後編
これにて完結です。
その日の仕事を終えた私は、殿下の部屋に向かう。予め面識のある殿下付きのメイド長には話を通しておいたので、彼女は紅茶を用意して部屋の前で待っていてくれた。
「殿下はお戻りか?」
「はい。しばらく前に学園からお帰りになりました。」
「そうか、ありがとう。」
私はメイドから紅茶とカップの載せられたお盆を受けとり、部屋の扉をノックする。しかし、何度かノックしても部屋の中から返事がない。
…眠っているのか?
私はメイドと顔を見合わせつつも、仕方なくドアノブに手をかけた。貴人の部屋だけあって、普通のそれよりは重厚な造りになっている扉をゆっくりと押し開けて中を覗くと、殿下が自分の執務机に突っ伏しているのが目に入る。
…ああ、これは相当悩んでいるな…。
分かりやす過ぎる姿に、なるほど王妃様が私に頼んでくるわけだと納得する。やれやれと首を振ると、私はメイドに下がるように伝え、部屋の中に入った。
「随分お疲れのようですね、殿下。」
机の前に立ち、軽めのトーンでそう言うと、殿下がゆっくりと顔を上げた。
「…レナード?」
ぼんやりとした様子で私の名を呟く殿下。まあ、私がわざわざ殿下の部屋を訪ねるなんて滅多にないからな。
「ノックはしたんですよ?お気付きにならなかったようですが。」
「…どうしたんだ、その恰好は。」
そう言って訝しげに私の手元を見る殿下。ああ、こっちが気になっていたのか。
「ちょっと貴方にお話がありましたので、メイドにお茶を淹れてもらってきたんですよ。」
肩を竦めてそう言うと、私は部屋の入口付近にある応接セットの方に移動し、ティーカップとポットをテーブルに並べ始めた。
「ほら、話を聞いてあげますから、こちらへ。」
「え、いや、しかし…。」
「王妃様から仰せつかったんですよ。相談に乗ってやって欲しいとね。」
なかなか移動しようとしない殿下だったが、王妃様の名をちらつかせると、渋々立ち上がってこちらへやってきた。
カーレル殿下とは妹の婚約を契機に話す機会が少しずつ増えた。近い年代という事もあり、昔から王家やそれに近しい貴族主催の茶会などに参加すると彼を見かける事はよくあったが、特別関心もなかったし、お近付きになろうとも思わなかった。
だが、妹の婚約者となれば話は別だ。婚約が成立してからは、彼が侯爵邸に来る事もあれば、妹が城に赴く事もあった。私が付き添いに駆り出されることも多く、まだ幼かった私達は三人で遊ぶ事も増えた。そのような経緯から、私とカーレル殿下は幼馴染のような関係とも言える。まあ、可愛い妹を近い将来自分達家族から奪っていく気に食わない相手でもあるわけだが。
とはいえ、彼は妹の事を本当に好いているようだったし、元来素直で何事にも真摯に取り組む姿勢には好感が持てた。未来の義兄とはいえ、一国の王子相手に私がこんな軽口を叩けるのも、彼の懐の広さゆえだ。昔から「口調だけは丁寧語だが、全く敬意なんて込めていないだろう」と呆れたように言われてきた。
そんな事を思い返しながら、彼と向かい合うようにソファに座ると、私は早速本題を切り出した。
「…それで?我が妹に何をやらかそうとしているんです?」
にっこりと嘘やごまかしを許さない笑顔で私が言うと、彼がビクリと震えて固まった。
「い、いや…それはまだ…。」
「そうですか。…全く、王族というのは面倒なものですね。」
ため息を吐いて、自分の紅茶に口を付ける。殿下もまたぎこちない様子で紅茶を一口飲むと、こちらの様子を窺うように視線を上げた。
「母上から全て聞いたのか?」
「まあ、大体は。」
昼間の話を思い出し、内心複雑な気分になる。私はティーカップを置くとソファに深く座り直し、手を胸の前で軽く組んだ。
「危機に陥った時の立ち回り方を見る、と言われてもね。身内の欲目を差し引いても、あいつは優秀ですよ。危機になんてそうそう陥る事はないでしょう。もし暴漢やら人攫いに襲わせたとしても、魔術で吹っ飛ばして終わりです。まあ、予め薬でも盛って弱らせておけば…分かりませんがね。」
もしそんな事をしようものなら、私は妹を連れて国外逃亡の道でも選択するが、とは言わずに私は殿下の反応を待った。すると。
「そ、そんな事は断じてさせん!」
殿下が間髪入れずに否定の言葉を口にする。その彼の必死な様子に、私は一瞬目を瞠ったが、すぐにふっと笑みを浮かべた。
