1989冬
その年の暮れ、珍しく親父が家にやってきて俺を応接間に呼びつけた。
最近の親父は本部の執行部入りの話が出ているらしく、ほとんど地元にいることがなかった。
俺の方からも話があったから、ちょうどいい機会だと思った。
直参入りして、地元のヤクザの間では最も勢力を伸ばしている親父はすっかり身についた貫録で、実子の俺でも一瞬怯んだ。
俺が話し始める前に、親父の方から切り出した。
「ヒロ、お前、東京の大学に行け」
自分の耳を疑うような話で、「俺の頭で入れる大学なんかねぇよ」 ついでに親父の頭を疑ってしまった。
だが、親父は気難しい表情のまま同じことを言った。
「金を積んで入れるとこはいくらでもあるんだ。おまえはちゃんと大学卒の資格を取れ」
「ヤクザが大学行ってどうすんだよ」
ここだ!――と思って、親父の前に土下座した。三年前にショーヤがやっていた通りに。
「俺、高校卒業したら首藤組に入れてくれ。部屋住みの下っ端からでいい。頑張って、いつかは親父の跡を継いで二代目首藤組の組長になる――」
そして、カイを若頭にするんだ――自分の中でまだ未練が燻っている。
ショーヤはだめだと言ったが、親父にとっては俺はたった一人の実の息子だ。心底では俺が跡を継ぐことを望んでいるのではないか。
これが最後のチャンスだと俺にもわかっていた。
親父はほとんど考えることも無く、すぐに答えを返してきた。
「ヒロ。お前に首藤組の跡目は継がせない。お前を組に入れることは絶対にない」
斟酌のないきっぱりとした言い方にかっとした。
「ショーヤがいるからか!ショーヤに首藤組を継がせるのか!」
胸の内のどこかで親父が俺でなくショーヤを選ぶのはわかっていたが、まだ納得はしていなかった。
「俺のどこがショーヤに劣るんだ!俺だって千種の頭で紅蓮のトップだ。騎兵隊だって俺がまとめたんだ!」
怒りに全身が震えるのを、両手の拳を握って耐えた。
「組はいずれ照也に継がせる。元々首藤組は俺と照也の父親の二人で立ち上げたものだ」
「だけど、組を大きくしたのは親父だろ!なんで、俺じゃなくてショーヤなんだ!ショーヤの親父なんか、さっさと死んじまってるじゃないか!」
言い終わらないうちに、親父の拳が顎に炸裂した。吹っ飛んで壁に叩きつけられ、呼吸が止まるかと覚悟したほど手加減なしの殴り方だった。
親父に殴られたのは生まれて初めてだった。痛みよりもその事実に衝撃を受けてしまって立ち上がれない。
床にうずくまる俺に近づいてきて、親父が傍らに腰を下ろした。
「ヒロ。これからはもうヤクザの時代じゃない・・・お前は堅気の世界でちゃんと生きて行くんだ」
「それならもういい。俺はこんなとこ出て行って、自分の気に入った組に入る」
「首藤組々長の実子を入れてくれる組がどこにある?俺が一言まわせば、お前はどこへ行っても爪はじきされるだけだ」
都合のいい時だけ実子だということを振り回して、俺を追い詰める。
「あんただって好き勝手やってヤクザになったじゃないか!」
「時代が違うんだよ、ヒロ。俺たちはヤクザにでもならなきゃ成り上がれなかった。だが、これからはヤクザにとって生きにくい世の中になる」
親父の手が俺の頭に乗った。
「あの頃の俺が喉から手が出るほど欲しかった金と学歴をお前にくれてやりたいと思うのが、父親としての俺の本音だ。その後は、お前が自分で好きに生きて行けばいい」
親父の手が俺の頭をゆっくりと撫でた。小さな頃、ボール投げが上手くできないとかんしゃくを起こした俺をなだめるみたいに。
「志穂が俺に約束させた。ヒロはヤクザにしないと。お前は大手を振って歩ける世界に行くんだ、ヒロ」
こんな時にだけ二人して親の顔をするなと思うが、かあさんを持ち出されると言葉を返せなかった。
「ショーヤはどうなんだ・・・あいつは・・・」
「あいつは首藤組以外のものを全部捨ててしまった。照也は・・・・・もうこっちの世界で生きて行くしかない」
俺を殴った時より辛そうな表情で親父はどこか遠くを見る目になった。
ショーヤの全身に彫られた藍に染められた菊の花と龍が甦る。
俺は結局何をしてもショーヤには敵わない。
「お前に組の跡を継がせることは絶対にない。だが、地元にいる限り、お前は首藤組と切り離して見てもらえない。だから、東京の大学へ行け」
もう一度、頭を撫でて親父は部屋を出て行った。
口の中に、じわりと血の味が広がっていく。俺は動けずに、じっと蹲ったままだった。
首藤組を諦めることは、カイを諦めることだった。
――車の窓から突き出された腕。その指先で燻るショッポの煙。
『・・・勘弁してやってよ。俺の昔の知り合いなんだヮ』
カイはとっくに俺を諦めていたのに。




