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終 お客様は、神様です

 

 

 

 その者は土地の護り手。

 その者は我らの守護者。

 その者は――。


 カランコロン、と。

 桶が鳴る。

 桜の花弁がはらりはらりと舞い、湯船に落ちる。かすむ湯けむりの中で波紋が重なり、揺れながら、一片ひとひら花筏(はないかだ)に加わっていく。


「付き合ってもらって、悪いな」


 湯気の向こうで、お客様が薄っすらと笑った。


「いえ。わたしは、お客様をおもてなしする仕事をしているだけです」


 九十九は柔らかく笑って、湯船に手をつけた。

 温泉の源泉は低温と高温があり、混ぜ合わせた湯を43℃で提供している。少し熱めだが、この辺りの温泉の平均でもある。


 熱い湯気に当てられて、結い髪したうなじから汗が一筋垂れた。

 触れると、(たすき)がけした浅黄色の着物が擦れる音がする。露天風呂のすぐ横に膝をついて、九十九はお客様を見据えた。


「神でもなくなった亡霊を客だなんて、アンタ変わってるな」

「そうでしょうか。少し神気の流れがわかる程度で、至って普通の女子高生若女将ですよ」


 言いながら、女子高生であり若女将であり、巫女であり、神様の妻だなんて少々盛りすぎではないかと自分で気づいてしまったが、気にしないことにした。


天地開闢(てんちかいびゃく)の最高神の巫女が普通って――ああ、わかったわかった。言わないから許してよ」

「?」


 お客様が独り言を言いながら片手を振る。

 どうやら、零体化して監視していたシロがなにか言っているらしい。

 お客様が九十九に風呂場へついて来て欲しいと要求したときに暴れ出しそうになったくらいだ。しかも、「着物で入るから」と言っても、襷掛けで肌を出すのも反対していた。流石に濡れるので、そこは無視したが。


「祖母――先代の巫女が言っていたんです。例え名前を忘れられても、その方は神様であり、わたしたちのお客様だって」


 お客様が湯船の中から九十九を見上げる。


「シロ様のように甲斐甲斐しく瘴気を取り除く神様もいらっしゃいます。でも、それは一種のサービス(・・・・)なんです。神様は存在しているだけで、有り難い。神が宿るだけで土地は護られ、人は恩恵を受ける。だから、人は神を崇めて祀るんです」


 雑に纏められた濡れ髪が刺青の入った肌に落ち、妙な色香がある。大人のようにも見えるが、目を見開いて九十九を見上げる様子は、少年のそれだった。


「どんな神様でも、神様です。信仰を失って名前を忘れてしまったのは、むしろ、わたしたちの問題でしょう。土地と人に恩恵を与え続けた神様を、堕神などと蔑むことなんて出来ません」


 ほとんど、先代の巫女だった祖母の受け売りだ。

 それでも、口にしてみると自分の言葉のように感じる。きっと、聞いたことをそのまま述べるのではなく、自分が本気でそう思った上で、自分の言葉で話しているからだ。この瞬間から、祖母の言葉は自分のものになったのだと感じることが出来た。


「だから、わたしはあなたをお客様として招き入れました」


 この湯には神気を癒す効果がある。

 しかし、名前を忘れて堕ちた消えかけの神が力を取り戻すほどではない。


 せめて、消える瞬間は安らかに。


「……なんで、アンタが泣くんだよ」


 お客様に指摘されて、九十九は初めて自分の頬を流れる涙に気づいた。


 あれ、なんでだろう?