…まあ、そうでなくてはね。
「…それを聞いて安心しましたよ。万が一、そんな手を使おうとしているなら、今すぐにでも父に婚約破棄を進言しようかと思っていましたが。」
「…だが、彼女には弱点が見つからないんだ。」
「まあそうでしょうね。」
途方に暮れた様子の殿下に、私は当然のように頷いて、再びティーカップを口に運ぶ。
「なら、他人を使うしかないのでは?」
「?どういう事だ?」
「どこにでも、優秀な人間を陥れようとする輩はいるものですよ。」
それは自分の経験から来る持論だったが、私は確信めいたものを感じていた。
それからしばらく経って、私は殿下からルイーズへの試験の内容を聞かされる事になった。私の予想通り、妹に反感を持つ者が幾人かいたらしく、その者達を利用して試験を行うようだ。
正直、内容としてはあまり気持ちのいいものではない。だがまあ、妹への身体的な危害はないという事で妥協した。妹の心や名誉・世間からのイメージに対するダメージは大きいのではないかと思うが、我が妹はああ見えてなかなかに強靭な精神力を持っているからな。名誉回復や後のフォローは王家が全面バックアップするという証文もいただいたし。
一連の計画を聞かされた後、更に「本当に万が一の場合の話だが」と前置きして、殿下が私にある依頼をしてきた。
「万が一彼女が不合格になった場合、芝居の予定だった婚約破棄を、私は現実のものにせざるを得ない。」
「…まあ、そうですね。」
「だが、今回の芝居は彼女を偽の罪で悪役にして婚約破棄を宣言するというものだ。婚約破棄をするとしても、この前提部分、つまり偽の罪の部分は事実として扱うわけにはいかない。」
「…。」
それはそうだ。アイツが殿下に婚約破棄された理由が、無実の下級貴族の令嬢を虐めたせいだなんて言われたら、今後アイツの新たな嫁ぎ先なんて見つからないだろう。
「だから、もし、婚約破棄が現実のものになってしまう場合は、私が別の令嬢に心変わりしただけで、ルイーズはむしろ被害者なのだと訴えてほしい。レナードなら、上手い具合に証拠らしいものもなんとか用意できるだろう?」
「は?でもそんな事したら殿下が…。」
軽薄な王太子として皆から白い目で見られる事になりますよ?そう言いかけたが、殿下の目を見ればそんな事は百も承知だと言わんばかりで。
…そうか。お前もそこまで覚悟を決めているのか。
身分は上でもまだまだ子供だと思っていた弟分の、思ってもみなかった成長ぶりに、私は大きく息を吐いた。やがて「仕方ないな」と呟き、右手の拳を彼の前に軽く突き出す。
「私を失望させないで下さいよ?」
「…ああ。善処する。」
そう言って彼も笑うと、私の拳に自分の拳を突き合わせた。
そんなやり取りを経て、今に至る。試験の展開は概ね私の想定通りだった。ルイーズが正論でシェリル一行を追い詰め、激昂した彼らを精霊による裁定で黙らせた。運命の日を迎える少しばかり前、精霊召喚魔術を成功させた時点で、ルイーズの勝ちはほぼ決まったようなものだったのだ。その時点で私に託された万が一の場合のフォローは百パーセント不要になっていた。
その後は両陛下がホールへ姿を現し、ルイーズに今回の一件の説明と謝罪、そして元凶となった男爵令嬢は捕縛され、宰相・騎士団長の息子達への処分を何故かルイーズが下すという展開が繰り広げられた。控え室を出ていく時に、王妃様が満面の笑みで右手に丸を作って見せていったので、まあ合格なのは分かっていたけどな。
どうやら一件落着したと思われる所で私もホールへ姿を表す。卒業生達には先ほど両陛下が謝罪し、お詫び代わりの料理やデザートが追加で振る舞われ、ダンスの音楽も再開した事で、再び会場内はパーティの喧騒が戻ってきていた。
私はプロポーズを受けてもらって有頂天状態の殿下と憑き物が落ちたかのように晴れやかな表情を浮かべている妹に近付く。
「無事片付いてよかったですね、殿下。」
「レナード。」
「え、お兄様?」
振り向く殿下と、驚いた様子で目を丸くするルイーズ。
「どうしてお兄様までこちらに?」
「実は色々と今回の件に絡んでいてな。」
「まあ、そうでしたの?」
「私の出番が来なくてよかったよ。」
私が登場するのは、この計画が失敗した時だったからな。
