1990-1996東京
東京には俺たちがあれ程こだわった学ランを着て街に出ている奴なんか一人もいなかった。
渋谷の繁華街に群がっているのはチーマーと呼ばれるリーバイス501のジーンズをはいた奴らばかりだった。
変形学ランなんて、絶滅危惧種に落ちぶれていたのだ。
俺たちがどれほど田舎に住んでいたか。東京とどれほどのタイムラグがあったことか。
今、ダブルが俺と一緒に渋谷の街に立っていたらどんな思いを抱いただろう。
ダブルが地元のデザイン専門学校卒業後、憧れの東京に出てこれたのか、俺には知るべくもなかった。
俺の大学生活が始まった1990年はバブルの真っ最中で、三流大学裏口入学の俺の周囲には似たような奴らばかりが集まっていた。
地元で見たことも無かったような可愛い女の子たちをソアラに乗って釣り上げ、毎日のようにとっかえひっかえで遊んでいた。
毎日が華やかで刺激に満ちていた。
それでも、俺はいつも息苦しかった。腹の底で凍った塊が居座り、決して融けることが無かった。
水槽の中の淀んだ水に空気を求めて喘ぎながら、泳ぎ続けなければ腹を見せて浮き上がってしまう金魚たち。
水は次第に濁り、悪臭を放って腐っていった。
町を歩いている時、すれ違った若い男からふわっとショートホープが煙った。
足を止めた俺に、「なにやってんだよ。早く行こうぜ」と声をかけてくる仲間――金のかかった身ぎれいな流行の服を着てなまっちろい顔をしたこいつらはいったい誰だろう。
仲間というのは、騎兵隊や紅蓮での日々にあったものだ。
毎日、明日はどいつをやっつけてやろうかとワクワクしながら眠った。
町中追っかけまわされて本気で殺られるかと心臓が破裂しそうになった。
体中の血が沸騰して全身で脈打ってる瞬間は、自分が生きている実感があった。
「おい、首藤。早くしろよ」
肩に掛けられた手を振り払うと、さすがにむっとした顔をしている。男のくせに節の無いきれいな指の上品な手。
てめぇは人を殴ったことなんて一度もないだろ。腹を蹴られて反吐を吐いたことも、切れた口の中の血と一緒に折れた歯を吐き出したことも。
殴ったら自分の手も痛むことも知らないだろ。
「女が待ってるからさ。さっさと行こうぜ」 別の奴がまた肩に腕を絡ませる。
「――うるせぇよ。その汚い手をどけろ」
腹の底から声が出た。
相手の顔色が変わり、さっと手を引っ込める――千種の頭を、騎兵隊のトップを、紅蓮のトップを舐めんじゃねぇよ。
俺はその生ぬるい金魚鉢から這いだした。
だからって、心を入れ替えたほどじゃなかったが。
※ ※ ※
俺が6年かけて大学を卒業した頃には、バブルはすっかり弾けていたが、俺の親父はバブルの波を上手く乗りこなして、土地転がしや株で莫大な資産を形成していた。
親父はその金で、上部団体の執行部に登りつめた。
既に東京にも進出し、幾つもの商業ビルや賃貸マンションなどの不動産や会社を合法的に所有して、そのいくつかは母さんの名義になっていた。
俺はその一つの小さな不動産管理会社【レインボーエステート】(ダブルが聞いたらそのネーミングセンスに泣き出しそうだが)に入社し、初日から常務取締役になった。
「お母様が社長ですから、ご子息のあなたが常務だろうが社員の誰も文句は申しませんけどね、お飾りの重役では困ります。ここでしっかり経営を学んで、将来の社長としての経験を積んでもらいます」
財務部長兼専務の高田というおっさんが、俺に説教を垂れた。
地元の首藤組の事務長だった小森のおやっさんと兄弟かと思うほどよく似たハゲでチビの口うるさいおっさんだった。
「俺は組の跡を継がないんだ。将来ったって、親父が死ねばどうせ上部団体に返上させられちまうんだろう」
「そうさせないように、税務署にも表彰されるぐらい健全な税務申告をしてるんですよ。だから、他の社員の前では首藤組の名前は出さないでください。うちは堅気の会社で暴力団とは一切関係ありませんから」
ぎろりと睨まれたらヤクザも黙るような目力をして俺に釘をさすと、目の前の机の上にどかどかと台帳を積み上げた。
色気もない事務服着たおばちゃんが、その横にお茶の湯飲みを置いてにこにこしながら出て行った。
俺のバブルもぱちんと弾けた音がした。