 悲しいわけではない。


 ああ、悔しいのか。そう気づいて歯を食いしばる。

 きっと、こんなことくらいしか出来ないのが悔しいのだ。


 九十九は涙を拭こうとする。だが、それより先にお客様が九十九の頬に触れた。


「俺はそんな立派なモンじゃないよ。自分が消えないように人の生気を喰らった」

「それでも、微々たるものです。死に至るようなものではない……なにか、理由があるんじゃないですか?」


 お客様の指が九十九の涙を掬う。

 その指先から神気が抜け、スゥッと透けていく。


「理由なんて些細なモンさ……消えかけた俺を寄り代として受け入れた()が最期を迎えられるようにしたくてよ」


 これだけ神気が薄まった堕神が(ながら)えるには、寄り代が必要だ。

 彼が寄り代にしていたのは、桜の木であった。

 近年、全国のソメイヨシノは木としての寿命を終えようとしている。保護の活動も行われているが、腐食が進んだり、病気になる木が増えているのだ。

 因みに、湯築屋の桜はシロの幻術のようなものだ。結界内に季節の花を咲かせている。

 彼が寄り代にしていた桜も、寿命を迎えるということなのだろう。残った神気を桜の生存に回していたのだ。


「やっぱり、お客様は神様ですよ」


 九十九は笑って、お客様の手を両手で握り締めた。もう神気が薄まり、肩や腹の辺りが透けて背景が見えている。

 やはり、涙が流れる。

 このお客様と関わったのは、ほんの一時。しかも、九十九の生気を狙われていた。


 それでも、九十九はこのお客様を救えないことが悔しいと思う。悲しみさえ覚えた。


 きっと、それは九十九が神々(かれら)を好きだから。


 個性的で扱いに困る神や、無理難題を言いつける神、気まぐれであったり、理解出来なかったり……湯築屋には、様々な神様が訪れる。

 幼い頃から傍に神が居り、当たり前のように過ごしてきた。


 恐らく、これは神が人に求める信仰や畏怖とは違う感情。

 九十九は人と等しいものとして、神を見ていたのだと思う。

 人の尺度を神に対して持ち込みすぎるのは良くないと、シロは言う。けれども、分けて考えることなど出来ない。

 単に区別がついていないだけだろう。


「最期にそう言ってもらえて、嬉しいよ」


 名前のないお客様は笑って九十九の頭をそっと撫でてくれる。

 九十九はお客様を見ていることが出来ずに、深く俯いてしまう。


 これは自己満足。

 意味などないし、誰も救えていない。


「…………」


 数分だろうか。

 俯いたままの九十九の髪を、指が撫でる。


「九十九が背負うことでもなかろうに」


 その言葉に、お客様のお帰り(・・・)を悟る。

 九十九は目を開けることが出来ないまま、そこに蹲り続けた。

 ふんわりと甘い油揚げの匂いと、温かさが身を包む。


「シロ様には、わかんなくていいです……どうせ、わたしの自己満足ですし」

「嗚呼、わからぬよ」


 ぎゅっと抱きしめられたので、九十九はシロの手を懸命に払おうとする。けれども、シロは黙ったまま小柄な九十九を抱きしめ続けた。


「儂は昔、所謂ニートというものでな」


 ポンポンと背中を撫でながら、シロが九十九の顔を覗き込む。

 抱きしめられたままの身体が、ふわりと浮き上がる感覚。シロの身体が宙に浮いているのだ。九十九はびっくりして、シロの胸元に抱きつく形で丸くなった。


「特になにもせず幾千年。旅ばかりしていたよ。儂の場合は土地神でもなければ、天照のような存在するだけで地を照らす太陽神でもないからな」

「え、でも、シロ様は稲荷神――」

「この地を住処にし始めた頃、阿呆な土地の巫女に説教されてしまったな。人の掘った湯の恩恵を受けようとするのであれば、人にも恩寵を与えるべきだと。まったく、図々しい話よ。腐っても、儂も神だと言うのに、そのようなことを言い出す愚か者は後にも先にもいなかった……というわけで、儂も真面目に神でもやろうかと思って、だな」


