古屋城とか、なんか感動しちゃうね!」


 感動、したんだけどね。

 でも、それもユリカとだと半減だ。


 きっとマヤと一緒だったら、もっと素直に喜べたと思う。二人手をつなぎ、新婚のように城の周りを歩いたに違いない。一時間が一分に感じられてしまうような、そんな素敵な時間だっただろうにな。


 平日の夜しか会えなかったのが、とても残念だ。 


「スタンプラリーだって、悠君、買っていこうよ」


 名古屋城を巡るスタンプラリー、指定された場所へと向かいスタンプを押すと、一枚の素敵な絵になる。


 それを見て、マヤのことを思い出した。


『昼間、一人で名古屋城行ってきたんです。いろいろと見れて楽しかったので、今度一緒に行きましょうね。それと、これ、子供用のスタンプラリーだったんですけど、私一人でやっちゃいました。思った以上に素敵な絵でしたので、次はゼン君も一緒に』


 マヤは、その絵を見せてはくれなかった。

 次に僕と行った時の楽しみだって言ってたのに。


「悠君、見て! 超素敵じゃない!?」


 ユリカが見せてきた完成した絵を見て、眉を下げながらも笑みを返した。


 マヤとの楽しみがひとつ減ってしまった。

 そう、思えて仕方がなかった。


 敷地内にて昼食にきしめんを食べた後、お土産屋さんに立ち寄り、適当な物を購入して駅へと向かう。


 ユリカはいろいろな場所に行きたかったみたいだけど、僕としてはこんな楽しくない時間、一秒でも早く終わりにしたい。


「仕事で疲れてるから」


 慣れない場所での仕事だったのだから、疲れているのは本当だ。


「そうだよね、悠君のこと考えなくて、ごめんね」


 それは、別に気にしていない。

 というか、気にして欲しくない。


 お前は愛する屋炭のことを一番に気にしていれば、それでいい。


 ……そうだ。

 丁度良い機会だから、少し反応を試してみよう。


「そういえばなんだけどさ」


「うん」


 歩きながら、視界の隅みにユリカを入れる。

 

「僕が名古屋に出張になった原因、知りたい?」


「悠君が出張になった原因? 何かあったの?」


 白を切るのか、本当に知らないのか。

 そもそもユリカの不倫相手が屋炭なのか。

 それらを確認するのに、丁度良い機会だ。


屋炭(やすみ)学徒(がくと)ってバカがやらかしたらしい。刑事事件に発展するレベルのやらかしだったらしいよ?」


 あえて、不倫相手の名前を出す。

 

「学徒ってさ、なんかホストっていうか、不倫とかしそうな名前だよね。まぁ、犯罪者相手に不倫するような女とか、死んだ方が良いまであるけどさ」


 思えば、もし今回の件にユリカも絡んでいるのだとしたら、社会的に制裁を受けるのは学徒とユリカの二人なのではないのだろうか?


 横領した金をユリカの為に使っていたのだとしたら……ふふっ、それが一番楽でいいかもしれない。


「悠君、それってさ」


 振り返ると、ユリカは足を止めていた。

 歩みを止め、バッグの肩紐を握りしめる。

 俯き前髪で隠れた表情は見ることが出来ない。


 多分、屋炭がユリカの不倫相手なんだろうな。

 この反応は、誤魔化すには正直厳しい。


 でも、ユリカは何も語らず。


「……ごめん、なんでもない」


 僕の方を見ないまま少し早足で歩いた後、立ち止まり、そのまま動かずにいる。


 何を考え、何を思い。

 何をしようとしているのか。


 どうせその全てが、僕の為ではないんだろうな。


「悠君」


 振り返ったユリカは、それでも笑顔だった。


「私も、お家に帰りたくなっちゃった」


 それが、彼女が出した結論。

 不倫は無かった。

 それが、僕たちの共通の認識だ。



 帰宅すると、土日の二日間、ユリカは必要以上に僕へと話しかけ、接してきた。


 最近の出来事、仕事のこと、僕がいない日に食べたもの、どこに行ったのか、何をしていたのか。


 嘘と偽りだらけの自身の潔白を洗いざらい懺悔しているみたいで、聞いていてうんざりする。


「悠君、一緒にお風呂に入ろっか」


 スキンシップを拒んだのはユリカだろうに。

 いなくなると理解し、惜しくなったのかな。


「……ごめんね、一人がいいよね」


 だけどもう、手遅れだよ。



 月曜。


「行ってらっしゃい、悠君」


 僕は、会社へと行くフリをした。


 実際は有給。


 駅まで向かい電車へと乗り込んだあと、三駅くらいで引き返す電車に乗り込んだ。元の駅に戻ったあと、人混みに紛れながら改札口を眺める。


(……いた)


 勤め先へと向かうユリカがいた。


 僕にはあまり見せない他所(よそ)顔のユリカは、素直に美人だと思える。すれ違う男が振り返り、彼女を見てしまうほどに、ユリカは美人だ。 


 以前はそれを知り、とても不安になった。

 だけど今はもう、なんとも思わない。


(……ちゃんと見ないとな)

 

 視線を彼女へと戻す。

 改札口を通り、電車へと乗り込む。

 それを見届けた後、僕は自宅へと一人戻った。


 仕掛けた監視カメラが起動しているのは、土日に確認済みだ。動くものに反応して録画を始めるそのカメラが、一体何を記録したのか。


 妻の不倫だというのに。

 楽しみでしょうがない、自分がいた。

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