2017冬-3
次の日、チェックアウトをしようとホテルのフロントに向かうと、ラウンジのソファから少年が立ち上がって俺に近づいてきた。
昨日、ちらっと会って短い言葉を交わしただけの照也の息子だった。今日は私服のパーカーの上に迷彩のジャケットを羽織っている。
「今夜、親父の昔の仲間がマンションの方へ集まってくれるらしい・・・。ばあちゃんが、あんたにも来て欲しいって言ってた。昨日は言い過ぎて申し訳なかったって」
そいう言いながら、俺の荷物を自分の手に掴んで持ち上げた。
「お前、名前は何て言うんだ」
「大和(やまと)」
照れくささを隠すようにぶっきらぼうに言って、俺の前を歩いて行く。年齢に比べて背の高いその後ろ姿は、昔の照也によく似ていた。
子供の頃、俺がいつも追いつきたいと願っていた背中を思い出させる。
「大和は照也の跡を継ぐつもりはあるのか」
「ヤクザの?――まさか。今時あんなのになる気はありえないよ」
即座に否定してくるのに、苦笑が漏れる。全く不人気な商売になったものだ。
「俺はバンドで飯を食うつもりだ。そのうち東京へ出てく」
誰の反対も聞く気はないぞ!という意思表示の溢れる言葉が返ってきた。
マンションまで10分ほどの距離を二人で歩いた。
大和は足を緩め、俺の隣に並んだ。
「あんた・・・首藤組の組長の実の息子なんだろ。昔、ヒロさんって呼ばれてた・・・」
探るように聞いて来るので、なんで俺が組の跡を継がなかったのかと責められるのを覚悟して頷くと、大和の表情がパッと晴れて口元が綻んだ。
「昔、強かったんだって?南軍騎兵隊はうちの千種中の伝説だよ。五つの中学を束ねてたんだろ。今時そんなことできる奴はいない。
香西の頭のカイって人も強かったんだってな。二代目紅蓮も二人がツートップで敵なしだったんだよな」
男の子は意味もなくただ強いものに憧れる。遥か遠い昔話の中の――ヒロとカイ。
30年を経て、俺たちは伝説になっていた。
※ ※ ※
会うなり、香苗さんは両手で俺を抱きしめた。
「ごめん、ヒロ・・・あんたには何一つ責任の無いことなのに・・・ひどいこと言って」
俺は無言でその小さくなってしまった背を抱き返した。少なくとも、香苗さんには大和が残っていることに安堵しながら。
「今夜、拓郎たちがこの家で弔いに集まってくれるって言ってる。組の葬儀には出られなかったからって」
分骨の小さな骨壺が置かれただけの寂しい部屋だった。
俺は花屋に電話をして、店にある限りの花を持って来てくれるように頼んだ。
香苗さんは大和に手伝わせて、酒や料理の支度に忙しくしていた。つまみ食いをして香苗さんに叱りつけられる大和の姿に昔の俺が重なる。
ちょっとだけ顔を覗かせた小森のおやっさんが、酒を差し入れてくれた。
「――親父はどうしてる・・・」
「オヤジも今回のことはずいぶん堪えてるだろうが、強え人だから腹は括ってるだろう。返し(報復)をするって息巻いてる若いもんをなだめてる。
照也は伊勢組を潰す気でいたんじゃなかろうかなぁ。金で伊勢の組員を強引に引き抜いていたからな。
あそこの若頭だった岩城組をうちに引き入れたんで、伊勢はもう終わりだと噂されてた。
照也がやりすぎたんだと言う奴もいるが・・・昔っからの因縁知ってるわしにはあいつの気持ちがわかる。長尾のことは父親の仇だと思ってたんだろう・・・
長尾はしらを切りとおすだろうが、使用者責任で逮捕されることになればいいやね。
まあ、ヤクザが警察頼みってのもみっともねぇ話だが、今のご時勢じゃ迂闊に仇討も仕掛けられねぇ」
ヤクザにとっては何の面白味もない世の中になったとぼやきながら、小森のおやっさんは帰って行った。
照也が親子で守った首藤組を、親父は結局最後まで手放すことは無いだろう。それが親父が選んだ道だったし、親父なりのけじめの取り方だと思うだけだ。
『――お前が首藤組の跡を継ぐのか?俺を、スカウトしろよ』
30年も前の荒砥大瀬崎で岩城の言った言葉を思い出す。
俺もカイも手の届かなかった首藤組に、昔の秋葉中の頭、暴走族ナイト・リッパーのトップだった岩城が残ったことに、一抹の感慨があった。
「優しい奴はヤクザにはなれない」
いつか、照也がそう言ったことがあった。
ヤクザになるのは、どこか箍のはずれた狂気を秘めた人間だろう。甲斐松生や岩城や生島のような。
今ならそれがわかる。
親父は本物のヤクザになるために、自分の内にある柔らかな部分を母さんと一緒に切り捨てたのだということが。
誰よりも優しい人間だった照也は、自分の人生を捨てる決意をしたのだ。
そして、カイも――優しすぎた。