 シロがなにを言っているかわからなかったが、どうやら、彼が土地の瘴気を祓っていた理由を述べているらしい。

 昼間は誤魔化したくせに……しかし、彼なりに九十九を宥めようとしていることが伝わった。


「なんか、シロ様って……微妙にズレてますよね」

「ズレている? どこがだ。なんの話をしている、九十九?」

「こっちのセリフです」


 本当に、わからない神様だ。

 でも、残念かな。

 悔しいことに、九十九の涙は止まっていた。


「とりあえず、あの()が執着していた桜は、一春越せるようにしてやろう。その先は寿命だ。そこまで摂理は曲げられぬ」

「ありがとうございます……」


 桜の花弁と一緒に、シロの着流しが翻る。慣れない浮遊感が襲う空中散歩に、九十九は戸惑いながらも、少しずつ笑顔の蕾を綻ばせた。


 地上の庭には絨毯のような桜。

 結界の外側にある町並みは見えず、空は常に黄昏色の藍に染まっているが、独特の幻想的な雰囲気があった。

 窓から漏れる光が色硝子を照らしており、模様が浮き出る近代和風建築の旅館も桜に負けない情緒がある。


「上から見ても、桜って……綺麗ですね」

「ここにあるのは、所詮幻影よ。今度、本物の花見もしに行こう」

「いや、流石に結界の外で飛んだら、人に見られちゃうし……」

「いい機会だ。我が妻を見せびらかせばいい」

「そういう問題じゃなくて」


 少しばかりロマンチックな雰囲気だと思っていたら、これだ。

 九十九は頭を抱えて息をつく。


「まあ、良い。九十九、心配するな。儂はどこへも行かぬ」


 今度はなにを思ったのか、シロは九十九を抱きすくめて、頬を摺り寄せてきた。


「べ、別に。シロ様がいなくなるなんて思ったこと……一度も……」


 言いかけて、九十九は言葉を小さくしていった。

 シロは神様だ。

 湯築家の巫女を代々娶ってきていた。


 ふと、何度も妻を失う気持ちは、どんなものなのかと考えてしまった自分がいる。


 シロの思考は九十九とは異なっている。

 現代社会に染まったダメ神様であっても、根本的な価値観が違うのだ。案外、九十九が思っているような感情は抱いていないかもしれない。


 わかっていながら、九十九はシロの右手を包むように握った。


「わたし、出来るだけ長生きしますから。今から、健康グッズ使ってみようと思います」

「……は?」


 今度はシロが小首を傾げている。


「ずっと、シロ様にお仕え出来るように……その……」


 言いながら、ちょっと恥ずかしい。

 なにを言っているのだろう。自分でも、わからなかった。


「シロ様と、出来るだけ長くいたいんです……」


 言葉が纏まらないが、素直に言うとこんなところだろう。

 顔を伏せると、シロは九十九の顎に指を添え、そのままクイッと目線を上向きにさせた。


「それは、俗に言う愛の囁きという奴か?」

「ふぇ!? 愛ぃ!?」


 え? そうなのかな? よくわからない。どうして、そう受け取られてしまったのだろう。いや、そう受け取ることも出来るような気がする。あれ? もしかして、言葉選び間違えた!?

 九十九は頭がクルクル回りそうだった。


「そ、そ、そそそんなつもりは!?」

「なんだ、違うのか。今日こそ寝所を供にして良いと思ったのだが」

「寝所!? 調子に乗らないでください!?」

「まあ、仕方がない。そろそろ終わりにしておこうか。他の客が夕餉を食べ終わった頃合だろう。忙しくなるぞ」


 マトモなことを言いながら、シロはゆっくりと地面へ降りていく。

 九十九は安堵しつつ、一方で、少し残念だとも思ってしまう。


「少々、残念だと思っただろう?」


 シロが、意地悪くにまりと笑った。

 瞬間に九十九は顔から火が出るほど恥ずかしくなって、地面に足がつく直前、シロの腹に一発、渾身の蹴りをお見舞いしてやった。

 九十九は難なく地面に着地。不意を突かれたシロは、桜筏の覆う湯船に落下。


「調子に乗らないでくださいッ!」


 いつも通りの叫び声が響き渡った。


 神様専門の旅館「湯築屋」は、今日も通常営業だ。

 

 

 

おわり

 ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

 本作は道草家守先生の和モノ企画への出品作として執筆させて頂きました。普段は洋モノを執筆することが多いのですが、久しぶりに書くとやはり楽しい。脳内でみんな和服着てると思ったら、ワクワク。やはり、和は素晴らしいのです。


 本作の舞台でモデルになったのは、愛媛県松山市(道後)です。

 千と千尋の神隠しなどのモデルとしてそこそこ有名だけど、まあまあニッチな観光地。最近はそれなりに観光地として整備されていて、見るところも増えているので、是非ともご旅行の候補地としてご検討ください♪ お魚が美味しいです☆

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