2001春-7
昔は武闘派として鳴らした監物組も、今は往年ほどの勢いは見られないと噂されていた。
扇町の監物組事務所の前で、下っ端らしい一人を捕まえて鳥居がまだいるか、聞いてみた。
「カシラ(若頭)の鳥居さんのことかよ」 頭の悪そうなそいつは、ケンカ腰で俺をねめつける。
「兄弟でいるなら、弟の方だ」 下の名前は覚えていない。覚えているのは【ション】のあだ名だけだ。
「あんた、誰」
「千種のヒロが来たって伝えてくれ」金を渡してもう一度頼んだ。
やっと携帯で連絡をしてもらい事務所近くの喫茶店で待っていると、昔の仇敵は凄い勢いで乗り込んできたが、満面の笑顔で俺の両肩を掴んだ。
「おう、ヒロ。久しぶりだなぁ。元気にしてたか」
「お前にやられた古傷が時々痛むけどな」 額の傷跡を擦ってみせた。
はっはっはと腹を揺すって笑う鳥居は、南野中の頭だったころの面影が全く無いほど太っていた。額の剃りこみ跡は、そのままハゲになりかかっている。
あの頃いつもひん曲がっていた口元は、欠けた歯をのぞかせたまま懐かしそうに笑っていた。
「東京もんは洒落た格好してるじゃないか。男っぷりが上がったぞ」
信じられないことにお世辞も言う。
「お前もずいぶん貫録がついたな。見違えるとこだったよ」
アイスコーヒーを注文しながら、鳥居はお世辞のお返しをうんうんと嬉しそうに真に受けている。
「俺んとこも兄貴が監物の頭(かしら)に座ったから、これからますます忙しくなるヮ。いずれ監物の跡は兄貴が継ぐことになる。そうなりゃ、お前んとこの首藤組も終わりだな」
昔の陰険な残滓がちらりと覗いた。「で、何の用だ、ヒロ。昔話をしに来たわけじゃないだろ」
「カイが・・・飛んだって聞いた。どこへ行ったか知らないか」
「なんだ、お前も金貸してたのか。朝っぱらから金貸しが事務所まで押しかけてきてうるさくてョ。ヤクザがヤクザに金借りるようじゃ世も末だ」
運ばれてきたアイスコーヒーにガムシロップをドバドバと入れながら、鳥居は嘲るように笑った。
「カイもこれでおしまいだな。昔はでかい面してたけどよぉ」
「全部でどのくらい借りてたかわかるか」
「なんだ、お前がカイの代わりに金を返してやるつもりか?そういえば、騎兵隊や紅蓮じゃ、ツートップとかぬかして粋がってたもんな」
それでも俺がじっと返事を待っていると、しぶしぶ話し始めた。
「五年前に親父の方の甲斐が死んじまってから、組の中でカイの立場が失くなった。まあ、その前からあのシャブ中の親父はロクなもんじゃなかったけどな。
監物の組長(おやじ)はカイを可愛がってたが、ここ二年ほどは肝臓を悪くして入退院の繰り返しだ。組の実権はうちの兄貴が握っている。
それにカイはシノギも下手で、シャブはやらねぇ、女衒も嫌だって我が儘だったから、あれじゃあ、自分の組も持てねぇよ。
いくら喧嘩が強くたって、用心棒やデリヘリのドライバーなんか下っ端のやることだ。
最近じゃ、ほとんどパチスロに入り浸ってたんじゃないか」
「ギャンブルで金が要ったのか」
「さぁ・・・な、ヤクザが借金するのはギャンブルか、シャブというのが相場だが・・・親父の方は昔からシャブ中だったが、カイがシャブやってるとは聞いてない。
金貸しの話じゃ、総額500万。他にあちこち小口で借りてたらしいから800万ぐらいになるんじゃないか」
たかが、800万――靖彦のつくりだした50億の負債に較べたら微々たる金額の端金(はしたがね)だ。
その思いが顔に出たのか、鳥居の表情が一変した。
「返せねぇ人間にとっちゃ、例え10万でも1000万でもおんなじことだ!お前が返してやろうなんて思いあがんなよ!カイが借りた金はカイが被るのが当然のことだ!
あいつだってそれがわかってるから飛んだんだ!」
それはヤクザになった鳥居にとっても男の矜持なのだろう。
「美佐ちゃんはまだ小春通りでスナックやってるのか・・・カイのおふくろの」
「金貸しがそっちも回ったらしいが、なんでも体を壊したからって店は半年前から閉めてたみたいでもぬけの空だってよ。そういえば、あいつマザコンなんだぜ。よくママに電話してるの見られてたからな」
けけっと嫌味たらしく笑って、鳥居はコーヒーのお代わりを頼んだ。
またドバドバとガムシロップを入れてかき混ぜながら、
「昔はよかったなぁ~・・・中坊の頃は。何のしがらみもなくて、思いっきり暴れられたもんなのによぉ。今じゃ・・・・」
現役バリバリのヤクザの鳥居が、肩をすくめて遠くを見る眼差しになった。
支払いは当然のように俺に回して、鳥居は席を立った。
昔、半殺しにしてやろうと思うくらい嫌い抜いた相手を思わず呼び止める。
「今度会う時は、一緒に酒飲んで昔話しようぜ、ション」
「二度とそう呼んだらぶっ殺すぞ、てめぇ」
拳骨を振り上げて威嚇してきたが、その目は笑っていた。
鳥居も――閉じてしまった小さな世界で一生足掻(あが)き続けるのだろうか。
振り返って監物組事務所のビルを見上げた。
この場所に立って、「約束通り迎えに来たぞ、カイ!」 と声をかけられる日を何度夢に見ただろう。
出てきたカイは、俺に気づいてパッと嬉しそうな笑顔になる――毎日、中学の校門前でパッジョグに寄りかかって俺を待っていた時のように。
だが、もうここにカイはいない――きっと、俺は二度と夢を見ることはないだろう。