2001春-6
次の日の昼ごろ、マンションに小森のおやっさんと照也が姿を見せた。
テーブルの上に投げ出してあった二つの札束は帯封がかかったままだったが、おやっさんは嫌味たらしく丁寧に一枚ずつ数え直して確認してからカバンにしまった。
昔、毎月生活費を持って俺たちの家にやってきていた頃から使っているカバンは、あちこちが擦れて色が剥げていた。
まだ首藤組の事務長で頑張っているおやっさん自身もあちこち擦りきれて、まばらだった髪もすっかり抜け、チビがさらに一回り縮んでいる。
「博之さん、こういうことは今回一度っきりにしてもらいますからね」
思いきりしかめ面で俺を睨んだ後、帰り際に香典袋を寄越してきた。
「奥さんの墓に花でも供えてください」
後で開けた袋の中には、10万円包まれていた。ケチなおやっさんにしては破格の金額だったろう。
小森のおやっさんが帰った後も、照也は居残っていた。
俺がソファーから動かないから、照也が自分でコーヒーを入れて俺の前にもカップを置いた。
「カイが飛んだって噂で、金を貸した奴らが朝から騒いでるぞ。お前も貸したのか」
「・・・・20万」
何もかもどうでもよかった。俺は置いていかれ、カイは行ってしまった。
「お前にまで金をせびりにくるなんて、あいつも落ちぶれたもんだ」
照也の言葉はわざと挑発しているのだとわかっていても、俺はカイを庇わずにはいられない。
「カイは金を借りに来たんじゃない。遠くへ行く前に俺に会いに来たんだ・・・・」
キーが残されたままのベンツ。
俺が戻る前に乗って逃げ、どこかで売り飛ばせば、もしかしたらカイの借金の全部でも払えたかもしれない。
カイがベンツに乗って逃げても、俺が決して警察に届け出たりしないこともわかっていただろうに。
「俺はもっと金を渡してやりたかった・・・返してくれなくたっていい。俺が持ってるものなら、全部あいつにくれてやる」
「お前はガキの頃とちっとも変ってないな・・・・カイのことばっかりだ。なんでいつまでもあいつにこだわる」
「照也だって、ツートップだった拓郎さんのためなら何だってするだろ」
照也はしばらく無言で俺を見ていたが、
「そりゃ拓郎のためなら俺の出来ることはしてやるよ。でもな、いつまでも昔のままじゃいられない。前に進むためにはいろんなものを捨てて行くんだ。大人になるってのはそういうことだろ。
おまえはいつまでたっても、ガキのまんまだ。あれもこれもと抱えこんじまう。カイのことはもうあきらめろ」
訳知り顔に説教してくる照也に、俺は昨日知ったばかりの事実を突きつけた。
「昔・・・・カイに余計なことを吹き込んだのはおまえだろ」
「何のことだ」
「俺を首藤組には入れないと・・・カイも絶対に入れないと・・・あいつに言ったんだってな」
しばらく考え込んでから、照也は思い出したようにゆっくりと頷いた。
「おまえがカイに拘っている限り、首藤組を諦めないとわかってたからな・・・あいつに引導を渡した方が、結局二人の身のためだと思った」
「俺は・・・・一生おまえを許さないぞ、照也」
俺がまともに睨みつけたので照也も黙り込んだが、やがて溜めていた息を大きく吐いてぼそりと言葉をだした。
「お前に言ってなかったが、前に一度だけカイが俺のところへ来たことがある」
「いつ!?」 胸が跳ねた。
「お前が大学を出た年だから・・・もう五年ぐらい前になるか。志穂さんが入院しておまえが一週間こっちに戻ってきたことがあったろ。
誰かにお前が戻ってきたと聞いたのかもしれん。ヒロさんはまだいるかって聞いてきたが、お前はもう東京に戻った後だった」
「なんで・・・教えてくれなかった・・・何の用があったんだ」
「ヒロは東京に戻ったと言ったら、カイがそれならもういいと――あの時のカイの顔を覚えている。今のお前とそっくりの顔をしていたよ」
義理の父親の甲斐が死んだ年。美佐ちゃんはスナックで元気にやってた。カイの腕にはらんちゃんがぶら下がっていて・・・・・俺は、声をかけずに隠れた。
あの時声をかけていたら、何かが違っていたのだろうか。
あの時なら、カイは俺と一緒にこの町を出ることができたのだろうか。
『・・・・一度だけ、夢を見た』
たった一度交差しかけた道端に、ぽつんと立つカイの姿が見える。
カイを置き去りにしたのは――俺だったのだろうか。
頑なに押し黙っている俺に諦めたように、照也は立ち上がり、
「俺んとこにガキができた。男の子だよ。会ってみるか」と聞いた。
俺は黙ったまま首を振った。
照也が正しいとわかっていたが、どうしても許すことができなかった。