「レナード、今回は本当に色々と迷惑をかけた。ありがとう。」
「いいえ。貴方が妹を本当に大切に思っている事が知れて良かったですよ。」
半分からかうようにそう言うと、殿下が顔を真っ赤にする。そんな彼の隣でルイーズが小首を傾げた。
「あら、一体何のお話です?」
「そうだな、今度ゆっくり話してやろう。」
「お、おい、レナード!」
私がニヤニヤと笑いながら妹に言うと、殿下が慌てたように私の口を塞ごうと手を伸ばしてくる。そんな気楽なやり取りも久しぶりで、私はしばらく二人をからかって楽しんだのだった。
パーティの終了後、暗くなった学園の門へと続く道を、私とルイーズはゆっくりと歩いていた。殿下達は学園側と後始末についての話し合いがあるという事で、私達は侯爵家の馬車で先に帰る事になった為だ。
「なあ、ルイーズ。」
私がぽつりと呼びかけると、妹がこちらを見上げた。
「はい?」
「お前はきっと…今日この日の為に、ずっと頑張ってきたんだな。」
「っ!」
唐突な私の言葉に、妹が瞠目した。だが、私は確信していた。ずっと妹が明かさなかった、彼女が幼い頃から必死で勉学に励み、古の召喚魔術まで習得しようとした理由。それはきっと、妹が今日という日が来る事を予め知っていたからなのだと。
「どう…して…。」
妹が信じられないとばかりに呟く。だが、その表情からしてやはり正解だったらしい。予知能力なんてものを信じてはいなかったが、それでも今回の一件を見れば、信じないわけにはいかないだろう。だが、それよりも。
「そうまでして、お前が守りたかったものは何だ?」
ここまでして、一人で立ち向かう必要などなかったのだ。分かっていたのなら、逃げ出す事だってできた。その方がずっと簡単だったはずだ。それでもずっと一人で全てを背負い込み、愚直なまでに努力し続けてきたのは、彼女をそこまで突き動かしたのは何だったのか、純粋に知りたいと思った。
私が真っ直ぐにその目を見つめていると、妹は躊躇うように一度視線を下げたが、やがて遠くを見つめてぽつりとつぶやいた。
「…初めは、私自身を守る事しか考えていませんでしたわ。どうすればこの未来を回避できるのか、考えました。正直に申し上げれば、逃げようと思った事もあります。」
自嘲気味な笑みを浮かべ、妹は続ける。
「でも…侯爵家で育っていく中で芽生えたのは、家族やここで働く人達を守りたいという思いでした。殿下との婚約が決まった時は、恐れていた未来が現実になっていく恐怖もありましたが…それでも、お優しい殿下の事もお守りしたいと、そう思いました。私が守りたかったのは…そんな私を取り巻く全てですわ。」
そう言って、妹は夜空の月を見上げる。
「その為には、逃げるわけにはいきませんでした。だから、冤罪など撥ねかえせるだけの強さを求めたのです。クレイトン侯爵家の者として、家の誇りを守り抜く事こそ、全てを守る事に繋がるのだと信じて。」
「ルイーズ…。」
「実際のところ、私が知っていた未来は、今回とは全く違っていたのです。殿下は本気でシェリル様を愛されていましたし、断罪も芝居などではなく、本当に私を侯爵家から勘当するようなものでした。」
悲惨な未来を語りながら、当時の気持ちを思い出したのか、泣きそうに顔を歪める妹。…そうか。お前はそんな未来に怯えながらずっと過ごしてきたんだな。
「でも、それももう終わりです。私が知っていたのは、今日までの未来。そして、今はもう全く違う未来が始まっています。」
私に視線を戻した彼女は、すっきりした表情をしていた。それを見て、私も長年心にかかっていた靄が晴れていくような気がした。
「…そうか。」
「はい!」
元気に頷いた妹に、私はもう一つだけ尋ねた。
「ルイーズ。お前は今…幸せか?」
その問いに彼女は意表を突かれたかのように目を丸くする。だがそれも束の間の事で、次の瞬間にはふわりと微笑んだ。
「はい。私は…ルイーズは、クレイトン侯爵家の娘に生まれた事を、心から幸せだと思っておりますわ。」
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
拙い作品でしたが、暇つぶし程度には楽しんでいただけましたでしょうか。
気が向いたら評価いただけると嬉しいです(*´∇`*)